設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

時間の使い方

2005年04月30日 12時00分31秒 | 独り言
電車は安全 渋滞知らず 危険知らず。
こんな言葉がいつも頭にあった。
それが最近の尼崎脱線事故で見事に 吹っ飛んだ。

死者は100人超えてしまったし 運転士の方も亡くなったので
本当のところの原因は わからない。
それでも今までの予想が当たっているとすれば 何とも
やりきれない原因と こんな事の為に100人以上の
命がなくなってしまった事に愕然とするばかり・・・・

ダイヤ優先 利益優先の会社の姿勢が運転士の焦りを高め
出してはならないスピードを出したとか 運転士自身の
真面目ゆえの人柄が事故を招いたとか テレビや新聞は
あちこちに原因を模索しているらしいが 会社のおかしさは
勿論感じるが1分2分 ホームで待てない自分たち日本人の
おかしな特有さの表れの事故みたいにも思える。

ニューヨークの地下鉄には時刻表は駅内に存在しないという。
地下鉄の乗客達は来た電車に乗る。たとえ それが数分遅れても
ひたすら待っている。
昔 ヨーロッパを旅行したときも 数分 いや数十分遅れる
駅で乗客達は平然と待っていた。
まだか まだか 時間通りじゃないと苛々していたのは
そう 自分達 日本人の観光客ばかり・・・・・
今の自分が使っている最寄りの駅で数分遅れると どうしたのかと
皆は苛立ち 駅内には慌ただしくおわびのアナウスが飛び交う。
考えれば 何をそんなに焦っているのだろうか。
数分の電車の遅れは 改札の階段のところで歩みの遅い人などは
後ろから来た電車の人に抜かされる位の 距離であるというのに。

とことん利益優先主義で ダイヤ優先にすれば顧客も確保出来る
という おかしな会社考えも勿論批判されて当然だが
そうせざるを得ない気質を我々日本人自体が持っている
という事も 今回の事故では大いに繋がる気がする。

確かに あまりにルーズな事は許されないが 何かに急かされるように
毎日暮らしているのが特徴の国民性の表れの事故のようでならない。

今の時代 大人だけでなく子供までもが時間に追い回される。
いつから こんなに皆の中では「暇」という時がなくなって
いったのだろうか。

「暇」を与えられなかった青年の運転士さんから生じた 二次的な
災害。でも それはあまりにも二次的とは呼べないほど
とりかえしのつかないものになってしまった。

毎回 駅に吐き出される人の数と同じく それぞれの命と人生を
運ぶ電車。それは単なる人を乗せる箱ではなく 絶対安全じゃなければ
いけない乗り物。それが頭になくなるほど「焦り」というのは
人の心をかき乱すものなのか。

今更 悔やんでも亡くなった命は戻らない。
でも会社や運転士さんを責める前に「時間」の本当の使い方を
我々 日本人は改める必要もありそうである・・・・

使える頭

2005年04月29日 21時31分00秒 | 独り言
「何でも入る収納充実の家です」
こんなキャッチフレーズは商品化された家では
大満足で受け入れられる事だろう。何しろ世の奥様達の
家に関する興味事はキッチンや機能美や安さと並んで
収納もだんとつで多いのだから・・・・

大きい収納!もうそれだけで なんだか家の中が全て良しと
なってしまう位だ。でも ここでちょっと冷静になってほしい。
大きい収納。収納の多い家。これって果たして使える収納なのか?
そう 収納は使えなくては意味がない。

「奥行きが こーんなにあるんですよ~~」
「まあ素敵!」
こんな会話 どこでも聞こえてきそうだが奥行きのある収納って
実はとても使いにくい。というか物が「出たり入ったり」が
出来ない!!何しろ奥行きがあるという事は奥にしまった物は
そう簡単に取れやしないのだ。だったら年に数回の物をしまえば
いいわとなるが この年に数回も厄介。数回がゼロになり
果ては数年に一度の物になる。数年に一度しか出ない物って
何だろうか・・・・もうそれは不要物って事だ。
こうして奥行き深き収納の奥底に 不要物が眠り一番
出し入れの激しい物が次第に外にあふれるという悪循環が
生まれてしまう。

収納ってともかくしまい込む事でもないと自分は勝手ながら
考えている。気軽に出し入れ出来る場所という事で
収納の場所も重要になる。そして大きな収納があればあるだけ
大きい方がいいという代物でもないと思う。
人間 大きいのがある。まだ余裕がある。もっともっと
入れてしまおうとばかりに 余計な物を抱え込む。
それと場所を考えないと高い位置に収納を作りわざわざ踏み台を出して 
出し入れをする羽目になる。人の日常で踏み台をよっこらしょと
わざわざ出してやる行為は なかなかやらないものである。
これと似ているのが 流行っている部類に入る
可動式家具というもの。これも実際 毎日移動して使っている
人がいるかと思うと 案外少ない。結構 人間って面倒な事は
元来嫌いらしく 一度置いた位置の家具はなんとなく
そのままが多いらしい。

収納に限らず 作り付けのクローゼットにしても何でも
使える物じゃないと何も意味がない。
いくら「欲しい!」「じゃあ 大きいのをつけましょう!」
という事になっても つければいい あればいいのやり方
だと住んで暮らして「こんな筈じゃあ」となるのがオチ。

我が家が絡んだ個人住宅で やっぱり収納に関しては
個人的に使いやすそうと感じたのは やはり壁面収納だろうか。
奥行きも計算されていて 取りやすい場所にあると
日常の暮らし方も快適になりそうだ。

片付けって 案外頭を使う。その人のセンスみたいのも
出てしまうから不思議・・・・・
どんなに最高の収納を作り上げても 使う人次第というのも
勿論ありそうで・・・・
使える収納には 使える頭が必要という事か・・・

我が言葉ながら チクチクと痛い・・・

2005年04月27日 13時46分00秒 | 独り言
建築士が絡む家というと ついつい外観から中身から
超奇抜な家という なんだかデザイン的な要素ばかり
クローズアップされそうだが現実は全く違う。
どちらかというと 当たり前だが建築の予算から
監理から施工業者との打ち合わせの細かいところまで
全くわからないクライアントに代わっての調整役というか
仲人的な要素が 建築士にはふんだんに求められる。
だからそこで生まれるのが どうしても金銭関係だけの
営利目的だけの関係だと無理がくる。

どこかに クライアントが出した案 或いは逆に建築士から
出された提案に対して「同感ですね!」という一種の
共通点がないと最後まで苦しい。

関係ないながらも 裏から見ていて こんな方達は我が家では
大成功の家造りには やや無理がありそうだ・・・・と思って
しまうタイプは共通点がある。
多分 いろんな設計事務所でいろんな建築士の考えがあると
思うが 案外合わないタイプの方達というのはマトモな
設計事務所ならば共通しているのではないかと思う。
それが悪いとか良いではなく 合わないという事だけだが・・・

「外から見えるところ。前面だけは総タイルで裏はモルタルでいいです」
確か昔 我が家で結局 ご縁とならなかった個人住宅の
クライアントの方の言葉・・・・
こういう家を自分のアクセサリー化しているような方は 
結局 設計事務所に来る事自体 無駄足になってしまうような
気がする。
予算上 外観に希望のタイルが出来ないと知ったとき こう言われ
なんだか我が家では無理かなと感じた。
予想通り 残念ながらの結果となる。多分 誰が悪いという事でなく
「合わない」この一言だろうか。

玄関入って部屋はこの向きにあって キッチンカタログはこれで
というように 明確で詳細な意図が頭に描かれている方も
合わない・・・・こういう方達は絶対 自分が描いたイメージ
から出ようとはしないものである。だから そのイメージを
そっくりそのまま施工業者に持っていけばいいのである。
厄介なのは 建築士というのは全て素人のクライアントの
言う通りの図面を描き 確認申請やその他 施工業者との
諸々の面倒な事をやってくれるのだけが建築士だと
勘違いしている方達も多いという事だ。

大昔は建築士が絡む家はお金持ちの家か奇抜な家が好きな人と
相場は決まっていたようだが 今はクライアントのニーズは
もっともっと難しいと思う。より安い施工費で より偏狭な土地で
どうにか自分たちの暮らしにあった家を造りたい。
こんなクライアント達が多い。これは奇抜で高い家なら何でもOKの
クライアント達よりも建築士達にとっては難儀らしい。
でもだからこそ 同じように共鳴し合えるものがあると
素晴らしい仕事が出来るようだ。

何も建築士との家造りが全てでもない。自分なりに納得出来れば
どこでやろうともいいのではないかと思う。
ただ裏から見ていると 家ばかりか建築士すら自分の見栄の
中にいれて家造りをしている方達も見る。
勿体ないなとも思えるし 家って家族のいる暮らしって
そんなに外見だけのものなのかと不思議にも思える。

家には その家族が正直に映し出される。
なんだか鏡のようで面白いような怖いような・・複雑である。

美声

2005年04月25日 09時09分51秒 | 独り言
そういえばドラエモンの声が変ってしまった。
ドラエモンだけじゃなく 登場人物総入れ替えだったそうで・・・
でも これは正しい選択かなとも・・・

たかがアニメ。たかが吹き替え。なんだけども イメージって
とても恐ろしい。突然 主人公の声が変れば途端に皆が
見なくなったりファンが離れる事もあり得るのだから。。。

そういう意味では「みんなで卒業。みんなが変る。」という
選択は なんとなく素直に皆の心に納得させるものを作るのか・・・

小さい頃 大好きで見ていた「ルパン三世」
マジでああいう恋人が欲しいなんて思っていた位だったから
声優さんの山田さんが亡くなった時は ショック~~だった。
駄目なんだよね。いくら似ていても どうも見ていて
新しい声優さんの言い回しとかばかりにいちゃもんつけて
ストーリーが頭に入ってこない。
「こういう場面じゃあ こんな言い方だったし!」
なんて勝手に怒っていたりする。
いくら似ていても なーんか駄目。これは誰がやっても駄目
なものかもしれない・・・・

映画のアニメでは必ず声優陣の話題が出てくる。
今回はミスキャストだの役柄ピッタリだのと盛り上がる。
演技力もあるけれど イメージの声って絶対あるような気がする。
だからカッコいい声の声優さんは生で見るものじゃないのかも・・
まあ、中にはアニメイメージ通りの方達もいるけど大体は
「あー見なければ良かった・・・」部類に入るし・・・
声というのは本当に「意外!」というのが多いのか・・

会社に勤めていた頃 仕事上で 電話だけ話す間柄の人達が多かった
のだが 本当に美声ってあるものだと感心したものだ。
中でも設計の外注さんと呼ばれる 外部の男性がいてその人の
声といったら「いやあ~~カッコいい」のだ!
自分だけじゃなく電話で話した他の女子社員も
「カッコいい~~声の持ち主 見たいよねえ~~」といつも話題に
のぼるほどで・・・・低くもなく 高くもなく でもなんか
耳に心地よい音程で ハキハキと受け答える印象が本当に良くて。
で、憧れの(?)美声君がたまたま 我ら女子社員の耳に
生の声で「いつも お世話になってます。○○です!」というのが
突如聞こえた時の驚きといったら・・・(!)
自分なんて超失礼に「○○さんですよね?」なんて聞いてしまったほど・・
今思えば なんて失礼な奴だが・・でも美声君は容姿だけは ちょっぴり
裏切り者だったが 性格も超美声君なので途端にあんぐり口を開けていた
自分以外の女子社員の中で違った意味で(?)株を上げていたようだが・・
やっぱり人間 容姿じゃなく声じゃなく最後はハートが残る!
なんて またまた失礼に勝手に解釈した出来事だった。

美声君 今は何をしているのだろうか。
きっとどこかであの美声を振りまいてファンを集めている事だろう。
それも最終的には 彼お得意の美声じゃなくハートで・・・


変な世界

2005年04月21日 09時43分09秒 | 独り言
医者にかかって毎度思う。
なんで診察の最後に「ありがとうございました」言うのかなと・・
タダで診てもらっている訳でもなく こっちも医者が
選べる時代。そうヘコヘコする必要もないんだよなと思うが。
まあ、そう思いながらも小心者で且つ とりあえず
挨拶は大人の常識だからという思いでしてしまうのだが・・・

子供が生まれて医者にこんなに厄介になるとは思いもしなかった。
今は 徐々に身体が丈夫になり そう頻繁には医者様の
ご厄介にはならないが、一つのところに長く住んでいる
ので内科&小児科なら大体近所中の医者様を徘徊した事になる。
そこで沸々とわきおこる疑問・・・・
なんで能力給というのが医者様にはないんだあ~~~!
という事。正直 人間的に技術的に最悪のところも
欲をかなぐり捨てて よくやってくれている良い医者様も
同じ医療費を こっちは払う事になる。
こっちは総合的にAランク。あっちはBランク。なんて感じで
一目瞭然にわかれば 空いてるし大した事ない時はBランクへ
行くか。なんて事になるのだろうか。医者様もAランクへ行きたい
ものだから日々 精進して新しい事に取り組み患者への態度が
良くなるのか・・・・
大体二世がなれるというのも首かしげものである。
医者なんて物凄く適性があると思うのだが それが単に
お金があるという理由だけでなれるのも おかしい限り・・・・
いろんな疑問が沸々とあるのに 病気で身体が弱っている
弱者は 言われた通りの医療費を払って受けるしかない現状。

これは医者様に限った事じゃないけど 知らない事 面倒な事
そういう事をウヤムヤにする傾向は 結構日本人特有かもしれない。
でも 設計事務所に関しては なーんだか皆さまの変な意識は
強いものがある。よく言われるのが
「設計料って なんでこんなに高いのですか!!」という事・・・
これって 変なところが
「ウチは設計料サービスですから」みたいな事言うからいけない。
冷静に考えれば タダで人は動かない。タダの仕事なんてない筈。
ではサービスというのは 元々組み込まれているって事になる。
とりあえずプロが何十時間も拘束されて働いたら 相場はいくらか
なんてわかる筈なのだが・・・・医者様のように 超お高い金額を
ふっかけて言ってる訳じゃない設計事務所もいるのだが・・・・

こっちの世界は「知らない客」が美味しい!とばかりに
アリのごとく群がる変なところが多過ぎるので 皆様警戒心が
なぜか超強い。
こっちの世界も裏からちょろっと覗いてみれば 物凄く変な
世界だが 世の中 見回せば医者様に限らず変な世界がウヨウヨ
してるらしい。

まっとうな事は損なのか。
でも まっとうな事が最後には残ると願いたいものだ・・・・



ふと思う

2005年04月20日 09時25分20秒 | 独り言
アジア系の国の人達は 何でも過去に帰りたがるのか。
それとも後ろ向きに生きていかないと いけない人種なのか。

最近の毎日ニュースで流れる中国の反日運動を見て
ふと そう思う。
ヨーロッパなんて 考えればいつもどこかの国が大きく
侵略と略奪を繰り返してた。ブラジルの人もなぜか
ポルトガル語をしゃべっているし なぜかイギリスの
象徴的な大英博物館にエジプトの考古物や日本の浮世絵
なんかが ちゃっかり収まっている。
でも 永遠に過去にしがみついて その地点から動こうと
しているようには見えない。

そして驚きは 中国の反日に懸命に動いてる人達は自分より
うんと年下の若者ばかりという事。
問題の時代を生きていた訳もない。なんだか彼らも踊らされている
ようにみえてならない。

確かに日本もおかしい国で 事実を全く後世に伝えない。
現に国を動かすお偉方達は「冷静に」ばかりの対応で
大人としてきちんと何かやるという気迫に欠けている方も
いれば 子供の喧嘩のごとく「やったらやりかえせ」ばりに
「怒れ 怒れ」ばかりを繰り返す呆れ返る方もいて・・・
こんな方達が国の代表なんだから・・・情けなし・・・
しかも こんな大事な時に永田町の方達は郵政民営化の事で
目を白黒させて必死のご様子。それも裏をひっくり返せば
国民の為なんて誰一人思ってやしない。
皆 自分の利権を守る事だけに右往左往って感じがテレビからも
ヒシヒシ感じてしまうのだから笑いまで出てしまう。

戦争なんて奇麗な言葉だけど要は 国が容認した殺し合い。
世が正常なら一人 人を殺めたら殺人者の筈が 戦争中は
英雄になってしまうのだ。そんな恐ろしい価値を簡単に
習得してしまうのは人間だけ。だからこそ 絶対繰り返さない。
それには どの国が悪いとか正しいなんて言う暇なく
とにかく「事実」を後世に伝え抜いていく事なんじゃないかと
思うのだが 実際に国を背負っている上の方々は どの国の人も
自分の欲を大きくするのに夢中なようだ。

今は子供達に胸を張って
「こんな大人になろう」と言えるセリフが親達には出てこない
という話をどっかの本で読んだが 確かに自分も詰まる。

こんな時代だからこそ やはり子供には出来るだけ
「事実」を伝えたいとも思う。ニュースであれテレビであれ
事実を曲げないで伝えてほしい。ついでに国会中継で
あれやこれや議論している場面じゃなく 大事な国民の税金使って
居眠りをコックリコックリのご老人さん達も毎日見させて欲しいものだ。

本当の事実を知って 大人になってどう対応していくか。
きっと今の子供達は居眠り老人議員さん達よりはマトモそうである。

はまる

2005年04月18日 18時21分17秒 | 独り言
なんだか毎週はまっている。そもそも長男が珍しく
歴史を知りたいなんて普通の親を喜ばすような事を
言うので どれどれと買い始めたら止まらない。
自分が・・・・・

この毎週火曜に創刊される薄い雑誌。
「ビジュアル日本の歴史」
歴史好きが大好きな織田信長時代から始まって明治まで
たどりつくと 今は逆に平安時代から始まっている。
ページを開くと上の部分は わかりやすい漫画で
下の部分は 当時のこぼれ話風の事が書いてある。
要は歴史を 物語風に毎週送るという訳だ。

昔 学生時代は世界史も日本史もだいきっら~いだった。
「いいくに作ろう鎌倉幕府」じゃないけれど年号の
丸暗記だったし 誰も見た事がない大昔の事を
ああだのこうだのと現代の人が知って なんなんだ~
と、毎度授業では眠い目をこすっていたものだ。
それがとある小説が たまたま歴史小説で読んだら
はまり始めた。勿論 そこには年号がどうのこうの
なんていう話はない。それでも 教科書で丸暗記した
人物に作者が勝手ながらも息を吹き込み 勝手ながらも
物語の中で生き生きと描かれている方が うんと頭に入る。
「この人って こういう人だったのかあ~」
なんてやっと理解し始める。だから 今回珍しい長男の
言葉に反応してしまったのだ。きっかけは漫画だろうが
何だろうが 結局「面白い!」そういうところから
始まらないと・・・・・・昔の自分の教訓かもしれない。

今 大河ドラマでは主役をジャニーズの某ビジュアル系の
アイドルが演じているが 実は義経は歯が出てて決して
美男子じゃなく なんていうこぼれ話があったり
静御膳との悲しい別れは 美談化されたもので実際は
足手まといになったので さっさと義経が置いてきたらしい
とか ガクンとくるこぼれ話は 結構見つかってくる。

そんな時 いつも思う。
歴史が堅苦しく 面白くなくと思っていた時は 遥か大昔が
自分と全く関係ないところで進行しているからだったが
結局 大昔も今も人のやっている事は変りはしない。
恋愛があり 別れがあり 人の生活特有の嫉みや嫉妬や
蔑みのある生活。庶民はいつの時代もたくましく
金持ちはいつの時代も なぜか金がある・・・・
そんな変らぬものなのに なぜか皆 大昔を知りたがる。
研究したがる。同じだからこそ 面白いのか なんなのか・・

そして今週も またまた買ってしまう~
いつの時代も 中年オババは 何かに乗せられるのかもしれない。

醜聞

2005年04月13日 17時57分39秒 | 独り言
我が家の商売柄 ついつい耳に入ってくる「ああ、また」
という話の数々・・・・
平たく言えば 素人さん達がプロ達に騙されちゃっている感じの話・・・・
騙すといっても やっている方はそう捉えていないだろうし
実際 素人のクライアント達だって騙されているなんて
思ってない。でも冷静に考えれば 当たり前だが何か建物を
建てるって 物凄い金額が動く。
造る側にしてみれば そりゃあ造ってもらいたい。
でも正直 何か造って その後のクライアントのローンが
どうなろうが 生活が大変になろうが 関係ない。
最終的にはクライアントの決断なのだからと・・・・

土地にしたって 
「角地です。買い時です。いい土地です。」
買ってみたら 3階建てが建たない。もっとひどいのは
建物さえも建たないなんて!確かに角地だけど建物が
建ったたなきゃ意味がない。
それも売ってしまえば それで終り。
最終的にはクライアントの決断なのだからと・・・・

最近 よく感じる。
クライアントの為を思って動いていると この世界って
確かに儲からない。そこには商売上の利害関係があって
当たり前。でもその利害関係もいい利害関係じゃないと
駄目になる。ケチるあまりに
「設計料をとことん安く下げて」
なんていう事は 結果的にはいい方向には進まない。
だからといって 無駄な物でも明らかに無謀な事でも
仕事が終わればこっちのもの風にやって何が
クライアント達に残るというのだろうか・・・・
膨大な借金だけ・・・


ごくごく簡単な事が まだまだ不動産や建築絡みの
世界には存在してない感じがする。
わざと不透明さや難しさを出している感じもする。

「普通の事を普通にやる」
こんな簡単な事が 出来ない。
きちんとやっているところだって一杯いるというのに
醜聞ばかりが そんなところを隠してしまう。

どこの世界も正直者はバカを見る?
ちょっとそれは悲し過ぎる・・・・

生誕日 到来!

2005年04月11日 17時36分25秒 | 独り言
来てしまった~~我が生誕日・・・三日前に到来・・・
ああ、この世に生を受けてもう○○年目。
高校を卒業して○○年目!心の中だけは高校生なんだけど・・・
外見は立派な(?)おばさんだ!

大体 4月生まれはお得と騒がれる旬な時期は 生まれて数年。
学年のトップだから 当たり前だが発育はいいし やる事は
早いしと・・・・そんなものは大人になると反対になる。
なーんか同じ学年の中で一番早く年寄りになっているものだから
特に年頃は大きな損をしたような気がしてならない。
それに4月という月もいけない。季節柄 入学 卒業 入社と
慌ただしい事が多く 必ず皆が落ち着き ほどよく仲良くなった
友人から
「あれ?もう誕生日終わったの。あらあ~残念」
なんていう話になるのだから。それに加え4月早々 さっさと
同じ学年より年寄りになるもんだから 入社した時は
「あれ?もしや浪人さんでしたか?」
という変な誤解も受ける。別に年の一つや二つ この年になると
変らないけど お年頃の頃はねえ・・・・・
こんな誤解も 必死に4月生まれだから!なんて必死こいて
説明するはめになる。

坂道転げるようになんていう例えがあるが ある一時期から
月のたつのが年数のたつのが 一昨年よりも昨年の方が
昨年より今年の方が という案配に本当に転げ落ちるように
早く感じる。
おまけに子供といれば誰がどう見ても
「○○君ちの おばちゃん!」と言われ・・・・・
何でもこの「おばちゃん!」と言われるのが最高に抵抗を
感じる方達もいるようで
「名前で呼んで!おばちゃんじゃないよ!」
と子供にムキになっていう方達もいるようだが・・・・・
天地がひっくり返っても 年は戻れないんだよね~~
大体 小学生位の子供から見れば高校生のお姉さん以上は
23だろうが26だろうが30だろうが
「おばちゃん!」の部類なんだよね~~~
と、毎度 こういう方達と会うと意地悪くニマニマして
心で言ってしまうのだが・・・・

皮膚はたるみし ついでに腹もたるむしで 身体のあちこちは
硬いし 柔軟さもなくなるしで 子供のようにもう 喜々と
毎年の生誕日は喜べない。
それでも 頭の中と気持ちだけは 身体同様 カチンコチンに
固まらせないようにしないとな~~と言い聞かせる。
老いの悲しさって 外見よりやっぱり中身。
何でも興味を失って 新しい物を受け入れなくなったら
それが本当の老いの到来なのかもしれない。
まあ、それには現実も受け入れなくちゃねと・・・・
「おばちゃん!」と叫ばれたら そう叫ばれるだけの外見。
しゃかりきに違う!とならず 明るく
「おばちゃんだよ!」と答えられる自分でいたい。

いろいろ考えあるけれど そんな素直さも年輪の醜さと
比例して増えていったらいいのだけど・・・・

なかなか 難しい。
一つ年取っても 今日も自分は外見だけが老いていく・・・

無宗教人間の質問

2005年04月08日 14時04分42秒 | 独り言
今日はローマ法王の葬儀という事らいしが
今頃のバチカンは 人 人 人が佃煮する位か!
ニュースでは内外からカトリックの信者の方達が500万人は
来るだろうという事だったが・・・・
信ずる力は凄いというべきか 怖いというべきか・・・

完全な無宗教人間なので他人様の信ずるものを 
ああだこうだと言うつもりは毛頭ないが 同じ人間なのに今 
どっかでおこっている戦争などで命を落としている人の葬儀と
今日のバチカンでの葬儀は なぜにこんなにも格差があるのか
不思議に思う。大体 どういう神様もモットーというのは
皆 平等とか皆 幸せという感じじゃないのかなと。

宗派の考えの違いなら戦争をじゃんじゃんやるべき
なんていう教えも一言も言ってない気がするし・・・・

こんな無宗教人間のくせに結婚式は 四谷にある某教会。
「どうせ結婚式するならホテルの仮設教会なんかじゃなく
 本物の教会がいい!」
なんてミーハーな いい加減な若き日の自分。
でもカトリックの信者じゃないしなあ~果たして信者じゃない
人でも挙げられるのか?そんな不安抱え 専門屋(夫)と
教会に二人恐る恐る足を運んだのは もう10年以上前の事。
そんな心配は 行って吹っ飛んだ。世の中には自分たち同様の
いい加減なカップルが多いらしく 信者じゃない人でも
出来るらしい。ただし条件が一つ。
半年に及ぶ結婚セミナーなるものを二人で受講するという事。
お互い仕事があり 毎週一回 夜 教会に集まる。
無理じゃんと思ったが 予想外に専門屋(夫)がやるという。

確かに大変だった。自分たちの他にも9組の全く知らない
カップルの方達と担当の神父様 ボランティアで来てくれる
ベテランご夫婦が二組の構成。実はセミナーの難しい話は
今 全く思いだせない。思いだすのは 仲良くなった他の
カップルの方達と開いた宴会もどきばかり・・・・
何しに行ってたのか・・・職種も年もやや違う集団。
共通してるのは 近い将来 この同じ教会で結婚式を
やるというのみ。今だに交流が続いている。
子供もウチが筆頭だったのを機に 多くなった。

あの頃 面白可笑しく でも時には真剣に夫婦のこれからの
話をしてくれたスペイン人の神父様は広島の教会へと
転勤していった。今でも精力的にいろんな活動をしていると
噂では聞くが・・・・

万が一 もし会えたら無宗教ながら聞きたい事が
最近生まれている。

「神様が人を造ったとしたら なんでこんな変なものを
 造りたいと思ったのでしょうかね」と・・・・
なんて答えるだろうか。無宗教のいい加減人間は
こんないい加減な質問しか 今だに思い浮かばない。

裏窓語録

2005年04月06日 14時38分40秒 | 独り言
昨日テレビで
「主人在宅ストレス症候群」という病気を取り上げていた。
読んで字の如く 家の主人が在宅している事が原因で起こる
ストレス。そのストレスから様々な心身症をまきおこす。
頭痛 肩凝り 腹痛 果ては心筋梗塞なんて重病まで・・・
誰が起こすかというと勿論妻。
この病気の名前は知らなくても 最近の熟年離婚の多さと
「亭主元気で留守がいい」の流行語から こういう話は
どっからともなく多いのだろうと思っていたが
今後 リストラ等が多くなると40代 30代の
妻達にも蔓延する可能性もあるとか・・・・・・

なんとも物悲しい出来事だ。

なりやすい妻タイプもあるらしい。
自分の意見を夫に対して控えているタイプだそうだ。
そして一番のネックは こういう夫婦は何も
60代70代になって 急に夫が定年退職等で家に
いる時間が多くなったから妻に発症する訳じゃなく
若い時からの夫婦の関係に とても関連があるそうで・・・

若いときから 疎通のなくなってしまった夫婦は
かろうじて子供というクッションがあって やっと
生活出来ていたという事らしい。
だから クッション化していた子供達がいなくなると
妻の方では 夫でありながらも厄介な他人との同居が
苦しくなってしまうのだ。

考えれば一夫一妻制度になったのは 昔といっても
そう大昔じゃない。つい最近まで平民はともかく
権力のある男性には二号 三号と妾宅があった筈。
正妻と側室との嫉妬の戦いぶりなんて よく物語には
出てくるが 案外 そういう構造の方がいつも夫がいる
という生活は一生なかった訳だから こんな
長たらしい名前の病気の発症率もなかったのかもしれない。
人間というのは  一人の人間と長く一緒にいられない
ものなのかもしれない。

でも不思議なのは 配偶者とは一生一緒だと苦しいのに
きっと自分の子供だと苦しいと訴える妻達は少ないのでは?
自分はきっとこの数少ない「苦しい!」と訴えてしまう方だが・・

夫といると煩わしい。でも息子だと娘だと大満足。
こんな妻達も増えているのではないだろうか。
空席だった食卓の夫の席が 次第に子供で埋まる。
妻の心にも いつしか配偶者の席になぜか我が子が
どっかりと座っているのだ。

ここで大迷惑なのは子供の方。
母は夫の代償というべき子供に 心べったり寄らせて
陶酔しきって死期を迎えられるが子供の人生は
親が死んでからも長く続く。

「主人在宅ストレス症候群」の治療法は ともかく夫と一時
離れ 一人で外出したり気分転換をはかるらしいが
ここに我が子を巻き添えにしている妻達が今の時代 多いような
気がしてならない。特に異性の子供である息子に
こんな感情を持ちやすいのでは・・・・
だから 大人になれない怪しい男ばかりが世の中
ウヨウヨしているような・・・・

今のところ 自分には夫に陶酔する気持ちも湧かない
代わりに息子どもにも到底陶酔する気持ちはない。

夫に対してだろうが 子供に対してだろうが
結局 自分が楽しい毎日を送っていれば 変なストレスを
周りに巻き散らかさなくてすむのでは ないだろうか。
結婚しようが親になろうが 自分を大事に生きているのが
一番じゃないだろうか。

自分を大事に出来て やっと他人を大事に出来る。
勝手な裏窓語録・・・・こうやって今日もノウテンキに
一日を終える・・・


天下一品もの

2005年04月05日 15時45分14秒 | 独り言
埼京線で都内初 朝の女性専用車両が登場したそうだ。
ここまで 区切らないと痴漢行為が減らないというのも
非常に悲しい・・・・・

こんなオババの自分も勿論若き時代は 電車内の
痴漢事件 そりゃあ一度や二度じゃなく(笑)
息子を持ったから余計思うかもしれないが
ああいう卑屈な大人の男にだけは なるなよと
年ごろになったら 毎度言い聞かせたいものだ。
変な話 そういう場面でしか欲求を爆発出来ないという
のは やはり普通じゃない。
大体 電車内の痴漢達って物凄く 普段は小心者らしい。
こういうところも卑怯というより卑屈だ。

大昔の学生時代 電車内での痴漢が悔しくて
「こいつだ!」と思う人物を改札出口まで追跡した事も
あった。
小心者丸出しの顔つきで オロオロ振り返りながら
逃げていったっけなあ~~と思い出す。
きっと物凄き形相で追いかけていたのかも・・・・
でも 小心者でも人間何するかわからない。
今は絶対出来ない行為だと 怖くなる。
そうやって気をつけていても 悲しいかな 今は
満員電車に乗る事もなく きっと痴漢に遭う事もないだろう。

「痴漢にだって選ぶ権利がある!」
こんな悲しい現実だろーか。

それにしても この女性専用車両。
何もしていない大多数の男性陣達にしてみれば厄介な物。
今後 減る傾向になってしまうか。それとも他の電車でも
増えていく傾向になるだろうか。
痴漢防止云々じゃなく興味だけから 一度は乗ってみたい。
夏なんて おじさん特有のおじ臭よりも たとえキツイ香水でも
お姉さん臭の方が気分がいい。

いくらオババでも一応女性。車両 お断りにはならない筈。
でも どうして貴方みたいな方が??という雰囲気だとねえと
考える。
ちょっと悲しいけど それは自意識過剰すぎるかも。
オババは 興味と自意識だけは天下一品だから・・・・・

会いたくなる本

2005年04月01日 10時22分00秒 | 独り言
人の幸せを素直に喜べない。
人の為と言いながら 裏を返せば自分の為。
そういう時は ないだろうか。自分なんてしょっちゅう。
こういう時は ほとほと自分自身が嫌になる。
なぜ もっと素直に何もかも受け取れないのかとか
なぜ もっと心の大きな人間になれないのかと・・・・
最近そんな時は パラパラと相田みつをさんの本をめくる。

書家であり詩人である相田さんの本は「にんげんだもの」で
あまりにも有名だが 確か独身時代 実家で目を通した
記憶はある。でも あの頃の自分の事だけを最優先に
それでも必死に自分本位に生きていた頃と 今とりあえず
結婚し子供が産まれ 年月を重ねたおばさんとなっている
今だと 同じ作品を読んでも 何かが違うのだ。

よく大勘違いの人達は 相田さんの作品を
「字が物凄く汚くて 当たり前の事を書いている人」
なんて評価するが 初期の頃の相田さんの書は自分の
ような素人が評価出来るような物ではない。
要はプロの書家の楷書である。でもそんな基盤があるから
あの詩に対して あの独特の書体が生まれたのだろう。

結構好きな作品に
「夢はでっかく 根は深く」と
「道はじぶんでつくる 道はじぶんでひらく
 人のつくったものは じぶんの道にはならない」があるけど
これが奇麗な楷書で書かれても
「それで?当たり前じゃん」などと自分も言ってしまいそうだ。
あの書体だから目に飛び込んでくる。心にずっしり響く。
そういう意味では 相田さんの作品は芸術だ。

芸術って何も玄人だけが唸るのだけが芸術じゃない。
一部の玄人が唸るより万人の素人が理屈抜きに
その作品によって何かしらの感動を覚えたら
それは芸術じゃないのかなと思う。

本屋に行くと 必ずひっそりとでも絶対に相田さんの
本が並んでいる。どの作品も勝手な解釈ながら結局は
「いのちを大切に」「自分を大切に」そして
「同じ生きるなら前向きに生きよう」というような
テーマを感じるのだ。

時代が変わっても皆 こんなテーマを求めているのかもしれない。
そして本当の芸術も求めている。
自分も含め 毎日「こうしたほうがいい」そうわかっていても
自分の欲や醜さで なかなか実現出来ない現状。
相田さんの本からは 人として生きていく最低限の
「普通」が流れる。そんな「普通」に憧れ飢えている現代人。

そんな「普通」に飢えると無性に自分も 相田さんの本に
会いたくなる・・・・・