設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

スイミング

2004年11月29日 10時09分05秒 | 独り言
息子達の通っていた幼稚園では温室プールがあって
5月から10月頃までプール指導があった。
長男が年少クラスの初めてのプール参観で我が子はいずこに?
と探している自分の目に飛び込んできたのは
楽しそうにはしゃぎまくっている園児の中で唯一人
プールサイドにつかまって ワーワーと泣いている我が息子・・・
ガクーっと力が抜けたのと同時に やはり遺伝していたか!という
事実に又々ガクーっとしたものだ・・・・

何しろ自分も幼少から記憶のある限り プールが大嫌いだった。
なぜって 泳げないから 怖いから・・・
とにかく運動神経もトロイくせに水も怖いときている
これじゃあプール嫌いは本気まりで・・・・

当時スイミングに行っている なんてお子様は結構珍しく
おまけに共働きの両親は こんなに夏に胸を痛め通学していた
娘の事なんか これっぽちも気がついてなかっただろう。

母性欠如で子供に関して一生懸命さが抜けている自分であったが
その年の夏から殆ど強引に息子をスイミングにぶち込んだ。
あの夏が憂鬱になる気持ちは やはり我が子には味合わせるのは
酷のようで・・・・・

今の子供達は お習い事が目白押しの子供も多く スイミングだって
結構習っている子供は多い。
だから あれから5年という月日を習い続けているにも関わらず
長男は学校の水泳指導でもごくごく普通を保っている。
というより5年も習っていて まだまだ自信なさげに水に入ってる模様。
こうなると技術云々より性格の問題のような・・・・
何をするにもネガティブっぽい長男の気質に これまた自分を
見ているようでガクーッとなる。

水泳帽を目深にかぶり過ぎて 余計目元がヘの字に情けなしの顔で
時折 ギャラリーで見ている自分を見上げる表情は 
「僕は まだまだ水に慣れてないよお~」
と訴えているようで・・・・
そのくせ 級は 一応進んでいっているというのに・・・・

超反対に まだ訳のわからぬ年に兄共々スイミングにぶち込んだせいか、
次男は出来ないくせに妙な自信ばかり持っている。
おかげで級は進みやしない。これも技術云々ではなく性格か・・・・

何事もポジティブしすぎるのは厄介な時もあり 毎度ネガティブ
しすぎるのは、大損しやすい。
たかがスイミングという習い事に こんなにも性格の違いが
出てくるのだから 人というのは面白いものなのかも。

それにしても 何年やっても自信なさげな長男と
これまた何年やっても級がはかばかしく進まぬ次男のスイミングは
一体いつ終わりが来るのか・・・・

もうすぐスイミング通いには厳しい厳しい冬が来てしまっている。

韓国ブームだ!

2004年11月27日 16時32分20秒 | 独り言
世は正に韓流と呼ばれる程 韓国ブーム。
ヨン様ファンはケガをしてしまったし まだまだ
韓国旅行ツアーも熱いらしい。

たまたま夜 子供達が寝静まった後 BSをつけたら
「冬のソナタ」がやっていて 海外ドラマは結構好きだったので
こんなブームが来る前から見入ってしまっていた。
冬の景色の奇麗さとか ストーリーの展開が日本人向きじゃないかと
知りあいとも話していたが こんなに大ブレークするとは!!

考えれば お隣の国。
こんな形でも ともかく仲良くなるという事はいい事だと
個人的には感じる。
そんな舞い上がっている雰囲気とは裏腹に まだ過去の重苦しい
現実は絶対どこかにあるとも思う。

自分より遥に大昔の時代の事は 話でしかわからない事だらけだし
難しい事は 実は何もわかっていない。
小さいときから明治生まれの祖母に 戦争の話を聞かされていたが
当たり前だが実体験ではないので「他人事」という気持ちは
正直 今でもあるのは拭えない。

確か中学生の頃に 何の本だったか第二次世界大戦中の日本軍が
アメリカの捕虜の人達を人体実験したというのを読んで
物凄い衝撃を受けた記憶がある。
戦争の怖さは 人の心を強引に人でなくすんだと
本の内容云々でなく その事が強烈に印象になった。

親になって 実は子供に このテの話題が語れない。
情けない話だが 日々の生活に流されているだけで
平和に生きている事が当たり前になってしまっている。

過去を知らない自分達にとって何が出来るかとなったら
やはり真実を語り継ぐ事なのだろう。

くさいものにはフタをしない。
こんな感じでしか平和を語れない今の自分。

韓国ブーム真っ盛りになって ふと中学生の頃に読んだ本を
思い出したのは いい事だったのかもしれない。
それにしてもヨン様の笑顔は やっぱり癒し系。
そして自分には 「仲良くしましょう~」と語りかけてくれている
ようにも思える。人間やはり どこでも笑顔が大事かもしれない。

睡魔

2004年11月25日 15時17分55秒 | 独り言
人に髪をいじられると究極に眠くなる。
今日 美容院へ数ヶ月ぶりにいったので この悪い癖が
つい出てしまい しばらくは極上の夢へと旅立った。
きっと自分では気がついてないのであろうが
右に左にゆ~らゆらと大きく揺れていた模様・・・・・・
時々 髪をやっている若き美容師のおねーさんが ツツっと
人さし指と中指二本で遠慮深けに 揺れまくっている自分の
身体の軌道修正に入る。遠慮深けな おねーさん美容師には
大層悪いのだが このツツっとの指が本当に痛い。
この痛さでハッと起きるのだが またまた気持ちよくて
今日はウトウトを何十回もやってしまった。ああ、恥ずかし・・・・
髪を切っている客に頭を動かされては さぞやりにくい客に
遭遇したと思ったに違いない・・・・・

どこでも寝れるのは現代人にとっては特技にも入るらしい。
よく枕が変わると寝れないとか 旅行の初日は寝れないという
話をよく聞くが 自分にとって枕が座布団であろうが手枕であろうが
どの場所であろうが睡魔には勝てない。

夜早めに寝ているにもかかわらず 年々 午後になると一時
眠くなる。老化現象なのか、単なるぐうたら病なのか・・・・
それでも子供が小さいときは良かった。昼寝させるという名目が
しっかり自分を守ってくれたものだから
「さあ、寝ますよ~~」
この時ばかりは いそいそ子供を寝かす。というより自分が先に
寝入るのが常。
それが今では当たり前だが子供達は昼寝はしない。
ならば一人で寝ようじゃないかと開き直ってゴロンと横になるが
なんだか昼間 たった一人で目をつぶっても眠気はやってこない。
あんなにさっきまで眠たかった筈なのに いざ寝ようとしても
頭は冴え冴えだ。

結局 堂々と寝れる!という場所では寝れず美容院や電車といった
ちょっと「うたた寝」出来る場所で究極に睡魔に襲われるらしい。

欲求を克服している時に 人は性格が出るというが・・・・
どうやら自分は眠りまでもが究極の貧乏性らしい・・・・


旅行の決まり事

2004年11月23日 17時06分52秒 | 独り言
日曜から箱根へ繰り出していた。二泊三日の旅。今日帰還。
旅というのは、毎度思うのだが あの歌文句ではないが
行きは、よいよい~~帰りはナントか・・・・である。

旅行の準備は、どうしてこうもルンルン気分で出来るのに
帰りの洗濯物がぎっしりと詰まったカバンを片づける時の
あの重苦しい雰囲気といったら・・・・・
それは、まるで非日常から即日常へと変わらなくてはいけない
自分の億劫さみたいである。

我が家の旅行では、行く前に必ず決まり事がある。
サンタの話ではないのだが、実は旅行の日程も場所も行く日の
朝ギリギリまで、子供達には内緒にしている。
貧乏性の親の遺伝のせいなのか、旅行旅行と行く前日に異常に
はしゃぎまくって寝る時間が遅くなったり・・・・・
それは大変よろしくない。まあ、そんな勿体ぶった理由を
つけているのだが、実は「旅行に行くよ」と寝ぼけ眼の子供達の
耳元に囁くと「りょっこう~~!!」とすっとんきょうな声で
起き上がる子供達のうろたえぶりが可笑しくて、それ以来
暗黙の了解のように夫婦で毎度だんまりを決め込んでいる。
なんとも意地くその悪い親達である・・・・・

しかし、これもサンタ話同様、年々だんまりは難しい。
大体、いくらズボラの自分でも自分と子供の下着や服の旅行準備を
前々日位には揃えてカバンに詰め込む。
こうなるとカバンを見つけるや否や、このカバンは何なのか、
何が入っているのか等々、子供達は犬のようにクンクンとかぎ回る。
以前あまりにうるさく聞くので、お母さんの家出用にいつでも
まとめておくと冗談で答えておいた。
すると次男なんかは、真面目な顔で専門屋(夫)の実家で
しゃべくっていたりする・・・これは最もよろしくない・・・
それ以来、準備されたカバンもどこに隠そうかと狭い家の中で
試行錯誤する羽目になった・・・・

そして今日、隠し場所に試行錯誤されていたカバンは役目を終えて
口を開けている。
「やっぱりウチが一番かあ~~」
非日常に戻るのは辛いものの、これまた旅行の度につい口を
ついてくる言葉・・・・
「だったら行かなきゃいいだろう!」
そんな言葉が、役目を終えた 口を開けたカバンから聞こえてきそうだ。

サンタへのメモ

2004年11月20日 12時12分37秒 | 独り言
恥ずかしながら多分(?)我が息子二人は小学生ながら
サンタが24日にプレゼントを持ってくると信じている。
多分(?)となるのは、当たり前だが大きくなるにつれて
様々な情報が彼らにもたらされ、それによってサンタは全くの
嘘話だという事に気がついているかもしれないのだ。

毎年この時期になるとサンタの国へ希望のプレゼント名を伝えるため
と称して、子供達にメモを渡し、第三希望まで書いてもらう。
それを子供達には内緒の中で夫婦のどちらかが買いに行く。
24日の夜更けに寝入った子供達の枕元に置くのが いつもの事だ。

こんな事がいつまで続くのか・・・毎年こう思いながらも
サンタさんへの希望を書けというと喜々と書いている子供達。
それでも次男なぞは、一昨年辺りから どうやってサンタに届けるのか
手紙なら住所を教えてくれと やたら小うるさい事ばかり言うように
なった。どうしてこうも二人目というのは、大人の顔色を読み取るのが
敏感なのであろうか。
あまりにも小うるさいので、今年はサンタへの連絡はメールにしたと
平然なる態度で言い返すと 半ば疑いの目で でも半ば感心しきった
目で、ちょっと頷いている。しめしめ まだまだ子供である。

それにしても、あまりに疑わない長男には これまた心配になる。
いくらなんでも友達の話には嘘だという事が出てくるだろうし・・・
でも小うるさい弟に比べ、毎年黙々と真剣に希望プレゼント名を
考え抜いている背中を見ていると、あながち信じている振りを
しているようにも見えない。

「子供は意外にあなどれないわよ」
そう同じ母である知りあいにも言われるが・・・・
もしかしたら長男は、とっくに気がついてるのに、いい大人の親達が
毎年バレないようにヒヤヒヤしながら でも半分楽しみながら
プレゼントを買っている事をわかっているのかもしれない。
「つきあってやるか・・・・」
そんな心境なのかもしれない。
子供だ子供だと信じ込んでいるのは、実はオバカな親達だけかもしれない。

だが先日、珍しく机に向かって神妙な顔でため息をつく長男・・・・
宿題にでも煮詰まっているのかと覗けば 机にはサンタへのメモ。
ふいに顔をあげると真剣そのもので
「このゲームソフト サンタの国にはあると思う?」
う~~~ん返事に詰まるより先に 本当に信じ込んでるっぽい
長男の行く末に ちょっと詰まる・・・・
純粋といって褒めるべきものか、遅れていると捉えるべきか・・・・
こういう時は、親は長い目で見守る方が楽とだけ言えそうだ・・・・

単細胞でも人間

2004年11月18日 11時21分28秒 | 独り言
「夫婦喧嘩をしたら一週間でも二週間でも口を聞かない!」

こう言い放つ知り合いもいるのだが・・・・
夫婦をやっている人達にとって一回や二回、いやそれ以上
大小あるであろうが、喧嘩の出来事は日常の風景ではないだろうか。
大体、いくら価値観や考えに共鳴して配偶者になっても、それは人間。
毎日同じ気持ちで過ごしている訳でもなく 相手に対して同じ気持ちで
いられるのも神業といったところだろう。

自分に関して言えば、夫婦喧嘩の行く末のなんともいえない重苦しい
家の雰囲気が実は大の苦手。毎回両手を振って白旗を揚げる結末となる。
私の白旗を相手がどう捉えているかは別にして、自分の気持ちの中では
たった一日でも家族の中で唯一の大人である専門屋(夫)と話が出来ない!
という状況は、水のない鉢に入れられた金魚のようにパクパクと苦しくなる。
それは、相手を思いやってとか自分が反省してとかではなく
「誰かと話せない空気」にいる自分が耐えられない。
なんと自分勝手な事かもしれない。ひいき目に見れば耐えられない自分に
とって喧嘩の原因や自分では理解出来ない怒り事を即忘れてしまう
性格であるという事だろうか・・・・・

偏見かもしれないが建築をやっている人間は、大層理屈っぽい。
そんな事はないと専門屋(夫)の同業知りあい達もおっしゃるが
いやいやとんでもない。こちらから見ればアホらしい(すいません!)
という議論を小難しげな言い方で話し合っている。
まあ、そういう人種でなければいけないという部分もあるのかもしれない。
建築士はバリバリの理系族かと思えば、結構哲学というか大いに
文系の流れを汲んでいる方達も多い。
そういう訳だから原因は何であれ、こんな単細胞の自分には口では
専門屋(夫)には絶対かなわない。
「こう言ってやりたい、こうじゃない。」
頭で反芻出来ても うまく言葉に出来ないもどかしさ。
その悔しさが喧嘩にとっては最大のストレスだ。
口でかなわぬなら女の最大の武器、涙か?と思うだろうが もう
とっくに相手にとって自分は女という域を超えている存在らしいので
これまた全く武器にならずだ・・・・

何よりも真面目に家族の不穏な空気が良くないと思うのは、やはり
一緒に暮らしている子供の存在だ。
いくら単純で何もわからない存在といえど、いつもと違う母の強ばった
表情や父の仏頂面に何かを感じない訳はない。
うちの息子達も夫婦喧嘩の雰囲気が醸し出されるや、いきなり静かになる。
「なんだかヤバイ雰囲気だ・・・・」
口には出さぬが、そんな顔をしている。
こっちも冷戦状態下は、相手との用事をあれやこれや子供を介して
やるものだから、自分たちの用事が増えるにつれて
「おかしいぞ」
という雰囲気を段々感じ取るらしいのだ。

すねたり怒ったり、そういう感情をぶつけ合う為に、人は誰かと
一緒にいるのかもしれない。
結局、一番快適にいられるのは自分自身。
でも、それではあまりにも悲し過ぎる気もする・・・・
せっかく人として生まれたのだから、当分の間、この鬱陶しい期間を
敢えてやる事が 今の自分にはいいらしいのだ。
何しろ単細胞といえども、一応自分も人間である限りは・・・・

スマイル スマイルの打ち合わせ

2004年11月16日 10時28分03秒 | 独り言
我が家で個人住宅の打ち合わせがある場合 基本的には お施主さんの
お宅へ専門屋(夫)が訪問するのが常である。

初回の打ち合わせの時は 毎回 お見合いのようだと個人的には感じる。
何しろ 何回も「家造り」をしているベテランお施主さんというのは稀で
大体は「家造り」に関しては初めての事ばかり。しかも建築士と面と向かって
話すという事も初めて。一体 どんな話なのか どういう感じなのか・・・・
きっと 初回打ち合わせは お施主さんの心は不安が半分以上といったところ
ではないだろうか・・・・・裏を返せば一応 こちら側もそういう緊張度は
あるものの きっとB型専門屋(夫)は あまり感じていない気もして・・・
違った意味で 打ち合わせに向かう専門屋(夫)の背中を関係ないながら
ちょっと不安になる。

仕事の内容もさる事ながら 全くの素人だから自分が専門屋(夫)の仕事に
関しては 当たり前だが何もアドバイスも手伝いも出来ない 情けない立場。
それでも初回打ち合わせだと聞くと
「スマイルだ スマイルだ~~ 」と きっと専門屋(夫)には効いてないだろう
助言を とりあえず毎度言い続けている。
何しろ 専門屋(夫)もそうだが 建築士という方々 本当に
「いつもニコニコ愛想のよろしい」というタイプは数少ない。これは超偏見で 
あんたの亭主だけだと言われたら 元も子もないのだが・・・・・

初対面で出会った人が 笑顔で接してくれた時と 普通の表情で接してくれた時では
本当に第一印象は全く違う。だからと言って 妙に営業丸出しでヘラヘラとばかりは
さすがに嫌気がさすものの 笑顔というのは対人関係において最大の武器になる。

建築士との「家造り」なんてセンスだ 技術だ といろいろな大事な要素は
あるものの 結局 話し合いがつきもの。話していて不快になる相手だと
しょうがない要素も大有りな訳で・・・・・・

以前 自分の友人の家を頼まれた事があり・・・・この時は 専門屋(夫)を
信頼して頼んできてくれた行為に 物凄く感謝の心だったが ちらりと
不安の心もあり・・・万が一 自分の友人家族と専門屋(夫)がうまくいかない
という場合を考えると・・・・なんとも自分の夫を信用してないみたいだが
ハウスメーカーや工務店の場合と違って「建築士と合わないからやめる」という
話はよくある話しである。

初回打ち合わせは 自分の友人という事もあり同席させていただいたが
今だから言えるが ミョーに手に汗握っている それなのに冗舌な自分が
いたりする・・・・本当に今考えれば関係ないのにバカみたいな自分・・・
そんな自分の心配をよそに 結局打ち合わせが早々に終わると なぜか
宴会と化してしまい・・・・私の手に汗は どっかに吹っ飛んでしまった。

今振り返れば
「家造りは楽しかった」と言ってくれた友人家族と専門屋(夫)の相性が
ピッタリ合ってくれたのか まあ、合わせていただいたのか とりあえず
基本の価値観が合っていたのは確かであった。
友人家族を一つの お施主さん家族として見る事で 自分も大変勉強になった。
そして 改めて友人の家族に対する考えや思い入れを感じられた。
とりあえず今現在 楽しそうに新居で暮らしている友人を見る度 嘘スマイルは 
今の専門屋(夫)にとっては あまり関係ないのかもしれないと
最近は思うのであった・・・・・・

「叱る」行為

2004年11月15日 17時04分35秒 | 独り言
人を叱るというのは難しい。
それに比べて 人を怒るというのは なんと簡単な事だろう。
「怒る」という行為の裏には 当たり散らす自分もいて 大層感情的な
自分がいる。それは 感情的なだけに 相手には大ダメージを与えられるし
相手を屈服させる事も簡単だ。でも それだけでは問題は解決出来てない。

毎回 子供に対して「怒っている」ばかりの自分は頭では こうやって
超理想の躾学がわかっていながら 全く出来ていない。

自分の子供がまだまだ 小さかった頃は「公園デビュー」という言葉が
巷に出始め それと共によく「虐待」という事件もテレビでやっていた。
やれ家にいる母親が孤独だとか 母親自体が大人になっていないから
夫婦の疎通が出来ていない 地域の繋がりがない等々 虐待をおこした
母親像を 事細かに こうじゃないか ああじゃないかと報道していたものだ。

でも自分は毎回 このような事件が起きるたびに いつも皆のこういう
視線とは全く別の視線でこういう事件を見ていた。それは
「事件性になるのは紙一重。そんな自分は 結構いるのでは・・・・」
という大層 今考えれば空恐ろしい考えだ。そんな考えに落ち込むほど
あの頃の自分は 子供を育てているという感触でなく 毎日終わらせるという
言葉がピッタリなほど 余裕のない毎日だったのだ。

大昔は 洗たく機もなく掃除機もなく 母達は多くの家事と多くの子供に
追われ しかも老人を介護しているような家庭もあって それでも
「子供が大変だ」などと息切れしている母は少なかった。
そうやって何も大した事をしていない自分が たかが年子のたった二人の
男の子を育てる事に 息切れしている自体 自分自身が情けなくなる。

要は悪循環の繰り返しだ。
母が余裕ない。それは感染病のように子供に伝わり 子供自身も何か
満たされない。大人が困る事ばかり繰返す。それを何かの子供が出す
サインだとは全く気がつかず またひたすら「叱る」のではなく
「怒り 力でねじ伏せる」これがエスカレートしたもの もしくは
自分が親であるとか 大人であるとかの タカがすっぱり抜けたとき
「虐待」という行為が起きてしまう時もあるのではないだろうか・・・・・

長男の背中を思いっきり 叩いた事があった。
何で そうなったのか もう記憶もさだかでないが あの時の自分の
手の痛さは痛烈に覚えている。まだ2歳代の幼い長男に大人が痛いと
感じるほどの叩きは 一歩間違えれば 本当にぞっとする。
あの時手を上げた自分は 完全に「怒っていた」そんな鬼のような母に
確か長男は泣きながらしがみついてきた。叩かれても叩かれても
自分にしがみつく息子を見て しばし途方にくれた記憶もある。

今は立てば ほぼ目線がちょっと近づきある息子。
さすがに手が痛くなるほどの「怒り」の場面はないにしても
口で態度で いつも彼らをしっかり冷静に親として「叱る」時に
毎度「怒っている」自分がいる。

しっかり「叱る」というのは「褒める」事よりも 実は難しい。
こんな課題がいっぱいあるから未熟な自分は 毎度「親」という
仕事に毎日息切れを いまだにしている。情けなしの毎日だ・・・・・ 


変わらなくていいもの

2004年11月12日 09時18分17秒 | 独り言
パソコンでメールをやり始めてから とんと漢字が書けなくなった。
携帯に 知り合い達の電話番号を登録してから 電話番号が全く
覚えられなくなった・・・・・
脳は「使わなくていいよ」という指令を受けると どんどん
いろいろな機能をシャットアウトしていくようだ。
それに加えて 年々 脳は老化していくから たまらない。

最近多いのが 買い物などに行って ちょっと見た事がある知り合いに
ばったり出会う。
大体は 子供絡みのママ様達。それは わかっている・・・・
でも その後が続かない・・・・多分 長男の園時代で一緒だった・・・
決定的な名前が出てこない!困惑している脳とは勝手に
「久しぶりですね~~」
そんな お言葉を相手のママ様から かけられ・・・しかも自分の名前を
しっかりと言われたりすると 今更 散々 こんなに親しげに話しておいて
「え~~~と え~~と 失礼ですが お名前は・・・???」
なんて聞けない!しかも超失礼!
一応 顔に笑み浮かべ 話のほつれから相手のママ様の名前を 
笑み顔とは裏腹に必死に探っている脳みそ・・・
悲しいかな・・・こういう場面では結局出てこない。

探し物が なかなか見つからない苛立たしさと同じくらい こういう事は
なんとも気持ち悪いものだが 人の名前が出てこない現象は
以前より増えた気もする。

この先 もっと世の中が便利になっていくと 自分の脳は一体
どのくらい機能を閉じていくのか・・・・
ちょっと怖くもなる。

「便利だから 早いから」 
ひたすら楽さに甘えていると 自分のような人間は危ないのかもしれない。
今更 大昔の生活には戻れないが 世の中が進歩した 進化したと
小躍りで喜んでいる単純な自分とは反対に 実はどんどんと自分の脳は
遅れをとってきているのかもしれないと個人的には感じてしまう。

世の中には「変わっていいもの 常に変わらなくていいもの」
この二つが どんな時代にもあると思うが きっと今は
どれが「変わらなくていいもの」なのか 全くわからなくなっている時
なのかもしれない。
せめて各個人が「脳」を「変わらなくていいもの」にしておかなければ
いけないのかもしれない。

脳の活性化には 手先を動かす事も大事なようで・・・・
最近 ちょっと意識的にビーズ手芸にも震える超ぶきっちょ手で挑戦している。
こんなショボイ考えしか思い浮かばないようだから 自分の脳は
本当に遅れをとりはじめているようだ・・・・

王道

2004年11月10日 11時07分50秒 | 独り言
この間 久しぶりに気心知れた友人と長電話した。
お互い子供のいる母となり 住んでいる場所も近い訳ではないから
頻繁に会える訳でもないが 話している間は不思議と母親だとか
結婚しているとか いい年になってきた おばさんだという立場は すっかり
取り払われてしまう。気持ちは独身の頃の あの頃のまま・・・・・
それでも お互い子供がいるので どうしても話は 家族の事 子供の事
親になっている自分の話が多くなる。

「最近 自分の親に似てきている」
そういう話で盛り上がった。
顔形ではなく考え方というか子供に接する態度というか・・・・
こういう事をされて ホトホト嫌だったくせに同じ事を自分の子供に
やっていたりして・・・・そういう事は 自分も一杯ある。
「自由に好きな人生を謳歌してほしい」
そう声には出すものの 自分の奥底の心には「王道をいってほしい」
という叫びが沸々とあると友人は嘆く。それは振り返ると 自分の親が
子供であった自分に望んでいた事だと言う。

「携帯はドコモ 車はトヨタ」
王道を好むタイプは どんなに後から新しく安く画期的な物が出来ても
受け入れにくい。これだ!と決め込んでいる自分の殻を破るのが難しいタイプ。
だから子供にも「大学を出て 大きい会社に入って 普通の人生を歩む」
知らず知らず そういう気持ちが勝手にでき上がってしまってるのだとも
彼女は嘆いていた。

なるほど 王道族かあ~(またまた勝手に名づける)
確かにそういう人は たくさんいる。それに 自分も携帯は絶対ドコモ!
という訳ではないが 子供に対して 本当に「自由に!」と言い切れるのか
と問われれば 絶対自信はない。どの親でも どこかで「王道の道」を
子供に歩ませたいという気持ちは ちょっぴりあるのではないだろうか。

大事な事は いつか親という存在は 親である前に子供と同じ土俵の
上に立つ 同じ人なんだという認識を どこか頭の片隅に押し込めている
自分がいる事じゃないかなと考えている。
きっと自分の思い通りになれるものは 自分自身しかないのだろう。

でも「王道」を押し付けようとして悪戦苦闘している親の姿は どうでも
いいから苦闘している訳ではなく そこに一応「愛情」という根本が
あるから苦闘している。子供は親を見ている。いい意味でも悪い意味でも。
そんな苦闘も悪くない時もあるのではないかなと 楽観的な自分は
思ってしまうのだが・・

「冷静な 親の自分は常に必要だよね」
結局は こんな言葉で友人との話は毎度 終わる。
親である悩みの結論なんて 即出る訳でもなく 悩み自体探せば
キリはないものの ないと思えば 本当にないものである。

「違うじゃないか!」
電話を切って ある事に気がつき 超おかしくなる。
友人は 実は自分も嫌だと言いながら王道が好きなタイプかもと
散々言っていたが 絶対に違うと確信出来るものがあった。

友人の家は 専門屋(夫)が設計&監理をして建てた家だったのだ!
王道大好きタイプが 出来る事なのか・・・個人的には疑問だ!
かつての お施主さんであった友人に 今度会ったら是非その話を
してみたいものだ・・・・・

日本人に感謝

2004年11月08日 17時27分07秒 | 独り言
まだ11月だというのに 既にクリスマスケーキを考え中の自分。
自分が気が早いのか 世の中のクリスマス商戦が年々早まっているのか。
よく わからないが「まんまと乗せられている」とわかっていながらも
毎年 クリスマスには訳もわからず 子供達とケーキを食べている。

こんな私も含め 改めて 日本人という人種は滑稽なほど あまり自分という
ものがないと感じてしまう。

案外 こういう人達は多くないだろうか。
生まれた時は神前式 結婚式は にわか信者となって教会へ
いよいよの終焉では 今度はお寺の登場。
生れてから亡くなるまでの 人生の中で どれほどの神様が登場していくのか。
勿論 一生 何か自分の信仰心というものを持っている方々もいるだろうが
多くの人達が無宗教で何か行事の度に いろんな にわか信者となっていく。

江戸時代には約300年という長い年月を 鎖国というやり方で外との世界を
一切遮断してきた日本人だが その300年の間に 確固たる日本人独自の
何かをいまだに貫いているものは あるのだろうか。
何もないから クリスマスには一斉に皆ケーキに走るのだろうか。

でも そんな国民性だからこそ いい事もいっぱいある訳で・・・・・
宗教という名を借りた様々な戦争や内紛のニュースを聞いたり見たりすると
あまり意味も考えず どのケーキが美味しいのかとか安いとか
そんな事を毎年言い合いながら食べれる この状況こそが
この国民性の一番の特権だったのだと思い出す。

なんだか今年は 悲しい事件も多かった。 
滑稽で おかしい 本当に流されやすい いい加減なところがある日本人という人種に 
自分が属していて案外良かったかもと今年は思える。

一年を振り返るには まだ早い時期だが なんだか毎年この季節が来るのが
早くなっているように感じてならない。
それは一昨年より昨年が そして昨年より今年が というように 
毎年 時間というものが速度を増して進んでいるように感じられる。

年を取るとせっかちになる。そんな自分の表れか・・・・・
それでも 今年のクリスマスケーキ予約を物色中の この頃である・・・

結婚は・・生活??

2004年11月06日 10時58分27秒 | 独り言
なんと今日は 11回目の結婚記念日だった!!
凄い!凄い!パチパチパチ!自分に拍手 拍手!
相手にも・・・・・とりあえず・・・・拍手!拍手!

そもそも 結婚とは なんなのだろうか・・・・
結婚すれば 当たり前だが他人と暮らす。でも自分の配偶者は この世で
一番自分に近い他人になる。その他人同士が 何十年という長い歳月を
とりあえず生活していく。まあ、中には数年 数ヶ月という場合もあるが・・・
考えれば こんな無謀な事を 自分も含め よく皆やり遂げていると思う。

「結婚と恋愛は別!なんて絶対嫌!」
そう心に確信していた 若かりし頃の自分。今?今だったら即答で
こう答えてしまう。
「結婚は 生活!!それが一番!」
なんて味気のない即答。でも正直な感想・・・・

大体 どの人もそうであるが恋愛中というのは お互いに都合がいい。
好きな時に会って いつまでも一緒にいたいものの 結局 戻る巣が
お互いにあり そこに戻れば無意識にスの自分に帰れる。
スの自分があるからこそ 次回 相手と会えるのがまた楽しく 待ち遠しく。
だから会っている時は 煩わしい日々の生活も考えなくていいし
会っている時間だけが楽しく流れる。正に 皆 恋愛病という熱に浮かされている状態。
その雲行きが怪しくなっていくのは 結婚が本気まりになり やれ結婚式だ
新居の事だ 両方の親の事なんかが出てくる頃には 段々と 煩わしい生活の
一部が見え始める。それでも そんな煩わしさでさえ結婚前の二人には
楽しい煩わしさにも感じられるのかもしれない。

それが いざ結婚すれば 当たり前だが二人は同じ巣に戻り 嫌でも応でも
生活がスタートする。生活は恋愛病の熱に浮かされている暇はない。
お互いのスは暴露され 奇麗事では済まない事も多々見えて
それでも なんとなく時間に追われて日々終わる。それが生活である。

そこに子供なんかが生まれると その巣は又々 生活に追われる。
子供に接する相手の態度に 意外な一面を垣間見てしまったり
逆に 改めて尊敬してしまったりと(?)子供を介して 二人は
共通の「親」という人種に あっという間になってしまう。

生活 生活となんとも味気のない私の結婚観な訳だが それはそれで
結構気に入っている。恋愛上の延長が結婚と考えられれば 一番幸せな
事であろうが 結婚しても恋愛を貫ける人は凄い!
結局 二人の恋愛は 家族愛に強引にすり替えられていくのが現状では
ないのだろうか。

結婚記念日に想いをよせながらも もう頭の中は帰宅する家族達の
昼ご飯の事を面倒ながら考え始めている。
これが 生活というものなのかもしれない・・・・
やっぱり なんとも味気ない・・・・

ボランティア

2004年11月05日 11時19分33秒 | 独り言
毎日 平々凡々と生活していると 今の自分の状態が全ての世界だと錯覚しがちである。
本当は 様々な生活があって下を見てもキリがないが上を見てもキリがない。
どの生活が幸せで不幸なのか それは各個人の捉え方だが 常に いろいろな生活
いろいろな考え 多様な世界がこの世の中には存在しているという
柔軟な脳にしておかないと 専業主婦の自分は ますます狭い認識に
捕われそうで怖くなる。

子供の時から これといって劇的な人生を過ごしてこなかったものだから
初めて学生時代 柄にもなく一応ボランティアなんぞに参加した経験は
常に柔軟な自分でいたいと思った第一歩の出来事だったのかもしれない。

大体 自分本位で面倒くさがりの性格。おまけにボランティアなんて自己満足の
固まりだと生意気な考えを持っていたから 友人からのボランティアの誘いがあった時も
どうやって断ろうかと画策したほどだった。
「入院している子供と遊ぶだけ ボランティアなんてものじゃないから」
こう熱心に誘われても 実は超乗る気ではなかった。

渋々付いていった病院は 病院特有の薬品の匂いがプンプンしたし
真っ白い壁だらけだし そんな場所に入院している子供を想像しただけで
本当に嫌な性格だが ちょっと憂鬱になっている自分がいた。
でも そんな鬱々とした私だったが小児病棟にいたのは 底抜けに明るい子供達だった。

子供達とひたすら2時間遊ぶ。それが私に与えられた ボランティア。
トランプや お絵書き。単なるおしゃべり。こっちが どうしようと考える暇もなく
「次は これやって。次は こうして」
一人の学生の周りに あっという間に子供の輪が広がる。
いつしかそんな時間を過ごすのも苦痛でない自分がいるのに気がついた頃
結構冷静に小児病棟を見ると 入院している子供達には二つのパターンがある
事に気がついた。一つはケガや事故で入院している子供。一つは小さい頃からの
慢性の病で病院と家を行ったり来りしている子供。偏見の目で見ている訳ではないが
どの子供も明るいのだが 時折ふっと寂しげな表情を見せる子供は やはり
入退院ばかり繰返す子供達だった。昼間は こんなに無邪気に明るく振る舞っても
夜は寝れない 怖いと脅える子供が多いと言う話も 看護婦さんから聞いた。

そんな子供達の中で やはり小さい頃から入退院を繰返している女の子がいた。
彼女は引っ込み思案で大人しく いつも皆の周りからそっと覗いているタイプの
少女で 絵を描くのが大好きだった。そんな大人しい彼女だったが
一度だけ自分のそばにそっと寄ってきて 小さくこう呟いた事がある。
「お姉さんは お日さまの匂いがするよ」
彼女は生まれてから 病院で過ごす事が多かったのだろう。
普通の私達のように外に出て 思いっきり走ったり 太陽を身体に受けたり
そんな事も少ない これまでの人生だったのだろう。
普段 何気なく太陽の下を普通に歩いている私の全てを羨むかのように
目を閉じて 私の洋服の匂いを吸っている彼女を見ていると胸が詰まって
言葉にならなかった。

数ヶ月後 小児病棟から彼女の姿は消えていて 退院かなと看護婦さんに
聞いたら 看護婦さんは悲しく首を振るだけだった。
その日から ぷっつりとそのボランティアをやめてしまった。
どうしてやめてしまったか 理由はいろいろだったが 結局は 自分は弱い
という理由がピッタリだろうか。

ボランティアに行くなんて偉そうな事を言っていた あの頃だったが
結局は 様々な事を入院している子供達から得た気もする。

太陽の下で思いっきり遊んだ我が子の頭からぷーんと太陽の香りが漂う時 
今の自分の幸せと あの時 自分の服を静かに吸っていた少女を 
いつも思い出すのだ・・・・・・

断る気骨

2004年11月03日 12時03分11秒 | 独り言
本当に ちっぽけな小さな小さな設計事務所の我が家だが
どんな仕事も 頼まれれば絶対やるという事はない。
特に 個人住宅の場合は お金云々ではなく なんという高飛車な!と
怒られそうであるが こちらから「やめましょう」が出る時もある。
だから 設計事務所のセンセイはとか 批判的に捉えられるのも事実な訳だが
頼まれても断る事もあるという位の気骨がなければ 逆に本当の設計事務所では
ない気も最近は 個人的には感じられる。

この間の地震でもわかった事だが 特に個人住宅は 「奇麗!新しい!カッコいい!」
それだけではない。そういう要素も勿論大事だが とにかく「家」という場所は
その家族にとって絶対的に安全な場所で 精神的に一番 落ち着ける「巣」で
なければならない。極端な話 いくら安全な どんな地震が来ても倒れないという
屈強の家を造ったとしても 住んでいる家族がバラバラで結局 家族達がいつも
その家に寄りついていないとしたら・・・・本末転倒である。
建築士との「家造り」は 単なる「箱造り」ではなく その家族達の
生活を造っていく事にも繋がる。それには金銭の関係よりも 人と人との
信頼関係が大事にならざるをえない。

初回の打ち合わせから 約二年くらいかけて造られる「家造り」
そこには 建築士と施主の相性もさる事ながら価値観の一致が一番
大事なように個人的には思う。

以前 今の皇太子様が独身の時「結婚相手はどういう人がいいか」という問いに
「自分が美しいと思った花を 同じように美しいと感じてくれる人」
と答えていた時があった。
価値観の一致とは そんな事じゃないかなとも思う。

「あなたの見ている花は 美しいとは思わない。でも お金を出すのだから
 自分が美しいと思っている花を見てください」
これでは 建築士との「家造り」には なってくれない。

「設計事務所の家造り」は横柄な建築士が お施主の意見も聞き入れず
高い高い自分の作品を勝手に造り上げる。
こんな誤解が まだまだ世間に出回っているのも 時には「断る」という
態度がそう感じさせるのかもしれない。

今の時代 本当の仕事をきちんとやる事は案外 誤解や損な事が多いのかもしれない。
それでも きちんとやった事は 必ず自分達にも きちんと返る。
そう信じて いろいろな仕事をしていかないと苦しい時代でも
あるかもしれないと 超個人的には感じている・・・・・・ 

クロとの日々

2004年11月01日 14時47分29秒 | 独り言
CMクーちゃんが もたらしたのか 最近はペットブームが白熱だ。
犬を散歩している人も多くなったが それだけではなく
お洒落なバックに ちょこんと小さなワンワンが顔を覗かしている事もある。

自分が小さい時 一回だけ犬を飼った事がある。
ある日 学校から帰ると 小さなミカン箱に子犬が脅えた目で丸くなっていた。
それが愛犬クロとの最初の出会いだった。クロは捨て犬だった。
クロの母犬は純潔の柴犬 血統書であったらしいが 父犬は全くの雑種。
クロはそんな両親の間に生まれた 柴犬と雑種の混血犬だった。
犬を飼うというより血統書というブランドを飼いたかったのか クロの母犬側の
主人は 混血犬のクロ達を嫌い あっさり捨ててしまったらしい。
なんとも ひどい話だ。クロ達兄弟は 私の伯父の働く工場に現れ 人に媚って
餌をねだりに来ていたらしい。そんな兄弟の中で クロは全く人に媚びたりしなかったらしい。
そんな態度が気に入り 伯父はクロを我が家に連れてきた。

とにかく大の動物嫌いの母を説得し 私と姉は自分達で絶対面倒をみるという
約束で飼い始めたのだ。

せっかく飼うのだから名前は カッコいいものをと姉と考え抜いている間に
鼻ずらが黒いから クロという名前を祖母が勝手に呼び出し どんなにカッコいい
名前で呼んでもクロは振り向きもしなくなった。
捨て犬という習性がそうさせるのか クロには そういう頑固なところがあり
そのくせ臆病で 躾らしい躾をしなかったせいか 大層おバカな犬であった。

最初の頃は物珍しく喜々とクロの世話をやっていた私達姉妹だが そこは子供の常。
自分達の休日には朝の散歩も忘れ 寝坊する事もしばしば・・・・
クロは「早く散歩に連れていってくれ~」とばかりに泣いていた。
さすがに これには親も呆れ
「自分達も朝起きてトイレも行かず食事もせずに過ごしてみろ」と ひどく怒られた。
可哀想な事をしたと 少々後ろめたい気持ちで クロに会いにいくと
クロはバカみたいに 喜びの態度で歓待してくれたものだ。
人間だったら「どうして もっと早く来ないのだ」と怒りの態度で待っている筈が
クロは毎回澄んだ瞳で ありったけの信頼の態度で待っていてくれた。
それは素直を通り越して 悲しい程 純粋な おバカな態度だった。

クロのトレードマークの黒い鼻ずらに 人間同様 うっすらと白髪が目立った頃
蚊が運んでくる伝染病で あっという間にクロは逝ってしまった。
初めて命ある物は死ぬという現実を知ったし 命のあっけない程の
はかなさの前に 無力な自分が腹立たしかった。クロのいなくなった庭には
ほんのりと犬独特の残り香もあったし それから姉と一週間 腑抜けのようだった。
そんな中の驚きは あれほどクロを飼うとき猛反対していた母が 毎日庭を見ては
涙で赤く染まった目を 隠れてこすっている事だった・・・・・・

いつかは 犬を子供達と一緒に飼いたいという気持ちもある。
でも クロが逝ってしまってもう20年以上たつのに いまだにクロと過ごした
日々がありありと蘇ってくる。その中の自分は 純粋なクロと比べれば
いつも狡くて 自己中心な人間の醜さという特徴を一番 背負っている自分。

クロを思い出すたび 自分にはそういう醜さがある 人間という性がある事を
思い出させる。
考えれば そんな事が なんとなく怖くて これから先 何が何でも
「犬と生活したい!」という気持ちにならないのかもしれない。
結局 自分という人間は クロより臆病な生き物なのかもしれないのだ・・・・・・