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読みにくい旧仮名遣い

2007-10-13 22:27:25 | 文字を読む

 旧仮名遣いから新仮名遣いに変わってから60年ほどになりますが、いまだに旧仮名遣いのほうが合理的で、美しいとして旧仮名遣いをする人がいます。
 どちらが合理的であるかはともかくとして、ほとんどの人が新仮名遣いに慣れてしまった現在では、旧仮名遣いは読みにくい、書きにくいという点で不便になっています。
 たとえば上の表にあるような漢字熟語の読みは、見慣れていないのでパッと見て頭に入りません。
 
 旧仮名遣いの読み方の規則を習っていれば、「しゃうはふ」が「ショウホウ」、「せうがふ」は「ショウゴウ」と読めるのですが、ひらがなで「しょうほ」、「しょうごう」と表示された場合に比べればスンナリ頭には入りません。
 「てふふ」、「てんわう」などは読み方の知識がないと「てんのう」、「ちょうふ」と読めないでしょう。

 普通は漢字かな交じり文になっているので、旧仮名遣いでも漢字語の読みは表に現れることがなく、意識されないので困らないように感じます。
 しかし。もし辞書が旧仮名遣いの見出しで作られているとすれば、音で「チョウフ」という単語の意味や、漢字を知ろうとしたとき「ちょうふ」で引いたのではダメで「てふふ」という見出しで探さなければなりません。
 たとえば音で「こう」に対応する旧かな表示は「かう、こう、かふ、こふ、くわう」などがあるため、音で「こうこう」という単語を引こうとすると、組み合わせが多すぎて戸惑ってしまうでしょう。
 「やまい こうこうに いる」などという言葉を聞いたら「かうくわう」で引き、「はの こうごうが わるい」と聞いて「かうがふ」で引くとなるとトテモ大変です。
 これではたまらないので国語辞書の見出しはローマ字にでもするしかないでしょう。

 旧仮名遣いのほうが合理的とする例で、「おうぎ」と「あおぐ」が旧仮名遣いでは「あふぎ」、「あふぐ」となるので語源が同じことが示されるというような例が出されます。
 漢字で書けば「扇」と「扇ぐ」なので同じ語源であるとか考えるまでもないのですが、「あふぎ」と「あふぐ」を並べて見せて「あふ」が共通なので語源が同じといわれてもそれほど感心することもありません。
 「あふぎ」の「ぎ」は何か分らないのと、おなじ「あふ」が片方が「オウ」と読み、もう一方は「アオ」と読んでいるので「あふ」は自動的に同じと思えないでしょう。
 「あふぎ」が「アフギ」と発音され、「アウギ」となり、「オウギ」と発音されたと考え、「あふぐ」が「アウグ」、「アオグ」と変化したと考えれば、現代仮名遣いの「おうぎ」と「あおぐ」が共通語源を持つことが推測できます。

 現代仮名遣いでは大阪、逢坂がいずれも発音は「オーサカ」なのに「おおさか」、「おうさか」と書き分ける根拠が示されていないといいますが、漢字で「大」は「おお」、「逢う」は「おう」に変化すると考えれば根拠は示されます。
 現代仮名遣いで「稲妻」を「いなずま」とするのは「妻」の意味が失われるといいます。
 しかし稲妻の語源は「稲の夫(つま)の意。稲の結実の時期に多いため、これによって稲が実るとされた」というなら「妻」は誤用で意味が失われたほうがよいといえます。
 この語源説自体が苦しく、「いなずま」という言葉に語源がしめされる必要もありませんが、しいて語源をたてるならば「稲光」稲の形をしていることから「稲の夫あるいは稲の妻」になぞらえたといったところでしょうか。