60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

視線追跡

2007-04-17 22:53:44 | 文字を読む

 図は視線追跡装置を使って絵を見たときの視線の動きだそうです。
○のところが視線がとどまったところで、○の大きなところが注視した時間の多いところで、小さな○は少しの時間しか注視していないところです。
 スキャナーのように端から順に一定のペースで見ていくのではなく、視線は飛び跳ねるようにあちこちに跳び、注視時間も一定してはいません。
 見る側の意識としては全体をくまなく見たつもりでしょうが、主に注視している場所は5ヶ所ほどでほかの場所はわずかな時間しか注意を向けていないか、あるいはまったく注意を向けていません。
 実際、絵を見た後で絵を思い出そうとしても、細かいところは思い出せないでしょう。

 絵を見ているとき、意識的には全体的に見たという感じがあり、見落としている部分が多いなどとは感じないでしょう。
 実際に網膜には絵の全体が映っているのですから、全体的に見えたと感じるのは当然なのですが、後になって思い出そうとしてもはっきり思い出せないのが普通です。
 というよりは、写真のように万遍なくすべての部分を記憶しようとはしないのが当たり前なのです。

 視線があちこちに跳んでいますが、跳ぶときは次に跳ぶ先が目に入っているはずです。
 たんに目に入るだけでなく、はっきりは見えなくても無意識的に興味を持つという程度には見えているはずです。
 人間の目は視線を向けたごく狭い範囲しかはっきり見えず、周辺視野はぼやけてしか見えないのですが、次にどこに視線を向けるか無意識的に決めることができる程度には見えているのです。

 こうした視線追跡の様子を見ると、文字を端から順に追って見ながら読むというのは、人間の自然ではないという感じがします。
 実際は文字を読む場合でもひとつずつ順に見ていくのではなく、飛び跳ねるようにしていくつか先の文字に視線を移していくのですが、この場合も次にどこへ跳ぶかは無意識のうちにきまります。
 無意識であっても次に視線の跳ぶ先が決まるということは、はっきりとではなくても跳ぶ先が見えているのです。
 この場合、視野が狭かったりすると本来自然に視線が跳べるはずの場所が見えず、すぐ近くの場所にしか跳べないので視線の動きが限定されて、目が疲れやすいだけでなく文章の意味もつかみにくいのです。