設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

うまく こき使う

2005年09月30日 17時30分45秒 | 独り言
図面をいじくりたがる。
こういうクライアントの方々 結構多いそうで・・・・・
勿論 自分が客なのだから自分が建てる建物について
こうしてほしい これがいいと意見を言うのは当たり前。
でも ただ「いじくる」
これは相手が設計事務所で何か造りあげるのであれば
ややこしい事となるようである。

ここでいう「いじくる」とは どこかの料理店へ入って
厨房に入っているコックの手元に自分の味付けを
あれこれ口だけで言うだけじゃなく 自分で実際に
味付けしてしまうのと似ている。
最終的な盛りつけを ちょっと工夫してもらって
後は自分が手を下す。
当たり前だけどプロの味にはなれない。
でも それが満足というお客様には最高の味だと感じる。

「この光庭は こんなに大きくいらない」とか
「この部分は もっと小さくしたい」という細かな部分を
いじくり始め 最終的に何を欲しているのかと聞くと
結局 納戸がもっと欲しいとか リビングをもっと
大きくしたいという根源が出てくる。

その気持ちの整理をしてあげるのは 勿論 建築士の
仕事だけれど 明らかに「自分が手を下したい」という
方達もいる。そういう方達は 自分が手を下したものを
を施工側に建物にしてもらえばいいのである。
むしろ設計監理料を払うのはバカらしいのだ。

よくあるのが建ててから 
「これは図面だと無駄に見えたけど あって良かった」
なんていう言葉。そう立体的に建った建物で やっと
光庭の役割なんかが生きて見えるという事は よくある。
ここまでくると 建築士が言っている事が信用出来るか
どうかの信頼関係となる訳だが・・・・・

朝から夜まで どういう感じで太陽が建物を包み
光は 風は どこから入って抜けていくのか。
この外壁だと建物は こんなイメージで この
外壁にすると こうなってという いわばCGのようなイメージ。
とりあえず一応プロの目は 当たり前だが クライアントの
誰よりも完成した建物の立体を頭に描いているのだが
とかく平面の図面を睨めっこしている素人の方達の
頭の中は この「立体感」が湧いてこない。

目先の大きい 小さい という枠の中に目がいってしまうらしい。
それは当たり前である。そのプロの才をお金で買っている
のであるから。

だから なまじ「いじくる」と プロの才がなくなってしまう。
「こうしたい ああしたい」
じゃんじゃん意見を言って とことんプロをこき使う。
自分で手を下したところでバカらしいのだ。

プロをうまく こき使う。
設計事務所に対しての使い分けがうまく出来るクライアント達は
こっちが羨ましくなる位の お金に見合った建物が
造られているようだ。

まあ、それにはプロとしての才をとことん信頼してもらう
という大前提がある訳で・・・・

一つの建物が建つまでには やはり人と人とのドラマが
ありそうである。。。

ふと見たら

2005年09月27日 15時53分45秒 | 独り言
ふとテレビを回したら なんとかタイゾーとかいう国会議員の
単独記者会見だった。
いやあ~~日本も平和だ。
なんでも当選してからの軽率な発言についてらしいけど・・・・

「料亭にいきたい」とか「外車が欲しい」とか
いい歳した大人の男が自分の両親の事を
「お父さんが お母さんが こう言ってました!」
なんて感激の顔で言っているのを聞いて まあ 相当な
オバカだとも思ったけど つんと澄ました顔して裏で
何しているかわからない議員やら 税金の無駄使いのような
二世議員の誕生より正直でオバカっぽくていいのじゃないかと
思ったほどだ。

たった1人のオバカな議員を追いかけられるマスコミが
ある事自体 日本は平和かもしれないけど やっぱり
変な国である。

大変な仕事や 人が嫌がる仕事をしている人達には
それに見合うお金が払われなく 楽をして生きている人達に
限って 勝手に他人のお金を使い込んでいる。
おかしい おかしいと文句言いながらも 革命が
起きるほどの気迫も動きも 今の日本人には全くない。
どこかで「おかしい」と言いながらも結局他人事なのだ。

かくいう自分もそうかもしれない・・・・
この気質があるから戦後 混乱せずに何とかおさまったのか。

それにしても政治家という仕事もおかしなもので テレビで
やっていたけど ついこの間 当選した議員達の給料が
130万位だそうで・・・・しかもたったの10日。
なんとかタイゾーさんとやらも とりあえず4年間の
高給職を文句言われながらもゲット出来たという訳だ。

「これから勉強させていただきます」
こういうセリフを政治家さん達が言う度 
「これからの勉強の為に私の税金使うなよお~~」
とムカつくのは自分だけなのかな。。。。。

まだ刑も確定してない半分犯罪人もちゃっかり受かっているし
一体 どうなっているのやら。。。

外の世界には疎いオババだが 子供の最近のこのテの質問には
毎度詰まるのだ。
「日本て民主主義なんだよね?」という質問・・・・

民主主義って こういう国なんだ・・・・・
速効で頷けないのは なぜだろうか。。。

ブログの意義

2005年09月22日 17時41分05秒 | 独り言
こんなショボイブログでも 心暖かい(?)知り合い達は
暇を見つけては見ていてくれているらしく ちょっと
おサボを繰り返すと
「最近 更新されてないよお~~」
などという苦言あり・・・・・・

当初は「いざ!設計事務所の裏側を!」と意気込んで
いたものの やっぱり書きたいのは自己中心な日々の徒然・・・
こういう文章にでさえ自分勝手が十分発揮されてると・・・

それはそうと毎日何かを続けるというのは やはり
ぐうたらな自分には苦難であった・・・・
感動的な育児を展開している訳でもなく 一生をかけて
やりとげている仕事を持っている訳でもない凡人の毎日と
いったら・・・・
毎日の内容のショボイといったら ありゃしない。。。

ブログというのは不思議なもので 更新がたまると
なーんか気持ち悪い。
一体いつまでこのモヤモヤを抱えていくのだろうと
不安になるが 一応心暖かい(?)知り合いの皆様が
これまた一応楽しみにしていると言われると切れやしないのだ。
そして結構 プライベートな事を書いてしまった翌日には
「こんな事あったんだね」と言われたり・・・・
「なんで知ってる!?」とギョッとして
「ああそうか。書いたんだ~~~」なんて事になる。
そして改めて自分の家で机上から情報を発信出来る
凄さを感じてしまうのだ。

明日から3連休。
平々凡々な日々から ちょっと抜け出て旅行となる。
しかも友達家族との初めての自炊式旅行。
そのせいで 毎度のラクダが欲しいほどの大荷物に
加えて食料が加わり・・・荷物の膨大さが異常になっている
有り様である。

平々凡々は確かに単調。
されど 毎日ドラマのような展開で日々送っている人も
少なく・・・・

平凡ゆえに感じる事が出来るのは こうやってショボイブログを
更新出来るのは まぎれもなく とりあえず平和に自分が
生きているという証でもあるらしい。。。。

毎度考えさせられる

2005年09月20日 10時24分09秒 | 独り言
先日 子供達の懇談会が学校であり連日学校へと
足を運ぶ事となる。
毎度 うんざりというか 毎度考えさせられるのは
懇談会の話題が
「どうしたら子供が勉強するようになるか」
という親達の切なる叫びの話題となる・・・・
地域性のせいなのか知らないが 一般的に子供達はいかに
勉強や宿題から逃れようとし それを追いかける親達の
姿が毎度 懇談会の度に目に浮かぶ。

まあ、親子の関係やら教育問題やらは星の数ほどの考えがある。
それが正しくて どれが間違っているとも言えないが・・・・

母性希薄の自分は毎回こういう話題が出る度
頼み込んで懇願して やっと「勉強なるもの」をさせて
一番喜んでいるのは誰だ?とふと考えるのだ。

「勉強しなさい」で机に向かった子供達は誰の為に勉強
しているのだろうか?勿論 命令を出した親達の為である。
そして机に向かってさえいればいい 塾にいってさえいればいい
という おかしな構図が出来ないのだろうか。

大体 何の為の勉強なのか 誰の為に宿題なのか 自分は
どうするべきなのかという教えを大人達はやる暇なく
「~しなさい」と「~してほしい」という命と懇願ばかりを
子供達に繰り返す。

ニートが増える訳である。

毎回 誰かに指示されて誰かに頼まれてしか動けない。
結局 自分で「今どうしたら?」という決断が勉強だけでなく
全てにおいて出来なくなる。

とまあ、偉そうに書いてみたが 自分も1人の親。
しかも出来損ないの親だ。
ただし夏休みも宿題がやりたくなかったら やらなくてもいいとも
思っている。その代わりなぜやりたくないのか。その
理由を全ての人達が納得できるように必ず述べよと言い聞かせている。

自分がやった結果は全て自分に戻ってくる。
良い事も悪い事も。それが全部把握出来て 人に迷惑がかからなければ
自分で責任持って行動すればいいと思う。
そこには親も立ち入れないのではないかと思う。
ただ親として ほんの数十年だがとりあえず長生きしている
先輩として懸命にやった行為は それなりの実をつけて
自分を大きくするよというアドバイスだけはしているつもりだ。
本当は アドバイスなんかじゃなく そういう姿を見せる事だけで
親の役割なんか半分果たしてしまっているように感じるけど
自分みたいな ぐうたらはとても出来やしない。

違った意味で我が家の子供達は母の姿を見て こう学ぶだろう。

「ぐうたらな行為は ぐうたらな結果でしか戻ってこない」
という事を・・・・

手は口ほどに・・・

2005年09月14日 17時26分43秒 | 独り言
最近 人の年齢を当てる時には ついその人の
首筋と手を見てしまう癖が出てきた。
嫌な癖である・・・・・

でもいくら若作りをしても どうしてもこの部分
首や手には年齢が垣間見える。
悲しいけれど・・・・・
それに手相の本とか買って読んでいるうちに
手のひらの手相だけでなく 手そのものの形や
指の長さやら大きさやらが その手の持ち主の
性格を反映しているようで ますますテレビなどを見ていても
つい視線が手に映るのだ。

よく身体に比べて手が大きい人というのは気が小さいなどと
言われるが・・・・
自分はガッカリするほど手がデカイ!

今は すっかり家事おばさんのゴツゴツした手だから
マニュキュアなどのお洒落ものは すっかりご無沙汰で
あるが とりあえずは若かりし頃は 毎日マニュキュアとの
睨めっこの日もあった訳で・・・・・
それがいくら塗っても塗っても これが似合わない。

大体ほっそりと長き指を持っている手に 深紅のマニュキュアが
映えるというもので・・・・
ゴツゴツと節くれ立ったビックな手は 悲しいほど
爪の形も武骨である。
こういう爪はいくらどうあがいても 似合わない・・・

極め付けは 指輪も似合わないって事。
店頭にある指輪が なぜか自分の指にはまると なーんか
おかしい。

あの頃「薬指のサイズは9号です」なんていうフャックスの
宣伝があって 調度めでたく自分もとりあえず婚約指輪を
もらえる立場であったけど・・・・
自分のサイズは 夫が自分の薬指にはめて「OKだ!」と
なるから物凄く悲しいではないか。。。
そう 憎らしいほどというか うまい具合にというか
夫は男のくせに手が小さく 繊細な指をしてる。

スウィート10指輪は なんだかうまくはぐらかされて
しまったので 今からでもと
「おーい 薬指のサイズは同じですから 残念!」
とギター侍ばりに 言い続けているが まだまだ
はぐらかされ中である・・・・残念・・・・

自慢にならない自慢話

2005年09月12日 15時14分00秒 | 独り言
個室に入るせいなのか 世の女子トイレというのは
大体において混んでいる・・・・・

我が家は逆ハーレム一家ゆえに 行楽地などで一家総出での
トイレタイムになると 必然的に自分が「遅い!」という
文句を受けるはめになる。
そんな文句を言われても ちょっとトイレの少ないところに
行けば 長蛇の列は毎度女子トイレ。
男子トイレが長蛇の列というのは あまり見た事がなく・・・
「一体 この個室で何を繰り広げているのか!」
そう感じるほど長き女の人も確かにいて・・・・
どっこらしょと座った途端 もう自分の空間になってしまうから
なのか 女の人 特に自分同様 オババ根性の
「自分が一番!」が強く出てしまっているのか よくわからないが
ともかく「女の人=トイレは長い!」というレッテルがある。

自慢じゃないが というよりこんな事は自慢にもならないが
自分は一応 大昔から「早い!」と言われ続けた。

会社にいる頃 隣に座っている後輩が なぜ早く出れるのか!
みたいな話になり 他の人達より早く出られる技(?)は
「こうだったのか!」という発見があり(?)それは
ある一種の同時行動。自分は用足ししている時点で既に
紙をコロコロとしているという点らしい。
なんともまあ小汚い話だが事実なのでしょうがない。

それでも自分もそうやっているのに遅いという人もいて
この「同時進行話」が「早い!」という原因でもないかも
しれないが・・・・
ヨソ様の方々よりも出が短いのか勢いがいいのか・・・
(またしても小汚い・・・)
こればっかりは丸見えの中での「ヨーイドン」は出来ないから
何とも言えないが・・・・

で、会社ではとりあえずトイレが混んでいると自分の特技(?)
なるものを知っている輩達は こぞって自分の後ろに
並び始めたりしたものだが・・・・

こんな特技をエッヘンと我が家族の♂どもに言ったところで
「はあ~~~??」という奇異な目をされるだけだ。

それでも女子トイレの長蛇の列に遭遇する度 
「ああ、こうすれば時間半減かもしれない・・・」
などと指南したくなるのは・・・
少々 おかしいオババ根性である。

謙虚さと厚かましさと

2005年09月09日 16時58分40秒 | 独り言
昼間 おばさん根性丸出しでヨン様が出演していた
トーク番組を見入ってしまった。
何も熱烈なファンという訳じゃないけれど テレビでも
言ってたのだが ヨン様がプライベートなインタビューを
受けるのは珍しいらしい。
で、世のヨン様命の熱烈ファンには こんな事書いたら
怒られそうだけど「一体なぜに?」という印象があり・・・・

特別 そう超特別のイケ面顔という訳でもなく ヨン様
自身も繰り返し言ってた通り 小さい頃は確かに
物静かで上品なお坊ちゃまという感じで 今の
フィーバーぶりを想像した同級生はいなかったのでは
ないだろうか。それほど自分個人的にはヨン様の中に
「平凡」という二文字が浮かんでくるのである。

でも「平凡」にしては この熱気ぶりは物凄い。
日韓の政治状況など諸々の問題を吹き飛ばす位
おばさんパワーは衰える事もない。

でも こんな自分もトーク番組を見ているうちに
「これか!」というヨン様魅力がじわじわ わかってきた
ような気がした。それはずばり「謙虚さ!」

「それだけじゃない!」と熱狂ファン様から又しても
怒られそうだが あのいくら有名になっても変わらぬ
ファン命の謙虚さは 日本人の心をくすぐるばかりだろう。

結局 人はどんな才や外側が凄くても 人としての
謙虚さや控えめさ 気配りなどの方が光ってくるらしい。
そしてそれになぜか魅かれていく。
ないものねだりで 自分では出せないそういう部分を
持っている人に飢えている現代人かもしれない。

この謙虚さ 確かに人の心を惹きつけてやまない。
でもそれが商売上 例えば営業や駆け引きの場になると
この謙虚さは仇となる。

明らかに嘘の部分丸出しの商売は 人が寄りつかないが
「いいでしょう!ねっ ねっ!」という一種の厚かましさが 
我が家のような商売では時に 納得させる材料となって
しまうらしい。

建築雑誌の表紙を飾るような華々しい建築家の大先生でも
玄人集団の中では「大したものじゃないのだけど・・・」
という大先生様もいるらしい。
それでも華々しく表に出るのは 謙虚さよりも少々の厚かましさで
出てくる場合もあるらしい。
勿論厚かましさだけでは説得出来ない 基本の才が光っている
からこそなのだが・・・・・

消極的に地味にしていても人は振り向かない時もある。
まして我が家のような商売は「説得」という部分が
いやおうなく出てくる場合もある。
だが だからといって やはり人としての謙虚さと思いやりと
気配りのない仕事は それだけの結果しか生まれないような
気もする。

人様からお金をもらうって・・・・
なんだか複雑で難しい・・・・

微笑んだだけで 誰かたった一人でも幸せな気持ちに出来るなんて
やはりヨン様は カリスマスターである。

厄介者

2005年09月07日 17時52分27秒 | 独り言
ペットブームが過熱する一方で血統書でない犬や猫
いわゆる「雑種」と呼ばれる犬猫達が捨てられているという。
そして大型犬の成犬も捨てられる数が多いらしい。

なんだか人間の尤も醜い部分が出ているようで
うんざりしてしまった。

このペット過熱ブームは 何も皆が自分以外の動物と
目線を同じにして共存していきたいという気持ちが
高まっている訳でもなく ペットを動物というより
自分が身に付けている「宝石」や「生活の質の表れ」
として 表現したいという人間特有のくだらぬ
打算の気持ちが高まってきているだけのような気がする。

だから大型犬を小さい頃は興味本位と自慢で飼い始めた
ものの きちんとした躾も出来ず持て余してしまえば
さっさと捨てるという行為になる。

犬や猫を飼いたいのではなく「血統書の何々」と
言いたい自分がいるから 雑種の子供が産まれてしまうと
平気で捨てるという行為にもなる。

結局 こういう事をしてしまう人達はペットを愛するよりも
何よりも自分を一番愛したいのである。

不幸なのは こんな人達に気まぐれに連れ回されている
ペット達であろう。

ペットの美容院から洋服屋から食べ物屋から保険から
果てはペットのお墓産業と ここ数年でペットを
取り巻く環境も変ってしまったけど 同じように
飼う側の人間達の気持ちも「ペット宝石化」となっている
ようだ。

勿論 こんな「自分が一番」的な人ばかりがペットを
飼ってはいないのかもしれないが 後を絶たないという
捨て猫&捨て犬現状の話を聞く度に この世で一番の
厄介者は人間だなあと感じる。
これほど自分の気持ちを誤魔化して それを平気でやってのける
生き物はいない事だろう。

捨てられたペット達は 文句も言わない。
きっと捨てられても また元の飼い主を見れば尻尾を振って
喜んで飛びつく事だろう。

そんな澄んだ瞳の彼らに このペット過熱ブームは
どう映っている事なのだろうか・・・・


待つ

2005年09月03日 09時13分00秒 | 独り言
「待つ」事が上手な人は 人でも植物でも何でも
育てる事が上手だそうである。
自分にはこれが出来ない。
「待つ」というのは苛々するのだ。それに先が見えない。
結局 待っている対象物に対しての信頼感がないのかもしれない。

で、何が書きたいのかというと 結局「これだけは!」と
意気込んで買ったサボテン二つ 枯らしてしまったのだ・・・

毎度 何か植木鉢を買っても 何か植えても きちんと
育て上げた試しがなく・・・
とりあえず「育て上げるぞ!」という意気込みだけは
あったのだが・・・・!

言われた通り水だって一ヶ月に一回あげたし 日にも
時々当てたし・・・たったこれだけで育てた!という
感じではないが やった事はやったのだが・・・・

日に日にサボテン達の緑は茶褐色になり 今は生きているのか
さだかでもない状態。
手のひらに すっぽり入る位のミニミニサボテンだったから
早く大きくならないかな 花なんか咲かせるのかなと
確かに「待つ」という心になれなかったのは事実でもある。

サボテンに限らず 自分の子供に対しても「待つ」という
行為の出来ない母である。

長男が赤ん坊の頃 一歳を過ぎてもなかなか歩き出さなかった。
同じ頃に生まれた知り合いの 子供達はもう走っている子も
いるというのに。
愚かなもので発育には個人差があるとか 頭でわかっている
のにもかかわらず さすがに一歳を3ヶ月も過ぎてくると
心配になり まだつかまり立ちでふらふらしている
長男の手をとって 歩く練習などしたものだ。

今考えればバカらしい。
結局 一歳3ヶ月過ぎには一人で勝手に歩き出した。

次男は こっちが考える間もなく対照的な8ヶ月の
終りという早さで歩き出した。

早く歩いたから どうなったか。
遅く歩いたから どうなったか。
これは今の子供達を見ればわかるが 何も変わりはない。

それなのにくだらない親の勝手な思惑で「待つ」事が出来ない。

待っても無駄な事があり 待っても苛立つ事があり
自分がやってしまったり 自分が動いた方が
マシだといつも感じてしまうのだが 相手を信じて
じっと遠くから「待つ」というのが 毎度植物を枯らしてしまう
今の自分の課題なのか・・・・

そしてとりあえず親をやっている自分の課題でもある・・・



なぜか遭遇

2005年09月02日 09時17分00秒 | 独り言
「なんで こんな所で!こんな方と!」
という出会いの偶然が いつもある。
変なオーラ発してるのじゃないの?と毎度 皆にも
言われてしまうのだが・・・・

夏休み最後の週に家族で行った とあるプールでも
次男の園時代の母子とバッタリ出会い・・・・
あんなに子供同士 3年間も一緒のクラスで仲良し
こよしの濃厚な仲を築いた女の子であったのに
こっちを見る目は もう他人の目である。
同じく我が家の次男も「誰?」という目つき。
子供ってこういうもんだけどね・・・・・

それに比べ母達は うるさい。
「なんで~~?え~~?なんでこんな所にぃ~?」
という訳のわからん言葉で挨拶・・・・

思えば園に絡んだ人達とは正に「こんな所で!?」
という偶然がやたらある。

伊豆の弓ヶ浜の海水浴場でふと斜め後ろを振り返ったら
当時 園児だった次男の担任の先生だったり・・・・

御殿場のアウトレットで買い物をしていたら 前から
やはり園児だった我が家の息子達がお世話になっていた
園の男の体操の先生一家がぞろぞろ歩いてきたりと・・・

電車に乗って 前を見たら当時 園児だった長男の
担任の先生がにこやかに笑っていたりと・・・・

やはり一番こっちもあっちも焦り驚きがあったのは
弓ヶ浜の海水浴場。
結構大きい海水浴場。同じ場所に来ていたとしても
たった数メートル先にテント張る必要もない訳で・・
「どうして先生が~~~!」
と発見した時は 驚きの目がついつい先生の連れを
探しているのだからオババなんだよねえと思う。

若くて可愛らしい先生ゆえに勿論 恋人様と来ていても
まーったくおかしくなく・・・・
でも残念。この日の先生は女の人の友人と二人であった。
先生・・・もし恋人様と来ていたら さぞテント張った
場所を悔いた事だろう・・・

その後 記念になぜか水着姿をタオルで覆い隠した先生と
息子達が記念写真。
勿論 オババな自分はこの画像を早速 先生を知る
知り合いへと回し始める。
「へえ~~~凄い偶然だね。で、誰と来てた?」

やっぱり知り合いも相当オババである・・・

このオババな好奇心が誰かを呼ぶのか 惹きつけるのか。
どこか違う場所にいくと ついキョロキョロの自分である。


酒と歳と

2005年09月01日 08時48分00秒 | 独り言
最近 冷酒が旨いと思い始めている。
いかん いかんである。

夫婦二人が大酒飲みだと家が潰れると言われるが
我が家は 夫が大酒とはいかなくても中酒程度・・・
これで自分までもが酒が旨いと思い始めたら
ヤバイ我が家なのである。

元々 ビールは飲めないけど他の口当たりのいい酒は
嫌いではない。
でも最近 このビールに加えて 歳のせいか
炭酸が入った酒は どうも駄目になってきている。

よく店で見かける缶に入っている口当たりのいい
カクテル系のお酒も 炭酸が入ってると一本飲めない。
その代わり この季節なら冷たく冷やした梅酒に
氷を一個か二個入れて チビチビ飲むのがいいのである。
で、最近 これに加えてキンキンに冷やした冷酒も
いいなあと感じてしまっている。

日本酒には刺し身が合う。赤ワインには やっぱり肉。
赤ワインに生ものは いただけない等々・・・・
酒のつまみについて あれやこれやと講釈を述べる
夫を毎度無視してきたが この間 冷酒に塩辛の組み合わせは
なんともいえず美味!であって・・・・
やっぱり夫の講釈もバカには出来ないかもと・・・
勝手に今頃になって感心している有り様である。

ワインも大好きなのであるが どうも翌日がよろしくない。
合わない酒というのはあるのかもしれないが 量的に
全く飲んでいないのに どうも具合が悪くなる。
子供が小さい頃は 頭が痛いと尤もらしく言えば
母は体調がいつもと違うらしいと神妙な顔になってくれたが
最近では頭が痛いといえば
「また二日酔い?」なんて聞いてくる・・・

歳を取るに従って よく酒が弱くなったという人がいるが
それは肝臓が弱ってきているからだそうで そういうのは
良くないらしい。

自分も炭酸系も苦手になりワインも苦手になりと
徐々に身体が アルコール類を締め出そうとしている
のかもしれない。

そういう中で この冷酒チビチビ飲みは今の自分に合っている
という事なのだろうか。

酒の飲みっぷりにも 歳が出る。
何でも 誤魔化せないものである・・・