60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

目の動きと文字の処理時間

2007-04-07 23:39:37 | 文字を読む

 文章を読むとき、子供とか日本語を習いたての外国人でもなければ、一文字づつ読んでいくということはありません。
 いくつかの文字をひとかたまりのものとして捉え、意味を理解していきます。
 図のように視線は文字を跳び越えながらすすみ、跳んだ後停留して意味を捉え、さらに先に跳ぶということを繰り返すのです。
 この場合、視線が留まる点を停留点、視線が次の停留点に跳ぶ動きをサッカードといいますが、サッカードの時間は百分の一秒から二十分の一秒で、平均的には四十分の一秒程度だそうです。
 
 これに対して視線が停留点にとどまっている時間は、四分の一秒以上で、脳が文字の意味処理をしている時間です。
 したがって、文章を読んでいるとき使われる時間は、ほとんどが意味処理に使われ、視線を動かすのに使われる時間はわずかです。
 そこで、停留点を少なくして同時に停留時間を少なくすれば、文章を読むスピードが上がると考えたのが速読の始まりのようです。

 停留点を少なくするというのは、一度に処理する文字数を多くすることで、当然文字数が少ない場合より時間が掛かります。
 文字の意味処理の時間が増えるということは停留時間が長くなるわけで、あちらを立てればこちらが立たないというような関係のように見えます。
 実際は同じ時間で一度に処理する文字数を増やすことはある程度で来ますし、同じ文字数を速く処理することもある程度まではできます。

 ところが文字の意味処理時間というのには壁があります。
 文字を見てから、脳が意味処理を開始するまでに、最低でも四十分の一秒ほどはかかるそうです。
 

 視線がひとつの停留点に到達してから、四十分の一秒たたないうちに次の停留点に跳べば、前の停留点では意味処理が開始されていないのに視線が動いているということになります。
 従って瞬間的に意味処理をするにしても、ひとつの停留点では少なくても四十分の一秒は停留する必要があるということになります。

 さらに文字が見えたと意識されてから、すぐに消されて別の刺激に置き換えられると文字は認識できません。
 たとえば図の下のように、文字を提示して百分の一秒提示して消しても文字は認識できます。
 しかし消した後、無意味図形をその後に置き換えると前の文字は認識できなくなります。
 総合すると計算上は、一秒間に少なくとも三回は、視点の移動が行われるということになります。