電車は安全 渋滞知らず 危険知らず。
こんな言葉がいつも頭にあった。
それが最近の尼崎脱線事故で見事に 吹っ飛んだ。
死者は100人超えてしまったし 運転士の方も亡くなったので
本当のところの原因は わからない。
それでも今までの予想が当たっているとすれば 何とも
やりきれない原因と こんな事の為に100人以上の
命がなくなってしまった事に愕然とするばかり・・・・
ダイヤ優先 利益優先の会社の姿勢が運転士の焦りを高め
出してはならないスピードを出したとか 運転士自身の
真面目ゆえの人柄が事故を招いたとか テレビや新聞は
あちこちに原因を模索しているらしいが 会社のおかしさは
勿論感じるが1分2分 ホームで待てない自分たち日本人の
おかしな特有さの表れの事故みたいにも思える。
ニューヨークの地下鉄には時刻表は駅内に存在しないという。
地下鉄の乗客達は来た電車に乗る。たとえ それが数分遅れても
ひたすら待っている。
昔 ヨーロッパを旅行したときも 数分 いや数十分遅れる
駅で乗客達は平然と待っていた。
まだか まだか 時間通りじゃないと苛々していたのは
そう 自分達 日本人の観光客ばかり・・・・・
今の自分が使っている最寄りの駅で数分遅れると どうしたのかと
皆は苛立ち 駅内には慌ただしくおわびのアナウスが飛び交う。
考えれば 何をそんなに焦っているのだろうか。
数分の電車の遅れは 改札の階段のところで歩みの遅い人などは
後ろから来た電車の人に抜かされる位の 距離であるというのに。
とことん利益優先主義で ダイヤ優先にすれば顧客も確保出来る
という おかしな会社考えも勿論批判されて当然だが
そうせざるを得ない気質を我々日本人自体が持っている
という事も 今回の事故では大いに繋がる気がする。
確かに あまりにルーズな事は許されないが 何かに急かされるように
毎日暮らしているのが特徴の国民性の表れの事故のようでならない。
今の時代 大人だけでなく子供までもが時間に追い回される。
いつから こんなに皆の中では「暇」という時がなくなって
いったのだろうか。
「暇」を与えられなかった青年の運転士さんから生じた 二次的な
災害。でも それはあまりにも二次的とは呼べないほど
とりかえしのつかないものになってしまった。
毎回 駅に吐き出される人の数と同じく それぞれの命と人生を
運ぶ電車。それは単なる人を乗せる箱ではなく 絶対安全じゃなければ
いけない乗り物。それが頭になくなるほど「焦り」というのは
人の心をかき乱すものなのか。
今更 悔やんでも亡くなった命は戻らない。
でも会社や運転士さんを責める前に「時間」の本当の使い方を
我々 日本人は改める必要もありそうである・・・・
こんな言葉がいつも頭にあった。
それが最近の尼崎脱線事故で見事に 吹っ飛んだ。
死者は100人超えてしまったし 運転士の方も亡くなったので
本当のところの原因は わからない。
それでも今までの予想が当たっているとすれば 何とも
やりきれない原因と こんな事の為に100人以上の
命がなくなってしまった事に愕然とするばかり・・・・
ダイヤ優先 利益優先の会社の姿勢が運転士の焦りを高め
出してはならないスピードを出したとか 運転士自身の
真面目ゆえの人柄が事故を招いたとか テレビや新聞は
あちこちに原因を模索しているらしいが 会社のおかしさは
勿論感じるが1分2分 ホームで待てない自分たち日本人の
おかしな特有さの表れの事故みたいにも思える。
ニューヨークの地下鉄には時刻表は駅内に存在しないという。
地下鉄の乗客達は来た電車に乗る。たとえ それが数分遅れても
ひたすら待っている。
昔 ヨーロッパを旅行したときも 数分 いや数十分遅れる
駅で乗客達は平然と待っていた。
まだか まだか 時間通りじゃないと苛々していたのは
そう 自分達 日本人の観光客ばかり・・・・・
今の自分が使っている最寄りの駅で数分遅れると どうしたのかと
皆は苛立ち 駅内には慌ただしくおわびのアナウスが飛び交う。
考えれば 何をそんなに焦っているのだろうか。
数分の電車の遅れは 改札の階段のところで歩みの遅い人などは
後ろから来た電車の人に抜かされる位の 距離であるというのに。
とことん利益優先主義で ダイヤ優先にすれば顧客も確保出来る
という おかしな会社考えも勿論批判されて当然だが
そうせざるを得ない気質を我々日本人自体が持っている
という事も 今回の事故では大いに繋がる気がする。
確かに あまりにルーズな事は許されないが 何かに急かされるように
毎日暮らしているのが特徴の国民性の表れの事故のようでならない。
今の時代 大人だけでなく子供までもが時間に追い回される。
いつから こんなに皆の中では「暇」という時がなくなって
いったのだろうか。
「暇」を与えられなかった青年の運転士さんから生じた 二次的な
災害。でも それはあまりにも二次的とは呼べないほど
とりかえしのつかないものになってしまった。
毎回 駅に吐き出される人の数と同じく それぞれの命と人生を
運ぶ電車。それは単なる人を乗せる箱ではなく 絶対安全じゃなければ
いけない乗り物。それが頭になくなるほど「焦り」というのは
人の心をかき乱すものなのか。
今更 悔やんでも亡くなった命は戻らない。
でも会社や運転士さんを責める前に「時間」の本当の使い方を
我々 日本人は改める必要もありそうである・・・・