うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ハンディクリーナーを買う

2015年09月10日 | 家電

ケージ周りの掃除に使っていたハンディクリーナー(ツインバード ロブジェ)の電池が弱ってしまい、充電してもゆるくしか回らなくなってきた。

だましだまし使ってきたが、そろそろ限界のようなので代わりのものを買いに行った。

エレクトロラックスのラピード Wet & Dry という。このシリーズは3種類あり、ベーシックなものは3.6V、これは水も吸うことができるタイプで4.8Vという表示がある。最上級機はリチウムイオン電池を使っているタイプで、1万円以上した。ベーシックタイプでもいいかな、と思ったが、水も吸えれば何かの時に便利かと思って、一つ上のものを買ってしまった。

エレクトロラックスって、スウェーデンの会社らしい。海外製はデザインが垢抜けている、というイメージがあるが、これは、個人的にはまあ普通かな、という印象だ。

右が今まで使っていた「ロブジェ」。デザインが好きで、8年間も使っていた。デザインは、今回のEL社のものより洗練されているかも知れない。

持ち手が上にあるのも使いやすい。ラピードはスタンドに載せるときに手を持ち替えなければならない。

吸引力は結構強く感じたが、これは先代のロブジェが弱すぎたので、余計そう感じたのかのかも。ノズル(オレンジ色のやつ)は着脱式だが、これを収納するところがない。また、ロブジェにはあったブラシもついていない。ので、新聞紙の上を掃除しようとすると紙がくっついてしまってやりにくい。

というわけで、意外とエレクトロラックスはデザインの詰めが甘いという印象だ・。

吸引力は良さそうなので、きっと活躍してくれることだろう。

 

コメント (4)
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今日までそして明日から

2015年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム

吉田拓郎はこの曲を24歳の時に作ったそうだ。歌詞はごくシンプルなもので、素朴さを感じる。

と言うより、はっきりいって、なんだか高校生のアマチュアが作ったような、青い感じのする歌詞、という感じがどうしてもしてしまう。

そんな曲を、還暦を過ぎた拓郎が、じっくりと、一つ一つの言葉をかみしめるように歌っていく。

最初にこれを聞いたのは、高校生になったばかりの頃だ。拓郎がやっていた深夜放送で、自らギターをひいて歌ってくれていた。

 時にはだれかの力を借りて

 時にはだれかにしがみついて

生きてきたのだ、と言う。拓郎がどのような人生を歩んできたのか、そのときは(今でも)知らなかったが、なんだかずいぶんと正直な歌詞だなあ、と思ったのを覚えている。

更に、

 時には誰かをあざ笑って

 時には誰かにおびやかされて

 時にはだれかにうらぎられて

 時には誰かと手をとりあって

と続く。

今思えば、たとえ16、7歳のこどもでも、人が生きていくというのは、たぶんこんなものなんだろうな、ということが、体感的になんとなくわかっていたのだと思う。まだ何も、人生の修羅場などくぐってはいなかったのだが。

きれい事で生きていけるような人はいなくて、誰かに助けられたり、誰かをバカにしたり、傷つけられたり、ねたんだりしながら、生きるんだろうな、と。

そして結局、基本的には60になっても70になっても、人は同じようなことを日々思いながら生きていくものなのかも知れない。

この歌詞はだから、決して青くさいだけの歌詞ではないのだ。

むしろそんなことをいくつになっても思いながら、あれこれ悩みながら生きる方が、自らの生を「生きている」ことになるのかも知れない。

そういうのを通り越して、枯れてしまう方が、むしろ問題だ。

 

さいきん自分のことを、枯れてきたな、と思うことがおおい。

いろんなことをあきらめてしまって、おこったり強く主張したりすることがなくなった、というよりできなくなった。

心穏やかで、満ち足りているかというと、そういうわけではない。こういう気持ちは、若い頃には経験したことがなかった。

同じ吉田拓郎の作曲した、「襟裳岬」の歌詞(作詞は岡本おさみ)を、つい思い出してしまう。

 日々の暮しは いやでもやってくるけど

 静かに 笑ってしまおう

 いじけることだけが 生きることだと

 飼い馴らしすぎたので 

 身構えながら話すなんて

 ああ おくびょうなんだよね

この人生を、ここまでやってきて、こんなことを考えているなんて、たしかにちょっとつらいものがあるなあ・・。

 

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