設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

行動の裏

2004年10月30日 15時32分26秒 | 独り言
人は話すことや表情だけでなく 無意識に何気ない行動や動作に
本当の自分の気持ちが表れるという。
例えば 嘘をついた時には やたら瞬きが多くなったり冗舌になったり
攻撃的な気持ちが少しあるときには 腕を組んで相手と対峙しがちだとか・・・

「電車で座りたかったら やたら外をキョロキョロ見回している座っている人を
 見つけるといい。 そしてその人の前で立っていればいい。」

これは確か学生時代 何の教科だったか学校の先生が話してくれた事だ。
自分の降りる駅が近づくと 窓から外を確認する人は多いという。
この先生のアドバイスは結構 当たっていて 電車に乗って注意深く見回すと
外をキョロキョロする人は案外 いるものである。
必ずではないが 大体こういう方の前にスッと立つと降りてくれる。
これが当たった時は 結構 心の中でニンマリである。
なんともセコイ性格だが 座れる座れないではなく なんだか全く知らない
他人様の深層心理を当てられた喜びが セコイ性格ゆえにヒシヒシと嬉しい・・・

働いていた頃は 帰りの電車で偶然にも自分の前に座っていた方が立ってくれると
待ってました!とばかりに座ったものである。
大した仕事もしていなかったが ドーンと重くなった一応働いた身体が
帰宅電車の少しの時間に癒されるのは 究極にありがたかった。
なんともババさい若いOLであった訳だが・・・・・・

確か その日も会社の帰りで生憎と外は雨。
車内はそんなに混んではいないが 座れるスペースは全くない いつもの
帰宅電車風景。毎度の事のように誰かキョロキョロするお人はいないかなあ~と
すまし顔のくせに 目だけは忙しく見回していると・・・・・
斜め前に おばさまらしい年配のお方が不意に外をキョロキョロ・・・
「ここかも!」ススッと又々何気ない すまし顔でそのお方の前に立つ。
駅へと着く。でも その駅では おばさまは立たない。
う~~ん 次の駅かも・・・すまし顔で立ちつつ頭の中は くだらない想像巡らせ・・・
でもその次も またその次も・・・立たない!それに今まで自分が立っていた前に
座っていた人とかが続々と降りていく・・・・

こうなると 座れるは二の次で なんだかそこに座れるまで立っている。
それでも そのおばさまは駅が近づくたびキョロキョロ・・・・
そして不意に上を見上げ 私を見ると
「すいませんが○○駅は まだ先ですよね?」話しかけてこられた。
○○駅・・・・この電車の終点の駅じゃあないかあ~~~
ガーンの気持ち押さえニッコリ「終点です」と答えると
「今日 初めてこの電車乗ったので着く駅がわからなくて」

キョロキョロの意味も もっと奥深く考えなければいけなかったらしい。
あれ以来 電車では期待しないで立っている。
そんな時 偶然自分の前に座っていた人が立つと「ラッキー」と
物凄い目っけ物をした気分になれる。

やはり人の行動を奥深く探っているより 行き当たりバッタリで
「ラッキー」な事に出会える方が性に合っているらしい。
だから こんな不安定稼業の裏窓も やってられるのかもしれないのだ。
ちょっと悲しき納得事・・・・・

ディズニーマジック

2004年10月29日 15時03分28秒 | 独り言
昨日 子供達の学校が創立記念日の休みだったので
家族でディズニーシーへと。
以前 ディズニーランドの方へは独身時代と子供が産まれてから
数回は行っているが シーの方は 実は初めての経験。

なんでもシーのテーマは「冒険とイマジネーションの海」ランドのテーマは
「夢と魔法の王国」だそうで・・・・確かにランドと比べるとシーの方が
アトラクションにしても 冒険ものが多く 建物も ほんわかムードというより
基地的な要素がふんだんにあった。

平日なので10分待ちが平均で 昼頃には 殆ど目ぼしいアトラクションを
制覇してしまった我が家族。どうも どこでもゆったりとした感触に
浸れないのは なんとも貧乏性なる家族の気質である。

それにしても ランドでもシーでも毎回「ディズニーマジック」には感嘆だ。

盆地のように土地をすり鉢状にして 現実の生活感あふれる外観を一切見せない設計だと
何かの本で読んだ事があったが 一歩ディズニーリゾートという敷地に入れば
確かに そこから今まで自分たちが暮らしてきた世界とは別世界になれた気持ちがする。
どこを見渡しても 普段 自分たちが何気なく見ている電信柱やマンションと
いった日常の建物は一切なく あたかも 本当に どこからか物語の中の
アリスやシンデレラが飛び出してきても 全くおかしくないディズニーの街。

この「ディズニーマジック」は 雰囲気作りだけでなく 普段の日常感覚も
見事に取っ払ってくれるようで・・・・
シーやランド内には 数えきれないほどの食べ物屋や お土産屋も並んでいるが
絶対 日常であったら「こんなに高いポップコーン!?」とケチ根性で
躊躇してしまう単なるポップコーンでさえ「いいか いいか」で買ってしまうのだ。
そして 帰宅してハッと「ディズニーマジック」から目を覚ますと
「やっぱり こんな物が こんな値段なんて!高い!!」と昨日の
「ディズニーマジック」で散財した買い物のレシートに夢が興ざめするのだ・・・・

それでも人間 時には わざと「マジック」に酔う事も たまには必要。
そして「マジックだ 現実じゃない」とわかっていながら敢えて その
魔法にかからないと「ディズニーリゾート」で過ごす醍醐味もないようで・・・

電信柱やマンションが建並ぶ現実の世界で やれレタスが高いだの 大根が高い
など言いながら スーパーで買い物していると やっぱりまた
「ディズニーマジック」にかかってみたいものだと ため息が出てくる。
その前に 魔法にかかるために まずは行く資金も調達しなければならず・・・

魔法の世界に飛び込むまでには 何段という現実の壁を突破しなければ
ならないようだ・・・・
「現実があるから 魔法も楽しめる」
今日は そう言って昨日の「ディズニーマジック」の余韻に浸るとしよう・・・・


「ただいま」空間

2004年10月27日 17時11分56秒 | 独り言
学校から帰宅する時の子供達の「ただいま」の声は
学校での子供達が過ごしてきたバロメーターでもある。

元気に飛び込むように弾んで「ただいま!」と帰ってくる時もあれば
なんだか くっら~~くカビでも生えそうな陰気な雰囲気での
「ただいま・・・」という一報で 玄関に入る時もある。
子供とはいえ 彼らなりに徐々に 外での世界が広がっていく時期
嫌な出来事も憂鬱な出来事も確実に増えている毎日なのかもしれない。

親というものは大変愚かな生き物で 自分の子供がいつも笑顔で楽しそうに
毎日を送っていれば それだけでホッとしている自分がいる。
その心をひっくり返すと
「毎日何事もなく過ごしている子供の親でいたい」という自分がいる。
少し自分の子供が他の子供より 秀でている部分を見つけたり
皆と同じ「普通だ」という部類に入っていると 
「そういう子供の親である」という自分にホッとしている部分がある。
「子供のため」というのは 「自分のため」を隠す言い訳なのではと
最近 考える事もある。こういう所が見えるとき程 親になってしまった
自分に吐き気がする。自分という人間がホトホト嫌になってしまう時だ。
まあ、そんな自分の「母性欠如話」は どうでもいいとして 子供の
「ただいま」の帰宅雰囲気は 大きくなって見えにくくなってきた
彼らの外での 出来事を垣間見れる 貴重な場所だと個人的には思っている。

「家造り」では しばしば この「ただいま」の子供の帰宅雰囲気が伝わる
空間を望む お施主さん達が多い。
「二階に子供部屋がある場合は リビングを通ってから行けるように
 階段を奥にしたい」
こんな希望は結構 多い。
それでも個人住宅とは おもしろいもので家のプラン希望を一通り聞いてみると
その人の価値観 個性が絶対反映される。
中には 「そんなに家の中で子供を感じられるような家造りをしたら
     子供を束縛する」という意見もある。

個人的には「束縛」と「見守る」とは大違いだとは思うのだが・・・・
それは各個人の価値観それぞれといったところだ。

まだまだ未熟な子供達に どういう対応が正解でどれが間違っているか
実は「子供のため」を目隠しに「自分のため」が歪めない こんな母にとっては
わからない事だらけだ。

いつか わかる日が来るのかもしれないが その時はとっくに母としての
役目が終わっている時なのかもしれない。
その日までは せめて「ただいま」の声には「おかえり」の言葉で
迎えてやる事しか こんな自分には出来ないのだろう。
何しろ それが「束縛」ではなく自分なりの「見守り」だと信じている
気持ちがあるからだ。
それが こんないい加減な母としての唯一の子供への「価値観」なのかもしれない。

当たり前の難しさ

2004年10月25日 09時45分16秒 | 独り言
一昨日から地震が多い。
自分が住んでいる東京では 目立った損害は聞かないが
震源地の所では家屋崩壊や負傷者そして亡くなった方まで出てきている。

いつも万が一と聞かされるが グラリとくる恐怖に毎度 オロオロするばかりだ。
結局 自然の威力には人間 何をしても無力だというのを思い知らされる。
それでも 他の生き物よりちょっぴり脳みそが多いものだから どうにかして
この自然の威力をやり過ごそうと考える。

「地震に強い家を」と考えるのも この脳みそがちょっと多い人間にとっては
当たり前の行動なのかもしれない。

「家造り」には この「地震」という話題は毎度切っても切れない。
それほど 皆 万が一を考えている。
裏から見ていて 正直思うのは「絶対絶対 地震に強い 完ぺきだ!」と
言い切れる「家」を造り上げるのは 当たり前のようで結構難しいと個人的に感じる。
専門家でもなく 一個人の考えだが 結局「家」は いろいろな専門家達の
流れ作業の集結作品。設計段階が終われば 施工へと移り その施工の中でも
物凄い細分化で いろいろな専門家が手を加える。
ひょっとしたら その数多い専門家の中で「まあ いいか適当で」という
仕事が「欠陥住宅」に繋がりかねない。
勿論 絶対そうならない為に 我が家のような監理という仕事もあるのだが。

でも そんな現場をしっかりと見る「監理」が「適当でいいよ」であったら?
疑えば疑う程 人間がくだす仕事に「完ぺき」はない。
結局 心のないロボット集団が実際に手を動かして「家」を造っていない。
今にそういう時代も来るかもしれないが いかに機械化が進んできているという
「家造り」であっても まだまだ気持ちのある人間集団が手をくだす。
要は 「きちんと お施主さんの為に仕事をする」そういう気持ちで全ての
「家造り」に携わる専門家達が動けば それだけで「かんぺきな家」に近づける気がする。
やはり それには甘いかもしれないがロボットではない人間集団には「信頼関係」が
不可欠のような気がするのだ。

お施主さん達にとっては「家造り」は 確かに重大な事ではあるが 長い人生の中の
一つのイベントにすぎない。でも 万が一の自然の威力で命を落とす場所に
なってしまうか それとも その場所が自然の威力に最も立ち向かえる安全な場所になるか
それは本当に大きな分かれ道の選択となる。

我が家にとっては個人住宅の仕事は 単なる仕事の中の一つである。
でも 大げさなようであるが 生死の分かれを委ねられてる仕事でもあるような気が
この地震で なんだか感じられ・・・・・

「きちんと仕事をする」
こんな簡単な事が 不透明な建築の世界では うまく出来ない。
それが「欠陥」という問題を毎度生み出すように思える。
せめて 我が家で「設計事務所」という看板を掲げている限り この
「きちんと仕事をする」という基本は 貫き通さなければならない。
なぜなら そういう基本を通す事が どんな仕事でも本来の仕事のような気がするのだ。

裏窓 地震にて 久しぶりに ちょっと考えさせられた一日の始まりであった・・・・

回転寿司へ繰り出して

2004年10月23日 11時10分35秒 | 独り言
先日 久しぶりに知り合いと「回転寿司」に繰り出した。
久しぶりに行ってみると 「回転寿司」のシステムは毎度変わっている。

ベルトコンベアに お寿司がくるくると回ってくる毎度の光景は
変わっていないが 以前なら 自分の好みのネタがないと
コンベアの中で握っている板前さんに
「まぐろ ください~」とか「ホタテください~」と頼まなければいけなかった。
すると板前さんが 自分の前に頼んだ品物を置いてくれる。
しかし 先日は「好みのが来ない~」と待っていると つい最近この店に来た
ばかりの勝手知ったる知り合いが ちょいちょいと簡単に座っている場所に置いてある
画面で注文してくれた。その早々とした手さばきに感心していると 赤い注文品という
台にのった お皿がどんぶらこと流れてくる。そして自分の席の前になると
「ブー」とブザーで教えてくれるのだ。「凄い合理化!!」知り合いに笑われながらも
新しい「回転寿司」システムに感心しまくった。

生まれて初めて「回転寿司」に行ったのは 確か学生時代。もう10年以上前だ。
友に青山にある「回転寿司」へ行こうと誘われ 何も青山なんて洒落た街で
食べなくてもいいのだが 場所柄 外人さんが多くてネタが美味しいとか
友の力説で行った記憶がある。

さすがに青山。やはり外人さんの客ばかりで結構 長蛇の列。
運良く空いた席に友と並ぶと 隣にはトム クルーズばりの外人お兄さんが!
「やっぱり 青山に来てよかったかも~~」ニマニマしてベルトコンベアの
寿司郡を眺める。まず まぐろで 次は いくらでと どんどん皿を平らげ ふと
気がつくと隣のトム似お兄さん なんと私の食べた お皿をそっくりそのまま真似して取っている。
どうやら「回転寿司」なるシステムも どの食べ物もいいのか わからないらしい。
それで隣の私の真似をして お寿司を取っているようだ。それに気がつくとトム似
お兄さんもニッと微笑み「OK OK」の手でサインする。笑った顔もなんとも
トム クルーズ。おお カッコいい~~~

生ものも 平らげ そろそろ巻物にと思ったが トム似お兄さんが自分の
後を追うように食べているので つい手が出せない巻物があった・・・・
でも 食べたいからと ついそれに手を伸ばす。するとトム似お兄さんも!
バカの悲しさで英語で「これはやめたほうがいい。」というのが全くとっさに
出てこない!一体 何年 英語の授業を受けてきてるのか・・・・
その巻物は「納豆巻き」ちょっと外人さんには辛いかもしれないのだ。
トム似お兄さん訳もわからず いつも通りニコニコして口に運ぼうとする。
友と私は「ノー ノー ネバネ~~バ ノーね」などと超訳のわからん英語で
言うものの トム似お兄さんはパクリと・・・・
その後の あのカッコいいトム似顔が苦痛で歪んだのは 本当に可哀想であった。

そして お腹も十分膨れ 私と友が帰ろうとするとトム似お兄さんも
私の肩をトントンと叩き 何か早口で英語でしゃべってくれた。今 考えれば
「僕も お寿司の事 知っている事あるんだ」という意味だったのかもしれない。
私に何か言うと「ヘイ ヘイ」と店の人を呼んでいる。もう おあいそかな?
そう思っていると いきなり店の人に「アップ アップ」と英語で叫んでいる。
見れば 私が飲んでいる お茶を指さし・・・・
どうやら「あがり」を頼んでいるらしいのだが・・・・
トム似お兄さん 店の人がいぶかしげでも 一向にトム似笑顔・・・・
やはり外人は お得である・・・・

あの時 一緒にいった友も私同様 もう子持ち母。今度時間があったら
是非 あの「青山回転寿司」に繰り出そうと言い合っているが・・・・
きっと年月の流れで あの「回転寿司」もシステムが変わっているのかも。
今度 友と行く時は 自分達がトム似お兄さんになっているのかもしれない。
そう 案外 今度は外人さんに教えられるのかも・・・・
月日というのは 自分だけが取り残される事が多い。
たかが「回転寿司」だが ちょっと月日の悲しさを感じてしまった・・・・ 

マザー裏窓

2004年10月20日 16時47分28秒 | 独り言
最近 手相に凝っている。
周りでも 占いブームは沸き立っている。いろいろな占いが飛び交う中
どうも手相は 一番信憑性があるような気がして・・・・・
時間があれば 本やネットで自分の手と睨めっこしている ここ最近だ。

聞きかじった知識だが 手相は 手の平の線だけでなく 手そのものの形や
指の長さや 厚みや 手の動かし方なども関係があるようだ。
「う~~ん 結構 奥深い」などと 余計にまた懲り始める・・・・・

怪しげなベールに顔を包み 「マザー裏窓」なんて看板で街角占いを
出したら なんだか いろんな人と会えそうで楽しそうだが・・・・

冗談はさておき 聞きかじった知識の中で 今まで手相に関して結構
誤解していた部分があるのに 気がつく。
一般的な生命線も 短いと短命で長ければ長寿と勝手に思い込んでいたが
長短より 深くはっきりした線かどうかがが問題らしいのだ。
いきおいがあって 深くスッキリと伸びている生命線を持っている人は
なんでもエネルギーのある状態らしい。
逆に 弱々しく消えるような線だと 精神的に疲れているとか
スタミナがないタイプらしい。
主要な線の中の頭脳線も 長ければ頭がいい訳でもなかった。
そして一般的に 手のひらには横の線より縦に縦断する線を たくさん持っていると
いいらしい。

自分の手では飽き足らず 最近は家族中の手のひらを睨めっこしている状態だが
子供には不思議なほど 縦の線は見当たらない。
冷静に考えれば 神経質な人は皴や線が多くと言われてるが いつも手を握りしめる
緊張度の強い神経質タイプの人達は必然的に 手のひらに皴が刻まれる。
子供は 当たり前だが まだまだ手のひらには皴が少ない。
それゆえ 縦の線の代表選手の運命線というのが出ない。
なんでも運命線は 生きる姿勢が表れるというから子供は無いそうである。
これも又々 「ほお~~~」と感心・・・・・

そこで 我が家の大黒柱 専門屋(夫)を覗くと「おお!」っと驚きの
珍しいといわれる「ますかけ型変形」といわれる手相。
頭脳線と感情線が一つに くっついているタイプ。
これは 独創性を発揮出来る仕事 専門的な職業につくといいらしいのだが・・・
確かに 専門的だが 当たっているのか・・・・・
それよりも「ガーン」となったのは これまた大人には超珍しいといわれる
縦の運命線が一本もなかったこと・・・・
一本もない人というのは 不安定な人生を過ごすタイプだとか・・・・
こっちの方が トホホなほど当たっている気がする・・・・


まだまだ「マザー裏窓」としては 駆け出し修業の身。
いつか我が家にやってくる 打ち合わせをしている お施主さん達に
一息タイムの「マザー裏窓のホッとタイムコーナー」なんかがあると
楽しい設計事務所かも~~と 最近は又々 勝手に考えている。
本当に 不謹慎な裏窓稼業である・・・・・

家造りと家族造り

2004年10月18日 14時53分31秒 | 独り言
人がそれぞれ個性があるように 家族も本当に各家族の色がある。
我が家での 個人住宅の設計は初めての打ち合わせから 
本当に「これでお終り 引き渡しです」となるまでの期間は
一年半位の歳月が かかる。打ち合わせ期間が長いので その位の時間を
お施主さんと共有していく事になる。

人間 大体3回位 会って話をすれば その相手の人間性なり性格なりは掴めていく。
それはお互い様なのだが 個人住宅の打ち合わせの中心となる家族についても
本当に いろいろな家族の個性やカラーが色濃く出されていく。
専門屋(夫)は数多く重ねた打ち合わせなどで そんな家族カラーを
少しずつ「家造り」に反映させていっているようである。

家族での話し合いで 勿論中心となるのは夫と妻である。
異性ゆえなのか なぜなのか。家に対する思い考えが 夫婦なのに正反対
という事は よくある。
「そんな事を思っていたのか!」という驚きの目でお互いを見る事もあれば
「専門屋(夫)さんも そう思いますよね?!」
なぜか 詰まっている専門屋(夫)に対して なんとか自分の意見の
正当性を主張する事も しばしば・・・・・・
玄人としての考え 意見は率直に述べ まとめていくのも専門屋(夫)の
仕事でもあるが 中には お施主さんの中で「どちらか!?」と選択肢する問題もある。
そんな夫婦真っ二つに割れた問題が持ち上がると 打ち合わせの席は
今までの活気は どこへやら・・・・みょーに気まずい雰囲気が漂ってしまう・・・・

「家造り」が終わるまでに そんな「みょーな雰囲気」は何度も繰り返される。
それでも不思議な事に 次の打ち合わせでは 前回話し合った「みょーな雰囲気」は
いつの間にか家族の中で消化されている。

そして いよいよ完成した家を見上げる時は 
「やっぱり あそこは大揉めに揉めただけあって これで良かったよね」
などと「みょーな雰囲気」での打ち合わせを 笑顔で懐かしく語りあえる
家族となっている。それはまるで「家造り」の進行と共に 家族の価値観や
思い 考えを一つにまとめ お互い認識しあう「家族造り」も一緒に進行
しているようである。

設計料だけを考えれば 確かに設計事務所にとっては個人住宅は
「小さい仕事」に入るかもしれない。でも お施主さんと共有する
「家造り」と「家族造り」の時間は 他のどんな「大きい仕事」にも
ないものである。

今後 我が家で何回 個人住宅の仕事が出来るか わからないが
関係ないながら お施主さん家族を裏から応援している裏窓である。


季節感

2004年10月17日 11時45分45秒 | 独り言
毎年カレンダーが残り二枚のページになると あっという間に年末がやってくる。
子供の頃は街中がクリスマス一色になる頃から 気持ちがワクワクしたものだ。
クリスマスが終わると 大人達は年末に向けて気ぜわしく そんな
光景を見るのも なんだか非日常的で楽しかった。

大人になって ましてや主婦となると この年末は憂鬱というのが正直な気持ち。
スーパーも なんだか混んできて気のせいなのだろうが 年末にかけて
街を歩く人達も なぜか小走りに走っているように思える。
大した事は 毎年しないくせに なんだかこの非日常が ぐうたら者ゆえ
面倒な気持ちになってしまう。

明治生まれの祖母と暮らしていたせいか 子供の頃は家の中に大層
季節感というのがあったのを思い出す。
年末が近づくと 玄関には山のような白菜と大根が届き 祖母がそれを
寒い寒い庭先で お漬物をつくり始めるのだ。
大きな樽いっぱいに切った白菜が盛られ その上から塩やトウガラシや 
昆布やらが 祖母の水仕事で赤くなった手で手際よく振り分けられる。

大根は毎年 年末になると庭の軒先で縦に真っ二つに裂かれた格好で
何十本と干される。丸々 太った大根が何日かすると皺々の おばあさんの
おっぱいのようになって干されている。本当に小さい頃は 祖母が自分の
おっぱいを干しているという冗談を真に受けていた時代があって あの頃は
祖母と お風呂に入るたび恐々と祖母の おっぱいを盗み見したものだった。
夜中に祖母が軒先から本当に おっぱいを切って干しているようで・・・
今 考えればバカらしいけど懐かしい思い出だ。
その祖母のおっぱいもどき大根は ゴボウのように細くなったところで
切り刻まれ祖母秘伝のたれに漬込まれ お正月にめでたく漬物として登場する。
あのパリパリという食感と お醤油のしみ出た味は忘れられない。

夏には夏の 冬には冬の 何かしらの味が毎年あった記憶がある。
勿体ない事に 祖母の秘伝の味を覚えようともしなかったものだから
記憶の中でしか季節物は再現出来ない。

今は お正月しか食べられないとか この季節じゃなければ食べられない
という食べ物が減ってきている。大きいスーパーに行けば果物だって一年中
あってはならないような物も出回っている。いつしか現代の人達は そういう
季節感にはマヒしているところがあるかもしれない。

「家」という物に対しても 当たり前の事ながら「冬は暖かく 夏は涼しいのがいい」
というのが今は 基本的な考えだ。
昔の人にとっては「冬が寒い 夏は暑い」というのが当たり前の感触であったから
そんなに「寒い」「暑い」は問題でなかったような気もする。

食べ物にしても 暮らし方にしても便利で快適ばかりを目指しているのは
悪くないが いつの間にか自分の中で もっと大事な事をどんどん
忘れていっているようにも思える。
そう考えると 今の子供達が大人になって感じる年末の季節感といえば
「ああ、面倒~~」と嘆いている ぐうたらな母の態度が年末の季節感と
いう事にもなりかねない・・・・・

ちょっと今年からは 自分を改めようかと一応 気持ちだけは奮い立たせる
ものの 二枚になってしまったカレンダーには毎年のため息が出てくるのだ。

バナナの味

2004年10月14日 09時52分57秒 | 独り言
もうすぐ 病魔が多くなる冬の到来だ。
風邪も多くなるし インフルエンザという厄介な病気もやってくる。

いつも「うるさくて 煩わしくて 落ち着かなくて」という子供が
ぐったりと布団から動かない風景は これまた いくら母性欠如の自分も
なんだか「大丈夫だろうか・・・・」と気持ちになるものだ。
子供が つらそうにしているのは 確かに親としてはつらい。
でも その子供の「ぐったり」が自分に移ってきてしまうと それはそれで
違ったつらい光景が家で繰り広げられる。
何しろ 自分が動けない でも寝ていられないという状況ほど つらいものはない。

あれは まだ子供達が二人とも おむつをしていた時代。
多分 長男は1歳代で次男はハイハイをしていた0歳代頃 
自分が物凄い頭痛風邪に見舞われた事があった。

専門屋(夫)はサラリーマンであったし 仕事もあったし 結局 昼間は
手のかかる動物もどきの子供二匹と病魔に冒された母との三人。
立っているのもつらくて 朝から引きっぱなしの布団に自分が寝ていると
母が動けないというのを敏感に感じるのか 単なる性格がねじくれているのか
わからないが いつも手のかからない次男がグズグズとぐずったり・・・・
家の中での遊びに飽き始めた長男が 口の回らない言葉で
「おんも おんも~」と騒ぎ出す。見れば自分で持ってきたのだろうか
ちゃっかり手に自分の靴なんかを持っている・・・・・

部屋の中は 子供の玩具が散乱し 台所は洗い物があふれ 引きっぱなしの
布団で 子供たちは それぞれ泣き出している・・・・・
この非日常の光景を 重たい身体で見ていると なんだかこっちも
泣きたくなってしまったのを覚えている。

そうやって ぐずぐずと過ごしていた三日目。ピンポーンと誰かが
ある午後やってきた。開けると そこには近所の公園でいつも遊んでいる
知り合いが子供の手を引いて立っていた。

毎日来ている私たち母子が 来ないのでどうしたのかなと お節介ながら
来てみたと知り合いは言っている。
風邪がひどいうので こういう訳でと話すと 知り合いは子供の手を引き
「30分後に またドア開けてね!」そう言って帰っていった。

1時間くらいして ドアの外がガタガタしていたので覗いてみると
ドアにスーパーの袋がかかっていて 中には りんごとバナナがどっさりと
入っていた。走り書きの紙に「お大事に」という文字・・・・

知り合いの買ってきてくれたバナナは ごく普通のスーパーのバナナだったのだが
一口食べると その甘さが口中に広がる感じがした。
汚く散らかった部屋で 子供たちも バナナを食べ始め その光景を
見ていたら 不意に涙が出てきてしまった。今考えれば 大げさなのだが
ちょっと体調が悪くて 気が高ぶっていたのかもしれない。

自分も子供がいて大変なのに 心配で見に来てくれた知りあいの優しさが
このバナナの甘さに じんわりと出ているようで食べるたびに なんだか
涙が出てきたのを覚えている。そして子供達は 不思議そうに泣いて
バナナ食べる母をじーっと見ていた記憶がある。

今は子供たちも大きくなり 医者に行く回数も減ってきた。
自分が体調を崩しても ゆっくり寝られる時間も確保出来る。
それでも病気の時は なんだかバナナが美味しい。
バナナの味は あの時の知り合いの優しさの味のようで 
ちょっと忘れられない味になっているようだ・・・・・・

健康マイブームの意義

2004年10月12日 15時37分24秒 | 独り言
この間 冷静に冷蔵庫を開けてみたら 出るわ出るわ
「健康にいい!」とされる飲み物&食べ物が・・・・・
黒酢に黒豆茶 アロエベラジュースに豆乳 ザクロ粒 もずくなどなど

最近 毎週のごとく健康番組のテレビをやっていて
「これで血がサラサラ」
「体脂肪が減る」「免疫のある体に」などというテレビ番組予告欄を
目にすると ついつい見てしまう。
そして例えば「もずく」が体にいいと知れば「それ!」とばかりに
スーパーへと次の日には走っている。私のような やからが多いせいか
普段 寂しく並んでいた「もずく」売り場は華々しく「テレビで放送された!」
という大きな広告と共に並んでいる。自分同様 テレビで触発されたお仲間も
既に売り場にはあふれていて あっという間に売り切れになっていたりする。

夫婦共々「中年」と言われる年代に突入し「健康」という言葉が 最近では
素通り出来ない年になってきたという事実もあるが 自分の中で
「あれも」「これも」と健康マイブームを展開させているのは 違った意味も
あるようである。
考えれば こんなに「健康」の事を考えるようになったのは やはり
専門屋(夫)が何の保証もない脱サラリーマンをし始めてからかもしれない。
こんな考えはしてはいけないのだが 現実問題 今 専門屋(夫)が
病気で当分仕事が出来ないとする。サラリーマンの時は 欠席扱いでも
とりあえず半年は 決まった給料日にそれなりの額が振り込まれた。
ところが今では 専門屋(夫)が当分動けない=収入の道はないと同じだ。
なんだか お金の亡者のようで自分が嫌になってしまうが わが家で
専門屋(夫)がコケると家族の前途がコケるだけでなく 今やっている
仕事のいろいろな人達がコケてしまう。それはお金の事だけではない。

大昔 自分がとりあえず会社という組織で働いていた頃 予定を組んで
休暇をとるのではなく 突発的に体調などが悪くて休んだ時は
身体は休んでいても なんだか気持ちは落ち着かなかった。
まあ、大した仕事もしていなく 自分一人どうでもいいのだが それでも
毎日仕事をしているというのは 毎日 組織の中で自分という駒が
どこかで組み込まれている。
「今日は あの書類を提出するはずだったのに」
「今日 あれを仕上げるはずだったのに」
身体のしんどさとは 逆に頭は冴え冴えと今日の会社風景を
思い浮かべていたりした。

今 組織から離れ冷静に考えてみれば
「自分が行かなくては!」と勢い込んでいた自分がおかしい。
確かに 仕事なのだから どんな仕事もいい加減は許されないが
組織の中で「自分じゃなければいけない!」という仕事は 実は一つも
ないのではないかなと最近では思う。
確かに突発的に駒がいなくなれば 一時会社は乱れる。
時にはパニックにもなる。でも それは本当に一時期だ。
なぜなら駒の代わりの駒はいくらでもいるから・・・・・・

「星の数ほど多い建築士がいても専門屋(夫)さんじゃなければ
 嫌でしたから。」
本当に本当に数少ない お施主さんのありがたいありがたいお言葉だ。
そう 今は「代わり」のいない世界で働いてしまっている我が家。
専門屋(夫)が設計する家にしても それはお施主さんと専門屋(夫)が
造り出した正に「世界でただ一つの家」なのだ。他の建築士がやっても
出来ないし ハウスメーカーや工務店でも出来ない。
そういう「ナンバーワンではなくオンリーワンの家」を目指してやってくる
お施主さんが数少なくともいる限りは とりあえず休まず動き続ける事が
第一条件となる。動き続ける基本は 健康という事にほかならない。

技術も特技もない設計事務所の裏窓家業。せめて健康面くらいは働こうかと
日々 健康マイブームに突進している訳だが その前に自分の飽きっぽい
性格も どうにかしなければいけないようだ・・・・・

何しろ家族達からいつもプレゼントされる言葉は
「継続は力なり」という言葉だからである・・・・・・・

「のどもと過ぎれば」ではなく

2004年10月11日 11時36分48秒 | 独り言
子供が小さい頃は 雨の日が大敵であった。
今でこそ
「買い物 行ってくるね~~」
「バイバ~イ」と 子供が留守番できるまでに進歩したが まさか
0歳児や1歳児前にして 「留守番よろしくね~~」は出来ない。

そうなると どこへいくのも当たり前だが 子供持参。
歩けない子供というのは 一つの大きな荷物同様だ。
これが雨の日などになると最悪で 片手に傘 片手に買い物したスーパーの袋
おんぶか抱っこで 子供がぶらさがるという構図になる。
これが嫌で子供が小さい頃は 明日の天気が雨なら今日中に銀行行って 
あそこに行ってと 天気に左右されて予定を組まなければならなかった。
自分一人で行動していた頃は たかが天気に左右されるとは!
思ってもみなかった、、、、、、

これは天気だけに言える事ではなく 例えば町のいたるところに存在する
数センチの段差も 子供をベビーカーに乗せて初めてわかった困り物であった。

「今日は電車に乗って出かけるぞ!」
張り切って ベビーカーで駅に向かったところ まず改札へと登る階段に
ぐったりして諦めた事もあった。そびえ立つ階段が なんだか
「ここは 普通の人だけが使うところだ!」
そう胸を張って 子供連れの自分を拒絶しているかのように感じられた。

「のど元過ぎればなんとやら」で 今の自分は 数センチの段差も駅の急な階段も
そこで行動がストップされる制限はない。
それに新しく建てられている建物は ユニバーサルデザインだとかバリアフリーを
うたい文句に 少しは以前より改善はされてきている。
車イスの老人の方達の 外出姿も以前よりは増えてきてる。
それでも 今住んでいる自分の町は変わったかといえば 何も変わってはいない。
相変わらず 数センチの段差は至る所に存在するし ベビーカーや車イスが
通れないほど歩道には 放置自転車があふれている事もある。

結局 生活してる殆どの人達に「のどもと通る」という現状にならないと
この現実を感じないのかもしれない。
でも 今は「のどもと過ぎた」自分だが 将来は絶対また「のどもと通る」
自分になるのは確実だ。
老いて車イスを利用するかもしれないし 車イスを利用しなくても 
たった数センチの段差さえ 足が上がらない状態になるのかもしれない。

「他人を思いやりましょう。」
子供に向かって こんな偉そうな事を言っている大人達が 平気で
歩道に放置自転車をする。車イス用の出入り口に自転車を止める。

「心のバリアフリーを解くのは難しい」
何かの本で読んだことがある。
便利な建物が増える。補助が増える。それだけでは 結局 根本は変わらない。
偉そうな事をいえる大人でない事は 自分が一番よく知っている。
それでも
「子供が小さい頃は 外出が大変だった。でも過去の話。今は楽。」
こう「のど元過ぎれば」になっているだけでなく 
「あの頃の大変さを常に忘れないでいること」
それが こんな小さな自分に出来る「心のバリアフリー」の一つなのかもしれない。


曲芸師のいる町に住んで、、、、

2004年10月08日 11時28分08秒 | 独り言
今現在 自分が住んでいる町は 一応住所は東京都
でも 洗練された都会というイメージは全くなく かといって
下町情緒あふれる町でもなく、、、、言葉に表現するのは難しいが
人と建物が「ごちゃら~~ごちゃら~~」としている(超わかりにくい!)
という印象がいつも思い浮かぶ町である。

唯一の町の特徴といえば とにかく安い店が結構多いという事と
なんといっても自転車人口が多い事だ。
専門屋(夫)曰く 坂無し でも細道 一方通行天国の町だから
町の住民の交通手段は 自然と自転車に傾く。
朝のラッシュ時間に駅前通りなどを歩く機会があると ここは中国!と
思うほどの 自転車族がどこからともなく沸いている。

他から越してきた近所の知り合いが この町の自転車は「小細工」がしてある
自転車があまりに多いので 驚いたという話を以前してくれた。
子供を持つママチャリには 当たり前のように子供を乗せる前カゴと後ろカゴ
それだけでなく前カゴの前にビニール製の風よけなるフードがついているのには
驚いたと言っていた。なんでも以前住んでいた所は 車族が多く
自転車に乗っている人を見かけるのも少なかったそうだ。

この知りあいが指摘するように ママチャリの殆どは確かに「小細工」が
着装されている。そして この町の子供を乗せる母達の運転技術といったら
「曲芸師!」思わず そう叫んでしまいそうな技術力を持っている。

私でさえも子供が園児だった頃は 前カゴに次男 後ろカゴに長男の計3人乗りで
どこでも移動したが そんな光景はこの町では当たり前の部類である。
中には母が一番下の子供をばってんおんぶ 前カゴに二番目 後ろに一番目
計4人で乗り回す方々も多い。
今までで一番「曲芸師!」と叫んでしまいそうな凄い母子を見たことがある。
それは 前後と背中に子供 そしてなんと母のペダルをこぐ足の間から
ヌッと一番上の子供が立ち乗り状態で乗っていた。計5人乗り、、、、
ここまでくると「あっぱれ」としか言い様がない、、、、、

専門屋(夫)に限らず 多分他の建築士の人も個人住宅の設計を頼まれると
まず その土地を見に行くらしい。
それは 土地の周りの環境をチェックするのと共に どういう町並みに建てるか 
どんな人が暮らしている町にある土地なのか自分なりにイメージを現地で膨らませる
という話も どっかで読んだ事がある。家は その建っている町並み 町の住人の
個性とも絡み合っているように思える。


専門屋(夫)は 今住んでいる町4?年暦を持つ。生まれたときから この町だ。
「この町のイメージで家を思い浮かべると???」の問いには
毎度 無言で、、、、(なぜか 無言かわかるような気もするが、、)

ごちゃら ごちゃらとした町並みと 曲芸師のような自転車乗りが多いこの町。
決して奇麗な小洒落たところはないが なんとなく温かいぬくもりのあるような
感じがいつもする。なんだかんだ言って 自分は曲芸師のいるこの町が
大層 気に入っている感じがする、、、、、

結局「住めば都」
単純な自分は この言葉で何もかも納得してしまうのである。


何となく生きていけるのは

2004年10月07日 15時02分49秒 | 独り言
人生を折り返した地点を 過ぎた年になってくると
あの時 こっちの道に進んでいれば 今頃は違った人生だろうか
あの時 なぜ友に あんな傷つけるような言葉を言ってしまったのか。
今までの いろいろな後悔事が蘇ってくる。不思議な事に 後悔事なのに
もう色あせた出来事だからこそ 案外落ち着いて思い出される。

そして自分の子供が生まれると 子供達の何気ない行動や言葉に 自分も
ああだった こうだったと今まで振り返りもしなかった子供時代が
鮮明に蘇る。

後悔事と子供時代の出来事で 記憶もないのに鮮明に思い出されるのは
30年以上も前に死んだ祖父の事である。

物心ついた時から 耳にタコが出来る位 家族達から言われ続けた事
それは自分が「おじいさんが 本当に本当にかわいがった孫だった」
という話、、、、。祖父には申し訳ないが 祖父が亡くなったのは
自分が3歳くらいの事。覚えている筈がない。それなのに今でも
フラッシュバックのように蘇ってくるワンショットがある。
それは真っ白い世界。壁もベッドもカーテンも真っ白で その真っ白いベッドに
祖父が横たわっている。そして 自分に向かって「おいで おいで」と
枯れ木のような手を弱々しく振っている。
記憶は毎度 そこでプツンと切れている。

明治生まれの男らしく 自分の子供も抱っこしなかった祖父が 私がぐずると
率先して「ばってんおんぶ」して歩き回る。その姿は近所でも長く評判に
なるほどで、、、、ほとんど狂信的に「孫バカぶり」を発揮した祖父は
自分の死期を悟っていたのかもしれない。

定年退職後 わずか二年で待ってましたとばかりに肺ガンに冒された祖父。
プツンと消えた記憶は 既に末期ガンとなってしまった祖父を見舞った
時に違いない。
「ほら おじいちゃんが呼んでるよ」
そう母が私の背中を押し出すのだが 記憶の中の私は なぜか身がすくんで
そこから動けない。今でも背中を 半ば強制的にグリグリと押し出す
母の指の力と 行かないとする自分の足の突っ張りの痛さの感覚は
不思議と覚えている。

なぜ かけよって手を握り「がんばって」
その位の行動がとれなかったのか。多分 子供の私は怖かったのだと思う。
白い世界に横たわっている祖父が もう違う世界に半分行きかけているようで
ただ近くにいくのが怖かった きっとそういう気持ちであったのだろう。

でも祖父は 今の私がかけよって 手を握っても励ましの言葉を述べても
それはそれで嬉しくなかったのかもしれない。
媚も哀れみも同情も知らない 純粋な気持ちしかない子供の私だからこそ
祖父は たまらなくかわいがったのかもしれないのだ。

後悔事は色あせると 強引に自分本位の出来事へとすり替わって行く。
「こうだったらと」思う一方 「いや これでよかったのだ」
そう思い込んで 無理矢理 後悔事を自分の胸に畳み込むやり方も
段々 増えて行く。人生を折り返していくうちに こんな技も
自分の中では どんどん磨かれていったようだ。でも だからこそ
みんな毎日何となく生きて行けるのかもしれない。

祖父の命日が近づいた秋空に ふとそう感じた一日だった。 

湯気の中の癒し空間

2004年10月06日 10時43分27秒 | 独り言
そろそろ息子達と一緒に入る 入浴タイムを卒業したい。
というより 長男クラスの子供を持つご家庭では とっくに
卒業したというところも多い筈だ、、、、
それなのに 無邪気と言うべきか どう言うべきか 私が
「お風呂に入ろう~~」と言えば 我も我もと 兄弟がついてくる、、、
勿論 週のうち何回かは 一人で入ったり 兄弟で入ったりという日も
あるが 「一人で入るでしょ?」と問えば「ええ~~~」なぜか嫌な顔。

「幼くて 可愛いところがあっていいじゃない~~~」
知り合いには こう言われるが この間 何気なく長男の足の親指に生える
指毛(勝手にこう名付けた)を見たとき「おお!」と思わず 鳥肌~~
なんだか幼いと思っている息子に ちらりと大人になっていく「男」を
感じたとき 馬鹿みたいに いや~~な感触に陥る。
まだ低学年だからと次男もあなどれない。何しろ生まれたとき あまりに
背毛(背中に生える毛 こちらも勝手に名付けている)が多いので
しかも丸くトルネード型に渦なんか巻いている。
「これは よっぽど毛深い男になるに違いない!」
そう思って なんだか嫌だなあ~~と思った記憶がある。そのせいか 最近は
どうも次男の まだまだ細くて幼児体型の抜けない足の筈なのに すねに生える
産毛が濃くなったようにさえ感じる。ああ、嫌だ 嫌だ。

一人でゆっくりバスタイムは 子供が生まれてから数年は 究極の希望だった。
何しろ 専門屋(夫)の帰宅は 深夜だったし毎回 子供と入るお風呂は
ゆっくり浸かった記憶がない、、、、そろそろ一人でゆったりも可能になってくきたと
思うのに なぜか今でも3人ぞろぞろ入る事が多い。

浴室という空間は 「家造り」の打ち合わせでも 結構重要な位置を占める。
おもしろいのは男性側としての旦那様は 割と浴室に
「こう使いたい こう過ごしたい」というイメージを膨らませて話される方が多い。
「とにかく 湯船で足をのびのびと伸ばしたい」
「広い広い お風呂で 壺庭なんかがあるといい」
「湯上がりに ビールなんか飲める庭が続いているといいなあ~」などなど
一日の疲れをリビングと同じ位 癒される場所として求める事が多い。

方や女性側の奥様達は「掃除しやすい素材は、、、」とか「浴室に乾燥がほしい」
などの日常の機能的な生活空間として 考える事が多い。
家の中の一部分の空間なのに 同じ家族で こうも捉え方が違うから
「家造り」は難しいのと共に楽しいのかもしれない。

湯気が立ったいつもとは違う空間に 一人で入れば どこからともなく思う事が
生まれたり 子供と入れば 普段何気なく話さない事を子供自らポツポツと
話したりする事も、、、、家の中だけど 違った世界にいるような感じになるのだろうか。
かつての お風呂が家にあればいい お風呂は身体を洗えればいいという認識は
せっかくの「家造り」においては悲しすぎる。

第二のリビングなんて それは行き過ぎだが一日の生活の最後を締めくくる
場所として その「癒し」を浴室に多いに発揮してほしいものだ。
そして私の締めくくりは まだまだ3人一緒のようで、、、、本当の「癒し」の
空間に変身できる日を待っている状態らしい、、、

でも長男の指毛や次男のすね産毛は 私に あっという間に変身できるからねと
3人一緒のバスタイムの終わりを予告しているようでもある。


誕生ショットと地震

2004年10月05日 11時20分32秒 | 独り言
もうすぐ長男の誕生日がやってくる。次男には少々悪いが
どこのご家庭でも一人目の子供というのは とかく親が覚えている事が
二人目 三人目と下がるよりもダントツで多い。
何しろ親も 初の経験ばかりだし印象が濃い!という場面が本当に多い。

誕生日も年々やっていくうちに最初の感動は どことなく薄れていくものだが
やはり誕生日の日には「今頃は陣痛だったなあ」とか「あの日は暑かった」と
いうショット ショットが思い出される。

そして長男の場合 このショットと「家造り」で結構話題にのぼる「耐震性」
「地震」という話が 毎度なぜか私の頭の中で絡み合う。
なぜ長男誕生の日と地震??

今は平均値より多少 大きい程度の長男だが生まれたときは3700グラム代。
平均よりは大きめだったようで、、、、大きい赤ん坊がいいというのは
昔の話。今は妊婦といえども 運動して身体を動かし小さく生んで
大きく育てるのが理想だとか、、、、いかに妊婦時代プータラしていたのが
バレてしまうのだが、、、、

出産は普通分娩で陣痛も平均的で 何もかも普通のお産だった あの日。
「鼻からスイカ出すより痛い」のは赤子の頭が出るまでだと8人生んだ
祖母から聞かされていたので これでもかの絶叫痛みにも「頭が出た!」という
助産婦さんの言葉をひたすら耐えて待っていた。そして「頭出たよ!」の声。
「ヤッター!」となる筈が助産婦さんと お医者さんの雲行きが怪しい。
それに私には まだまだ「鼻からスイカ」状態の痛みが襲ってくる。
「デッカイなあ~~参ったねえ~~」「どうします?肩折ります?」
物騒なヒソヒソ声が聞こえてくる。

どうやら長男は大きすぎて 普通なら頭が出ればスルッと出産のところが
肩が出ないらしいのだ。私は絶叫。長男は詰まってるしで一時は赤ん坊の
肩を外してとか 切開してとかの話になったらしい。ああ、波阿弥陀仏。。。

どうにかこうにか助産婦さんが私の腹に馬乗りになり マヨネーズの
チューブ状態になったところで一気に出産!正に九死に一生の気分。
しかし 結構母体に無理したという事で私はしばらく分娩台で寝てるはめに。
「あれ?」と気がつくと 分娩台に一人寝ていて周りにはだ~れもいない。
終わってしまうと 頭の中は開放感で一杯で 少し余裕が出てくると
頭の中は くっだらぬ事で一杯になる。
「こんな時 地震がきたら究極に嫌だなあ~」
白い病院の天井をボケ~~と見ながら ふとこんな事を思う。皆 右往左往して
でも一応産婦人科だから真っ先に赤ん坊の救助に向かい 入院患者を救助して、、、
あ~~こんなところで私一人寝ているって あの看護婦さん覚えてくれるだろうか。
ウトウトしながら くっだらぬ事を想像していた正にその時!
グラッと寝ている分娩台が揺れる!窓がガタガタと物凄い音!
どうしよう!誰もきてくれない。起きようとしても 下半身が痛くて動けない。

「すいませ~~~~~ん」金切り声で叫ぶ。まだ誰も来ない。
「すいませ~~~ん だれかあ~~~~」
「あらあら どうしたの~~?」二度目の声で のんびり看護婦さん。
地震があ~~と言ってる私に 「ここ線路の近くだから揺れるのよねえ~」
そうだった、、、長男生んだ産院は超線路近くに建つ。

あれ以来 お施主さん達が真剣に打ち合わせ席で「耐震性が」とか
「地震が」という話をしているのを聞くたび みょーに
長男誕生の日を思い浮かべてしまうのだ。
本当に不謹慎な裏窓稼業である。。。。。