60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

言葉を使わない思考

2007-04-14 23:08:45 | 文字を読む

 図はT.ノーレットランダージュ「ユーザーイリュージョン」から。
 デンマークの学者、フリーベルィとローランドの研究で、異なるタイプの思考をしているときの脳血流を調べたものです。
 一番左は50から順に3を引いていく暗算をしたとき、真ん中はデンマークでは誰でも知っている押韻詩句を一語おきに思い出すとき、さいごは被験者の家の玄関を出て、差し掛かる十字路を交互に曲がっていくところを想像するものです。

 どの作業もひとつの段階から次の段階へ進むという作業で、自分が今どの段階まで作業を進めているかを意識しながら作業をしているので、単純な反応でなく、記憶力と思考力が同時に要求されます。
 この中では計算より言葉の使用のほうが脳に流れる血流量が多く、さらに道筋のイメージ化のほうが血流量が多くなっています。

 これだけでもって作業によって使われる脳の場所や、血流量がわかるとはいえません。
 人によって得意不得意があったり、与えられた課題が計算作業、言語作業、イメージ作業全体を代表するものかどうかわからないからです。
 個人差というものがあって、それは能力差だけでなく経験の違いにもよるので、よほど大勢の人間について調べないと、偏った結果しか得られていない可能性があるのです。

 とりあえずこの結果からうかがえるのは、イメージ化作業が意外に多く脳を使っているということです。
 よく単純計算や音読が脳を活性化するので、ボケ防止には単純計算や音読がよいとされるのですが、脳血流を盛んにすることが目的なら、イメージ化作業のほうが有効なのかもしれないのです。
 思考といえば言葉を使うと普通は考えられていますが、イメージ操作のようななものも血流量の大きさからすれば、別のタイプの思考と考えられます。
 計算にしても、言語活動の一部と見られるかもしれませんが、言葉を使わない動物でも数を覚えているようですから、言葉とは違った思考の可能性もあるのです。

 人間の脳が特別大きくなった原因として、言葉の使用が最大の原因とする説がありますが、上の結果からすれば疑問です。
 さらにいえば、言葉を使うということがイメージ化作業などと独立なものかどうかも疑問です。
 人間だけが音声言語を使っているからといって、人間だけが思考力を持っていると言うわけにはいかないのです。


拾い読み

2007-04-10 22:48:32 | 文字を読む

 日本語の漢字かな混じり文は、意味の部分は主として漢字で表記されているので、漢字の部分を拾い読みすれば速く読めるという説もあります。
 ところが実際にひらがなの部分を隠してしまうと、図のように意味はなかなか読み取れません。
 図の下が元の文ですが、カナを伏せた文章を読んでいたのでは元の文章の意味をつかむことが難しいことがよくわかります。
 一所懸命意味を読み取ろうとして推理をすればわかるかもしれませんが、そんなことをするより始めから飛ばさないで読んだほうが速く正確です。
 
 とはいっても、実際にいわゆる飛ばし読み、あるいは拾い読みをしようとした場合、漢字だけを読むということはできません。
 漢字やカタカナの部分に目を向ければ、そばにあるヒラガナは一緒に目に入ってしまいます。
 漢字だけを拾っていったつもりでも、ほとんどカナも目に入ってしまうのですから、拾い読みしたことにはなりません。
 拾い読みをするとすれば、注意を引く単語あるいは関心のある単語を拾い出してその周辺を読むということでしょう。
 漢字かな混じり文は、漢字が目立つので興味のある部分とか重要と思われる部分を探索しやすく、探索した単語の部分を読めば役に立つと期待できます。
 文章を通読しようとするのであれば、どこが重要なのかはあらかじめわかりませんから、拾い読みをしたのでは誤解することもあります。
 拾い読みの目的は関心のある部分を見つけて読むということなので、カナの部分を伏せて意味がとりにくいから拾い読みはダメというのは見当違いなのです。

 ところがニュース記事などの場合は、カナの部分を伏せても楽に意味がわかるという場合があります。
「11日■行■■■安倍首相■中国■温家宝首相■■■首脳会談■、羽田―上海・虹橋空港間■国際チャーター便■実現■共同文書■明記■■■見通■■■。」という文はこれだけ見ただけで意味はだいたいわかります。
元の文は「11日に行われる安倍首相と中国の温家宝首相による首脳会談で、羽田―上海・虹橋空港間の国際チャーター便の実現が共同文書に明記される見通しとなった。」なので、カナを伏せて読んでも意味が理解できたことが確認できます。
 ニュース文は固有名詞が多い関係で漢字の使用率が高く、文章が直線的なので漢字部分だけ示されても意味が理解しやすいのです。
 漢字だけ見ていけば意味がわかるというような説は、新聞などのニュース記事を読んでから思いついた説かもしれません。


つかみ読みとチャンキング

2007-04-09 23:38:33 | 文字を読む

 日本語の漢字かな混じり文は「つかみ読み」がしやすいといいます。
 文字をひとつづつ読むのではなく、意味のまとまりを持ついくつかの文字を一目で、ひとつかみにして読むことができるというのです。
 英語のように単語ごとに分かち書きがしてないのですが、漢字が区切りの役割を果たしていて、意味のまとまりが簡単につかめます。
 図の例で言えば「大金持ちになればお世辞をいい、」という文はカナ分かち書文にすれば「おおがねもち に なれば おせじ を いい、」となるのですが、「大金持に/なれば/お世辞を/言い、」という風につかんだほうが読みやすくなります。
 さらに「大金持になれば/お世辞を言い、」という風につかんだほうが意味が頭に入りやすくなります。

 分かち書きというのは、単に単語を離して書いているだけなので、意味の構造はわかりにくいのですが、つかみ読みの場合は([(大金持に)(なれば)][(お世辞を)(言い)])というように、入れ子構造を見て取れるので、全体的な意味がわかりやすくなります。
 もちろん、漢字かな混じり文でなくても、英語の場合でもつかみ読みは可能なのですが、漢字かな混じり文のほうがつかみ読みはしやすい感じがします。

 漢字はもともと一文字が単語だったこともあり、文字を組み合わせて作った多文字単語は意味の構造を示しているような形になっています。
 「惑星探査計画」なら([(惑星)(探査)](計画))、「臨時教育制度審議会」なら((臨時){[(教育制度)(審議)](会)})というように、入れ子構造となっているのが見て取れるので、意味がわかります。
 このような見方が習慣化すればもともと日本語だった「みやこ(都)」を「宮(みや)処(こ)」と当て字をして宮殿のある処と理解させようとしたり、「まぶた(瞼)」を「目蓋」と当て字をしたりするようになります。

 わざわざ漢字を当てたり、長たらしい多文字語を作ったりするのは、漢字信仰のせいで意味がないと考えられがちですが、そうとばかりいえません。
 文字面を見て意味がわかるという効用があるだけでなく、入れ子構造を見てとる能力をつける意義もあります。
 複雑な意味の構造を一目で見て把握する、あるいはいくつかの意味の文字を人まとまりのものとして同時に見て理解する習慣ができるのです。
 多文字の単語をつかみ読みできるようになれば、漢字かな混じり文の文章のつかみ読みにも応用が利くのです。


刺激に対する反応時間

2007-04-08 23:19:43 | 文字を読む

 リベットという神経科学者の実験で、人が手を動かそうと意識する前に、脳が活動し始めることがわかっています。
 行動を起こそうと意識するより約0.5秒前に準備電位と呼ばれる脳の神経活動が始まり、実際の動きはそのあと少し遅れて起こるというのです。
 人間が意識して何かをしようとしたとき、すでに体は動き出しているということですから、体の動きは意識的な意志に従っているのではないということになります。

 といってもこれは人間に自由意志がないということではありません。
 人間の意志が意識されるのは意思が実行された後になっているということです。
 「悲しいから涙が出るのではなく、涙が出るから悲しいのだ」という言い方がありますが、これは単にひねくれた言い回しではなく、悲しいという意識する前に涙が出ているということです。
 野球などで、絶好球が来たと意識したとき打ち損じているのは、意識したときには体が動いてしまっていて、適切な対応ができないからでしょう。
 どんなスポーツも意識をして動いていたのではうまくいかないので、自動的に適切な動きができるように反復練習を沢山しているのです。
 そうすると「運動選手は脳が優れている」という説は怪しいもので、「脳が優れている運動選手がいる」ということに過ぎないのです。
 運動能力が優れた脳の証明なら、ニホンザルなどは人間よりよほど脳が優れていることになります。

 人間はいつも意識して行動するわけではないということは、光に対する反応時間を見るとわかります。
 右の図のように、光を見てボタンを押すまでの時間は約0.2秒ですから、意識してボタンを押しているのではないことがわかります。
 意識してボタンを押しているのなら、0.5秒前に体が反応しているということですから、少なくとも光を見て0.5秒後にしかボタンを押す意識は発生しないからです。
 光を見てから単にボタンを押すとか、声を出すとかいう作業は、意識しなくても行動できるので、0.5秒以内で反応できるのです。

 ところが文字の音読ということになると意識しなければならないので、かな一文字の場合でも発声まで0.5秒ほどかかるのです。
 漢字であれば0.6秒となりますが、これは漢字にもよりけりですが、いずれにせよ意識的な作業になると反応は遅れるのです。
  


目の動きと文字の処理時間

2007-04-07 23:39:37 | 文字を読む

 文章を読むとき、子供とか日本語を習いたての外国人でもなければ、一文字づつ読んでいくということはありません。
 いくつかの文字をひとかたまりのものとして捉え、意味を理解していきます。
 図のように視線は文字を跳び越えながらすすみ、跳んだ後停留して意味を捉え、さらに先に跳ぶということを繰り返すのです。
 この場合、視線が留まる点を停留点、視線が次の停留点に跳ぶ動きをサッカードといいますが、サッカードの時間は百分の一秒から二十分の一秒で、平均的には四十分の一秒程度だそうです。
 
 これに対して視線が停留点にとどまっている時間は、四分の一秒以上で、脳が文字の意味処理をしている時間です。
 したがって、文章を読んでいるとき使われる時間は、ほとんどが意味処理に使われ、視線を動かすのに使われる時間はわずかです。
 そこで、停留点を少なくして同時に停留時間を少なくすれば、文章を読むスピードが上がると考えたのが速読の始まりのようです。

 停留点を少なくするというのは、一度に処理する文字数を多くすることで、当然文字数が少ない場合より時間が掛かります。
 文字の意味処理の時間が増えるということは停留時間が長くなるわけで、あちらを立てればこちらが立たないというような関係のように見えます。
 実際は同じ時間で一度に処理する文字数を増やすことはある程度で来ますし、同じ文字数を速く処理することもある程度まではできます。

 ところが文字の意味処理時間というのには壁があります。
 文字を見てから、脳が意味処理を開始するまでに、最低でも四十分の一秒ほどはかかるそうです。
 

 視線がひとつの停留点に到達してから、四十分の一秒たたないうちに次の停留点に跳べば、前の停留点では意味処理が開始されていないのに視線が動いているということになります。
 従って瞬間的に意味処理をするにしても、ひとつの停留点では少なくても四十分の一秒は停留する必要があるということになります。

 さらに文字が見えたと意識されてから、すぐに消されて別の刺激に置き換えられると文字は認識できません。
 たとえば図の下のように、文字を提示して百分の一秒提示して消しても文字は認識できます。
 しかし消した後、無意味図形をその後に置き換えると前の文字は認識できなくなります。
 総合すると計算上は、一秒間に少なくとも三回は、視点の移動が行われるということになります。


音読と黙読の読みの速さ

2007-04-03 23:05:22 | 文字を読む

 日本語ではすべてカナで書かれた文章よりも、漢字かな混じり文のほうが読みやすいだけでなく速く読めます。
 ところが、漢字かな混じり文のほうが速く読めるというのは黙読の場合であって、音読の場合は差がないそうです。
 御領謙「読むということ」によると、文章でなく単語だけを読む場合は、逆にカナよりも漢字のほうが処理時間が長くなるそうです。
 単語を見せて音読させた場合、カナよりも漢字の場合のほうが発生までに時間が掛かるのです。
 文章を読むときは、漢字かな混じり文のほうが速く意味がつかめるのに、音読しようとするときは漢字の部分の処理が遅いため、音読速度は同じになってしまうというのです。
 
 上の図のように、一文字の漢字で読みが一拍のもの、二拍、三拍、四拍のものをそれぞれ、ひらがなで表記したもの、ひらがな表記の一部を変えて無意味にしたものを読ませて、漢字を読んだ場合と比較すると、漢字を読む場合のほうが処理が遅くなっています。
 ひらがなの読みの一部を入れ替えて、無意味語にした場合で三拍を超えた場合は漢字のほうが速く処理できていますが、有意味のときはひらがなのほうが早く処理できているのです。

 音読のとき漢字よりカナのほうが速いのは、本来カナは音声を表す記号だからです。
 カナを見れば自動的に音声化し、音の組み合わせから意味を把握するようになっているので、音声化は意味の把握に先行するのです。
 漢字の場合は逆に意味を表しているので、意味を把握した後で音声化が行われるので、音読の場合は漢字のほうが遅れるのです。
 瞬間的に漢字を提示した場合、千分の一秒程度の表示でも漢字を認識できるといいますが、千分の一秒後に音読できるということではありません。
 音読は約0.5秒後からで、カナは0.4秒後でカナのほうが速く音読できるのです。

 カナのほうが速く音読できるといっても、単語が漢字一字語とか二字語の場合のことで、四字以上になればこのような差はなくなってくるでしょう。
 たとえば「空前絶後」とか「経済財政諮問会議」、「科学技術教育強化政策」などという語を「くうぜんぜつご」、「けいざいざいせいしもんかいぎ」、「かがくぎじゅつきょういくきょうかせいさく」などと表記した場合はカナのほうが速く読めるとは限りません(個人差はありますが)。
 漢字の字数の多い語の場合は、読みも長くなってくるので、いくつかの意味のかたまりに分けて全体の意味を理解することが必要になるのです。


漢字熟語のチャンキング

2007-04-02 23:15:39 | 文字を読む

 「杜子春は一日の内に、洛陽の都でも唯一人という大金持ちになりました」というような文章を読むとき、「杜子春は 一日の 内に、 洛陽の都でも 唯一人という 大金持ちに なりました」というように漢字を中心にして意味のまとまりを捉えて読むと理解がしやすくなります。
 漢字かな混じり文では意味を担う部分が漢字で表されているので、漢字を中心とした文字列が意味のまとまりとして自然に目に入るためです。
 
 ところが漢字には熟語というものがあり、いくつかの漢字が集まって一つの意味を表していますが、全体をいくつかの意味のまとまりに分けて捉えないと意味が理解しにくいものです。
 「協力」は力をあわせる、「市民」は都市の住民というふうに二つの漢字に分けてそれぞれの意味を合わせてひとつの言葉として理解できます。
 「国家」のように分けるとかえってわからなくなったり、「真偽」のように単に並列させている場合もありますが、二次熟語でも多くは二つの語の意味から新しい意味を作っています。

 三字以上の熟語になると意味のかたまりを作るのは熟語によって異なるので、羽化たまりの捉え方を間違えると意味がわからなくなります。
 三字熟語の「社会学」は「社会 学」、「運動場」は「運動 場」ですが、「無差別」は「無差  別」ではなく「無 差別」、「高感度」は「高感 度」ではなく「高 感度」です。
 四字熟語では「問題意識」は「問題 意識」のように二字ずつに分けられる例が多いのですが、「一衣帯水」、「核家族化」はそれぞれ「一 衣帯 水」、「核 家族 化」で、二字ごとに区切っては意味がわからなくなります。

 五字ぐらいまではだいたい二つに分けられるので、一瞥しただけで意味がすぐ理解できるのですが、六字以上になると三つ以上のかたまりに分けられるので、見慣れた言葉でない限り意味が即座にはつかみにくくなります。
 「健康保険組合」とか「東名高速道路」などは比較的見慣れているのでわかりやすいのですが、「偽計風説流布」とか「専門介護福祉士」、「原発臨界事故隠蔽」、「衆院憲法調査委員会」、「資金管理団体事務所」などと、あまり見慣れない上に文字数の多いものは、ぱっと見ただけでは頭の中に入りません。
 
 漢字は一文字づつが意味を持っているので、短い簡潔な表現で複雑な意味を伝えることができるのですが、6字以上の文字列になってくると瞬間的には意味が理解しにくくなります。
 役所の部署の名前などは、以前から長たらしい名前でわかりにくかったのですが、最近は政府の諮問会議などでわかりにくい内容でわかりにくく長い名前のものが新しく増えています。
 漢字を減らしたはずなのに新聞が読みずらいのは、やたらに長い役所や団体、会議の名前がでてくるうえに、意味のわからない長いカタカナ語が出てくるからです。


読みとチャンキング

2007-04-01 23:19:45 | 文字を読む
 「4756892183」というような文字列を読んでから、数字を見ないですべてを復唱するのは困難です。
 ところが「475 689 2183」と区切ってあれば、読み方も区切って読むので記憶しやすく、復唱もしやすくなります。
 心理学では短期的に記憶できるのは7つ前後としていて、「4756892183」は10個の数字ですが区切りを入れて三つのかたまり(チャンク)にすれば、覚えられるといいます。
 
 文字列で「KHNMBIOPNASUASIV」というような場合は、14文字ありますからとても覚えられません。
 しかし「KH,NM,BI,OP,NA,SU,AS,IV」と2文字づつに切れば7個の文字列となりますがやはり覚えにくいでしょう。
 同じ7個の文字列でも「K,F,D,H,J,C,X」なら覚えられるのですから、二つづつにまとめてもKHとかNMといった無意味な文字列はなじみがないので覚えにくいのです。
 区切り方を変えて「KHN,MBI,OPN,ASU,ASIV」として逆から読めば「VISA,USA,NPO,NHK」となるので簡単に覚えられます。
 意味があって4つぐらいのかたまりになれば楽に覚えられるのです。
 
 意味のあるかたまりに分けて(チャンキング)見れば、頭に入りやすいというのは、文章を読む場合も同じです。
 図の例では一番上の場合は、区切りがないので少し読みにくくなっていますが、漢字かな混じり文の場合は、漢字が区切りの役割を果たしているので何とか読めます。
 二番目の場合は区切りと句読点があるのでさらに読みやすくはなっていますが、区切りが細かすぎてかえって読みづらい部分があります。
 三番目の場合ぐらいの区切りであれば、区切られた部分がそれぞれ意味のまとまりを持つので読みやすくなります。
 実際の文章では句読点だけがあって、空白の区切りはないので、意味のまとまりによる区切りは読む側が判断してつけなければなりません。
 
 意味のまとまりに分けて見るためには、文章の文字を頭から一文字づつ読み取っていったのではなかなかうまくいきません。
 ひとつの文全体か、少なくても句読点で区切られた区間全体を見て判断する必要があります。
 そのためには視幅を広げて、一行の一度に目に入る文字数をある程度多くしておかなければなりません。