うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

新しい「中世」

2021年03月30日 | 本と雑誌
田中明彦 日本経済新聞社 1996年
現在は講談社学術文庫にも収録されているようです

冷戦後の世界秩序を新たな視点から見据えたものとして、名著の誉れが高い、と言われている。もっとも、それを知ったのは恥ずかしながら6,7年前のことだ。
刊行されてからちょうど四半世紀が過ぎた。今年はソビエト連邦の崩壊から30年が経ち、コロナ禍のなかで世界情勢が著しい変化を遂げようとしている。
今年の正月ごろ、そんな感慨を抱きながら昼休みにちびちびと読んでいた。

1996年をつい昨日のようだとは流石に思わないけど、既に携帯電話もデジカメもあったし、一応うちでもインターネットが開通した年でもある。当時既に日本の地盤沈下のような議論はあったとは思うが、今本書に掲げられている各種の経済データを見ると、ちょっとため息が出る。95年に一人当たりGDPが世界第5位だった日本は、今は25位(2019年)である。シンガポールは当時日本の7割ぐらいの水準だったのが、今は日本よりも1.6倍も高い。

本書の論点は、国同士のイデオロギーの対立であった冷戦時代の終結後、民主主義と市場経済、グローバリゼーションが普遍的な価値体系として人々の間で受容されつつある世界の姿が、普遍的イデオロギーとしてのキリスト教のもと、各主体が多様に存在しえた中世ヨーロッパと共通性を持っている、という点にある。

中世以後、近代国家が確立した16世紀から20世紀にかけての世界は、近代主権国家(=今日の人々が国家として心に描くもの)が圧倒的優位を持ち均質化し、イデオロギーの対立によって時には戦争となり、また時には力の均衡による平和があり、という時代を過ごしてきた。その一方、経済的な相互依存関係は技術や交易の発展とともにより緻密になり、世界を統合していった。

冷戦後の新しい「中世」では、自由主義的民主制と市場経済が成熟、安定し、その中で多様な主体―時には国家であり、またはグローバル企業、或いはNGOなどの活動―が相互横断的に活動する。人々の帰属意識も、必ずしもナショナリズムに基づいたものだけではない。あるときには国際企業の一員として世界各地の同僚たちに仲間意識を感じ、別のときには地域活動に精を出したりする。

ただし、地球上のすべての国がこのような成熟した自由主義的民主制と市場経済ののもとにあるわけではない。未だに近代を引きずっている国々、あるいは国家としての秩序すらない混沌の段階にある国々が混在している。

したがって、現状、国と国との相互関係として近代世界の方策を捨てるわけにはいかないが、現状を維持しながら、いずれは世界中が新しい「中世」の方向に向かうことを期待していく、という論理である。

これは、僕を含むごくふつうの人が「グローバリズム」と呼ぶ概念とだいたい近いものだとおもうが、少なくともこの25年間の半分以上の期間は、おおむね田中氏の描いていた概念を是として、世界はうごいていたものと思う。

そして、今はどうなったか。

残念ながら、普遍的な価値観として共有されているはずだった自由民主主義と市場経済は、いまその内側と外側から攻撃を受け続けている。成熟と安定には程遠い実情だ。。

本書で長期的に衰退しつつあると論じられてきたアメリカの「覇権」は、前政権において壊滅的とまでは言わないがかなりのダメージを受けてしまい、もはや素人目にも痛々しい姿をさらしつつある。
一方、急速に台頭しつつある中国は、かつてアメリカが握っていた「覇権」を―アメリカはそれを自ら望んで意図的に獲得しようとしたことはなかったと思うがー獲得しようと露骨に動いている。

動きは急だ。ほんの数年前まで、中国がアメリカのGDPを追い越すことはかなり困難という声が主流だったが、今年に入って早ければ2028年には実現、と報じられるようになった。アジア太平洋地域での米中軍事バランスは既に中国側に逆転しているといわれ、軍事用の艦船数は中国が世界一になったという。

バイデン大統領は、21世紀は民主主義と専制主義との戦いだ、みたいな事を語っていたが、どうやら「中世」の再来は少なくとも当分の間はない、ということだろうか。。

と、ここまで頭のわるそうな感想文を書いてきましたが、個人的には日本のような国が、これまで培ってきた国際間の信用を力に変えて、「中世」の「夢」を追求し続けてくれたらいいな、とは思ってはいる。
アメリカが今外交の面で見せている綻びが、軍事的な面でもはっきりするようになったら、やはり日米関係はいまみたいな状態であり続けることはないだろう。本当にこの先10年で、色々変わるんじゃないかな。。
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復活の日

2021年01月16日 | 本と雑誌
小松左京 角川書店 
所版は1964年 今回は電子版(Kindle)2018年

小説版のほか映画も有名で、年末年始に配信で見ようと思っていたのだが、結局休み中には見られなかった。小説版は読了しているので、忘れないうちに。

ネタばれにならない範囲の大まかなあらすじで言うと、宇宙から持ち帰った微生物をもとに、軍事用に開発された猛毒ウィルスが事故により拡散、人類はもとより地球上の動物たちのほとんどが死に絶えてしまう。低温のため、ウィルスの活動が抑えられた南極にいた各国の観測隊員約1万人だけが、災厄を受けず生き残る。そこへ米ソ冷戦時代の遺物である核兵器システムが、この生き残った人類に再び脅威をもたらす・・。

小松左京氏初期のSF長編作品で、当時の東西冷戦や核兵器、細菌兵器開発競争の状況が色濃く反映されている。京都大学でイタリア文学を専攻した関西のインテリであった小松氏は、作品中および所版あとがきにかなり鋭い(難解な)現代社会批判を展開している。
ウィルスの毒性に関する記述(もちろんフィクションだが、説明が難しい)もまるで医学専門誌を読んでいるようで、エンターテイメント作品としては異例だ。

今日的な視点、特に同様のパンデミック*を経験している我々からすると、感染拡大の様子を描写したシーンについ興味が行ってしまう。
もちろんその描写もかなりページが割かれてはいるのだが、読後の印象としては、社会が崩壊していく描写自体はそれほど目立たない。もっとも、それは期待する読者の側にも問題があるのかもしれぬ。今の自分たちの視点で本作を読むのは、注意が必要だろう。

本書が提示しているのは人類の驕り、自分たちが今立っている場所が、幾多の偶然に支えられて偶々たどり着いた、脆いものに過ぎない、という事だ。核爆弾の投下プロセスにはいくつものフェイルセイフ対策が施されている。しかし、そのいずれもすり抜けてしまう可能性は、核爆弾が存在する限り決してゼロにはならない。本書のウィルス兵器も、偶然起きた飛行機事故により人類のほとんどを滅ぼしてしまった。それを引き起こしたのは、お互いを屈服させるために行われてきた兵器開発だ。

たしか「日本沈没」の方に言及があったかな?7万~7万5千年まえ、インドネシアの火山噴火により、地球上の生物が著しく減少し、人類も1万人を切るぐらいまで減少したという学説(トバ・カタストロフ理論)がある。これは噴火による寒冷化に伴うものだが、人類は(生き物全体も)それだけ脆いものだし、人知が取りうる対策には限りがある。人はえてしてお互いを非難し争うことに心が奪われがちだが、自分たちはほんのわずかな幸運のもとに、日々を暮らしているに過ぎないことにはなかなか目がいかない。

若書きの粗っぽさはあるが、小松左京さんという人はやはり類まれなる鋭い視点で現代を捉えていたのだな、ということを改めて感じた。

*同様とまでは言えない。小説では拡散が始まってから半年強で人類のほとんどが死滅してしまうのだから。ただ、クラスターで地下鉄の運行本数が減ったなどというニュースを見るとつい、ああ、小松左京の世界、などと考えてしまう。

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消えたヤルタ密約緊急電

2020年10月25日 | 本と雑誌
岡部伸 新潮選書 2012

これは太平洋戦争末期、軍首脳がソ連参戦の情報を入手しながら、それを握りつぶした、ということがテーマだが、本書刊行の頃、NHKでも同じような内容の特集を組んでいて、それをこのブログでも取り上げている。


NHKのほうはこちら


手元に番組のビデオがないので、本書との関連はわからないが、本書も番組も英国公文書館で未発見資料を入手したとしている。

番組の話はこの辺で失礼して、本書ではさらに、陸軍情報士官・小野寺信の生涯を追いながら、終戦当時の事情に迫ることを試みている。
本書は第22回山本七平賞を受賞した。

著者は産経新聞の編集委員(2014年当時)とのことだが、本書の構成も学者さんの書いた論文的なものとは異なり、読み物的に楽しめる半面、ちょっとジャーナリズム的な臭さも感じないではない。とはいえ、取材は非常に周到に行われていることが伺われる。小野寺信氏がご家族の取材に答えた録音テープ(1978年録音)の引用はとても貴重で面白い。

敗戦直前の日本陸軍首脳部、政府首脳部が奇妙に思えるほどソ連に傾いていたこと、への言及は非常に印象深い。木戸内大臣や迫水内閣書記官長も、かなりソ連に期待をしていたようだし、哲学者西田幾多郎も、政府首脳を前に、アメリカ資本主義よりはソ連共産主義的なやり方が、将来の主流になるだろうと言及していたそうだ。ドイツ(帝国)のやり方もソ連と大差ないと。

ソビエトの宗教に対する寛容さを想えば、皇室と共産主義も共存できる、という見方すらあったという。言われてみれば、英米を鬼畜として戦うなら、中立条約を結んでいたソ連にはそれなりの評価が出てくるのも無理もない気がしてくる。

こんにちの自分たちには見えなくなっているが、戦前から戦後しばらくの間、共産主義にはそれなりの肯定的な評価もあったのだろう。50年代に入ってアメリカが疫病のごとく共産主義を嫌うようになるのは、それだけ共産主義思想に力があったからであり、以後40年間かけて対立し続けていた。
確かに今見るとあれは圧政そのものだったが、初期にはそれなりの求心力もあったのだろう。

変な余談だが、平成の30年間はソ連と共産主義の崩壊した、緊張感の抜けた30年(その間にアメリカはアラブを敵に回したが、それはともかく)であったわけで、ほかの人はともかく僕などは、そういう東西対立の緊張感をすっかり忘れてしまった。
いまの若い人ははじめから知らない。大人たちもあまり話題にしない。
だから、もっと昔の世界の雰囲気は、僕らもわからない。

握りつぶしたのは軍参謀本部だが、こういう都合の悪いことは見なかったことにするというのは、今日の日本でも引き継がれている悪癖で、なかなかならないもののようだ。人と人のつながり方が悪いんでしょうかね。。

もう一つ印象深いのは、当時の国際情勢というか、西欧社会の世界観のようなもの。英国と欧州主要国、新興のアメリカ、ソ連が圧倒的な力を持ち、小国であるポーランド(二次大戦前)、ラトビア(同)などは今よりもずっと発言力が小さかった。ましてや東洋の非白人国である日本など、表面的にはともかく、激しい利害の対立する外交、諜報戦の場では、今では考えられないぐらい低い扱われ方をしていたことだろう。
小野寺信はそうした中、欧州小国のインテリジェンスとの交流を深め、高い信頼を得ていく。ヤルタ密約の情報をもたらしたのも、ポーランドのインテリジェンスだった(当時ポーランドは連合国側)。

角度は多少異なるが、当時の日本軍首脳や政府の間には、枢軸国であるドイツに不信感が強かった(という岡部氏の見解)というのも面白い。ヒトラーやドイツ帝国に心酔してしまったような軍人、外交官等もる一方で、政府、軍首脳部は比較的冷静だったようだ。
史実ではドイツは英米、ソ連双方に同時に敗戦しているが、どちらか一方、特に英米と停戦する可能性もあったわけだ。相互不可侵といいながら突然ソ連侵攻を始めた前科がドイツにはあった。

終戦工作にスウェーデン王室、英国王室が日本皇室に働きかけるという提案もあったらしい。実現はしなかったが、それだけ戦争を終結させるというのは難しいということなのだろう。

というわけで、ちょっと感想のまとまり悪いですが興味深い本でありました。
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村上春樹「一人称単数」

2020年10月11日 | 本と雑誌
刊行されたのは8月の下旬だったかな。オフィス近くの文教堂に平積みにされていた。
こういうときは地元の書店を応援したいと思い(話題の新刊なら地元でも必ず売ってるだろう)、買い物のついでに本屋に寄る。マイナーな本だと買えない時があるからね。

そこではカバーが欲しい人はカウンター前のところから勝手に取って、自分でしてくれ、という制度になっていた。・・別に構わんが、それってエコなのか、感染症対策なのか、単なる手抜きなのかよくわからない。

たしか別の店では、本のセルフレジもありました。どこも色々大変です。

さて、この「一人称単数」というタイトルを見て、村上主義者の皆さんはピンと来られる方も多いことでしょう。以下、村上春樹、川上未映子「みみずくは黄昏に飛びたつ」(2017年新潮社)より。対談は2016年秋に行われたようです;

村上「〈前略)今回はずっと一人称、あるいは三人称で書いてみようと決めるのは、一つの縛りですね・・・(中略)縛りの中でも、人称の問題は一番大きいかな。

川上「一人称から三人称に組み替わっていった村上さんの変化は、一読者としてのわたしにとっても大きなものでした。そこであえて伺いたいのですが、三人称を獲得したことによって、失われてしまったものはありますか。

村上「四十代の半ばぐらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。

(途中しばらく人称についての議論を展開して)
・・ただ僕自身は、正直言って、そのうちに一人称小説をまた書いてみよう、書きたいと思っています。そろそろ新しい一人称の可能性みたいのを試してみたいですね。

少し長い引用でしたが、今回の「一人称単数」はその新しい「一人称」への挑戦ということのようです。ん、でも、「騎士団長殺し」も一人称だったな。

これを読む前に、何十回目か忘れたけど「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいたのですが、岡田亨さんは今読んでも生き生きしているというか、なにか生活のふとしたところまで、伸び伸びと描かれている感じがあります。

個人的に戸惑うのは「1Q84」の天吾です。特異な環境のもとに生まれ育ったという面はあるけれども、どうにも感情移入が難しい。あえて言えば、あの小説に出てくる主人公たちは皆不自然というか、読者が感情移入をすることを拒否しているような不自然さが感じられます。
「色彩をもたない・・」の多崎つくる君はそこまでエキセントリックではないし、「騎士団長殺し」の私も好感の持てる男なんですが。。あくまでも個人の感想です。。

話が飛躍しましたが、今回の一連の短編集ではそういう人工的な不自然さがなく、現在の生身のの村上氏とシームレスにつながっているような感じがある。なんだかエッセイのように読めてしまうところもあるが、そこはタスキに書かれている「私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく」というやつなんでしょうね。。

どの作品が好きかというと難しいが、「石のまくらに」は短辺としてひじょうにまとまりがよい、いい作品だなあとしみじみ思いました。あとはウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatlesは不思議な魅力を感じる(要するに上手く言えないが面白かった)。謝肉祭(Carnaval)は問題作、というか、なんかあまり成功してないような感じ(やばいたたかれそう。。)。

写真並べてごまかす。

台風の直撃は避けられたけど(昨年の19号は大変でした)、雨は金曜から土曜にかけて、しっかりと降りましたね。
毎週末同じこと言ってる気もしますが、疲れていたのでだいぶ寝てました。
夢から覚めると、夢の世界のほうに戻りたくなるというか。。
合間にめし、くいました。
近所にあっていつか行こうと思ってた中華屋(といっても王将だけど)、行ってみた。
あれだねえ、今月は祝日がないんだねえ。
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近代日本と軍部 1868-1945 

2020年08月06日 | 本と雑誌
小林道彦著 講談社現代新書 2020

今日は75回目の広島原爆忌なので、なんだかこの日を狙って書いているようであれだが、偶々書くのがこの時期になってしまった。
今年2月ごろの新刊である。SNSの広告に掲示されていて興味を持ち、ちびちびと読んでようやく読了した。といって、すごいボリュームのある本という訳ではなく、同時にたくさんの本を読み過ぎて時間がとれなかっただけだ。。通史なので登場する人物や事件も多く、ゆっくり読むのに適していたというのもある(僕はすごい遅読)。。

帝国陸海軍80年の通史を追いながら、近代日本の憲政と軍部の係わりについて考察していくというアプローチだが、とりあえず素人としては読み物としてとても面白い。とりわけ明治期において、まだ士族や藩閥の勢力が残っている中、その利害を調整しつつ、そして開国後次々と生じた諸外国との軋轢(戦争を含む)のなかで、次第に天皇を中心とした立憲国家の体制を整えていく様子がわかって、おもしろかった。。

のだが、こっちもなにぶん頭が悪いものだから、今こうして書いていると、どう評価したものか、整理がつかないのである。おそらく著者の方も、通史を自分なりの視点を持って書いていくのは相当苦労されたのではないかと思う。
もっと突っ込んでしまうと、前半、明治大正ぐらいは良いのだが、第一次大戦を過ぎたあたりからちょっとスタミナ切れして、前半ほどの充実した描写ができなくなってしまっているように思えた。

雑な感想を。
僕等は子供の頃、昔は男子は徴兵されて散々しごかれたんだぞ!と言われた(たぶん最後の世代だと思う)りして、けっこう徴兵という言葉にナイーブな感慨を持っていたりする(自分だけかもしれない)。おとなりの韓国では今でも徴兵制があり、時折問題が生じてニュースで報道されたりする。ドラマや小説などでも、戦前(の日本の男の子)は赤紙一つで招集されて、戦地でひどい目にあうという話がよく取り上げられる。

このように徴兵制にはあまり良い印象が持たれないが、明治期においてはそれまでの士族中心の社会から脱皮して、四民平等のもと誰もが等しく兵役を負い、そこから実力のあるものは取りたてられていく、といった、ある種進歩的な制度であるというとらえ方もあったようだ(初期には金を払うことで兵役を免れる道もあったが、次第に改められていった)。これは何も日本だけのことではないが、それまで武士中心に回っていた社会が、短期間で変わったのだから社会的な軋轢はそうとうのものだったことだろう。

明治を通し、政府と軍部を支えてきたのは維新の立役者たちであり、立場は違えど相互の信頼感は保たれ、社会の様々な矛盾を何とか調整してきた。

昭和に入ると社会全体にそうした柔軟性がなくなり、天皇を含めた社会全体のひずみが吸収できずに崩壊を招いた(小林氏は日露戦争の勝利がターニングポイントだったと指摘している)。
傑出した人材はどの時代にもある程度いるのだと思うが、ある時期にはそれらの人々がうまく連携できて社会を引っ張り、別の時代にはお互いの対立が調整されす、社会が停滞してしまう。

連帯と分断。社会の制度や思想などよりももっと大切な何か。それがあればお互いを縛りあう必要はないし、なければどんなに立派な能書きがあってもすぐ行き詰ってしまう。ただ、その何かを、どうやって獲得すればよいのか。
本の感想からは飛躍してしまうけど、そんなことを考えたりする。

校正せずとりあえず出します。後で書き直すかもしれません。

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あ・じゃ・ぱん

2020年06月06日 | 本と雑誌


矢作俊彦 角川文庫2009年
初版は新潮社より1997年刊行、改訂版単行本は2002年、角川書店より。

 矢作さんと僕は一回り以上歳が離れいているから、ある世代が当然のものとして感じていた、時代の空気感を共有していない。
 そして矢作作品の中にはそうした(狭い)時代性を強く打ち出しているものがあり、そのこと自体が強い魅力になっている。
 以前に読んだ「舵を取り風上に向く者」はそれだった。おそらく1960年代の半ばから70年代にかけての、世相や人々の感覚ーアメリカ的なものへの捉え方とか、日本や日本人に対する認識とかーがさりげなくちりばめられていて、読む者を目の前の世界とは別のところに誘い出す。銀座で偶然父親に遭った浪人生(だったかな)の息子、の話など、50年前の日本に自分がすっと入っていけるような、優れた作品だった。。

 とはいえ、それは自分の年齢や経験からくる個人的な感想であり、別の人が読めばまた違う思いを描くのかもしれない。その人の時代(あるいは共感できる社会的な)認識があまりにもかけ離れているか、あるいは作者のほうが共感度のレンジを絞り込んでしまえば、読み手の感想は各々の感覚や経験により大きくぶれてくる。

 というわけで、「あ・じゃ・ぱん」は僕にはかなり難易度が高い作品でした。。
・・読んだことのない人のため補足しておくと、本作では実在の政治家や芸術家、芸能人などが役者よろしく作品の中で、現実世界とはちがう何かの役をこなしている。
 笠木シズ子が(西側)日本の首相役になって出てきていますが、そういうニュアンスはもはや僕にはわかりません。笠木シズ子が存命中のことを、あまり知らないらです。

 吉本興業、三島由紀夫、田中角栄、和田勉は今の若い人ー30代半ばぐらいまでーの人も一応知ってはいると思いますが、吉本はともかく、これらの人々が世間をにぎわしていた時代に生きていた人と、そうでない人との間には認識に相当差があるはずだ。
 はっきり言ってしまえば楽屋落ち、独りよがりに近い描写が相当あって、読みづらい。読んでるうちにかったるくなって、1日1ページぐらいしか読めなかったりした。。半年かかりました。。「カラマーゾフの兄弟」よりかかったかも。。

 戦後日本がドイツのように東西陣営に分割統治された、という想定です。
 さいきんでは「国境のエミーリャ」(漫画ですが)が同じような想定ですが、物語の緊迫度でいうと「エミーリャ」の方が上、というより今の自分たちにはわかりやすい。ただ、「エミーリャ」は冷戦時代のベルリンをそのまま場所を変えただけ、に近いものがあって、同じ環境下で日独の国民性の違いは、みたいな深みはあまり追及していないようです。
 「あ・じゃ・ぱん」はさすがに日本人ならこうなるだろう、みたいな掘り下げ方をしていて、そこは共感できるものも感じます。

 他方小松左京的な、論理で強引に押してくるみたいなものを期待すると、裏切られます。「日本沈没」なんか、あれだけ無駄な伏線をいっぱい張って、広げた風呂敷を閉じられずにいるのに、読後そんなにごちゃごちゃした印象がないんですが、「あ・じゃ・ぱん」はその点まるでちがいます。読みながらこのひと本当に長編向いてないよな、と何度思ったことか。。

 ウェブで調べても出てこなかったけど、たしかNAVIという自動車雑誌に連載されていたと記憶しています(連載初期の頃、何回か読んだことがあります)。
 冒頭、天皇陛下の葬送の際に霊柩車として改造された「トヨタ・クルセイダーV12」というのが出てきて、意味深でいいネーミングだなあ、と感心したことをよく覚えています。もちろん架空の名前ですが、いかにもトヨタがつけそうな名前("C"で始まる車名は、トヨタが一時期こだわってつけていましたし、日本人受けしそうな語感と、外国から見たら変に思われそうな言葉、というあたりがいかにも)です。
 V12っていうのもいいですね。本当にトヨタがV12作る、ずっと前の話です。

 この、書き出しの頃の描写を読んで、僕はこの本がそういう、シリアスな想定をがっちり組んだSF小説なのかと思っていました。でも、そういう小説ではないですね。

 読みにくい本ではあるのですが、毎日少しずつ、浸るように読んでいると、それなりに質感のようなものが感じられたことも確かです。なにをそうこだわっているのかはわからないけど、とにかく作者は何かに情熱を燃やしている、それは伝わってきます。ここにはそれなりの世界がある。
 もしかしたらですが、この先20世紀後半の日本文学を研究する人たちの間で、往時の社会情勢や人々の感性を知るに相応しい本だ、と評判になる可能性はあるかもしれません。。マニア、オタク系の人にはあんがい共感を得やすいのかもしれません。


 

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敗戦日記

2020年05月26日 | 本と雑誌
高見順 文春文庫(購入したのはkindle)。
のっけから余談だが、kindleで買うと表紙はサムネイルでしか表示されない。さいきんは電子書籍ばかり買っているので、今流行のブックカバーチャレンジなんかするときは困ると思う。。この表紙画像はアマゾンから拝借。

昨年秋にいちど読んだが、この春の緊急事態宣言と一連の騒動をきっかけにまた読み返してみた。

今回のような災厄は、どの為政者にとっても厄介なものには違いない。広い意味では医療体制や防疫対策などが政治的に課題となるにしても、治水や地震対策ほどには目が届かなかった分野だろうし、誰にとってもそうだがひどい不意打ちで、これを予見し防ぐことは多少の差はあれできなかった。

初期の条件はほぼ同じだったが、その後の対応は国ごとに差が出たようだ。

これは戦争と同じだ、と言った元首が何人かいたけど、少し違うと思う。戦争は政治の不作為の結果としておこるものだし、国民は相手国に憎しみをぶつけることができる。感染症流行という事態に敵国はいない。色々話はあるにしても、誰かのせいにして事態が収束するわけではない。

なのだが、この本を読んでいると、だんだんと終戦間際の日本と緊急事態宣言下の日本が重なって見えてきて、興味深かった。

 日記が始まるのは昭和20年の元旦からだが、その頃既に東京には空襲が始まっていた。銀座などの繁華街では、飲食店はほぼ閉鎖になっていたようだ。わずかに開いている店も外食券を手に入れないと入れなかったらしい。高見のなじみの喫茶店なども、閉店したり別の店になったり、強制疎開で建物が壊されたりしている。
 銀座は真っ暗で誰もいない、などという描写は、今年の4月頃の様子を彷彿とさせる(明かりはついていたけど)。

 高見は当時鎌倉在住だが、下町にも馴染みがあったらしく頻繁に訪れている。焼け跡を歩き回っている記述が多く見られるが、当時としては生活(時間的にも)余裕のあった方なのかもしれない。野次馬と言ってしまえばそうなのだが。
 空襲では多くの知人を失ったらしい。
徳川無声の日記(高見同様終戦間際の描写がある)を以前読んだが、高見と徳川には共通の知人があるようだ。広島で亡くなった丸山定夫氏については双方の日記に出てくる。いつかは自分の家も被災し、所蔵の本なども焼かれてしまうだろうという思いは、二人とも持っていたようだ。

 もう一つ、二人が共通の認識を持っていたのは当時の日本人の風俗だ。
戦況の悪化に伴い、街の商店街や、列車などで出会う市井の日本人の姿がひどくみすぼらしくなっている様子を酷評している。まるで乞食のような姿だとか、老婆などはほとんど猿のようだ(これは徳川の方だったかな)、などと書いている。
 世相が荒れて、身なりにかまわなくなったということもあるが、日本民族の自己評価そのものが、ひどく落ちていったことの現れなのかもしれない。
 更に言えば、開戦当初の高揚した気持ち(おそらくその頃も、西欧諸国との比較を意識し、自己評価に疑問を持っていたのかもしれない)が、戦況につれて暗く萎んでいったということもあるのだろう。
 
 列車のひどい混雑の様子も描かれているが(三等車は二人がけの席に3人座るのが普通だが、二等車に乗るとなぜかふんぞり返って足を投げ出している、という描写も面白かった)、今とは比べものにならないほどの長時間乗車で、トイレに行くこともでない。通してくれと言う女性の声ともみ合いになる様子、やがて床を伝って流れてくる液体、みたいな描写があって(お食事中の方すみません。。)、なんとも。。
 尾籠ついでだが、筆者が銀座や繁華街のそこかしこで立ち小便をした、と書かれているのも気になった。公衆トイレがないのだそうだ。当時の衛生状態とはそういうものだったのだろう。

 戦争が終わる頃になっても高見はあちこちに出かけ、食事をしたり人に会ったりしている。人づての噂というのは相当の伝播力があったようで、原爆投下、ソ連参戦の情報も、人づてに入手しているようだ。うわさは広まり、みんな知っているはずだが、電車の乗客は何事もなかったかのように静かに揺られている。滅多なことを言うと引っ張られてしまうからだ。

 政府や軍、そして新聞報道についてはかなり辛辣な批判をしている。戦後は新聞の論調もだいぶ変わってきたようだが、その変節ぶりも酷評している。

 感染の広がりと様々な自粛の流れ、そしてこれからも続くであろう経済の混乱。
今年の日本人も多くの試練に接し、政府は様々な対応策を打ち出したり、「要請」をして、テレビや新聞は「専門家」のコメントを伝え、そして人々はSNSを通じて語り合った。中にはひどく幻滅させられるような情報も見かけたし、普段は見過ごされているような人の醜い面が白日にさらされたりもした。

 人が試練にさらされるときには、ふだん取り繕い隠してあるものがふっと見えてしまう、これは昔から変わらないものであるらしい。ほんとうの中身はいずれ、そうたいしたものではない。
 でもまあ、それがわかることで逆にほっとする、という面もあるのではないかな。。

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カブのイサキ

2020年05月14日 | 本と雑誌
 連休の頃にSNSでなんとかブックチャレンジとかで、毎日おすすめの本を紹介して、誰かにバトンを渡すみたいな企画?が回ってきた。
 自分の読んでる本を紹介するだけじゃなくて、次は〇〇さん、おねがいしますとやらなければならない。

 僕も戸惑ったが、僕から振られる人も困るんじゃないかと思って、辞退した。。
 回してこられた方に悪いので、代わりに何かTL立ち上げようかとも思ったが、つい時間がたってしまい。。タイミング外すの、悪い癖ですね。。

 話は芦奈野さんの漫画です。

 芦奈野さんの作品に最初に触れたのは「ヨコハマ買い出し紀行」だった。
 電子書籍を買うようになってから漫画をまた読み始めたが、それまで長い間ほとんど漫画は読んでいなかった。2013年ごろのことで、「ヨコハマ」はとっくに終わっていて「カブのイサキ」も連載終了になったころかな。

 漫画も普通の本もそうだが、僕は結構読むのが遅い。この作品も6巻まとめて買ったけど、だいたい夕食後寝転がっていちにち1話ぐらいのペースで読んでいった。。勿体なくてね。。

 世界観というか、大枠としては他の作品と共通するところがあって、のんびりした田舎系、ややディストピア風味というところ。

 芦奈野さんの場合、管理社会的な要素が抜け落ちているので、余計にのんびりしてしまう。ただ、つくみずさんの「少女終末紀行」と違って、社会そのものが崩壊しているわけではない。

 「カブ」の場合、世界観を読者と共有することを拒否しているような感がある。「ヨコハマ」は実在の場所が芦奈野色に塗り替えられて登場し、それゆえ聖地巡礼する読者(僕もやりました)が現れたのだが、「カブ」はそれをも拒否している。実在の地名(横須賀の長井、木更津、御殿場など)は示されているが、これで聖地巡礼をする人はいないだろう。

 本作を読みながら、芦奈野さんは「ヨコハマ」ですこし窮屈な思いをしたのかな、と思ったりもした。リアルタイムでは知らないのだが、「ヨコハマ」はその舞台設定について読者に様々な憶測や想像をかきたてる作品だったようだ。今でもウェブに、その頃の様々な「ヨコハマ」考察サイトが残っている。

 ただ、本作にも設定に縛られている部分が多分にあり、その説明も必要になっている。そこをぼかしすぎて、ぜんたいに大味な作品になってしまった感はぬぐえない。

 登場人物がひじょうに少ないあたり「少女終末紀行」並みだが、中ではシロさんの魅力が際立っている。・・たぶん、本当に出会ったら、僕はちょっと苦手かもしれないですね。。

 サヨリもかなり可愛く(性格が)描けているとおもう。カジカとの関係も面白いが、惜しいのはイサキを含むそれぞれの個性が十分に生かされないまま、お話が終わってしまったことだ。

 ちょっと、辛口になってしまいましたね。。
ただ、けっこうゆるいので、この先繰り返し読むことになるんじゃないかと思います。。
緊急事態宣言が一部解除になりましたね。。

 今だとみんな、緩んできてる!なんて言ってますが(僕も言ってますね)、たぶんいくらもしないうちに、全員緩んじゃいそうだね。。
本当は無駄に自粛していた部分を改めて、より効果的に予防していければいいのですが。
 色々提唱されてきた予防策が、どの程度維持されていくのか。。


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吾妻ひでお作品集

2019年11月04日 | 本と雑誌
先日吾妻さんの訃報を聞いてから、いくつか作品を読んでみた。

前にも書いたが、吾妻さんの作品は少年時代ちらちらと読んでいたが、入れ込むようなマニアだったわけではない。ちなみに先日「少年少女SF漫画大全集」と書いたが、「少年少女SF漫画競作大全集」でした。確か季刊で、古本含めて数冊買ったかな。その中に「ぶつぶつ冒険記」が載っていたので読んだことがある。「不条理日記」は「ぱふ」か何かに引用、考察されているのは読んだことがあるが、作品そのものは今回初めて読んだ。

この頃から女の子も男の子の絵もかわいいし、人物の書きわけもしっかりしている。僕は「なはは」の模写(といってもあれだが・)をしたり、当時の落書きには多少吾妻さんが入っているような記憶がある・。ただ、女の子は模写しなかったと思う。。

後年の作品は「失踪日記」と「逃亡日記」を読んでみた。なるほど、かなり読ませますね。。人が持つ逃亡願望、変身願望みたいなものを形に表したというか、本当に実践してしまったわけで。アルコールの方は自分は弱いからよくわからないけど、何かに追い詰められる、どこかに逃げ込たくなるという心理は人間確かにある。やはりそういうものが伝わってくる。

そしてなによりこれが実話であること。背後に書かれていない壮絶なドラマがあることは明らかで、その平和でほのぼのとした絵柄の奥にあるペンチメント(痕跡)を探したくなる。
何気ないエピソードの描写が印象的だ。
正月、住民の目を避けるため、より深い藪に移動し一夜を明かした朝、目が覚めたら一面の雪に下草が押しつぶされ、遠くの家や道が一望できたというシーン。

深夜、ゴミ箱を漁っていると手つかずのクッキー缶が出てきて大喜びで口に入れていると、向こうからブーツをはいた若い女性がカツコツと規則正しい音を響かせながら、無表情で通り過ぎていく。クッキーを手に持ったまましばらく動けない吾妻氏。

それにしても、幾多の困難を乗り越えられて今は・・というお話なのですが、それが今はもう、いないのですからね。。ご苦労様でした。。

この文章、書くのにやたらと時間がかかってしまった。つい吾妻氏のツイッターをずっと追ってしまったから。晩年の、病気になってからのつぶやきを見ていると、「失踪日記」並みにニヒルな書き込みが目立つな・。晩年まで絵も達者。。

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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

2019年10月02日 | 本と雑誌

写真のことはあとで。

岩波新書7月刊行の、ベストセラーとなった本です。大木毅著。
もともとこの戦争について深い知識があったわけではないが、もし戦史に興味のある人が読んだら、近年の新しい解釈に目を開かれる思いをするかもしれない。
若いころに当然の見解とされていた史実が、実はその時の政権-ソ連共産党、西ドイツ政府などによって、ゆがめられて伝えられていたらしいということに、ある種の感慨を感じる。関係者が存命であるか否かによっても伝えられる情報は変わってくるし、もちろん機密扱いされている資料の公表によっても見解は変わってくる。
長年漫然とそういうものと思っていた史実も、今は必ずしも学会の定説ではないのかもしれない。。これは良書でした。

ほんとうは増税後外食は避けようと思っていたのですが、ついコーヒー屋さんとかには行っちゃいますね。いつものスタバの、なじみの店員の子が、「持ち帰りますか?」と聞くのであ、そうか今日から値段が違うんだよね、と改めて思ったりしました。その子に「持ち帰りますと言って、そのあとその辺の席に座って飲み始めたらどうするの?」みたいなこと聞いたら、う~んそれはもじもじ・・という感じでした。困っちゃうよねえ。

上の写真は初めて入ったSizzlerというサラダバーのお店です。前は日替わりランチが900円ぐらいで食べられる、大衆的な店だったのですが、業態が変わってからどうも入りにくくて行ったことがありませんでした。増税前最後のチャンスと思い、思い切って挑戦してみました。
勤め人のランチで入るには、お値段と時間(あれこれ選びながらゆっくり食事しないと、十分に楽しめない)の点で厳しい感じがします。

増税後の買い控えというのも、少し経つと免疫ができてしまってあまり話題に上らなくなるものです。たしかに昨日とまったく同じ商品が、今日はみんな高くなっているというのは、どうにも面白くはないですよね。でもそれが必要なものなら、結局買わざるを得ない。買いだめしといても、いつかは今の値段で買わないわけにはいかない。5年前もそんなこと思ったな。。
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失敗図鑑

2019年08月16日 | 本と雑誌
先日Fire 7を買ったときに一緒にKindle unlimited も契約した。3か月間99円である。2年前にも1か月無料で利用したことがあった。ちょうど仮住まいで頻繁に移動していた時期で、車内で何か読むことができれば、と思ったからだが、思ったほど読みたい本がなかった。なんでもただで読めると思ったら、読める本が結構限られているのだ。

久しぶりに一覧を見る。相変わらずそれほど気を引く本はないが、偶々リストにあがっていたこの本を取り上げてみた。子供向けの本だから、すぐ読めますね。。

子供でも聞いたことのある有名人、偉人たちには、こんな失敗談やヘタレなところがあった、という切り口の本です。コンセプトとしてはありがちですが、人選も意外性があるし、知らなかったことも結構あって、大人でも楽しめました。。って、そういえば野口英世が何を発見した人か、よく知らなかったですね。。小学生の頃、学習雑誌か図書館の本だかで、やけどした左手を「てんぼう」とからかわれたというエピソードを強烈に記憶してますが、その後は「がんばって偉い人になりました」ぐらいしか覚えてない。。

それで、この人がどんな奴だったかというと(^^; 渡航のために渡された支度金を一晩で飲んで使い果たしてしまう、という浪費家だったらしいです。たしかに、そういうことは偉人伝には書いていなかったなあ。

この方は天性の集中力と努力家という評判、実際非常に不幸なことですがやけどによる身体的なハンデ、という面が脚光を浴びがちですが、まあ色々あったようです。なにより、そういう金遣いの荒い人が千円札の肖像になっていることに、いまさら驚いています。。

マッカーサーが「日本人は12歳」と言って、国民の反発を招いたという話も、切り口としては面白い。要は彼は日本の伝統文化を軽視し、明治以来の西洋模倣をしていた日本という側面だけを見て、日本人をバカにした、という見方。マッカーサー、マザコンで他にも色々コンプレックスがあり、ウェスト・ポイントのスーパーエリートだったが人当たりが悪く、軍中枢から煙たがられ、ワシントンにも持て余されて退任を余儀なくされる人物です。ここでは文化の多様性を尊重しましょうね、という点にフォーカスを当てるために引き合いに出されています。

西洋模倣は日本人の、明治維新における大英断だったわけですが、終戦時はまだ開国後80年もたっていなかったわけで、その間の日本人の文明文化吸収は驚異的であると同時に様々な無理や誤解も招き、はたから見れば滑稽に見えることも多かったとは思います。
そうしたニュアンスを今、想像することは難しい。この30年を見ても世界のグローバル化は著しく、もはや今の人が普通に持つ感覚で、80年前の人たちが持っていた世界観は語れなくなっていると思います。
話はそれましたが、本書の意図は意図として、12歳発言というのは、ある種深い含蓄がある言葉だなあ、と思ったりします。

ベートーヴェンは(耳が遠いことを)助けてといえなかった、という紹介ですが、もっと色々なところで変だったことは有名ですよね。。たしか映画があったよな、今度ウェブで探してみよう。

音楽家の変人なら結構知っています。。
チャラいモーツァルト、ロリコンの田舎者ブルックナー、陰険なマーラー、ジャズの人になるとチャーリー・パーカーもバド・パウエルもビル・エヴァンスもみんな薬やっててどっかおかしなことになっているし、ジャズマンにあまり心温まる話は聞かない気がします。クラシック演奏家も相当いますよね。。

のですが、本書の目的は偉い人でも色々ダメなところがあったんだから、くよくよしないで頑張ろう、といいたいわけです。ただ、アマゾンの書評とかを見るとそれでも言い方に配慮が足りないとか、色々言われてしまうのは、やはり現代という時代ですね。。

読みたい本がない、という視点でKindle Unlimitedを見ると厳しい面もありますが、気軽にふだん読まないような本を読んでみる、という点では悪くないかもしれません。。


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いわゆる矛盾

2019年08月10日 | 本と雑誌
ちょっと興味があって買ってみました。

先月出版元が増刷中止を決断して、ネットで話題になった幼児向けの図鑑です。理由は戦車などが掲載されていたのを、市民団体等が抗議したからとされています。
消防車、ブルドーザーや警察車両などはもちろん載っていますが、ゴミ収集車、耕運機なども。

これがあれだ、と言われた自衛隊の装備品ですね。。
こういった幼児向けの本に、昔は載っていなかったのが最近載るようになったのか、昔は看過されていたのが風潮が変わったのか、外部者にはよくわかりません。その辺は当事者の皆さんの判断を尊重すべきでしょう。。。

ただ、兵器がカッコいいというのは男の子の抱える矛盾の一つだな、とはよく思います。。僕自身小学2年生のとき、祖母の家でアニメンタリー「決断」(太平洋戦争の戦闘を中心としたアニメ)を見ていたら、祖母から「まあ○○はそんなものを見るの・・?」と眉をひそめられた経験があり、つよく印象に残っています。同じころ「大和」のプラモなんかも買ってもらい、これで敵をやっつけられれば、と夢想する少年だったことも確かではあります。。

前の上司が40代ぐらいの頃聞いた話ですが、F15とかのミニチュアをコレクションしていたら、奥さんに嫌な顔されて困る、という話を聞かされたこともあります。

まあ僕もいい年になり、昔の為政者たちがどう国際社会を読み、戦争を始めそして終結させようとしたのか、みたいなことに興味が移り・・、いまだに興味は尽きていないのですが・・。若い人の命をみだりに危険にさらすようなことはちょっとね。。
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村上春樹氏の「猫を棄てる」

2019年07月13日 | 本と雑誌

もう発売から2か月ぐらい経ってしまい、話題性もないが雑誌『文芸春秋』2019年6月号に掲載された、村上春樹氏のエッセイである。村上氏が初めて自分の父親のことを語った文章として、話題になった。

村上氏が父親のことを語らないというのは、かつてはかなり良く知られた話だった。作品に関する文学的解釈については、僕の出る幕ではないけど、「1Q84」あたりから天吾の父親に関する描写が出てきたことが話題になった。最新の長編「騎士団長殺し」も、主人公ではなく友人の父親(雨田具彦)が重要な役柄として登場する。

ことに「騎士団長殺し」では、雨田具彦の弟継彦が、「徴兵免除の学生であったのに『書類上の手違い』で徴兵になり、南京に送られて現地の中国人の処刑に係わった』と描写されている。これは、今回村上氏が父親の(実世界の)足跡として語られたものと同じであり、小説ではそれを基に描かれたことがうかがえる。

実際の村上氏の御尊父自身、長じて俳句に打ち込むなど、芸術や文学に親しむ方だったようで、ジャンルは違うが小説の雨田兄弟(兄は絵画、弟はピアノ)と近いものがある。

戦争や暴力に関する描写は、村上氏の文学に繰り返し出てくるが、そのルーツとなるものが、父から受け継がれた経験から来ている(らしい)ということがうかがえる。子供の頃、お父さんから中国兵の処刑に立ち会ったことをきかされ、強烈な印象として村上氏の心に刻まれる。

このことを「猫を棄てる」の中で、村上氏はこう語っている。
「父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものをー現代の用語を借りればトラウマをー息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というものもそういうものなのだ。(中略)その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなければならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるのだろう。」

村上氏には文学というツールがあり、父から受け継いだものを何らかの形で残すことができているが、翻ってみると、そのことが村上氏にある種の束縛を与えているといえなくもない。束縛というか、自然に流れていく方向性というものが、あらかじめ緩く設定されている、というべきか。例えば父親に反発してその価値観とは違う道を歩もうとしても、それはそれである種の流れの中に組み込まれている、ということになる。

さらにそこから思うのは、それを無視して全く違う道を歩むことも、できなくはないが、おそらくそれは、どこか精彩を欠くか、あるいは特徴を欠いたごく平凡な生き方として、人知れず、あるいは広がりのない人生として終わることになるのだろう。

まあ、あまりぱっとした感想でもないけれど、ただの書き散らしとして。。

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昭和天皇独白録

2019年05月31日 | 本と雑誌

文春文庫 文庫版は1995年 

 

平成の終わりに急に読みたくなり、令和に入ってから記事にしようと思いながら、令和最初の月がもう終わろうとしている。

独白録は昭和21年春、外交官出身で当時御用掛を務めていた寺崎英成氏が、松平慶民宮内大臣をはじめとする側近たちとともに昭和天皇から直接聞いた、張作霖爆死から終戦に至るまでの経緯をメモ書きでまとめたものだ。

後に米国に渡った寺崎氏の家族が遺品の中から発見したメモを、米国の大学教授を経て日本の伊藤隆東京大学教授が鑑定し、その価値が知られることになった。

原本は罫紙に鉛筆書きで書かれたものだが、昨年の今頃には、高須克弥氏が米国で競売されていたものを落札し、宮内庁に寄贈したという報動がなされている。

内容については、この種の本を読むのは好きだが専門的な知識も見解も持っていない僕がここであれこれ書くこともできない。

ただ、天皇制と近代国家の在り方、明治から令和に至るまでの、それぞれの天皇が直面した問題というのは、それぞれに確固たる規定やしきたりがあるわけではなく、天皇を始め側近、政府関係者が直面する課題を、それぞれに苦しみながら切り抜けてきたのだろうな、という漠然とした印象を持った。

上皇の退位と、現天皇の即位、テレビは平成時代を振り返り、人々は降ってわいたように訪れた長い休日に戸惑いながらも、令和をお祝いするムードに包まれていく。

あれからひと月、また世の中は日々の出来事に流され、「令和」は一つの記号として意識に上る程度となりつつある。

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成熟脳

2019年04月29日 | 本と雑誌

成熟脳-脳の本番は56歳から始まる‐ 黒川伊保子 新潮文庫平成30年

何度かに分けてこの本について書いたが、この、脳の生涯に関するテーマが本書の主題である。

その前に、前回男性脳と女性脳に関することを書いた時の補足。実はあの記事を書いた時は相当頭にきたことがあって(私事ですが・)、筆が進まないまま(死語)あげてしまった。もうひとつ言いたいことがあった。男性の空間認識力の話。

男性は女性よりも「拡張感覚」が発達している。道具やメカをまるで神経がつながっているかのように自分のものとして操作する。バイクが手足の延長のようになってくる。そして長年連れ添った妻も。。自分の右手をわざわざ褒めたりはしないように、いつまでも女房をほめそやすようなことはしない。黒川氏は逆に、奥さんを人前で褒めていた年配の夫婦に違和感を感じたそうだ。本当に一体化した二人なら、あんなことは言わないと。

まあ人にもよりますけどね。。僕など車の車両感覚に慣れるまで1年ぐらいかかって、今でも駐車場でまっすぐ止められなくて自己嫌悪に陥ってます。。カメラなども慣れるまで相当時間がかかる。だから、しょっちゅう機材を変える人のことをすごいなあと思ったりする。

女性でも運転の上手な人は多いし、あれはどうなんだろう、ピアニストやヴァイオリニストはかなり女性の割合が多いのでは。。


「成熟脳」というのは、脳の生涯についての話。冒頭黒川氏が書いているように、さいきん物忘れをするようになったな、と気にしている方には耳寄りな?話題だ。

黒川氏の説によると、人生最初の28年間は入力に最も適した時期、その次は色々な経験をしたり、ときに失敗をして判断力を養う時期、そして56歳からはそれらが結実して、状況に応じた適切な判断ができる成熟脳となる。判断をするために不要と思われる情報は頭の中で「整理」されてしまっているから、すぐに思い出せないが、それでいいのだ。

60代とか70代になるともう言葉ではなく直感で物事がつかめるようになるので、旅や抽象度の高い能などの芸術鑑賞に適しているのだそうだ。もはや言葉は不要であり、それを人に説明する必要性すらなくなる。さらに80を超えて90代になると、脳が若返る傾向があるらしい。

ただし、人により寿命は異なる。脳は(肉体的な)寿命を知っているようで、死が近づくと自然に外界に対する反応が弱まっていく。

「脚が弱った身で、地球の果てまで行きたい冒険心があったら、きっとつらくてしょうがない。」

自分の親もそうだが、年配者に触れ合う機会が増えると、彼らは自分たち(の世代)とは違う原理で行動しているな、とふと思うことがある。ただ、彼らは彼らだけで生活することができず、自分たちの助けを要する。そこに摩擦が生じる。

よく「老害」などというが、それは間違いで、単に世代間がうまく結合していないからそうなっているに過ぎない。今は自動車が操作できない老人もいるし、詐欺に会う老人もいたりするが、各世代間でうまくつながることができれば、社会はより成熟したものに変わっていく可能性がある。

とはいえ、あれですけどね。実際会ってみるとってのはあるな。。

 

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