うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ソ連が満州に侵攻した夏

2022年12月03日 | 本と雑誌
半藤一利 文春文庫 (Kindle版)

夏に読み始めようとしたが、あまり体調も良くなかったし、気の重い内容だったのでいったん本(タブレット)を置いていた。先月になってようやく読む気になった。

題名がこれなので、書いてあることを説明する必要はないような感じだが、ざっと気が付いたことを書くと;

・ソ連参戦は国際間の様々な思惑の中で政治的に決められた。日本にとっては日ソ中立条約(1941年発効)が締結されていたこともあり、寝耳に水の事態と捉えられた。もちろんヤルタ会談での密約情報も入手できていない。

・はずだが、実際には陸軍などはいずれソ連からの侵攻はありうるという見方もあった。ただ、南方の戦況が厳しく、関東軍の兵力を転用している中、侵攻開始はまだ先のこと、という希望的観測が大勢を占めていた。

・もともと日本には戦前、親ソ(露)的な感情を持つ人が一定数いた。また、日米戦争の悪化に伴い、政府筋にはソ連の仲介により戦争終結に向けて動けないかという考えが真剣に議論されていた。
(実際に近衛元首相を特使としてモスクワに派遣するという動きが'45年7月にあった)。

・侵攻が始まり、国境付近の関東軍は奮戦したがことごとく撃破された。関東軍は(有名な話だが)居留民たちを置いたまま後退し、市民を守ることをしなかった。

・ポツダム宣言(ソ連は署名しておらず、当事者ではない)受諾後、日本政府、軍はダグラス・マッカーサーがソ連を含む占領行政を一任されているととらえた。しかしマッカーサーは連合国の総司令官であり、ソ連軍の管轄は対象外だった。日本は宣言受諾を終戦と捉えたが、国際的には降伏調印がなされた9月2日が戦争終結日であり、それまでソ連軍の侵攻は続いた。

・居留民たちは鉄道などの交通も遮断された中を逃避せざるを得なかった。8月15日以後すぐに、一部の満州国軍は叛乱を起こし、新聞は”東洋鬼”を追い出せという報道をした。

・ソ連軍の避難民たちに対する略奪棒鋼は筆舌に尽くしがたいものがあった。これはドイツ戦線でも同様(満州のソ連将兵はドイツから転戦してきた者も多かった)だった。こうしたソ連軍兵士の質の悪さは、スターリンをはじめとするソ連首脳部において共有、許容されていた。

・満州における機械装置や鉄道車両など、日本が持ち込んだ資産は、国際的には中国政府に帰属すべきはずのものだが、ソ連はそれらを「戦利品」として持ち帰った。満州国の産業施設の4割は破壊され、4割はソ連が持ち去ったといわれる。
満鉄、日本政府、在満法人所有の資産は合計で400億円にのぼるという。現在の価値では数十兆円に及ぶかもしれない。
将兵、居留民200万人が満州、関東州に取り残されていた。

・兵士たち(スターリンが指示した員数が足りないため、実際には市民も徴発された)をシベリア抑留する指示は、スターリンが日本本土(北海道の半分を要望していた)占領の希望をトルーマン米大統領に拒否された後、急遽指示された。スターリンは自らの存命のうちに、共産主義が発展成功する様子を見たかったから(少しでも労働力、産業基盤が欲しかった)だと言われる。



自分たちがロシアという国としてイメージするのは、やはりこの辺りですかね。。

リアルタイムで知っているのは冷戦終盤期のソ連、その崩壊としばしの混乱、西側とのつかの間の和解。そして今。

またドラマの引用になってしまいますが、「ザ・ホワイトハウス」の中で、核施設で起きた事故をひた隠しにする中米ロシア大使に向かって大統領が、そのかたくなさはいったいどこから来るんだ、と言います。すると大使は「ロシアの、長くて辛い冬です」と答える。

たいして気が利いた言葉ではないようで、それこそが真実なような気もします。広大な、ひじょうに厳しい自然の中で、生き続ける人達は、よりプラグマティックで人間の根本的な欲望に忠実なのではないか。そうでないと死んでしまうし、そもそも死に対する意識すら違う。

帝政ロシアの頃から一貫して不凍港を求め、少しでも隙あらば南下しようと目論んでいるというのはもはや厳然たる事実です。
ウクライナもジョージアも、その流れの中でサクリファイスを受けているわけです。

しかしそうなると、地球上で気候の厳しいところに棲んでいる人たちは、未来永劫乱暴で困ったことをする、ということになってしまう。
それではスカンジナビアの人々はどうなのか?って話ですよね。

日本は国土のどこに行ってもとても住みやすくて、だから人々は礼節を重んじて心穏やか、おもてなし最高。
っていうと、それでは400年前に全国で繰り広げられた「内戦」はなんだったのか、80年前にアジア一帯を戦火に巻き込んだのはどういうことか、という話になる。
しかも、為政者は平気で市民を見捨てているという。

気候への適応は様々な技術で克服できるし、過去の反省で国民性も変わりうる、と考えないと。

そうしないと自分に返ってくるわけです。


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ウクライナ戦争の200日

2022年10月31日 | 本と雑誌
小泉悠 文春新書 2022年

小泉さんはロシア軍事が専門で、ふだんは静かな研究生活を送っておられるそうですが、なにか北の方できな臭いことが起きると、とたんに世間から注目を浴びるのだそうです。ふつうそういうのはそんなには続かないのですが、今年は大変でしょうね。

以前にも小泉さんの本を紹介しましたが、ご本人は完全なオタク趣味が嵩じてこの世界に入ったのだと語っておられました。氏の研究論文、は読んでませんが一般向けの記事とかも、文体や構成がきちっと学術論文の様式に則っているとよく言われますが、これもある種のオタク的アプローチなのかな、と思ったりします。

それで、初めから脱線しているのですが、ミリオタさんは凛々しい感じでいいですね。ツイッターで東野篤子さんが新聞の顔写真に反応していました。。
(写真をそのまま使えないので、記事リンクを掲げました)。

鉄オタはこうはいきません。中井精也さんや六角精児さんみたいになっちゃう。まあいいんですけど。
女子鉄なら市川紗椰さんとか、ちょっと感じが変わってきます。さらに話は飛ぶけど、ツイッターで女子鉄写真家さんをいじめている若い男子鉄の子たち、見苦しいからやめなさい。全国鉄オタの名折れですぞ。


対談集です。高橋彬雄さんや東浩紀さんなどと交わす、しっかりとした戦況把握の記事もあれば、砂川文次さんや片淵須直さんとのマニアックな対談、ヤマザキマリさんとのお話も面白いです。マライ・メントラインさん、安田峰俊さんとの3者対談は、欧州、中国、ロシアの専門家同士の対話として大変興味深い。

たぶん文芸春秋の連載記事だったのでしょうね。読み口は軽いので、すぐに読めますが、内容は濃いです。普段SNSそのたネットで薄っぺらい素人の話(このブログを含む)ばかり触れているので、専門家というのは大したものだ、と思ってしまいます。。

対談は4月ごろから8月にかけて行われています。最初の頃はロシアがあまりに古典的な暴挙に出たことへの戸惑いが、会話の中にありありと出ています。
次第にその状況に慣れてくると、過去から現在までの国や地域ごとの人々の意識の違い、目の前の戦争が自分の意識に与えた影響など、より深い議論が出てくる。

片淵氏との対談で、戦争と(今の日常生活との)トンネルがつながった、みたいな会話をしています。「この世界の片隅に」は、77年前の日常生活と戦争が道をへだててつながっているというお話です。今はSNSを通じて、キーウに落とされる爆弾の映像がすぐに伝わってくる。

こっちではトップガンおもしろかったとか、サイゼリヤのメニューがどうしたとか、クラファンで子供が旅行してどうしたとか、なにやらやっている中に、黒焦げの建物と地面に転がっているおもちゃの映像が入り込んでくるのです。

これは僕自身が感じた話ですが、2月末に戦争が始まった頃、地下鉄の駅とかでe-スポーツジムの宣伝が盛んに出ていました。
今でもやってますが、若い男の子が白シャツにネクタイして、頭にヘッドギア、手に電子銃?を持って廃墟に立っている、という映像が出ていました。。

これが妙に、ウクライナにつながっているような感じがして仕方なかったです。。こっちではゲームですが、同じことを地球半周したところで、実弾でやってるんだなあと。

価値観の違いや、善悪の基準の違いについて。。

ここだけ、小泉さんの発言を引用します。対談最後の発言です。

小泉 日本人やドイツ人はやっぱり何だかんだ真面目なので、そこでサバイバルするのだというと、結局のところ偽悪的になっちゃうんですよね。一生懸命「悪」を演じてしまうところがあって、全然悪いと思わずにひどいことをしてしまう中国やロシアに比べて、日本人とドイツ人は「俺たちはこんなにも権謀術数を駆使している」と自分に酔ってしまうところがあるんだと思うんです。日本人とドイツ人にあの天然感は出せないですから。


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再読 独ソ戦

2022年10月18日 | 本と雑誌
大木毅 岩波新書2019

昨今の内外の情勢に鑑みて、何冊か再読した本があるが、これはその一つ。
3年ほど前に読んだときは、土地勘?(地理感)がいまいちつかめず、それに気をとられて全体をとらえることができなかった気がしていた。

それが連日の戦況を伝える報道からもたらされた知識であることは、いささか遺憾に思うが、この8か月間ずっとウクライナの地図を見てきたためか、今回はなんとなくどこで戦闘が行われてきたか、イメージできるようになった気がする。

実際の戦闘の経緯はおくとして、とりあえず印象に残ったところを以下に示す。なお、あくまでも個人の印象なので、誤解しているところもあるかもしれないし、作者の意図とは外れているところもあるかもしれない。気になる方は一読を薦める。

●独ソ戦そのものは壮大な近代戦ということで以前から知られていた。しかし、以前に書かれた文献には、その後の研究により今では否定されている見解に基づいたものが多い。
●その原因の一つは、冷戦期のソ連のプロパガンダ政策により、史実と異なる見解が流布された、あるいは資料が非公開とされていたことがある。
他方ドイツの側も、指揮、戦闘に携わった将校が戦後も多数存命しており、彼らがヒトラーにすべての罪を負わせるような発言をする傾向があった。
冷戦下における独ソ戦史は、政治的に利用される傾向が強かった。

●実際にはドイツ軍将校はヒトラーに唯々諾々としていたわけではなく、自ら立案して対ソ戦を企画した。現状把握や戦略は今日の目で見ると杜撰で場当たり的なものも多い。

●ヒトラーも軍の提案を承認し指揮を執るが、その戦略意図は軍とは同床異夢で、ちぐはぐな戦術となり功を奏さないこともあった。もともと短期決戦を意図していたが、戦争が長期化するに従い戦争目的にも変化が生じていく。

●ヒトラー政権下では「大砲もバターも」という政策を推し進め、自国民の人種的優位性をうたい上げた。軍備は増強され国民生活は向上したが、その原資は他国の征服にともなう収奪によって賄われた。独ソ戦は当初は油田の確保などが目的だったが、やがて収奪戦争、さらには世界観による戦争(劣等国民のせん滅)の色が濃くなっていく。
国民はいわば共犯者として、収奪により向上した生活水準を享受し、第一次大戦の時に起きたような反戦、反政府運動はおこらなかった。



今すこしだけ、仕事は静かです。
昨日はインフルエンザの予防接種のため、4時過ぎにオフィスを出ました。
クリニックの場所が移転していて、今回から八重洲北の新しいビルになりました。

帰りに八重洲の地下街を、少し歩いてみました。前職時代は時折お昼時間に遠征したり、飲みに行ったりしていましたが、転職後は全く訪れていません。
少しずつ、おみせが変わっていますが、たたずまいはだいたい同じ。先日の内幸町に続き、久しぶりに懐かしい思いをしました。

それにしても人が増えたこと。ほぼ3年前と変わらない感じになってきましたね。。

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戦中派不戦日記

2022年09月02日 | 本と雑誌
山田風太郎 講談社文庫(電子版)

最初の刊行は昭和46年番町書房から。作家山田風太郎氏の、昭和20年1月1日から同年31日までの日記。当時山田氏は23歳で、東京医科大学(当時東京医学専門学校)の学生であった。医学生であったため徴兵は免れており(検査は受けたが病気のため入隊できなかったよし)、昭和20年は東京目黒、学校が疎開してからは長野県飯田で過ごす。終戦後ほどなくして学校も東京に戻り、年末は豊岡の親戚の家で過ごす様子が描かれている。

山田氏は刊行に際し、もとの文章に手を入れたり、現時点での注記を入れたい衝動にかられたという。年代を経て自身も変わり、読み返すと「日記中の自分は別人のごとく」感じられたという。
それは、社会の変化という理由だけではなく、一般に誰でも感じることだろう。僕自身20代の頃と今の自分が、同じ感覚でものを見ているとは到底思えない。

世の中の情報は、ラジオや新聞を通じて、かなりつかんでいたようだ。通信技術は今とは比べ物にならないが、昔は人とのつながりが密であったようだ。列車内で見知らぬ人が交わす雑談にも耳を傾けている。

降伏受諾はかなり受け入れ難いことであったようで、終戦間際には友人と徹底抗戦を語り合って夜を明かしたりしている。敗戦後秋になっても米ソ両国に立腹し、いつかは報復すると繰り返し書いている。戦中の、神がかり的な歴史教育には違和感を感じているが、全体に日本の国家精神を独自のものと考え、国家間の優劣を強く意識している。

改めて言うまでもないが、日本がひとつの国として、今もこうして存続しているということが、本当に奇跡のように思えることがある。国ごとに歴史上の節目はそれぞれあるから、日本だけが特殊な経験をしたわけではないが、こうして振り返ってみると、少し思うところはある。
・・こんどまた試練が訪れたら、どうなることやら。

空襲で焼け出されている。住むところがなくなり、知り合いを頼って山形に疎開。地方は別天地で、温泉旅行に行ったりしている。お金には不自由していなかったようで、飯田に学校が移ってからも旅行に出たりしている。ただ、物資、食料の不足にはかなり難儀していたようだ。疎開から戻ったとき、交通の混乱で自分の布団がなくなってしまい、晩秋の寒さに震えている。

これまで、終戦前後の日記として、徳川夢声氏、高見順氏のものを読んできた。3者とも共通して描いているのが、街や車内で見かける日本人のみすぼらしさだ。生活に追われ、戦火に追われ、なりふり構わなくなっていたのだろう。汚いサルのようだという書かれ方もしている。
風呂屋に行くと、靴が盗難にあうのだという。風呂の湯も極めて不衛生で、ドブのようになっていると。

日本国民が醜く見えるのは、この時代の人たちが等しく感じていたことのようだ。当時は西欧人との体格の差が大きかったこと、接する機会も限られており、コンプレックス的なものも強かったのだろう。
また、開戦直後の誇らしい、理想主義的な気持ちが反転し、精神的にも追い詰められていたという意識もあるかもしれない。
しかしなによりも、あらゆる物資が不足して、想像を絶するひどい環境に誰もがなっていたことは確かだ。

徳川氏は今の僕ぐらいの年代、高見氏は40代ぐらいで社会の中堅、今回の山田氏は若手世代で、それぞれ視点が異なる。その差異も興味深く感じた。
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どくしょ

2022年07月10日 | 本と雑誌
きょうは選挙で、テレビも夜はずっとそれをやっているようですから、こちらは少し静かにどくしょのおはなしを。

気に入った本は繰り返し読むというタイプの人間でして、10数回読んでいる本は複数あります。テレビドラマや映画も同様です。ただ、人生短いし、新しい本を読まない訳ではないので、その辺の時間配分は難しいところです。

新しい本でも、読んだら必ずここに記事書くわけでもないです。書けないのを無理に書くってのはダメなんですよね。さいきんの記憶では「独ソ戦」をここで取り上げたけど、消化不良でろくなこと書けませんでした。

カモが暑がっている。

ここで取り上げる「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「ヨコハマ買い出し紀行」は、いずれもたぶん20回位、もっとかな、読んでます。「世界の終わり」は最初にハードカバーを買ったのは35年以上前かな。ただ、繰り返し読むようになったのはここ10年ぐらいです。

村上氏の、中期の作品と言って良いのでしょうか。作品としてはおそらく非常に成功しているとは言い難く、完成度から言ったら「海辺のカフカ」以降に比べるとやや見劣りするかもしれません。ただ、文学作品(に限りませんが)は作品のまとまりだけで評価が定まるものではなく、むしろその粗さが読者の想像を喚起させるような作用を生むことさえあるように思います。

主人公の日常生活(というより、既にかなり非日常な世界に入りこんでいるのですが、本人には正常バイアスが作用しているのか、ごく平凡な生活が続いているつもりでいる)の細かな部分を、クローズ・アップして描写していく手法は、この時代の村上作品の魅力の一つです。

「私」は、日常の家事、買い物などの様子を事細かに語ります。買い物が大好きな彼は、必要なものをメモにまとめて、いくつもの店を訪れて揃えていく。

そのために使われる黄色い車は、彼が買い物をするためだけに必要に迫られて買った中古車です。今はそんなことを書いても何の感想も持たないでしょうけど、当時(1980年代半ば)はかなり新鮮な車の使い方、だったはずです。
昔は車というものは、お隣が買ったからうちもとりあえず買うものであり、どうせ買うなら隣よりも大きいものを買っといて、月に1~2回乗る、というのがふつうでした・。
タバコと酒のポスターについて、詳細に考察している場面もありますが、酒はともかく、タバコの広告というのも、いつの間にかなくなりましたね。。

僕らが読む分にはまだ体感を伴うリアリティを感じさせるこの小説(ひじょうにリアルではない部分があるのですが、その分現実的な世界はかなりリアリスティックに描かれています)も、若い読者が読むとセピア色の世界に見えてくるのかもしれないです。。ちょうど僕が三島由紀夫の作品を読んだ時のように。
そのことによって作品の評価が変わるという訳ではないというか、むしろ時代性を精密に描写することで、時代を超えた文芸作品としての堅牢性が生まれたというべきなのかもしれません。

図書館の女の子が旧ソ連時代に発見された不思議な一角獣の頭骨について、語るシーンがあります。第一次大戦の前線で指揮を執っていた大尉が、見たことのない動物の頭骨を発見する。生物学の大学院生だった大尉は、その価値に気がつき調査を依頼するが、戦線の混乱で不首尾であった、という話。

この前線は、今回気が付いたのですがウクライナの台地、という設定だったのですね。。作中その場所は「一般にヴルタフィル台地と呼ばれているところで、小高い丘のようになっていて、のっぺりした平原の多いウクライナ西部では、数少ない天然の軍事上の要所になっていた」のだそうで、第一次大戦でも第二次大戦でも、かなり激しい攻防戦が繰り広げられたとのこと。

この地名が実在するのかどうかは不明です(ネット検索では出てこない)。今回の戦争は主に東部地区で行われているので、まだ無事なのだと信じたいところですが。。。
ウクライナって、こうしてニュースが相次いでいると地図が頭に浮かんできますが、昔はピンと来なくて、たぶんベラルーシ辺りにあるものと、頭に描いていた気がします。。


「世界の終わり」が長すぎて、「ヨコハマ買い出し紀行」に言及する時間が無くなりましたが、これ繰り返し読んでも、読むたびに色々考えさせられる作品です。

作品の世界では地球の気候が大きく変わり(その原因が人為的なものかどうかは明らかにされていない)、人口は世界的に大きく減少し、「夕凪の世界」に入りつつある。さらにいずれは「夜の世界」になることが既に視野に入っているようです。
ただ、そこで暮らす人々に悲壮感は全くなく、むしろ今の時代を楽しんでいるように思えます。

ただ、かつてその土地で暮らしていた人たちの「思い」のようなものは、人々の姿が見えなくなり、街そのものも水面下に沈んだ今でも残っているようで、そうした街の跡を眺める不思議な石のようなものが、あちこちに生えています。

この「人々の思い」が、肉体が消えても尚残る、という考え方は、上記「世界の終わり」とも共通します。「世界の終わり」では、そうした「思い」は街を訪れる獣がかいだして、彼らの肉体の中に取り込まれる。それを「夢読み」が読み取ることで、空中に取り出されて消えて行く、とされています。

「ヨコハマ買い出し」に登場する、アルファさんなどの「ロボット」は、やがてすべての肉体が滅んでしまうであろう人類の、生活の記憶をとどめるために作られた、ように読めます(それは僕の解釈であって、じっさいの目的は不明ですが)。

「ロボット」には悠久の時間が与えられているのですが、人間にはそれはない。人間の肉体には、心が期待するだけの時間が与えられていないのでしょう。
なので、度々引用をしていますが第14巻のこれ、ココネさんの発言につながるわけです。


人と交流する運命にある、アルファさん達の心を想うと、彼女たちは非常に過酷な運命を負わされているのだな、と思わずにいられません。
ココネさんは、人間の若い女性らしく、配達の仕事をしながら小さなアパートでささやかな暮らしを送ることに、喜びを見出している。しかし、それはどこにも進むべき路がないのです。

とはいえ、最終回を見ると、彼女もある種の救いを見出すことができたのかな、と思ったりはします。

きょうも暑かったですが、くるま乗ってると適当に風もあって気持ちよかったので、屋根と窓開けてエアコン切ってました。
ただ、右手だけ真っ赤に焼けてしまった。。
と、いう様子を左手でカメラに収めたつもりが、カメラはココのほうに目が行っちゃってる。。

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小泉悠 現代ロシアの軍事戦略 

2022年03月10日 | 本と雑誌
すこしずつ訪れる春の息吹を眺めていると、じぶんがこうして平和な世界にいきていることが、つくづく尊いものに思えてきます。

これは決して当たり前のことではないのです。


イズムイコこと、あるいは丸の内OLとか人とか色々言うらしいですが、小泉悠氏はたぶん、テレビのニュースを日々見ていたら必ずどこかで彼のコメントを見聞きしているかと思います。その方の最新著作です。
ちくま新書 2021
脱稿されたのがちょうど1年ほど前なので、今回の開戦状況は当然盛り込まれていませんが、ソ連崩壊から今日に至るまで、ロシア軍がどのような状況にあり、なにを目指しているかがまとめられています。

このような時世でなければたぶん手にしなかったでしょうし、小泉氏の事も知らなかったでしょう。そのような非軍事人間にむけて、本書でははじめに「戦争とは何か」を問うています。

小泉氏はアメリカの安全保障問題担当補佐官を務めたマクマスター中将の「戦争は人間同士の意思のせめぎ合い」という言葉を引用しています。

古典的な意味での戦争は、武器を駆使して相手を屈服させ、自らの意思を-国家間においては自国の国益を達成させることですが、こうした戦争は、核兵器の登場により既に不可能となっています(ルパート・スミスNAT欧州連合軍副最高司令官)。

しかし、軍事力に意味がなくなったわけではない。今日の戦争は、時空を超越して様々な形で行われるようになった(ハイブリッド戦争)のだと。

これを我々にはっきり認識させたのが、2014年のクリミア半島併合だといいます。

ロシアの軍事力は、古典的な基準で測った場合必ずしも大きなものではない。動員数(公称101万、実質90万程度)や国防費(650億ドル程度)で見ても、アメリカや中国、あるいはNATOの兵力に比べると小さい。テクノロジー的にも、例えば人工衛星技術力などは、総合的には日本よりも劣るぐらいだという。

ロシア軍にはそうした自覚はあり、それを補うような体制を整える議論が盛んにおこなわれている。その表れの一つがクリミア併合で使われた手法だと。しかし一方、東部2州独立の際は意図通りには行かず、不手際が目立つ結果となった。

21世紀の初めごろ、冷戦終結後の世界は、国家対非国家の戦い(テロ)に焦点が向けられるようになった。これはアメリカもNATOもそうだがロシアにおいてもそうで、一時期は軍の体制の再編が行われた。
しかし2010年代に入り、ロシアは再び従来の大規模戦争を想定した軍組織体制に戻りつつある。手段として非軍事的な手法も取り入れるようになったロシア軍だが、本質的な認識としてはそれらは補助手段として捉えられており、根幹の思想はむかしから変わっていない。

ロシアには西側が軍事的手段だけではなく、経済や情報など様々な手段に訴えて、自国の自律性を抑え込もうとしている、という観念がある。これに対抗しようという動きが、東西の緊張関係を生んでいる。
これには終わりがない。戦闘行為に終わりはあるが、普段の生活を通じて『非線形』の戦いを挑まれているのだから、その間ずっと(自国民や周辺諸国の抑え込みという形で)戦争を続けなければならない。

要約としてはへたくそですが(自分が印象に残ったところをまとめただけで、本書の内容はもっとてんこ盛りです)、こんな感じかしら。たぶん非常に頭の切れる方ですね。文章の切れ味が半端ないです。

本書を離れて、さらに膠着している現状もちょっと離れて、世界が再びテンポラリーな均衡状態にもどったとして、この先世界は、この異質な隣人とどう付き合っていったらよいのか、もう一度考えてみたいと思います。

今の西側諸国には「自分たちの市民社会のほうが上」という意識があることは確かですし、ロシア(の指導層)は被害者意識が強い。中国はまたちがう。
彼ら(中露)がいう「世界の多様化」の意義は、ある線に沿って考えれば、わからなくもないのです(もちろん彼ら自身自己矛盾しているのですが)。

とはいえ、長期で見ていけば(ともかく均衡が保てたとして)、ロシアの影響力はますます失われていくことに間違いはない気がします。


モールにて。
こういうのを「二郎系」というのかしら。蕎麦みたいな太めの麺です。
作法がわからくて、前の人がおわんにお酢をどばっといれていたのを見て、真似しました。それで、麺をとってはつけ麺みたいにお椀にひたして、また戻して食べてみたけど、酸味がわるくない感じだった。が、その前の人がそうしていたかどうかは不明。
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MMT〈現代貨幣理論〉とは何か 日本を救う反緊縮理論

2022年01月22日 | 本と雑誌

島倉 原 角川新書 2019年(kindle版で購入)

MMT(Modern Monetary Theory 現代貨幣理論は、数年前から話題にのぼりはじめ、特に2019年、ステファニー・ケルトン教授が日本の財政、金融政策を指して「日本は非常に良い事例である」とコメントしたことが、国内のマスコミ等で話題になった。
当時から、少なくとも日本のエコノミストたちの間ではあまり評判は良くなかったが、2020年に入ってコロナ禍が世界を席巻し、各国が大規模な財政出動をするようになると、それにかき消されるように話題に上らなくなった。

有名な主張は、国の公的債務について、それがどれだけ膨らんでも、政府が自国通貨を発行できる立場にある限り、債務不履行になることはあり得ない、というものだ。
先進国の中でも飛びぬけて対GDP比債務比率が高い日本は、インフレにもならず、返済不能にもなっていない。これは(MMT理論主唱者たちと対立する、主流派の経済学差たちの予測を覆す)好例だ、という(日本の政策が彼らの理論に沿ったものだという意味ではない。平たく言えばもっと思い切ってやれ、みたいな見解を述べている)。

要するに、悪いことだと思いながら借金を重ねている人に、イインダヨ、イクラカリタッテ、と言っているようなもので、(念のため・それが許されるのは政府だけ)、財政規律を何とかせねば、と思っている人たちは、余計な事言いやがってと、カチンとくるという図式だ。
そのうえMMT派は、主流派経済学否定、批判しながら自己の議論を主張している。。

先日NHKの日曜討論会を見ていたら、れいわ新撰組の幹事長さんだったかな、が話していた。それどっかで聞いたことあるな、と思ってウェブを見たら、どうもれいわはMMT推しらしい。。


ということで・、今までMMTの理論を読んだことはなかったので、年末年始にちょっと読んでみようか、と思いぽち、した。

タスキにMMTの本格的入門書、と書かれているが、そんなにやさしくはない。大学の経済学とか勉強した人でないと、何を批判してるのかわからんかもしれない。あと、途中から政府とか市中銀行、個人などの財政状態を、バランスシートのような図式で示しているものがあるが、財務諸表が読める人でないとわからない上に「純貯蓄」(=金融資産から負債を引いたもの)などという聞きなれない科目が出てきたりして、とっても不親切だ。

なので、本書の内容を理解できたかというと、はて?ちゃんと理解できたのかな、としばらく考え込んでしまいそうだ。。

ただ、MMTのMMTたるゆえんは貨幣に関する考察であり、そこから経済政策的な主張が導かれている。歴史的に、人類が経済活動を物々交換から開始したという証拠はなく、貨幣ははじめから信用貨幣(それ自体に物的な価値はない)として登場した、というような主張をしている。
この辺の議論は心を摑まれる・。

歴史がどうした、という議論をするのは、ごく平たく言えば理論体系上の整合性の問題だ。MMT主唱者たちは、主流派の貨幣に対する見解は(これまた平たく言えば)論理的に整合していない、という。だから史上存在していなかった、物々交換から議論を始めているのだと。

話は飛ぶが、僕らが若い頃、ミルトン・フリードマン(当時シカゴ大学教授)が、マネタリズムという理論を主張して、それまで主流だったケインズ理論(総需要政策重視派)に挑戦していた。
若い頃ってそういう、体制に挑戦するような議論をカッコいいと思うもので、訳もわからずなんかイマイな(死語)、と思っていた。その後世界は新自由主義とか、そういう世界方向に進んでいく。

MMTというのは、どちらかというと、ケインズ主義的な流れに通じるものがある。新自由主義的なものを見直していく、というような方向性だ。

興味深いことに、マネタリズム(文字通り通貨主義)もMMTも、貨幣に興味を持っていることだ。出てくる主張は反対方向というか、あれだけど。

あれだけど、というのは、主張が正反対です、と言い切っちゃうと、違う、あれがこうでこれがああだ、と言われると困ってしまうからだ。こんなちゃちなブログの文章で、書ききれるようなものではないのだ。経済学は。

それでも世の中は動いていくのであって、黒田東彦氏は異次元のなんとかを続行中だし、パウエル氏はどうとかなんとか、してる。経済政策に治験はないので、いつだってぶっつけ本番だし、その政策が数式できれいに理論化できることなどない。

そういう比較をするのもなんだが、コロナ対策と経済政策、に関するネット上の議論の寒暖差は、前者が自分たちの日常の経験の範囲で語れる部分が多いのに対し、後者は人々の間に(自分は)議論をするだけの知識がない、という自覚を持ちやすい、という所から来ているように思う。他方共通しているのは、どちらも自分たちの生活に直接かかわりがあることだ。

実は前者も、本当に実のある議論ができる人は相当限られているはずだ(専門知識を持つ人たちは、それだけのレベルの議論ができているのだが、常に妥当な結論が導き出せる訳ではないので、素人も議論に参加するだけの資格がある、と思いこみやすい)。

経済についてもトンデモ議論は存在するのだが、やっぱり、つまらないのか人気がない。
健康議論に飽いたら、今度は経済のことをみんなで考えてみると、新鮮でよいのではないだろうかしら。

いずれにしても、余りネット議論でムキになるのはほどほどに。。以上余談。


さいごに、本書末尾に書かれているMMTの特徴を短くまとめてみます。

・日本や米国のように通貨主権を有する国(自国独自の通貨を発行、流通させている国)は自国建てで支払い能力に制約はなく、デフォルトリスクはない。財政赤字や国債残高を気にする必要はない。

・政府にとって、税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない。税金は所得、国債は金利にはたらきかけ、経済を適正に調整するための政策手段である。

・政府は「最後の雇い手」として、希望する人に就業する機会を約束することができる。

最後の項目はMMTが財政支出を通じて完全雇用と物価安定を目指す、ということを示しているもので、完全雇用の妨げになる(と思われる)社会保障費(社会保険など)は好ましくない、とMMTは考えている。企業が負担を嫌って雇用を躊躇するようになるからだ。

この辺りの見解も、彼らを評価するときに重要なポイントだろう。


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満州 マンチュリアの起源・植民・覇権

2021年10月24日 | 本と雑誌


小峰和夫 講談社学術文庫 2011(文庫として)

小峰氏は社会経済史をを専門とする経済学者で、特に日本の農業、肥料史などついて研究しておられたようだ。満州についての著作も、明治以後日本が大豆などの肥料を、満州から輸入していった経緯について調べたことがきっかけらしい。

このため本書では、19世紀以後の満州における社会経済の実情に関する記述が、やや突出した形で詳述されている。女真族による清朝の成立過程や、日露戦争後の日本と満州の係わりについても、もちろん触れられているが、19世紀前後の、同地域の経済実態への記述にかなりのボリュームが割かれていて、ちょっとバランスが悪い気もする。

20世紀以後、特に満州国成立後の記述はほぼないに等しい。満州国史を知りたい方は、その点に気を付ける必要がある。

しかし、おおむね清国の成立前後から清朝崩壊、満州国成立直前ぐらいまでの通史としては、とても良くまとまった一冊だとも思う。と同時に、満州(と呼んでいる地域)の歴史=清朝なのかな、とも考えてしまう。

この地域が特異なのは、満州=欧米でも一時期マンチュリアと呼ばれてきた言葉が、もともと現在の中国東北部の、地域を称する言葉ではなかった点である。
満州族、もとは女真族と言われていた民族の活動していた地域が、後に満州と呼ばれるようになった。さらに特徴的なのは、その満州族が清国として中国全土を支配したのち、自らは次第に漢民族と同化していき、満州族としてのアイデンティティを溶かして行ったということだ。

清朝においは満州(地域)は、満州族の祖国として、民族的アイデンティティーの精神的、物的な支柱とされた。満州族以外の者が満州に移住することは許されなかった(満州封禁政策)。この政策は清朝の全期を通じて貫かれたが、現実には漢族の移住の流れを止めることができず、末期にはなし崩し状態となった。

つまり、漢民族と満州族は次第に融合し、地域的、文化的な違いもあまりなくなっていった。

他方、19世紀に入ると西欧諸国がアジアに進出を始める。新興のロシアや日本とも、経済的な結びつきが強くなっていく。こうした中で満州は、いわば新開地として多様な民族の共存する場へと変化していく。



ところで、先日SNSを見ていたら、山本一郎氏が(山本太郎ではなくて、ジャーナリスト)どなたかのコメントに反応していた。
曰く、ひとつの中国というけど、中国好きなのでたくさんあったほうが良いです・・。
山本氏「言ってはいけないことを・・」
(言いだした方は政治関連の方ではなかったが、結構反応している人が多かった)。

中国の歴史には詳しくないけど、先日西欧史が専門の歴史学者、増田四郎氏の著作で、中国の王朝と欧州大陸のそれ(ローマ帝国)を比較されたコメントを読んだ。
ともに文明世界は一つであるという考え方(パックスロマーナと中華思想)がその底にあったものの、中国大陸では一つの王朝が滅んでも(一時期国が分裂しても)、また別の王朝が勃興した。

これに対しヨーロッパでは、世界帝国と言う理念はローマ以降はなくなり、代わりに国民国家(今日の近代国家)という形で分裂し、共存するようになった。

この流れで言うと、今日の共産主義体制に至るまで、中国にとっての「国家」という概念は、西欧諸国のそれとはまた異なる概念として生きているのではないかと言う気がする(これは増田氏の意見でも小峰氏の意見でもなく、私見です)。

それで、「満州」にもどると、同書にはこんな記述がみられる。

元来、中国の人民には国家といったものはさほど重要な存在でなく、自分の生命財産を保護してくれるものであれば、なんであれこれを救世主のように歓迎する傾向があった。清朝官憲の統治能力が衰えてくると、一部の満州住民のなかには外国の力でも歓迎する雰囲気が生まれた。日露戦争の前にロシアが満州で影響力を伸ばしたのも、一つにはそうした背景があったからである。

歴代の王朝の圧政や悪政のもとで、人民は国家を信用することなく、もっぱら自治自活の道をさぐり、生き残りのための独自の共同組織を育んだ。いつの時代でも、中国では強大な先生権力のもとで、国民と人民とが分離し、断絶した状態になり、それが伝統化してきた。
(『第四章 変貌 漢族の植民と産業発達』)

今日の近代国家のなりたちについては、以前からときどきここで書いているけど、今の状態が唯一絶対のものということはないと思っている。民主主義ひとつとっても、言葉の上では各国同じでも、その捉え方は国によってずいぶんと違う。
だから、かなり脱線になるけど、かの国の「国家」についても、人々がそれをどう捉えているかは、外からはわかりにくいニュアンスがあるのかな、と思っている。

だいぶ脱線しましたね。
満州国と言えば昔「虹色のトロツキー」を読みかけてたしか、3巻ぐらいで止めちゃったんだよね。あれを再読してみたい。

あと、本書との関連では夏目漱石の「満韓ところどころ」も読んだけど、やはり色々当時の事情を理解していないと、うまくとらえられないところがあるな、という感じだった。中国人の描写とか、ちょっと今見ると難しいところがありますね。。


世間もだいぶ日常を回復しつつあるけど、やっぱり忙しくて。

本当は書評、などおこがましいが、本の感想とかも書きたいのだが、内容乏しいとはいえそれなりに準備が必要で、そこまで頭がまわらない。。
週末など、ただゴロゴロしているだけの、いわゆる昔からいるおやじになってしまっている。

コロナ禍でずっとじっとしていたせいもあるが、色々忙しいのも、心が固まっている理由のひとつかな、と思っているきょうこのごろ。



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ひとはなぜ戦争をするのか

2021年08月14日 | 本と雑誌
A.アインシュタイン、S.フロイト 講談社学術文庫2016年
初出は2000年花風社

この紹介を15日付で書くのもなんかベタすぎるので・。

1932年に国際連盟がアインシュタインに「人間にとってもっとも大事だと思われる問題を取り上げ、もっとも意見を交換したい相手と書簡を交わしてほしい。」という依頼をします。

これに対しアインシュタインが選んだテーマは戦争、相手はフロイトでした。

当時アインシュタインは53歳、フロイトは76歳で共にユダヤ系でした。間もなくナチスの勢力が拡大し、二人はそれぞれアメリカとイギリスに亡命することになります。

書簡自体は非常に短いもので、フロイトは2度にわたり返信を書いていますが、後半の養老孟司氏、斎藤環 氏の解説を含めても、紙の本で73ページほどです。


アインシュタインは、各国が権利の一部を国際機関に委譲し、紛争解決をその機関に委ねればよいはずだが、現状それは不可能だ。人には権力欲があり、その性格の中に攻撃的な一面を持っている。戦争を避けるためにはどうしたらよいのか、と尋ねます。

フロイトはアインシュタインへの返信の冒頭で、結構大胆な表現をしています。
「人と人とのあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着を付けています。人間も動物なのですから、やはり暴力で決着をつけています。」

ただし、人間には意見の対立とそれについての話し合い、というものもあるなど、社会の発展によって様々な対立が生ずるようになった、とフロイトは続ける。

最終的なフロイトの結論は、文化を発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる、というものだ。


論理の展開については本書を読んでもらうしかないが、養老氏と斉藤氏の解説も、非常に重要な指摘をされているので紹介する。

養老氏は二人が議論の中で扱わなかった問題として、当時の政治情勢と人口問題を挙げている。養老氏は特に後者について、人口問題は戦争の大きな背景になっていて、第一次世界大戦も根本にはその問題があったのだと思う、と述べている。

かなり飛躍した論理のように思えるが、人類の数というのは、ここ数百年の地球の歴史を語るうえで決して外せない課題だと思う。この往復書簡が交わされた時代、世界人口は20億程度だった。19世紀はじめごろの約2倍である。
この間100年少々である。

産業革命は人類に様々な恩恵を与え、人々の活動範囲は格段に広がったが、過剰な人口は社会的な軋轢を高め、食料や資源などを巡る利害の対立を深めた。

ということは理解していたが、養老氏の指摘は少し意外なものだ。
人が増えると、ものも不足するけれども、社会の中で若者の居場所も不足する。・・若者が余れば、当然ながら軍隊が役に立つ。まともな仕事で若者が重要な部門と言えば、当時は軍隊に決まっていた・・会社と違って軍隊は雇用に制限がかかっているわけではない。軍隊が大きくなれば、戦争の危険はむろん高くなる。

肥大化した軍隊は対外的な危機を誇張し、戦争を起こす。第一次世界大戦では欧州で数百万の若者を殺した。
それで人口問題が解決したかと言うとそうではない。再び起きた大戦では、若者に限らず更に多くの人々を殺した。それでも戦後はベビーブームになり、いっそう人口が増えた。

そして、世界人口はいま(2019年)77億人とされている。10年前の秋には70億を突破したといわれていたが、この10年で世界では、全日本の人口の5倍もの人が新たに増えたことになる。

この問題は極めて重要かつ不都合な真実というか、まあ人々が目を向けたくない問題の一つだと思う。バッタやアライグマが増えても環境に影響がでるが、人間はそれどころの話ではないのである。アライグマはジェット機に乗ったり、ジャングルを切り拓いてバナナ畑にしたりはしない。自然環境への影響はとうぜんに出る。


脱線しました。

斉藤環氏は精神医学の観点から、フロイトの論理展開について丁寧に解説されている。

フロイトは、人間には「生の欲動」(エロス)と、「死の欲動」(タナトス)が備わっていると考えていた。これらは心よりもむしろ身体に深く根差したある種の傾向、ベクトルの事を指す。
生の欲動は生を統一し、保存しよとする欲動、死の欲動とは破壊し、殺害しようとする欲動を示す。

人間はあらゆることを後天的に(言葉により)学ぶ必要があるが、「生の欲動」「死の欲動」はより古い、根源的な人間に備わっているもの、とフロイトは考えた。

「死の欲動」を簡単に取り去ることはできない。それではどうするか。
それは「生の欲動」に訴えかけることではないか。

たとえば「生の欲動」の現れ、人間の間に「感情の絆」を作り出す必要がある。
その例として「愛するものへの絆」、「一体感や帰属意識」を例示している。
ひととつながり、相互理解を深める。相手の感情や行動を理解し、偏見をなくして「同一化」する。

斉藤氏は、インターネットやSNS等の発達した今日では、それが以前より容易に実現できる環境になりつつある、と述べています。しかしながらSNSは時に社会の分断化を招いているように思えますが、人類はこれを克服し、使いこなしていく必要はあるでしょう。

フロイトの最後の結論で述べられた、「文化の発展」について、斉藤氏は以下の見解を述べています。

・・文化とは人間の価値観を規定するものです。価値観を文化として洗練していけば、『生きてそこに存在する個人』にゆきあたるはずです。つまり文化の目的とは、常に個人主義の擁護なのです。そうなると、いかなる場合にも優先されるべき価値として、個人の『自由』『権利』『尊厳』が必然的に導かれてくるでしょう。

・・言うまでもなく『戦争』は、そのあらゆる局面において、『個人』の自由、権利、尊厳を犠牲にせずにはおけません。平和主義者が戦争を嫌悪し拒絶するのは当然のことなのです」(一部抜粋省略)。


この往復書簡は、訳者の浅見氏のあとがきによると、本書出版(2000年)まで世間に知られず埋もれていたのだそうです。往復書簡が交わされた翌年、ヒトラー政権が成立し、冒頭に書いたように二人は亡命する。ナチズムの嵐の中で、二人の議論は忘れ去られてしまったのだと。

それから90年を経て、この間にも様々な、などと簡単には言えないほどの出来事がありました。アインシュタインの指摘した国際機関も、当時の国際連盟では実現しえなかった国際平和へのより強い権限を、国際連合が持つに至っています(さっきから国際法の本を探しているのだけど見つからない・・)。理想とは遠い現状があるにしても、人類がある種の方向性を持って努力を続けてきていることは、認めても良い気はします。
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幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで

2021年08月02日 | 本と雑誌

講談社学術文庫 2014年

東京がオリンピック開催地として名乗りを上げたのは戦前の1940年大会(第12回)が最初だった。
関係者の熱意と加盟国の政治的な理由により開催が決定したが、招致運動中既に始まっていた日中戦争の影響により、決定から2年を経て開催権を返上する。

著者はNHKの記者だった方で、平易な文章で非常に読みやすかった。

ちょうど2年前の大河ドラマ「いだてん」でも取り上げられていたが、「いだてん」は物語の都合上ストーリーの視点が独特のものになっている。本書では主に東京市長永田秀次郎、体協の加納治五郎、IOC委員で招致の中心となった副島道正らに焦点を当てている。

永田秀次郎東京市長は震災からの復興記念と、紀元二千六百年記念行事を兼ねて、1940年に開かれる第12回夏季オリンピックの招致を目論む。そもそも欧州から遠く離れ、高温多湿、さらに開催に必要な諸施設の整備を考えても、当時の東京には非常にハードルの高い目標であった。

日本のスポーツはまだ発展途上だったが、1932年のロスアンゼルス・オリンピックでは日本選手の活躍が目立ち、にわかに国民のオリンピックへの関心が高まった。

招致は困難を極めたが、開催候補として名乗りを上げていたローマは副島らがムソリーニに直談判して辞退、またイタリア同様枢軸国として日本との外交を重視していた、ドイツヒトラー政権の力添えもあり、最終的に東京招致に成功する。

しかし、1937年に入ると日中戦争が勃発、国内は臨戦態勢に入り、馬術などで参加予定だった軍は選手を出さないことに決める。また、施設の整備も資材や予算の不足から全く進まなかった。

諸外国では日本の軍国主義化に批判が高まり、東京大会をボイコットすべきだという意見が強まった。IOCのラトゥール会長やアメリカは最後まで日本に協力的だったが、日本の国内情勢には抗えなかった。最後は国(厚生省)が組織委員会や東京市に事前連絡することなく、開催地返上のアナウンスをする。


オリンピックは本来、IOCを中心に国家や政治とは関係なく運営されるのが本筋である。しかしそれは理想論で、現実には国家や政治的事情の影響を避けることはできない。

東京大会の場合、そもそも承知の発端が紀元二千六百年記念事業という位置づけにあったことが、その後の迷走を招いたと橋本氏は指摘している。

また、開催決定までの道のりでムソリーニに協力を仰いでいるが、たとえファシスト政権下でも本来ムソリーニに開催辞退を決める権限はない。日本はヒトラーの協力を直接仰いだわけではないが、候補地決定にはそのような政治的事情が絡んでいる。

アメリカが東京大会開催に最後まで協力的だったのは、「スポーツと政治は別」という信念をかたくなに守りとおしたアメリカスポーツ界の重鎮、アベリー・ブランデージ氏の影響が強いとされている。

逆にいうと、ナチス政権が自らのプロパガンダのためオリンピックを最大限利用したのに対し、日本はオリンピックの政治利用に失敗したともいえる。

橋本氏が後書きで書いていたが、読者から、もし軍が日中戦争を一時停戦して第12回大会が東京で開催され、大勢の外国人が来日していたら、その後の日本の針路も変わっていたかもしれない、という声が多く寄せられたのだ、という。

そういう夢を見たい気がしないでもない。。
選手たちの活躍は、このために急遽全国に設立されたアンテナ網を通じてテレビ中継され、人々は街頭テレビの前で固唾を飲んでいたかもしれない。軍も抜き差しならなくなった大陸進出に見切りをつけ、その様子をみた米英も日本との対立を見直し・と。

現実には日本は大会を返上したが、仮に開催を強行したとしても、特に欧州勢が参加をボイコットする可能性はあったし、詳細は省略したが国連非承認の満州国の参加是非という問題も避けることができた。その意味では現実的な決断だったのかもしれない。


感想ですが、読む前は(大会返上は)もしや国民世論が強く影響しているのかしら、と思っていましたが、やはり軍の影響が一番大きかったのか、ということを確認しました。世論沸騰するには既に戦時体制が進んでいすぎたようです。

もう一つの感想は、今回の東京2020開催について、春ごろから開催中止論が強く叫ばれていましたが、そういう声を聞くたびに思い出していたのが、この1940東京大会の開催返上という史実です。
ありていにいえば、開催中止となれば80年前の歴史が繰り返される気がして、その後の歴史の事を想い怖く感じたのです。

今回は開催返上が歴史的にどのような意義を持ったかを学びました。
2020大会の開催は今後の歴史においてどのような意義を持つのか、見守っていきたいと思います。
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東京震災記

2021年07月31日 | 本と雑誌

田山花袋 河出文庫2011 初版は1924年 博文館


ここ数日なんなのか(暑気あたり?)調子悪くて、出社時間を遅らせたりしてしのぎました。二回目の接種したあとの状態と似ているから、またぶり返したかと思いましたが、ネットを見るとあまりそういう人はいないらしい。よくわからんが、だいたいいつも具合が悪くても自覚症状が綺麗に出ない人なので。

水曜日にうなぎくって、すたみなつけたつもりなんだけどな。
これはちがう、かば焼きクロワッサンです。まあパイみたいな食感の食べ物でしたが、微妙にうな丼のたれっぽい味がしなくもなかったです。

話は戻りますが、ワクチン副反応、職場では軒並みこれにやられていまして、木曜日には私も不調だったので、仕方なく会議をキャンセルしました。ワクチン、思ったより結構大変。。



前置きが長すぎました。

『蒲団』『田舎教師』などの作品を残した田山花袋が、関東大震災の様子を記した随筆的な文章です。ぜんたいは50余りの小文で構成されていて、今風にいえば、誰かのブログをまとめ読みするような感じです。

田山花袋は震災当時代々木に住んでいたようです。だいたい今の僕と同じくらいの年配だったようだ。家の中は家具や本などが散乱したが、家族、親族は無事だったようだ。

代々木は、当時は東京市の郊外に相当したのでしょう。当時の市街地は浅草、両国、上野、神田あたりで、新橋から銀座にかけては東京の玄関口として、明治以降新たに整備され、更に東京駅を開業させて丸の内地区の整備が始まったところ。丸ビルは完成したばかりだったようです。
新宿は今日のような繁華街ではもちろんないのですが、省線や市街電車、バス、郊外電車(京王線)などの交通が既に整備されつつあったようです。ちなみに小田急線や西武線はまだないです。

花袋は明治中頃から東京で暮らしてきたので、その変貌していった様子をあれこれ思い起こしながら、被災した街を訪ね歩いています。

かつては「江戸」の色彩を強く残していた街が次第に「東京」となっていったと述懐し、この震災から復興することで名実ともに「東京」となるのだろう、と(いう意味の事を)書いています。

徳川夢声日記や高見順の日記などにも、戦中から終戦にかけての東京が描かれていますが、それよりも20年余り前の東京を描写した記述として、これは興味深いです。
銀座通りのこととかも、これまで意識したことはなかったです。たしかに新橋から日本橋まで、まっすぐの道が通っているけど、あれは外国人が横浜から汽車に乗って新橋(汐留)について、最初に東京の街に触れる通りだったのですね。。花袋はしかし、当初は西洋の物まね風の貧相な建物が並んでいるみすぼらしい街並みであった、と記述しています。

御茶ノ水付近の鉄道も被災したようです。もう15年も前ですが、やはり台風でしばらく不通になりましたね。。
火事のこと、食料のこと、そして歴史に酷い傷跡をのこした朝鮮人虐殺のことなどにも触れています。知人が自警団に(『鮮人』に)間違えられ、悶着を起こした話などを紹介しています。甘粕事件について花袋は大杉栄にあまり同情はしていない。花袋はこうした世情の険悪化には比較的淡泊です。

というより、震災から1年余りで書かれた印象記なので、あまり詳しい情報は入っていなかったのでしょう。

被服廠のことも、克明に描写する形はとっていません。
これについて、本書解説の中で石井光太氏は花袋が「・その光景を意味づけることができないからではないか。現場を知らない人間は、起きた物事に意味や理屈を求める。・・だが、現実を見た人間は、物事に意味や理屈を付与する無意味さを嫌というほどわかっている。・・(黒こげの死体に)意味や理屈を求められても応えられるわけがないのだ。」と書いています。

大正の末に東京を襲ったこの未曽有の災害は、その後の日本に様々な影響を及ぼします。都市の復興は東京にあっては郊外への市域拡大をもたらし、交通網も整備されて今日の首都圏を形作ります。社会全体としては不穏な空気が強くなり、やがて大戦で一度は復興した東京も再び焼け野原になってしまう。。

ちょっと驚いたのは、花袋がこのことを予言するような記述を、本書の後段で述べていることです。

花袋は友人と遷都の話をしていて、そうなるといずれ東京がさびれた街になるかもしれない、と語り合います。

「しかし、そういう時代が来るかもしれませんよ。来ないとは決して言えませんね」
こういったBは深い眼色をした。

「それはないとも言えんね」
私もこう言ったが、二人の頭には、期せずして、外からやってくる敵のことが浮かんできた。海からやって来る強敵は、この都ではとても完全に防げそうには思えなかった。

「そうだってね?飛行機でもやってくる段になると、とてもこの地震の比ではないそうだね?この東京などは、一度で滅茶滅茶になってしまうってね?」

花袋は(空襲が)「ロンドンやパリさえあのような驚愕を来した・・」と書いていて、改めて調べたら、第一次大戦でも飛行船団による空襲は行われていたようです。以前何かで読んだのは、一次大戦中飛行機は偵察などの任務に使われ、敵機に遭遇しても互いにあいさつを交わし、などとあったのですが、そんなことはなかったか。。

ほぼ100年前の東京とその世相、とても興味深いです。

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夏の災厄

2021年07月12日 | 本と雑誌
篠田節子 角川文庫(Kindle版)2015.2 
初版は毎日新聞社1995.3 

昨年、よく拝見させていただいているブログで紹介されていて、気になっていた一冊。篠田節子さんの小説を読むのは初めて。

首都圏近郊の平凡な街に突如発生した感染症流行に、市の保健センターの職員たちは時に戸惑い、時に組織や医療の壁に憤りながら戦いを挑む、という物語。昨年、拡大しつつあるコロナ禍のなかで、カミュ「ペスト」と共に注目を浴びた作品です。

篠田さんは小説家になる前は市役所の職員を長年務めてきたそうで、そうした経験がこの作品の視点として有効に使われているようで、その辺がとても興味深いです。

そう、考えてみると、天下国家を憂うとか、生き馬の目を抜くビジネス界とか、そういう視点のドラマは結構見かけますが、地方自治体もの、医療ものはいままで経験ないかな。
「推定無罪」は地方ものだったけどあれは刑事もの(殺人事件解決系)。
検屍官スカーペッタシリーズ(あれ懐かしいな・。意外とねマリーノ好きなんですよ。誰だっけあの色男・あと姪御さんとか)も刑事ものですね。

登場人物の描写はよく考えられていて、若くて事なかれ主義(だが、時にはそれなりに正義感を発揮する)な市職員小西、経験豊富で肝の座った看護師の堂元房江、左翼がかった医師梶川、ほかにも小西の上司や保健センターの事務員、製薬会社の営業など、多くの登場人物がよく動いている。
梶川氏のような、市民運動家的な人というのは、地方自治レベルではけっこう存在感があるのでしょうね。。

小西たちは目の前で起こっていること(多数の住民たちが急に高熱を発して倒れて死亡、存命でも人事不省になる)と、それに対する自治体や医療界の見解と対処法に疑念と反感を感じながら、原因究明と対応を考えていくのだが、色々考察を重ねながらも、真相にはなかなかたどり着けない。

話は飛んで、私事で恐縮ですが、僕はふだん本を3冊ぐらい同時に読んでいます(平日出社しているときなど)。朝の電車では例えば歴史考察もの(先週書いた「満鉄全史」など)、昼休みは法律関係とか、またちがうやつ。
今回の「夏の災厄」は、もっぱら帰りの電車で読むことにしてました(前にも書きましたが遅読家です)。そのうえ道中半分ぐらい寝てたりするので、結構読むのに時間がかかります。

それで、毎日ちびっとずつこの「夏の災厄」を読んでいると、なんだか連続もののテレビドラマを見ているような気分になってくるんですね。

というのも、後半主人公たちが「真相はこれだ!」と色々試すのですが、やってみると空振りだったとか、壁にぶつかったとかになって、ストーリーがまた戻ってしまう、を繰り返すのです。
そこだけ一話完結、だけど登場人物の説明は最初にされているというのが、なんだかテレビドラマっぽい。裏を返せばストーリーの流れが悪く、すこし色々なものを詰めすぎている感じがしないでもありません。というか、クライマックスがない、あるいは弱いのかな。。

小説冒頭に物語の舞台となる埼玉県昭川市(架空の地名)の市勢と地形図が掲げられています。面積、人口、市の標語のようなものまで設定されていて、ちょっと驚きます。。

おそらく青梅市、飯能市辺りがモチーフなのかな。。
今日的な目で見ると、面積のわりに人口が少なすぎる感じもするし、かなり都心から離れている(池袋まで特急で43分。これは現実世界の飯能市とほぼ符合する)気もします。現実の飯能市は西側がほとんど山岳地帯ですが、昭川市は南側にもう一本鉄道が通っていて、飯能よりは市内全体が宅地化できる環境にあるみたいです。
それにしても広い街です。

携帯電話がなくて、ネットの普及もほとんど進んでいないように見える辺りも時代が感じられますが、他の部分はそれほど古い感じがしません。とはいえ、ちょっと平成レトロ的な懐かしさを感じるのですよね。。物語の同時代に、自分がどこで何をしていたのかが、ふつふつ浮かんでくる(おそらく平成の初期)。

パンデミック終息は現実世界同様に難航して、またぶり返したり、市民が規制に不満を持ったりと、この辺は相当今の様子を予言しています。。そこらへんはネタバレになってしまうのであまり触れませんが、現実の世界でもこの物語のエンディングのように、早く平静になってほしいものです。。

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満鉄全史

2021年07月04日 | 本と雑誌
加藤聖文 講談社(学術文庫版2019 今回はkindleにて購入。オリジナルは2006年刊行)

日露戦争後、ロシアが建設した東清鉄道の支線を譲り受け、日本の大陸進出の足掛かりとして特異な役割を担った南満洲鉄道の歴史を辿った本。

白状すると、読み進めるまでは本書を鉄道史あるいは経営史的なものかと思っていました。たとえば「近鉄全史」とかだったら、橿原線か奈良線あたりから始まって周辺の鉄道を吸収して東を目指し・・などと、ちょっとした戦国武将的な話になっていきますが、とうぜん満鉄はスケールも複雑さもまったく違います。

満鉄は「陽に鉄道会社の仮面を装い、陰に百般の施設を実行する」、実質的な国家機関としての役割を担っていた。その源流としてはイギリス東インド会社があったとされている。・・などと書いているが、正直なところこの辺は僕の歴史知識に限界があり、なぜこのような形態をとることになったのか、よくわからないところがある。。

国策に翻弄された株式会社というと、いきさつとかは抜きにすると日本郵便とか、東京電力とかでしょうか。少し前に話題になった東芝とかもそうですが、国が関与すると民間企業もなかなか難しくなってきます(その反対がGAFAとかになるのかな。。)。
小さい会社だってやってくのは大変だけど、満鉄も意見をまとめて方向性を定め、利益を上げていくのは容易なことではなかったらしい。

戦時中には関東軍にも睨まれ、そのうえソ連参戦後は関東軍は満鉄社員を含む在満邦人の保護を放棄するようなこともあったようです。が、鉄道関係者は輸送に不可欠ということで現地に留用され、軍人と異なりシベリア抑留にも遭わずに平和裏に引き揚げとなった(一部例外あり)とのこと。

もう少し周辺の近代史を読み返して(新たに勉強して)から改めて読み返したほうがよさそうだ。。という訳で、いくつか追加でまた本を買ってしまった。。だいたい、昭和に入って満州国が建国されたあたりのことはうっすらと・・いや、知ったかぶりはできないっすね。。
 とにかく、明治以後の日本って、西欧諸国と国交を持つことで、泥縄式に周辺諸国との関係性を再定義しているうちに、どんどん抜き差しならない状態に陥ってしまった感が強いです。それを無定見で場当たり的と、言うのは簡単ですが、その前に事実をしらないと話になりませんね。。
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色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年*

2021年05月13日 | 本と雑誌
村上春樹 文藝春秋 2013年

再読。前回読んだのは13年4月の刊行時。

村上作品の中で、本作品はあまり印象に残ってはいなかった。ずっと再読しなかったのもそのためだが、今回読んでみて気がついたことがある。
ひじょうにバランスの良い、洗練された構成、練り上げられた、読みやすい文章、適度にちりばめられた村上テイスト、どこをとってもとてもレベルが高い(などと僕が言うのもなんなんですが)。
それゆえか、あまりにもすっと読み切ってしまい、再読する気になれなかったのかもしれない。

長編の例えば「ねじまき鳥クロニクル」などは、部分的にはとっつきが悪くゴツゴツした?読み味で、なにか非常に危ういところで何とかバランスが保たれているような座りの悪さを感じる。そのせいか、一度読んでも消化した気分になれず、何度も反芻して読んでしまう。ねじまき鳥は5-6回、もっとかな。最新の長編「騎士団長殺し」も、たしか3回だか読んでいる。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はたぶん10回ではきかない。

本作品は(初版ハードカバーのもので)370ページの中編だが、この位の長さのものだと村上氏はとても上手い。「国境の南、太陽の西」なんかもこの部類だ。「海辺のカフカ」はちょっと異質かな。
これらの中編はいずれもほとんど再読してない。。考えてみれば。。

つくる君のメンタルの壊れ方とその回復過程は、いかにも村上作品的で必ずしも共感できないけど、心の奥底に固い古傷を抱えた姿は共感できる。
多感な高校生から、少し大人の世界に入りかけた二十歳前後にかけての不安定な時期と、そこで受けた傷の深さ。
なんかつい、自分の経験に照らして、思いにふけってしまいたくなる。。

巡礼の旅を始めるのが、ある程度社会にも根を張り、その一方でまだこれから家庭を築き生活を固めていく前の、30代半ば、というのもいい。未熟な自我がもたらす不安定さは消え、目の前の可能性はたっぷり残っているという、(今の自分が見れば)とてもいい時代だ。
つくる君は、彼の人生の次の段階に足を踏み出すために、過去の自分と向き合おうとする。

男の友達(アオ、アカ)との再会もそれぞれに印象深いが、女友達(クロ=エリ)との会話は特に味わい深い。

ただ、エリは、この年齢にしてはずいぶんと大人の女性だな、と思った。
確かに旧友のことで散々苦労して、その中で自分の可能性を見出して運命の出会いをし、はるか北欧の地で新しい生活をはじめる、という、とても前向きで行動力のある人ではあるけど。

素敵な話ではあるけど、でも幼い子を抱えた、この世代の女性が、少女時代に憧れた男友達に久しぶりに再会したら、ほとんどのばあい、これとは違う展開になるのではないか。

そこまで考えてみると、つくる君の仲間たちで一番興味深いのは、アカかな、という気もする。この二人の出会いは、つくる君だけではなくアカの心も溶かしてくれたのだろうな。

しまったもうこんな時間。今週はとても忙しくてね。明日、ちょっとたいへんかも。

*5月14日、タイトル訂正しました。田崎→多崎
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なんどめか

2021年04月14日 | 本と雑誌
たぶん20回までは行かないが、10回以上だとは思う。村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を再読した。

いまさら感想も書けないが、今回は主人公たちの飲食の描写が妙に気になった。飲酒運転は我々の住む社会においては厳禁だが、『私』の住む世界では問題とされないらしい。

博士の仕事から帰った後、買い出しに車で出かけてレストランに入り、ビールとサラダを注文している。最後のところでも地下から出て娘と別れた後、銀座ライオンでビールを飲んでから新宿に行き、レンタカーを借りている。翌日、図書館の女の子と日比谷公園で輸入ビール6缶を二人で開け、そのあと車で晴海ふ頭まで行っている。銘柄まで書かれているから、ノンアルコール・ビールという解釈はできない*。

いわゆる”フォルクスワーゲン(ビートル)にラジエターがある世界”、なのだろう。

私も彼女も、ビールを飲んで酔ったようなそぶりは全く見せない。料理に関する独特な描写を含め、村上氏個人が生な姿で作品に表現されている部分のように思える(きっとお酒も強いのだろう)。
『私』は料理にかなり強いこだわりを持つが、これは『私』の性格を効果的に際立たせている。村上作品の男たちはよく料理を作るが、『私』はいちばん成功している方じゃないかな。天吾くんとかになると、なんかちょっと鼻につくんだよね(個人の感想です)。

僕らはこの並行世界を、あるていど自分たちの住む現世に近いものとして受け止めることができるが、もう今の若い子たちは、ある程度フィルターを通した現実、もっとはっきりいえば昔の日本、という想像のもとに読むことになるんだろうな(カセットテープや、車の名前など、明らかに1980年代前半の東京を前提とした描写になっている)。

「ノルウェイの森」とかも、昔の日本が舞台だが、あれは作者が自分たちと同じ時代から回想している、と思える点でまたちがう。むしろ、僕が若いころに、安倍公房の作品を読んだ時の感覚に近いのかもしれない(「他人の顔」、「燃え尽きた地図」、「箱男」、「密会」などは、”現代”という作者の視点が強く感じられる。が、そこで示される"現代”は、1950年代~70年代ごろの日本だ)。
本作品も、「ハードボイルド」のほうは、読み手が今いるこの世界、という視点がかんじられる。が、ディティールの書き込みが詳しい分、読み手が時代の経過を意識せざるをえなくなる部分もある。

「影」と「ぼく」の関係とか、そういう話はいろいろ考えたりはするんだけど、ここで文章にできるほど考えはまとまらないな。

(*追記:ドライブスルーのハンバーガー屋でビールを注文して断られる、という描写があったなそういえば。だからこの世界でも、飲酒運転はだめなのだ)。
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