設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

カチカチと

2006年04月26日 09時35分03秒 | 独り言
息子達が学校の宿題で調べ物がある時の
合言葉は「パソコン貸して~」となっている。

四字熟語だろうが社会の調べ物だろうが
歴史の事だろうが たった一台のパソコンを
カチカチとすれば膨大な資料がずらりと並んでくれる。

そんな光景を目にする度 大昔人間の自分は 物凄い
空恐ろしささえ感じてしまうのだ。

自分が小さい頃は 一家に一冊という感じで
分厚い百科事典なるものがデンと本棚にあったものだ。
勿論 非日常でしかお目見えしない。
夏休み前とかに よっこらしょと引きずりだしたりと。
辞典にしても たった一字を引くだけで妙に時間が
かかった記憶もある。

それが今や カチカチの一瞬だ。
いやあ~~~便利と最初は絶賛していたけど ますます
実際に触れて確かめてという作業から縁遠くなるような
気がする。

そんな事を言っても ふと気がつけば子供なんかより
自分の方が このカチカチ検索に慣れ過ぎた生活を
送っている。
ケチな我が家は新聞もとってないから 家事の合間合間に
カチカチで まずニュースを読んでいるし テレビ番組表も
カチカチだし 旅行の情報から何かの贈り物から 映画や
学校の情報までカチカチになっている。

ホームページという便利な広告手段があるものだから
その場所に足を運んだり 電話したりという作業が
一気にはぶけ しかも机上で終わる。

まあ、弊害もあれば利点もある。
それが新しいものの宿命ともいえるだろう。
人が使いこなされ躍らされれば こんな便利は
あっという間に弊害に変わるだろうし 
「便利だ。しかし・・・・」という姿勢をどっかで
こちらが保っていないと難しい世の中に突入したと
いう事だろうか。

でも
「こんなにパソコンが普及して本屋はさぞガラガラに
 なりつつあるだろう。」
毎回こんな自分の予想を遥かに裏切るほど大型書店は
結構 平日でも人であふれている。

やはり皆 自分同様 どっかで机上だけの画面だけの
ものでは ちょっと物足りないという気質なのかもしれない。

バランスボール

2006年04月21日 15時23分53秒 | 独り言
バランスボールというのをご存知だろうか。
カラフルな色がついたゴム製のボール。
それぞれ人の体格によって大きさが異なるが
要は このゴム製のボールに座ってボンボンと
飛び跳ねるが如くに座るだけでも「健康!」という
ものにいいというキャッチフレーズの代物・・・・

何でも飽きっぽい我が家にも 子供用に買ったボールがある。

勿論 当初は めずらしがってキャーキャーと奇声あげ
時にはくだらぬ取りっこを繰り返しながら
飽きっぽい家族の毎度のお決まりの如く
狭い部屋にあっちコロコロ こっちコロコロと
転がっている有り様である。

説明書には座るだけでなく 足をのっけて腹筋やらと
多種多様な使い方が書いてあるのだが もっぱら
自分がテレビを見る時の座イスとなっている。

以前 このバランスボールを学校に使用したところ
生徒達の集中力が高まったとかいうテレビ番組を見た。
どっかの外国で本当に教室には各自の「マイ バランスボール」が
存在し そのボールにボンボンと座りながら授業を受けている。
見ているだけだと あんなにポンポン飛びながら集中
出来るのかと思うが 実験結果では好成績の数値を出しているとか。

集中出来るというなら 何も子供に限らず大人の社会に
おいても そう民間の会社なり役所なりが使えば
仕事が多いにはかどるのであろうか。
うーん、でもこっちの想像はもっと疲れる。

「課長 お電話です~」
なんて声を張り上げるOLの皆様もポンポンと飛びながらだし
「この問題点はですね・・・」
重要な会議での曇った声での発言もポンポンと
飛びながらとなってしまう。
中にはバランスボールに うまく座れぬ重役の方達も
生まれてきてしまうかもしれない。

そう、このバランスボール 何がいいかってボケーっと
出来ない。だから背筋がピンとなってしまう。
足も組めないし だらしがない座り方が出来ない。
ちょっと気を許すと コロコロとボールから自分が
無様に転がる。

こういう利点が集中力に繋がるのか。なんなのか。
しばし くだらぬ空想にふけって
「バランスボール椅子で仕事を!」なんていうキャッチフレーズの
企業が誕生してくる事を待つとしようか。。。。

言葉の力

2006年04月19日 18時13分02秒 | 独り言
裏窓 実は「裏婆 urababa」というハンドルネームにて
もう一つのブログを このgooでご厄介になっている。
こっちのブログは詩とも散文とも言えないような
殆ど 自分に向けてのようなものだが ポチポチと
そう、本当にポツンポツンとコメントが来てくれるのが
大層嬉しい。

ブログとは本当に不可思議な世界である。
コメントをくれる方達は結構 若い方達が多いし
住んでいる所もまちまちである。
そんな 多分どこかの街角ですれ違ったとしても
全くわからぬ未知の方達が偶然目にした自分のブログから
やってくる。

言葉は武器になるとは よく言ったもので
こうやって何かを「書く」という表現によって
人は傷つきもする。
特に ネットの中では妙に人を攻撃するくせに
実際のつき合いでは そういう事が一切出来ないと
いう人も多いらしい。

掲示板や他人様のブログをちらりと時々見ると
正に「バトル!」というような言葉のやりとりを
している場所もある。

不思議なもので どんなに誤魔化して書いても 
その文からは書いている本人の個性がひたひたと伝わってくる。
これはいい意味でも悪い意味でもだ。

ありがたい事に もう一つのブログにコメント寄せて
くれる方達は 皆「一生懸命何かを!」という気持ちが
一杯伝わってくるような方達で コメントを読んで
ショボイ ブログだけど「頑張ろう」とこっちも
少し元気になったりするのだ。

たった一言の言葉がうちひがれるようなショックを
持ってくる事もあれば 明日への活力となるような
喜びを持ってくる場合もある。

言葉は不思議で 同時に非常に重いと最近感じる。

このもう一つのブログ 10年来の友人が落ち込んでいた時
勝手に自分の幼稚な詩を贈ったのがきっかけで生まれた。

「これ いいよ~ ジーンと来た~~」
その彼女の言葉で思わずブログにしてしまったのだ。
やはり人の言葉は威力がある。そして自分の単純さに
笑いが出る。

大人になっても いつになっても人は認められると
ちょっと頑張ろうと思うのだ。

朝の15分

2006年04月18日 14時14分51秒 | 独り言
ここのところ次男が学校の金管バンド(いわゆるブラスバンド部?)
というようなものに入部したので 朝練習というのが毎日ある。
ということで一応母の自分もいつもの時間よりも少々の早起きに
なっている。

これが辛い・・・・
誰がって子供じゃなく 親の自分・・・・

たったの15分位しか時間は変わらないが この朝の
15分というのは凄い。

今まで7時半頃までウダウダ朝食を食べていた時も
あったのだが 今や7時半には片付けに入る。
うーん この調子で家の中がテキパキとなればいいのだが
どうも家事の合間合間に自分で茶々を入れる癖がある。

今日も銀行に行こうと引き出しをガタガタ開けてみたら
あまりの粗雑な中身にぐんなりして 一気に引き出し
片付けとなってしまう。
で、気がつくと他の家事はほっぱらかし。

これって大昔の いつもは全くしない部屋の掃除を
受験前やらテストの前やらにせっせとやるのと大層似ている。
逃避癖というのが治らないらしい。

どうも昔から だらしがない。
きっと几帳面な人ならば この朝の15分早まり有効時間
なるもので家の中はバッチリ スッキリとなるだろうが
15分早まっても 結局 茶々を入れた行動でなんだか
一日の流れがあまり変わらなくなっている。

こういう気質は絶対 遺伝するらしく子供らの
とりあえず「学習机」と呼ばれる机の上は
物凄い事に毎度なっている。

あまりに「どしゃあ~~」の時は夫婦で雷となるが
それ以外は ともかく手を出さない。
何しろ 自分で「片付けよう」と意識がない間は
何言われても「うるさいから片付ける」という構図に
なってしまうからだ。これは自分の経験・・・

あまりに片付けが出来ない人というのは 心が
病んでいる場合もあるそうで・・・
物が溢れている事がホッとするとか。
物言わぬ物体でさえも自分の周りにないと不安だそうだ。

心に厄介をぶらさげると 自分の周りも色々面倒な
ものをぶらさげる傾向になるようだ。

朝の15分。
もうちょっと有効に使って 少し気持ちもダイエット
してみたいものだが・・・・

才の根

2006年04月15日 11時01分34秒 | 独り言
自費出版「碧天舎」が倒産、250人「お金返して」 (読売新聞) - goo ニュース

「書く」という行為が好きな人間にとって
自分が書いたものが 多くの人の目にふれる事が出来ると
いうのは 最高の喜びなのかもしれない。

人は何かを表現したがる。
だから芸術っていうものがあるのかもしれないけど。
そんな大層な事じゃなくても 少しの自分の表現力というのを
「見せたい」という欲求は どんな人にも少しは
そう ほんのひとかけらでもあるのではないだろうか。
こんなにブログ人口も多くなっているし テレビでお目見えする
芸能人と呼ばれる方々は 揃いも揃って必ずブログなり
HPを持っている。まあ、昔はゴーストライターが
いて出版なんかしていたから 今の有名人のブログ等も
こういう人達が書いているかもしれないけど・・・・

それにしても そういう最近の人の欲求に従うが如く
「自費出版」というのをうたい文句にした新しい出版社が
続々と出ている。

恥ずかしながら 自分もこんな幼稚な雑文&滑稽な詩などを
「出版してみたいなあ~~~」と漠然に思った事がある。
で、早速 「安い自費出版!」をモットーにしているという
某出版社に色々送ったり 実際に担当の人とメールの
やりとりをしてみたが・・・・

やりとりをすればするだけ 自分の気持ちがどんどん
落ち込んでいく作業だった。つまり「安い」という観点が
ずれているかもしれないが 出版社が掲示した自費出版の金額は
自分の中では一代決心のいる金額だった訳である。
そして担当者の営業的な態度にもホトホト呆れと
むなしさを感じた。

良いものを発掘というより ともかく出版させてなんぼのもの
という態度がありありと表れ 自分の書いたものに対して
どんな装飾された言葉を使われても より虚しくなる
ばかりであった。

同時にこうも思った。
営業的に出版させたいと思われるって事は 自分には
まだまだ才の芽どころか根も張ってやしないと・・・
「書く」という行為は好きだけど 人の目にふれさせる
なんていう行為を望むのはおこがましいほど 才がない
って事なのだ。
それでも こうしてブログは続ける。
やはり自分の中の「何か表現したい!」という欲求に
自分自身も勝てないらしい。

それは ともかく倒産してしまうなんて やっぱり
出版の世界は甘くないのだろう。夢を託して
お金を払ってしまっている人達の無念さと悔しさは
おこがましいかもしれないけど 同じく何かを
書いている自分にとっても他人事ではない。

確かに自費出版で多くの人の感銘が生まれ 大ベストセラーに
なった作品もある。
何が何でも この「自費出版」を売り物にした出版社が
悪い訳でもない。払った金額並に全国の書店流通にはのり
広告&宣伝もしてくれて(その時の出版社の担当者によれば)
それがたとえたった一人の人でも目に留まり感動してくれれば
それだけでいいという考えもあるだろう。

でも肝心なのは
「才ある良いものは どこからでも芽が出る」という事だ。
ただ それも限界がある。環境とチャンスという限界。
それを本当に発掘してくれる出版社が正に
「安い自費出版」を売り物にしてほしいのだが
なかなか商売となると難しいようだ。

まずは才ある芽どころか根を作りあげなければと
今日も幼稚な雑文を繰り返す・・・・

違う平等

2006年04月12日 17時55分51秒 | 独り言
中京女大 0?30の散々デビュー (スポーツニッポン) - goo ニュース

男女平等とか脱 男尊女卑という傾向はいいのだけど
ちょーっと話が飛躍しすぎというか 男女云々の
本質から大外れの記事を読んでびっくりしてしまった。

そもそも オリンピックはなぜに男女分かれて競い合うのか。

同じ体力度 同じ土俵に立たないと どうしようもない
スポーツってあるような気がする。
ボクシングだって柔道だって体重別だし・・・
一体 女子の大学野球チームと男子チームの戦う意義は
どこにあるのだろうか。勝利を勝ち取ったとして 
それが何の意味に繋がるか・・・・

大昔 知り合いに誘われ何も知らずにいわゆる
「ゲーバー」というのか「オカマバー」というのか
ニューハーフと呼ばれる美しいお姉さま(?)ばかりが
接待してくれるお店に行った事がある。
ともかくおしゃべりが上手で飽きさせない接客度で
とても楽しい時間だった(?)事を覚えている。

宴もたけなわに大いに盛り上がったところで
隣にいたニューハーフの方が自分をいきなり
指さし「あなた!子宮持ってるでしょ!くやしぃ~」
とキーッと怒り始めたのを覚えている。
勿論 おふざけキャラでやった事だが・・・・

そう 彼女達(?)は どう逆立ちしても とりあえず
今の医学では身体のあちこちを改造しても
子宮を持つ 妊娠&出産出来る身体は作れないのだ。
嫌でも何でも「男!」という身体を持ってしまっている。
でも逆に あの場の盛り上げと客を飽きさせない話術などなど
「これは 頭の回転の速い男ならではだ!」と変なふうに
感心した記憶もある。

女性が社会に進出して いい意味で男女の境がなくなっている。
自分も「女らしく」「男らしく」という言葉は
あまり好きではない。
でも だからって男女はやっぱり同じではないのだ。
いくら「一緒」と突っぱねても両方の利点と欠点は
いつの時代にもついてまわる。
だから お互いの利点&欠点を素直に認め合うという
事が真の男女平等のような気がするのだが・・・

大学リーグで初の女子チームを作りたかったという
観点なら どうしてもっと女子チームが増えるような
起点になる原動力とならないのだろうか。
向ける原動力の矛先が「男子と戦う!」では
あまりにも短絡すぎだ。

「だから女の考える事はあさはかで・・・」
そんな事を言われてしまうのだ。


まさに春だけど

2006年04月07日 14時53分41秒 | 独り言
オウム松本被告の次男、入学拒否の中学校を提訴へ (朝日新聞) - goo ニュース

入学式のシーズンのせいか 今日も新しい制服に
身を包んだピカピカの新中学生や新高校生を目にした。
きっとそんな新スタートの裏には過酷だった受験戦争という
ものに破れてしまい 大学入試では浪人の人も出て
中学や高校の入試では不本意ながらも第二 第三希望への
学校へ入学していった子供達も多いのだろう。

春は 誰もが笑顔で迎えられる季節という訳ではない。

それにしても 自分の持って生まれた才じゃなく
環境から与えられた運だけで希望の中学に入れなかった
子供もいたようだ。

父が誰もが知っている被告人。
それゆえに 子供は一生その影から離れる事は出来ない。

なんだか子供の年齢が自分の子供と近いせいか 一眼に
「当人じゃないのだから 子供だから関係ない」とか
「やはり一生 家族も背負っていくべきだ」とか
そういうありきたりな感情よりも 複雑な なんとも
いえない感情が この記事を読んでいると沸々と湧いてくる。

事件が起きた時には まだ一歳二ヶ月。
まさか自分の一生が こういう理由で障害が出てくるとは
思ってもみないだろう。

この先 高校も大学も・・・と不安を口にする。
普通の子供なら こんな言葉を口にする事もないだろう。
入学を拒否した学校側を弁護する訳でもないが
あの事件を思い出すと 拒否するだけの理由もあると思う。
それだけ あの事件は衝撃的で あまりにも誰か1人が
罪を負っても負えない位の悲惨な事件だったのだ。

被害者は自分の子供も含まれている。
それをわかっているのだろうか。
一人の親として。一人の人間として。
一人の子供の一生に自分がどう関わっているのか
わかって行動していたとは全く信じられない。

子供には罪は無い。
でも 影響者である事は この先どんなに時間が
たっても世間一般の人達は忘れないだろう。

こんな罪と一言では言えない行動を どう償って
いくだろうか。普通の感情のある人間ならば
狂ってしまうかもしれない。

そういう意味では 今も拘置所にいる当人は
生粋の「人という仮面をかぶった教祖」なのかもしれない。


魔酒

2006年04月06日 17時21分58秒 | 独り言
花見酒ほどほどに…急性アルコール中毒で73人搬送 (読売新聞) - goo ニュース

酒飲みはスマートであれ。
一応 酒というものを飲めるようになってからの
ん十年もたった自分が最近思う事である。

テレビでも花見の酒乱ぶりを写していたが 花見に
限らず 酒という魔酒によってガラリと そう
物語のジキルとハイド氏のような様変わりを
酒の席で展開してしまう人をよく見てきた。
この様変わり「まあ、許せる」程度の明ならいいのだが
誰かに迷惑がかかる暗に陥るのは良くない。

酒飲みはスマートでなければいけない。
ここでいうスマートは ともかく「明るく楽しく」である。

酒の魔法を借りて異常に人に絡む、暴力を振るう、
物を破壊するといった方達は いたって魔法がない時は
脅えた子犬の如くシーンとした方達である。
「自分」という存在がないと あっけないほど魔法に
躍らされるのだ。

だからといってお酒の席でこれもいただけないという
人種達もいる。
あえて名付ければ「シラケ族」
いかにもお酒は悪い!と言わんばかりの白けた顔で
皆が酔えば酔うほど白けてくる。
これは いただけない。
コップ一杯のビールを楽しみもなく一気に飲み干し
後は白けた表情で黙り込む。
そんなタイプもお酒の席にいると逆に皆が迷惑となる。

お酒は魔法の飲み物。
でも操られる飲み物じゃなく 楽しむ為に自分が
操るのである。

と、偉そうに酒云々と言ってきたが 実は
「あー最後の一杯飲まなきゃ良かった~」と
朝 ガンガンと二日酔いとやらでひどくなった頭を
おさえながら毎度思うのである。

自分が自滅程度なら まだ許せるし・・・と言い訳しながら
やっぱりお酒の魔法にはかなわない。

美味しい給食!

2006年04月04日 09時33分56秒 | 独り言
思い出に残る給食の献立ランキング (gooランキング) - goo ニュース

もうすぐ学校の新年度が始まると 子供の学校では多分
夏前か秋辺りに給食試食会なるものがやってくる。
たったの250円位の会費で子供が食べている給食を
味見出来るとあって 毎回 参加者が意外にも多いのが現状。

確かに低学年の親達は興味から多く集まるが 子供が
高学年になるにつれて興味は薄れ 徐々に高学年の
親達は減っていく。
かくいう自分も連続で参加の時期もあったが 最近では
試食会のメニューによっての参加となる。
なんとも「どっこいしょ」的な参加であるが・・・・

過去 三回ほど参加したが 驚きはというか笑いが
出てしまうのは 子供に「好き嫌いなく!」なんて
言っている自分たち親世代の好き嫌いの激しい事といったら・・・

まず牛乳が残る・・・
一気に飲み干す人もいたりと・・・
「子供には飲めなんて言ってるけど~」と苦笑いが
ちらほらとおこるのが通常。

実は自分も牛乳 結構苦手・・・
小さい頃は一気にが原則で味わうより流し込む。
大体 ゴハン食になんで牛乳~~?と今だったら この
ナンセンスぶりを文句言えるけど この年のおばさんに
なるまでは 子供には無理なようだ。

まあ、全般的に昔に比べればハイレベルの味と食材に
様変わりしている給食。
牛乳くらいで文句を言ってはいけないらしい。

いやあ~~昔の給食はひどかったし 自分の時は
ゴハン食なんてものはなく(世代がバレバレ!)
毎食の固い固いコペパンなるものに閉口してたものだ。

掃除時間まで居残りの子供もいたっけ。
あれで栄養が取れているのか。甚だ疑問?という光景を
昔は真面目に取り組んでやったものだった。

ともかく 昔よりはマトモになった給食に今の子供達は
当たり前だが慣れている。
だから 春休みだの夏休みは自分にとってはいや~~な
時期なのだ。

「早く美味しい給食が食べたい~~」
こんな言葉が昼食の度に子供から漏れるのだから。