「杜子春は一日の内に、洛陽の都でも唯一人という大金持ちになりました」というような文章を読むとき、「杜子春は 一日の 内に、 洛陽の都でも 唯一人という 大金持ちに なりました」というように漢字を中心にして意味のまとまりを捉えて読むと理解がしやすくなります。
漢字かな混じり文では意味を担う部分が漢字で表されているので、漢字を中心とした文字列が意味のまとまりとして自然に目に入るためです。
ところが漢字には熟語というものがあり、いくつかの漢字が集まって一つの意味を表していますが、全体をいくつかの意味のまとまりに分けて捉えないと意味が理解しにくいものです。
「協力」は力をあわせる、「市民」は都市の住民というふうに二つの漢字に分けてそれぞれの意味を合わせてひとつの言葉として理解できます。
「国家」のように分けるとかえってわからなくなったり、「真偽」のように単に並列させている場合もありますが、二次熟語でも多くは二つの語の意味から新しい意味を作っています。
三字以上の熟語になると意味のかたまりを作るのは熟語によって異なるので、羽化たまりの捉え方を間違えると意味がわからなくなります。
三字熟語の「社会学」は「社会 学」、「運動場」は「運動 場」ですが、「無差別」は「無差 別」ではなく「無 差別」、「高感度」は「高感 度」ではなく「高 感度」です。
四字熟語では「問題意識」は「問題 意識」のように二字ずつに分けられる例が多いのですが、「一衣帯水」、「核家族化」はそれぞれ「一 衣帯 水」、「核 家族 化」で、二字ごとに区切っては意味がわからなくなります。
五字ぐらいまではだいたい二つに分けられるので、一瞥しただけで意味がすぐ理解できるのですが、六字以上になると三つ以上のかたまりに分けられるので、見慣れた言葉でない限り意味が即座にはつかみにくくなります。
「健康保険組合」とか「東名高速道路」などは比較的見慣れているのでわかりやすいのですが、「偽計風説流布」とか「専門介護福祉士」、「原発臨界事故隠蔽」、「衆院憲法調査委員会」、「資金管理団体事務所」などと、あまり見慣れない上に文字数の多いものは、ぱっと見ただけでは頭の中に入りません。
漢字は一文字づつが意味を持っているので、短い簡潔な表現で複雑な意味を伝えることができるのですが、6字以上の文字列になってくると瞬間的には意味が理解しにくくなります。
役所の部署の名前などは、以前から長たらしい名前でわかりにくかったのですが、最近は政府の諮問会議などでわかりにくい内容でわかりにくく長い名前のものが新しく増えています。
漢字を減らしたはずなのに新聞が読みずらいのは、やたらに長い役所や団体、会議の名前がでてくるうえに、意味のわからない長いカタカナ語が出てくるからです。