ヨコハマ買い出し紀行12巻P85(amazon kindle版)より。
「先生」は、この後
「やること多すぎてさ 一生って一回だけじゃたりないもんなのよ たぶん」
「だからせめて ひとつふたつでも なにか・・・・・」
と答えている。
おじさんは少し前に家族「タカヒロ」を送り出して、一人になったばかりであり、手がかかっていた孫?の世話から解放されて、そんなことを聞きたくなったのかも知れない。
ただ、時間ができたのだから、今までやれなかったことができる、という気分にならないのかな、と思ったりもしたが・・。
一種の後悔の念というか、老境に入っての正直な心境か。
もう少し若ければ、色々できたかもしれないのに、今となっては、ということなのかもしれない。
いろいろなものを切り捨て、どちらか一方を選択し、チャンスはあれどそこでは乗らず、ここまで来た。気がついてみれば・・、というところか。
別に子育てに限らず、何かの機会を待っているだけでも、時の経過に関してはおなじだ。
気がついてみたら結構なときが流れている。
たぶん、その場の状況に合わせて、常に動き続けている方が、人生全体の収支は高いのかも知れない。
僕はそういう柔軟な才能は持ち合わせていなくて、待ちの姿勢でいることが多かった。当然やり残しが出る。
・・仕事をしていると、これはやったことがないなあ、ということが結構あるものだ。
折に触れ、もうたぶん一生この仕事は経験できないかも知れない、と思うことが増えてきた。
その一方で、もういいかぁ、と思ったりもするのだけどね。
しかし、忙しい人は、それはそれで次々とやり足りないことが出てくるものなのかも知れない。結局同じかな?