設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

何度もため息ー証明写真ー

2004年09月29日 09時58分45秒 | 独り言
駅などで よく見かける証明写真の無人ボックス。
あの無人ボックスで 物凄く写りのいい証明写真が
出来る人は 元の地顔が抜群か それとも素晴らしい
写るテクニックを持っている人ではないだろうか・・・・

今まで3回使用した事がある。毎度 現像された自分の
写真を見るたび「これは 自分じゃない!!」と声をあげたく
なるような悲惨な出来・・・・元が これでは仕方がないと
あきらめようとしても もうちょっとマトモに出来ないかと
毎度 今度はケチらず 人に写してもらおうと考えるのだが・・・

それに 写りもひどいが 毎度この無人ボックスでは
いつもなんだかハプニングがあって落ち着いて写した記憶がない・・・

一番最初は やり方がイマイチわからず・・・
椅子を調節して お金を入れてと説明が写すところに
ズラズラと書いてあるのだが 椅子の調節がうまく出来ず・・
いい加減な性格が災いするのか「まあ、いいや」で写してみると
なんか首のなが~~い自分の写真が現像され・・・
よく見ると椅子の位置が妙に高すぎたのか 頭の上部分が削れている・・
それで やり直したバカらしい記憶が残っている・・・・

二度目は 雨と強風がひどい日で 何もこんな日に撮らなくても
よかったが どうしても入り用で写しにいったような気がする。
無人ボックスには扉代わりのカーテンがついているのだが
これが強風であおられる 閉めようとしても飛ぶ飛ぶ。
それでも座って なんとか片方の手で押さえて
「写します」という無情な機械音に施され「カシャ!」
運悪く「カシャ」の瞬間 物凄い強風が!!
現像された写真は 大口開けてカーテンを押さえ込んでる証明写真・・・
再度 天気のいい日に行かなくてはいけない羽目になった・・・

そして つい最近の3回目。今度こそはと バッチリ晴天 風も無し。
椅子の調節もベストポジション「よし!」と意気込み十分!
随分やっていないうちに無人ボックスも進化したと見えて
カラーになっていたし金額も以前より高くなっていた気がした。
お金を入れて説明に従って 落ち着いて座る。今度はうまくいきそう!

1000円札を入れたのでお釣りがチャリンチャリンと鳴る中
機械音の「写します」の声が・・・でも そこであれ??
お釣りは400円。チャリンは4回鳴る筈。でも3回でチャリンが止まる・・
出ないのかしら~気になる でも写るし・・・
そんな事を目まぐるしく考える間もなく「カシャ!」
出てきた写真は 確かに正面向いて 今までよりは随分マトモ・・・
でも目元は正面向いているものの ちらり斜め下に走る目線が・・・
たった100円のお釣りの行方を探す視線・・・ああ、なんて貧乏性。

がっくりして写真を見てると「チャリン」今頃やっと最後のお釣りが・・
なんだか その音も妙に貧乏くさい・・・

防災の日といえば・・・あの思い出

2004年09月27日 17時50分19秒 | 独り言
なんでも9月1日は防災の日だそうである。
子供の学校で 防災訓練が毎年9月1日で
それで やっとそれを最近知ったのだ。

小さいころ 防災訓練には非常ベルが鳴るのが付き物で
訓練で嘘の事と わかっていながらも あの けたたましい音は
毎度ビクッと 心臓によくなく 大層あの音が嫌いだった。
そして あの けたたましい音は毎度 ある出来事を思いださせる。

あれは まだ自分が高校生くらいだった遥か 大昔。
母親と一緒に とある商店街で買い物していた時だった。
その商店街は 母親の行きつけの商店街で 確か年末で 私は
荷物持ちとして 渋々付いていった記憶がある。

母が馴染みの お肉屋さんで 立ち話しをしていると
いきなり けたたましい非常ベルの音が!
「どうしたのかしら?火事?どこの店?」
周りの人も 店の人も一斉に なんだなんだと騒ぎだした。

「ウチの警報器じゃない」
「ウチも何もないわ」
各店の人達も商売そっちのけで 入ったり出たりと・・・
それでも けたたましい音は一向に消えず 
なんだか買い物客も薄気味悪くなって 買い物もソコソコに
足早に去っていく人もいたりして・・・・

「こいうのは悪戯も多いしねえ」
そう言ってる お客さんも なぜか足は歩き出していたりして・・・
あの「ジリリリリリリリ!!」という音は なんだか人を
落ち着かなくさせる。気持ちを不安にさせる音だ。

我々母子も例外でなく 買い物も途中で 母は
「帰ろう 帰ろう」の一点張りになってしまった。
足早に 商店街を去る私と母・・・商店街から遠ざかる
本来ならば 音も遠ざかる・・・でも でも 音は消えない
というより ずっと追ってくる・・・????
そうじゃなくて 私達から出てる!?こう私が気がついた時
母は自分のカバンを 必死にかき回し もう立ち止まっていた。
カバンの奥底から出てきた箱を 開けると そこには
目覚まし時計が・・・・・・なんとこれが非常ベルの正体!!

なんでも前日 その商店街のイベントのくじで 目覚まし時計が
当たったのを 母は すっかり忘れていたらしく その時計の
ベルが箱の中で作動していたようだ。

大笑いの出来事だが 真剣に商売そっちのけでオロオロしていた
店の人達や 買い物もソコソコに帰ってしまったお客さん達を
思いだすと 笑うに笑えず・・・・今度こそ 本当に足早に
無言で そこを立ち去った母子であったのだ。

もう いい加減 時効だし 誰も覚えている筈は ないのに
なぜか母は あれ以来 行きつけの商店街が たまに行く
商店街へと変わってしまったと 毎度こぼしている・・・

でも 私の中では もうとっくに時効の話し。毎度思いだす度
知り合い達に おもしろおかしく語ってしまう。
そして 締めくくりは
「本当の非常ベルじゃなく 笑い話しでよかったよ~」
と話しを すり替える。こんなすり替えが出来る オババに
時効は 私を違った意味で 成長させてくれた月日であるらしい・・・

育自の毎日

2004年09月25日 18時28分26秒 | 独り言
今は誰も信じてくれないのだが 子供の頃は
本当に 本当に人見知りの子供であった。
「どこにいるかわからない位 大人しい子供」と言われた。
「大人しい」裏を返すと「物凄く愛想のない子供」であった。
だから挨拶なんてもっての他 大の苦手。
挨拶しなくてはと思うのだが 結果的には 蚊の鳴くような声で
素通りするだけ。
なんて可愛げの無い子供だろうと 今は振り返る。
それでも こんな いい年をしても その根本は変えられなく
道端で 近所の知り合いが来るのを見ると
「どこで挨拶するか」などと くっだらない目処を頭の中で
巡らせたりしている。困ったものだ・・・・

頭の中では 高校生位の自分が止まったままだが
厄介な事に 外見は いいおばさん それに一応母親・・・・
子供達には「挨拶だけは せめて挨拶だけはしよう」
そればかり クドクド言い続ける。それには やはり
言ってる本人が見せるしかなく 子供が大きくなるにつれて
なんだか挨拶する声にも力が 入ってくるみたいで(?)
慣れとは 恐ろしいもので 今は挨拶するのに緊張感はない。
(当たり前か!!)

一応 こんなに自分を押し殺し 挨拶を努力していても
子供達は どうも怪しいものなのだ・・・・
特に次男は モジモジうつむき加減で挨拶なら まだ可愛いものを
知り合いの人が声をかけても まるっきり無視の態度でやり過ごす。
勿論 鉄拳を飛ばすが 何度飛ばしても懲りないようで・・・
困ったもんだと 今一番の悩みどころだ。

子供が産まれたとき 明治生まれの祖母が
「これから育児でなく育自が始まるよ」と言った事がある。
子供を育てる事で 自分が育っていくという意味だったらしい。

だんまり次男の前で 挨拶が苦痛でなくなった私は この次男に
よって成長出来たと言うべきなのか・・・

大体 こんないい加減の自分が 人を育てているという自体
恐ろしい。そんな時は この祖母の言葉を ちょっと思いだすと
気が楽にもなる。
「自分も育っているんだ。育てられているんだ。」
でも この言葉 何十年後も言い続けそうである。
そんな意味ではないと祖母に怒られそうでもあるが・・・
明治生まれの母は やはりどこか凄いところがあると
挨拶ごときで 変に感心してしまうのであった。

一番の安心感

2004年09月23日 22時00分08秒 | 独り言
「家族が大好き!家が大好き!」で育った記憶はないが
それでも 小さいころは なんだか家に帰ると
「ホッとする」という記憶は鮮明に覚えている。
中学生位になって 部活動などで帰宅が遅くなり
とっぷりと暮れた夕暮れ時に 家の台所からの小さな灯が
ポッと漏れているのを見ると 急に今まで ちょっと緊張して
ちょっと早足に急いでいた帰宅の足を 安心して緩めた記憶もある。

だから ごく たま~に いつも家にいる筈の祖母が用事で
いなかったりすると 誰もいない家は 真っ黒で巨大な口を
開けたお化けのように 感じられた。
誰もいない家というのは なんだか妙な空気だ。

今は この妙な空気の一番乗りを 結構 自分が開けざるを得ない。
誰もいない家に帰るのは こんな大人になっても ちょっと苦手だ。

元来 怖がりだし小心者ゆえ 今は帰宅するや 家中の窓という窓
扉という扉をバタバタ開けないと 落ち着かない。
それに こんな御時世 防犯も考え出すと 落ち着かない。
そんな気持ちは 家造りをされている方々も同じらしく
防犯面の話しは 結構打ちあわせで出てくる事も・・・

以前 ある お施主さんが「雨戸を どうしても 付けたい」
という話しになった。
雨戸というと私なんかは つい スルスルと滑るような開閉の
イメージでなく 木で重苦しく 途中で「エイ!やあ!」と
掛け声をかけながら 引きだすというイメージで・・・・・

でも出来上がった家には そんなイメージの物はなく・・・
確かに雨戸はあったが 内側であった・・・・そう、窓ガラスの・・・
しかも スルスルっと 片手でも簡単に壁に引き込む感じで
使用しない昼間は 全く見えなかった。

「ほお~~~」
バカみたいに お施主さんと初めて見る「内雨戸」なるものに
感心していた。専門屋(夫)の話しでは 珍しいものでもないと
いうのだが・・・・・やっぱり 家造りは どうにでも工夫が
出来ると 改めて面白いなあ~と実感・・・

雨戸に限らず 家の防犯面を考えたら 物凄い工夫が
出来上がるのだろう。     
でも 自分にとって 小さな頃に記憶している一番の安心感は
帰宅した時に見た 自分の家からの小さな漏れる灯と 
そこに誰かがいるという安心感だった。

だからという訳ではないが
「子供が帰宅した時には いてあげなくてはねえ」
この言い訳をしながら ぐうたらと専業主婦の座に
今日も居座っている・・


満員電車の空間

2004年09月22日 14時20分41秒 | 独り言
満員電車に乗らなくなってから 何年がたつだろうか。
一応 大昔 これでもOLなるものをやっていたので
毎朝 どこからこんなに湧き出てくる!という位の
佃煮にしたいような人の群れの 駅を利用していた。

満員電車とは不思議な空間の世界で 普段 絶対
自分の半径何メートルの傍まで 接触してこない他人が
ひたすら 一定時間 ギューギューと肌寄せ合うどころじゃなく
正に「密着!」という感触で固まる・・・・

夏が最悪に嫌だった・・・
半袖集団が多いものだから「触りたくない~~嫌だア~」
心でこう叫んでも 身体は無抵抗に おじ様の腕に
自分の腕なんかが密着してしまって・・・・
(おじ様達ごめんなさい~~)

「それが絶対嫌で 真夏でも長そでを着る!」
これまた大昔 専門屋(夫)がサラリーマン時代に
言っていた事があった。
真夏にも 長そでのスーツを着て なんだか妙に会社人間の
ところがあるじゃないかと思っていたが 実は こういう
カラクリがあったようで・・・・

でもB型ゆえの 変なマイペースのせいか単に性格なのか
自分が 若いお姉様達から見れば
「嫌だア~~近寄りたくない~~」と心で叫ばれている
おじ様へと急成長遂げている事を わかっていないようで・・・

人間 あまりに近くに自分でない人間がいるのは やはり
不快指数が大幅に上がる気がする。
それは きっと家の中でも同じような・・・・

気心しれた家族ですら 物凄い 密着度の狭き空間で
暮らしていたら・・・・・
想像しただけで 切れてしまいそうだ。
「一人にしてくれえ~~!!」
こんな言葉も吐きそうだ。

下宿屋のような個室尊重タイプの家は個人的には 嫌いだが
満員電車的な家も 嫌だと贅沢ながら 最近は思う。

人間は結局 どんなに家族を作っても 
一人では生きていけない存在であっても 究極 
自分が一番可愛い部分は 歪めない。

だからこそ 長くいる空間は大事なのだろうなと思う。

今年は記録的な猛暑。
満員電車の風景は 想像しただけで なんだかツライ・・・

身体で稼ぐ(?)

2004年09月21日 10時30分55秒 | 独り言
趣味は?と聞かれ 無趣味の私は毎度 言葉に詰まるが
あえて 本当に「あえて」答えるとしたら
月並みな 読書  もう一つあげるなら「献血」・・・・
趣味と言えるかは わからないが「献血」回数だけは多い

世の為 人の為・・・そんな理由も確かに独身時代は あった・・
でも今は ひたすら 自分の為・・・・
献血で何がいいかと言えば タダで採血の検査も後日 送ってくれるし
タダで その場で お土産なんぞももらえる。
この「タダ」 主婦になってからは この言葉に滅法 弱い・・・

前回は パンと洗剤であった。この お土産をもらうと
なんだか意味が違うようだが「自分の身体で稼いだ!!」
という気持ちがヒシヒシと実感される(?!)
心なしか 血を抜いた重苦しい腕まで 
「ヤッター!」という感触になる。
「もらってきた~」と騒ぐ私に 毎度「くっだらな~~い」
という目つきの 家族達だが 家庭の主婦にとって
「自分で稼ぐ」という感触は 結構 悦だ・・・・
この悦も なんだか意味は違うとは わかっているが・・・

それでも この献血 誰でもかれでも出来る訳ではない。
まず問診があり 血圧計り 血液の濃度を計り
全てにパスして 晴れて献血台へと上れる。

今まで二回 血液の濃度で落選した時があった。
笑顔の優しい 看護婦さんが 
「気になさる事はないですよ~体調によっては 濃度
 薄くなる事ありますから~~」
微笑んで言って下さるが なんだかバカみたいに落ち込む
「不健康です!」こう宣言されたように 本当に落ち込むのだ
献血は出来なかったのに なぜか係の方達は優しくて
最後の飲み物を 飲んで言って下さいとか声をかけられるのも
なんだか肩身が狭く 悲しい気分になる・・・・

だから 毎度 献血前の問診は心臓がドキドキと・・・
そんなバカらしいドキドキが関係あるのか 血圧は
通常よりも 大幅にアップしたりしている。本当に くだらない・・

献血会場は 割と中年世代の方達が多い。中には 私と同じ種類か
と思わせる団体の おば様軍団も・・・・
献血しながら 早くも今回は何くれるのかしら~などと声高に
しゃべりあっていたりと・・・正に私の お仲間か・・・

ずっと以前であったが 隣で献血をしていた 超ガッシリタイプの若者が
いざ注射針を自分の腕に刺した途端 気分が悪くなって ぐったり
してしまう事もあった・・・やはり男の人は血に弱いらしい・・・
それにしても何しに来ているのか・・・時間を割いて献血へ来て
逆に献血されそうな青白い顔をして介抱されていた・・・
大丈夫かなあ~と思いつつ ついププと吹き出したりも・・・・
(嫌な性格~~)

こんな献血会場の いろんな善意の人達の 出来事もつい
おもしろくて
「次回はどこで?」今日も区のホームページや広報誌などで
探してしまう自分であった。
献血・・・趣味の中でも「悪趣味」の部類かも(?)しれない・・・ 



非日常を求めても

2004年09月18日 13時59分19秒 | 独り言
気が早いが 今年もスキーシーズンがやってくる。
こんな事を書いていると バリバリのスキーヤー
みたいだが とんでもなく・・・・・
夫婦揃って 超ショボイ スキーヤー
それでも 白銀のゲレンデでの非日常の世界は大好きで
独身時代は なぜか行く回数だけは 多かった。
それが 子供が産まれ なんだかゾロゾロ家族で行くのには
子供が小さすぎて 大変で・・・などなどの理由で もう
10年も ゲレンデには足を向けてなかった・・・

それなのに 今年の3月 突如「行ってみよう!」という気持ちに
なんだか傾いてしまった。勿論 子供達は 初の経験。

10年ぶりに 降り立ったゲレンデは やはり様変わり。
ボーダーの人口も増えていたし 何よりも子供連れが結構 多い!
そんな感慨にふける私に 長男の
「どうにかしてえ~~~」という現実が引き戻す・・・・
見れば カメのように ひっくり返り スキー板をつけた長男の足が
バタバタと動いている。次男は どうにかこうにか教えないでも
適当に滑っているというのに・・・・

ここで よく出来た親ならば なんとか子供のやる気を引きだす
行為に出るのだろうが 何しろ夫婦揃って短気。

「お前は いつも嫌なことから逃げている!」
スキーとは あまり脈絡のない説教を 父親がしている・・・
非日常の世界に浸るつもりが 目の前で はっきりと毎度の日常が
繰り広げられている。やれやれだ・・・・・

そんな長男もスキースクールという他人様の お力で 次の日には
一人でリフトに乗って滑れるほど マトモになれた。
やはり他人様の お力は凄い!

「今年も行こうよ!」
息子達は なんだかノリノリで こう言ってくるが 母は
「う~~~ん」と重い返事・・・・・

なぜなら 子供と行くと非日常はどこへいこうがやってこない。
それがわかってしまったから 非日常だけをゲレンデに求めている
ショボイ スキーヤーにとっては ゲレンデに喜々と行く気持ちが
萎えてしまったようだ。

でも どこへ行こうが常に「日常」
それが「家族といる」という事なのかもしれない。  


母性欠如女

2004年09月17日 10時10分23秒 | 独り言
最近 ヨソ様のお宅の小さな お子様を見ると
「お~~~お~~可愛いねえ~~」
と怪しく 呟いている自分がいる。
なんだか 可愛くてしょうがないのだ ヨソ様の お子様が・・・・

実は 二児の母のくせに 子供は大の苦手・・・・
独身時代も 好き 嫌いというより どう扱っていいか
わからなかったし 厄介な物だという印象も強く・・・
それでも面と向かって「私 子供嫌い!」なんて言うと
女のくせに 超母性欠如みたいで 知り合いの子供と会っても
口の端に 無理やり笑み作って誤魔化したりしてたものだ。

そして自分の子供を産んでみると「やっぱり母性欠如だ!」と
改めて 大いに納得!!(悲しい納得でもあるが・・・)
それが最近では なんだか無性に可愛い・・・・
(勿論 ヨソ様の・・・・)

道端で 思い通りにならなくて ひっくり返ろうが
眠くなって グズグズ言い出そうが どういう仕草でも
「かっわいい~~~」という気持ちになってしまう。
こうなるともう 怪しい乳母の心境だ。 

だから お施主さん宅で小さな お子様がいたりして
会える機会があると 
「ウリウリ~~~」と いじくっている・・殆ど変態・・・

自分も年をとったかな~とも思うが ヨソ様の方々に大変申し訳ないが
この「かっわいい~~」という私の心境は単に「責任がない」
そこから発せられるものも 大きいと言える。

要は 小さなお子様に対しての私は「美味しいとこどり」だ。
24時間 一緒にいて生活している訳でもなく そのお子様の
当たり前だが 将来の 今後の責任を自分が担う訳でもない。
一日のうちの ほんの数時間の無責任さが この感情に繋がっている
というのも なんだかあるような気もする・・・

どんな仕事も責任がないと気楽だ。余裕があるといえば聞こえはいいが
結局「どうでもいい」という気持ちも歪めない。

勿論 ヨソ様のお子様が どうでもいい訳ではないが 直接自分と
責任関係で繋がっているという感触は薄い。

「可愛くてしょうがない」という感情をいまだに 自分の子供に
持てない悲しい母の自分・・・・
でも とりあえず無責任の気持ちもないから無性に「かっわいい~」も
ないのだろうか・・・・・

こうやって今日も 言い訳をして なんとか母の仕事をやり過ごす。
母性欠如女にとって 母の仕事は難儀だ・・・・
 
 

旬の時代

2004年09月15日 09時44分58秒 | 独り言
秋といえば 運動会。
息子達が通う 小学校は 早々と春にやってしまったので
秋の大運動会!というイメージで思いだされるのは
息子達が園児だった頃の 幼稚園の運動会だ。

子供が園児だから 父母も大層 若い人達が多くて 皆熱心であった。
小学校が 白けている訳ではないが どうしても高学年に
子供がなってくると 大体 朝の入場行進の時間帯ではなく 自分の子供の
出番間近に やっと会場に来るという方達も多い。

その点 息子達が通った園は凄かった。狭い園庭で開催するから 場所取りに
徹夜組で並ぶ方々もいたし・・・・祖父母 おじ&おば その他 親戚一同で
来られる方々も多く・・・・種目としては 園児ゆえに大した事はしないのだが
園児の家族達にとっては 一年の中でも大々イベントとなっている。

園では 最後の最後に父母対抗リレーというのもあって これも又 盛り上がる。
園児が・・・ではなく 実は父母達・・・・
リレーの選手決めは 毎年 どのクラスも すったもんだで でも なぜか
旦那さんチームは早々と決まり・・・・皆 嫌なので妻達が勝手に自分の旦那を
さっさと身代わりと差し出すからだ・・・・旦那さん 可哀相・・・
それでも普段 スポーツを何気にやっている母達も ちらほら出てきて
無事 運動会当日までには メンバーが決まるのだ。

このリレー 普段 何かとスポーツをやっている方達には 楽勝モードの
たったの園庭一周だが・・・何もやっていない人には大層 つらい・・・
実は 私も長男の時 二度ほどやらされたが 何がつらいって 普段 全力疾走なんて
何年もした事がないから まず足が出ない。そのくせ 気だけは異常に焦る、前を行く。
だから 前かがみで 足だけ宙を蹴っている。こんな走り方で転倒しない訳が無い。
事実 毎年 豪快にひっくり返る。二度 見事に前転して走り出した お父さんを
目の前で見た事もある。でも ひっくり返ると 会場は「わっ!!」と盛り上がる。
なぜか笑い転げる 母達も・・・・・この熱気 園児の種目よりも凄い・・・

そして走る側で つらいのは無様な走る姿を 家族含め 近所のお知り合いが見ている事。
子供というのは 母が普段やっていない姿を見るのが そんなに楽しいのか
息子達は鉢巻き巻いて 必死に走る私に向かって「頑張って」の可愛い声援ではなく
「お母さん 走ってるよ~~」と指さして 友達とゲラゲラ笑い転げている。
おまけに 私の前を走っていた人が転べば 魔力で倒したと 今度は母を魔女扱いにするしで
ああ、二度とやりたくない~~と あの時は思ったものだ。
(それでも なぜか二度も出ているが・・・・・)

小学校は 圧倒的に 親の出番はない。確かに種目は高度になるが 親達も少々くたびれて(?)
熱心さの度合いが 減ってきている。
その分 親の負担は軽くて 楽だが ちょっと寂しい感じも・・・・
でも 今 父母対抗リレーがあったら・・・前転どころじゃすまないだろうなと思う。
きっと救急車か・・・専門屋(夫)みたいな おじじだと ケガでもしたら 
死活問題にもなりかねない・・・・

親も その時 その時の旬の時代があるようだ。
今年の秋も 園では旬の親達が走り出すのだろう・・・・
そんな運動会のシーズンが  また やってくるようだ。




ヒートアップの打ちあわせ

2004年09月13日 16時34分15秒 | 独り言
監理者である建築士と施工側は 仲が悪い??・・・という話しを よく耳にする。
確かに 専門屋(夫)を見ていると 現場での打ちあわせでヒートアップ(?)
している事も 確かにあり・・・・
中々 最後まで 全て笑顔で 円満にニコニコ穏やかに終る家造りは 難しい。
これは 何も現場と建築士だけでなく お施主さんとの間でも同じかもしれない。

でも 自分が一人の施主だと思うと やはり建築士と施工側が喧嘩ばかり
というのは 絶対嫌だが なんでも有りの 仲良しこよしも ちょっと嫌だと思う。

やはり監理者は管理者では ないのだから 自分の家の現場が 監理者が
いる事で ちょっとピリリとする緊張感に包まれてほしいと 思うのだ。

お風呂があればいい キッチンがあればいい 住めればいいの解釈では
建築士との「家造り」には ならない。「家」というより「暮らし」を
追及する価値観と ひたすら「造り上げる」という価値観の解釈の
違いが 建築士と施工側との大きな違いのような気も 個人的には
感じる。きっと両者とも言い分 考え方 いろいろあるのだろうなと
思う。でも 究極 最後には そこに住む人 お施主さん家族の為に
「いいものを造りあげましょう」という気持ちが 根底にあれば
打ち合わせのヒートアップも プラスに働くのだろう。

どんな事も どうでもいい事には 人間熱くならない。
そんな事をしても 疲れるだけだ。
仕事だって 楽をして いい加減な仕事は 結局は それなりの結果しか
生まれてこない。これは仕事に限らずでもあるが・・・・

先月 引き渡した個人住宅で ある大工さんがポツリと・・・
「今回は 初めての事が多くて 大変でしたが だからこそ
 楽しかったですよ」
こう 言ってくれたそうである。初めての事が いつもの事じゃないので
「面倒だ」ではなく「楽しかった」と言い切った この大工さんに 
私は 勝手だが物凄い職人魂を見た気がした。

重箱の隅をつつく行為が 監理の仕事でもない。
本来は こんな職人魂を一人 一人の技術の結晶でもある職人の
方々から引きだす事も 建築士ならではの家造りかもしれないのだ。

家造りは 大袈裟だが なんか毎度 何かを考えさせられる・・・・
普段 お気楽トンボで何も考えていない証拠とも 言えるのだが・・・
何はともあれ プラスの方向でのヒートアップ打ち合わせは どんどんと(?)
やってほしいと お気楽トンボは一応 個人的にそう 思っている。


混合種と純血種

2004年09月12日 17時07分57秒 | 独り言
万が一(本当に本当に万が一!)我が家で3人目 4人目の
子供が今後生まれても(本当に万が一!しつこい!)
その子供達の父親が 専門屋(夫)だとすると(?)絶対
血液型がB型らしいのだ。嘘か本当か定かではないが ちょっと
ショックであった・・・・

よくO型は おおざっぱでA型は神経質で・・・などという血液型
占いがあるが あんまり信用していなかった。でも これほど自分の
周囲にB型人間が集結してくると 何かある?と思わざるをえない。

私は昔から なせだか知らないが 仲よくなったり この人とウマが合う
みたいな感じで親しくなる人は B型が異常に多いのである。
B型といえば 世間一般では「マイペース」「変わり者」のレッテルを貼られ
あまり いい印象はない(B型の方々 ごめんなさい!)

それは純血種ではなく 混合種だから などと自らB型の専門屋(夫)は
毎度 バカらしい持論を熱く語っているのだが・・・・・
専門屋(夫)曰く B型の中でもBOとBBがいるというのだ。
それで自分はBBだからOの私との間に出来る子供は BOしか
生まれないと いう事らしい。O型というのは OOの一種類。
だからBOばかり出るしかないと・・・・・・(ホントか???) 

何が言いたいかと言うと 自分は子供達 混合種と違うのだ 
純血種は違うと 言うことらしい・・・・・
BOだろうがBBだろうが私には B型特有の事しか目に入らないのだが・・・・

専門屋(夫)の言ってる事が 本当なのか わからないが
子供達は見事にB型と判明・・・おかげで 家族で旅行に行ったり
買い物に行くと そのB型特性を大いに 3人は発揮する。

大型電気店などに行くと まず子供達はパーッと消える。
他の階に行こうと 招集をかけても 捕まらない・・・・・
やっと 捕獲して さあ 行こうと思うと 今度は専門屋(夫)が
どっかで足止めくらっている・・・・毎度 招集係は私だ・・・
やっぱり マイペースだ!と感じるが 当人達は どこ吹く風

でも B型の人は営業職向きで 大変愛想がいい人が多いというのを
どこかで読んだ記憶がある・・・確かに知り合いB型も そういう人が
結構 多い・・・・でもでもと考えると たった一人 全くそれには
合っていない人物が・・・・そう、専門屋(夫)だ・・・・
とすると 彼が熱く語っている B型純血種の持論も なんだか頷ける気が
してくるのだ・・・

何はともあれ B型人間を周囲に集結させてしまう私は 実はB型人間の
方達だからこそ 付きあっていける人間なのかも・・・(!?)
そう考えたら ちょっと情けなしになってきた・・・・









ミョーに恋しい(?)夏

2004年09月10日 10時34分20秒 | 独り言
夏という季節は大好きだが 私の大嫌いな お虫様が御活発に
なられる季節でもある。この お虫様の中でも大が100コ位つく
嫌いな代表格・・・・それはゴキ○○(書いているだけでもゾ~~)

何が嫌って あの色も許せないし 一本一本の足に生える細かい毛や
ひっくりかえった姿も(ああ、またゾ~~~)
こしゃくにも 飛んだりするし・・・・・

子供の頃 木造の古い一軒家だったせいか アレ様(勿論 ゴキ○○)が
夏になると出没した。すると毎回 突如 父親が
「おお~~~~っ」という叫び声と共に 玄関まで血相変えて走り出すのだ。
この父親 昭和一桁生まれのくせに 身長178。昔の人間にしては大柄だ。
その大柄が血相変えて 走り出す。なんだか わからないが怖くて
私も毎回 玄関まで走りだしていた。たかがアレ様一匹に 大騒動だ。

すると母親が 今まで見せたことのない俊敏な動きで テイッシュ一枚
わしずかみにするやいなや アレ様を無言で潰しているのだ。
テイッシュ一枚なんて 手に伝わるじゃあないかあ~~とこっちは
「ひ~~~っ」という心境なのに 母は怒ったように そして半分
得意げの顔で「こんな小さい虫に!」と 父にあきれかえるのだった。
そう、父親は私同様 大のゴキ○○苦手男なのだ。

アレ様撃退の為に 配偶者を選んだ訳ではないが 専門屋(夫)は
一応 血相変えて玄関に逃げたりはしない。可もなく不可もなく
アレ様を撃退してくれる。だから家にいる時は まだいい。
でも 家にいる時間は少ない。小さい子供と私・・・となると
必然的に撃退屋は私しかいないのである。

だから たまにアレ様と遭遇してしまうと 泥棒が入ったような大騒ぎだ。
早く大きくなって 撃退屋になってくれ~~そう息子達の成長を待っていたが
この息子ども 大きくなっても何も役には立たない・・・・
キャーキャーと黄色い声を出して 玄関まで逃げ出している。
こんなところまで 遺伝しなくてもと 恨めしくなる・・・

今年の夏も 実家では 父が逃げ出し 母が無言で
撃退していたのかもしれない・・・・
ああ、羨ましい・・・ミョーに母が恋しくなる夏が今年も 終った・・・

小競り合いを懐かしむ

2004年09月09日 15時52分37秒 | 独り言
我が家には ♂の子供が2人いる。
学年は二学年離れているが 年では一歳七ヶ月違い。
だから兄弟というより 双子に近い。
家にいるときは とにかく2人一緒。母より濃厚な関係だ。
こんな濃厚さだから さぞ仲がいいかと思えば とんでもない。
なんだ かんだと小競り合い。これがまた ♂のくせに 
♀以下の陰湿な戦いだ。

長男が リビングのテーブルで宿題をやる。なぜか 他も
空いているのに わざわざ次男も隣で並んで宿題をやる。
ものの5分で
「この 肘 邪魔!」「もっと そっちいって!」
くっだらない小競り合いが始まる。一生やってろと
あきれ返る事 しばしば・・・・

でも 思えば 私も姉と2人の同性姉妹だった。小さい頃は
それはそれは陰湿な姉妹喧嘩を展開したものだ。
姉は4歳年上だったから 腕力では到底かなわない。
それで毎回 喧嘩のほとぼりが冷めた頃 廊下で
すれ違いざまに 姉の足をわざと踏んだりと
なんとも卑怯なテを駆使していた。その後 またコテンパに
やられ 私は毎回 泣きをみていたのだが・・・・

そんな姉も 今では私同様 二児の母。私以上に「おばさん!」
であるから
「小さいころ ひどい事したじゃん!」と蒸しかえしても
「あれ?そうだっけ??」と人の話も何も聞いてない。
それでも同性の そして同じ母親としてのよしみ、一ヶ月に
数回は長電話が始まる。母親に相談出来ない事も 姉とは
話せたし 姉妹というより 同胞という感じだ。

息子達も いつか 今の小競り合いが懐かしくなる大人に
なってくれて 親よりも 何でも語り合える そんな仲に
なってくれればと思うが・・・・・

どっちが先に家に入るか という くっだらない事で
おしあい へしあいしながら 狭い玄関で騒いでいるのを
見ていると 懐かしむのは まだまだ先の事だと
深いため息が出る 今日この頃である・・・・



ふと見上げた 都庁にて・・・・

2004年09月08日 15時00分49秒 | 独り言
先月 用事があって都庁へ行った。
こんな事を書いたら 現に公務員で 役所に勤めている
方達から怒られそうだが 昔は 役所のイメージは
悪かった。「役所」=「怠慢」「無愛想」などという事が
よく耳に入ってきた。

専門屋(夫)も仕事柄 お役所様とは 付き合いは長い。
いかにも
「戦ってきたぞ!」という態度で 役所から帰還する
時も しばしばで・・・・
一体 何の仕事なのか・・・とも思うのだが お施主さんの
代理として 時には施工側と時には お役所様と
戦う事もあるのが この仕事ならではらしい(?)ので
何とも 言えないのだが・・・・

それでも最近は 自分の用事で 役所に赴いても とても
皆さん親切で 昔とは変わってきていると言う人も多い。

初めての都庁は当たり前だが とても大きく なんだか
呑まれた気分で 変に緊張しまくった。
そして私の対応をしてくれた都庁の 女性職員の方に
又々 緊張しまくる・・・・
なぜって 目の前にいる私と目も合わせず ひたすら機械的。
久々に遭遇した ロボット的対応・・・・ もう終りと
いうところになって どうしてもわからない事があったので
ロボットお姉さんの 機械的に説明する声を 思いきって
中断させた。
「あのお~~・・・・・なんですか??」 

すると この時やっと ロボットお姉さんは 顔を上げ
「チッ」
勿論こんな声は聞こえない。だが こういう「チッ態度」で
説明し始めた。きっと 私の こんな質問は何十回いや
何百回と答えているのかもしれない。うんざりなのだろう。
そんな気持ちも よくわかるが それが仕事では?という
気持ちも沸々と沸いてくる・・・・・

勿論 都庁に勤めている人が全員 こんなロボットでは
ないだろうし 私の感じ方も間違っているのかもしれない。

でも 圧倒するような都庁を ふと見上げると この中の
ほんの小さな組織に組み込まれているだけなのに 
いつのまにか この巨大な建物を操っているような 
そんな勘違いが生じて 働いてしまうという事も
あり得そうな気がした。

建物って 人に不思議な影響を与えるかも・・・・
帰り道々 ロボットお姉さんに腹が立つというより
何か考えさせられた 初都庁であった・・・・



認識度 変なところで多し(?)

2004年09月07日 17時01分06秒 | 独り言
なんでも 渋谷の交差点で石をポーンと投げると
建築士に当たる と言われている。
それほど 建築士という人種は星の数ほども多いらしい。
そんなに多いのに なぜか世間での認識度はガクーッと落ちる。
同じ士業の弁護士と比べると 物凄い(比べるのが浅はか?)

私には96歳で亡くなった祖母がいたが 里帰りするたびに
「引き戸の調子が悪くてね、今度 旦那さんが来たら
 見てもらいたいのだけど・・・」
 よく そういう事を言っていた。祖母の頭の中では
「建築関係=大工さん」だから 何度 こういう仕事でと
説明しても その時は「あ~~ そうなの」と頷いても
次に会うと「網戸の・・・・唐紙の・・・・」
といった調子であった。
結局 最後まで本当の専門屋(夫)の仕事が わからずに
逝ってしまったようだ。なんとも祖母らしい・・・・

今では設計事務所もホームページを作ったり 建築士と
クライアントを繋げるプロデユース会社も出来たりして
いるが それでも本来の設計事務所の考えが
「何かを売る」とか「営業して 家を建てさせる」
といったものではないので 商売としてのインパクトは弱い。
因果な商売である。

祖母が亡くなって4年。今は 子供達も大きくなり
あまり実家には帰らないが たまに帰り 知り合いの
近所の人達に会うと
「御主人は建具屋さんなんですよねえ」
「稼業は工務店だそうで」
「・・・・・???」
生前の違った解釈の祖母の話が どんどんともっと違う方向へ
動いているようである・・・・


皮肉にも実家近所では ミョーに認識度は高い。
結構 大幅に違った方向で(?)の仕事なのだが・・・
でも 笑っている祖母の遺影を見ると まあ いいかナと
毎度 思ってしまうのである。