設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

懲りずに懲りずに

2005年03月30日 17時02分34秒 | 独り言
懲りずに又々 スキーへと行ってきた。
生憎の雨にも雪にも打たれたが 何よりもケガがなく
無事 家へ帰還したので まあ、良かったかなと・・・・

宿泊したのは苗場スキー場前にドーンと建つ大御所的存在の
某ホテル。以前からネットの口コミ情報でゲレンデ最高
ホテルサービス最低という いや~~~な書き込みを
見ていたのだが某ホテルに以前泊まった大昔は
「こんなもんじゃないのかなあ~~」という感想しか
なかったから そうも感じてなかったが・・・
やっぱり あんまりサービスは良くないというか ちょっと
がっかりで帰宅。こういう旅行って年取ると余計感じる。
設備の良さとか立地条件とかも大切だけど ほんの少しの
人の対応で「今度も来たい!」となるか「もう絶対来ない!」と
なるかが分かれ道となるのだ。

冬は黙っていても客が来る。そんな条件もしゃかりきに
サービス売り物にしなくてもいいという雰囲気を醸し出す
のかもしれないが・・・・

それにしても ゲレンデがとにかく大きい!
今回は悪天候でドラゴンドラなるものが動かなかったが
これに乗れば隣のゲレンデにも足を伸ばせる。
こんな巨大な山の軍団をつるっ禿げにしてしまった
我々人間の欲というのも また凄い。
自分もちゃっかりスキーを楽しんでいる身のくせに
相矛盾した感想ばかりが毎度スキー場で出てきてしまう。

そんな母の相矛盾したモヤモヤが珍しく子供に通じたか
リフトに乗っている息子がポツリと呟く。
「今まで 住んでいた動物とか禿げ山にされてどこ
 行っちゃったのかなあ~~~」
「どこ行っちゃったのかねえ~~」
それしか答えられない大人の自分。なんだか自分が非難
されている気もする・・・・・

そう、こんな禿げ山にしている張本人の一部の自分に
ホテルのサービスが悪いだのと 愚痴愚痴する資格も
ないのかもと少々 苦笑する。

人間というのは 懲りても懲りても自分本位。
ああ、やだやだ。

懐菓子!

2005年03月24日 21時54分00秒 | 独り言
お台場に行くと 毎度寄ってしまうのが
台場横丁商店街。ここは懐かしい町並みを再現して
懐かしグッズばかり置いてある。
玩具っぽい町並みのくせに 空は夕焼け色で作り物の
木の電信柱なんかも立っている。
その奥の一角に 駄菓子コーナーがある。
子供というより大人がいつも溢れている。

懐かしいというのは 狡い。
「懐かしいねえ」その一言で これが美味しいのか?とか
値段に見合っているの?なんていう普段の常識を
取っ払う。そして案外 懐かしい味なんてものは
今食べても美味しくない。
あの頃 喜々として買っていたのにと年月の酷を思う。
それでも 買ってしまう。
「こんなのあった あった」
子供より親達が懐かしがって 売り場を覗いている。

自分が子供の頃 もう駄菓子屋さんは段々息を潜め
全盛期じゃなかったけど 近所に一軒だけそれらしき
店があったのは覚えている。
大体こういう店の店番には怪しいおばあさん。
腰とか曲がっちゃって 妙に年寄りっぽいと思えば
「これいくら?」なんて子供の質問には 間髪入れず
「3本で50円!」なんて答えてくれる。
お釣りも早い 早い。駅のキヨスク並だ。
順番を守らず 狡い行為に出ようとすれば こんな時は
これまた間髪入れず
「順番だよ!」なんて一喝してくれた。

100円玉一個で どうしたら一杯買えるか真剣に
選び抜いている子供もいたし 当りが出た時は
人生の全運を使い果たした時のように 超嬉しかった
ものだった。

今の子供達は こういう安さの楽しみを知らない。
ゲームソフトは親がビビる位 高い値段だし
コンビニに並ぶ物は スーパーより割高な物ばかり。

だからといって昔には戻れない。大切なのは今から
生きる事なのだから。そうはわかっている大人達が
昔を恋しがる。そんなジタバタした子供のような
大人達がいる限り 超細々でも正に懐菓子の駄菓子は
売れていくのだろう。

自転車操業(?)

2005年03月22日 21時01分00秒 | 独り言
強制的に自分の身体に運動をおこさせないと
本当に危険だ!という位 夫婦共々 切々と運動不足を
感じていた。で・・・・買ってしまったのだ。
エアロバイク・・・・これが意外に場所を取る。
そこで なぜ設計事務所にエアロバイク?という感じだが
専門屋(夫)の事務所に今は落ち着いている。

大体こういうものは 最初のうちはしゃかりきにやるものの
急にやらなくなる。そしていつしか粗大ゴミと化す。
いいや ここは一発 使いこなす!
今は とりあえずこう心に決め 一日置きに事務所へと
せっせと通おうと(?)している毎日。

これがまた 辛い・・・・
たった二分こいで ヒーヒーゼーゼーの世界になる。
いかに今まで動いてなかったかの世界だ。
30分近くこいでも 消費カロリーなんて60kcal。
ケーキ一個分だと自分なんて一時間以上こぐ事になるかも!

10分過ぎると汗がじわ~~っと出てくる。
「うるさい」と仕事中の専門屋(夫)に小言言われながらも 
ベラベラ話す気力も失せてくる。

そうやって こいでると思うのだ。
実験材料になっているネズミとかモルモットの気持ちが・・・
強制的にカゴの中で運動不足解消の為に くるくる
回る回転ものに乗っている気がする。
そして こうも思う。情けなし・・・・
こうやって強制的にしなければ
普段の生活で息を切らすという事はないという事に。

思えば 昔の人間達は交通手段もなかったから 庶民の
交通手段は自分の足。きっと運動不足解消なんて
思いもしない。もっともっと大昔に遡れば 運動する
という以前に身体を酷使して動かなければ まず自分達の
口に獲物は入ってこない。
自分のように二分こいで ヒーヒー悲鳴をあげていれば
そこで自分の命さえ保てなくなるという訳だ。
なんて厳しい世界~~~
そんな想像巡らせ やっと所定時間終了のピーが
エアロバイクから義務的に流れる。
ここでまた仕事中の専門屋(夫)から うるさいと小言
受けながら「疲れた もう駄目」を繰返す・・・・
そう 運動不足の人間は 復活が遅い・・・

それにしても このエアロバイク 今のところ
我が家の事務所の入り口入ってすぐのところに置いてある。
だから毎度 事務所に入った途端 ふと悲しく心に
浮かぶのが
「ああ、自転車操業の我が家の象徴のようじゃん」
こう浮かんでしまう。でも その自転車をしゃかりきに
自分が動かしてもねえ・・・・
結局 一銭も操業出来ないというもの ちょっと悲しい
事実かな・・・・

シラフの特権

2005年03月19日 17時20分24秒 | 独り言
そろそろ お花見の季節到来。
「桜を愛でる」なんて風流でやる人達は まずいない。
「酒が飲める!」こういう口実であるのは確かだ。

桜の木の下で
「奇麗だね~花が」と時には上を見上げて桜を話題にする
奇特な人も30分もすれば 上を見上げる事もない。

考えれば桜の木も 迷惑なものだ。自分たちが一年の
尤も見せ場の花を咲かせる頃になると 酔いつぶれた
人間達がこぞってドンチャカとやり出すのだから
たまらない・・・・
そうは言っても花見は自分も大好き。
というより楽しい酒の席は どんな場所でも楽しい。
でも悲しいのは ビールが飲めない。
あの苦さが・・・・どうも駄目だ。
乾杯の一杯目は必ずといっていいほどビールが出る。
ここでまず大体一口しか飲めない。
「飲めないの~~」こんな酔っ払いの知りあいに言われ
「ビールだけが駄目で他は・・」懸命に説明したところで
毎度 そこで酔っ払いは聞いちゃいない。
いつも ここで置いてきぼりをくらうのが毎度の事。
酒の席は酔っぱらった方が勝ちである。シラフは 最後まで
シラフの頭で見てしまう。つまらん!そう思うのだが
ビールで駄目なら他の酒でとワインやカクテルを飲めば
即 気分が悪くなる。要するに 自分は酒に弱いらしい。
酒豪の父親を持っていたのに・・・・不思議だ・・・

でも酒飲みの鉄則は「楽しく飲む」これに限る。
間違っても普段ムッツリしている上司なんかが
頭にネクタイ捲いて 嫌がる女子社員を追いかけちゃ
いけないし イケメンで通ってる男性が一升瓶片手に
別れた彼女の名前を叫びながら 永遠と泣くもの良くない。
今風のお姉さんが髪を友達に持ってもらい 背中をさすって
もらいながら道端でゲーゲーという姿も やや情けない。
シラフは どうもこういう醜態の後始末ばかりに追われる。

やはり本物の酒飲みは凄い。こんな醜態は一切ない。
いつもの如く飲みながら いつもの如く帰る。
ちょっと陽気にはしゃいだところで 他人に迷惑をかける
範囲までは絶対しない。うーんスマートだ。
自分も こんな酒豪になってみたい。若い頃は そう思って
飲んでみたが 毎度翌日は頭ガンガンの世界。
最近では ほぼ諦めている・・・・

花見の終わりには 今までの騒がしさが嘘のような空虚さと
どっちゃり飲み干したゴミの山だ。
大体 シラフ組がやれやれ片付けるかという感じで片付ける。
青いビニールシートを知りあいと畳み ゴミをまとめと
やっていると 風なんかが吹いて桜の花びらが舞い始める。

「おお~~花見だ」
やっと上をつくづく皆で見上げる。
シラフになった人だけの特権花見か・・・・

花見の宴だけは ちょっとシラフも得をしている。
毎年 この季節そう思う。

女性が求める一位像

2005年03月16日 21時24分00秒 | 独り言
男性に何を一番 求めるか?この一位はナント
「家事 料理をしてほしい」だったというニュースを
読んだ。うーん 時代の流れか 男女逆転現象か!?

そもそも男性陣は長き人生の中で 細かな生活面での
躾を二人の女性から二度受ける。
まあ、中には一回、いや0という方々もいるだろうが。

最初に躾をしてくれる女性。一番近き母親だろうか。

ここで心優しく又細やかで 甲斐甲斐しく夫と息子に
尽くすタイプの母を持つと その男性の人生前半戦の生活は
誠に穏やかで幸せである。

「お母さん お腹空いたよお~」
こんな可愛い時期から
「腹ヘッタ!メシ!」
こんな憎たらしい時期まで 母の態度は変わらない。
相変わらず家の中で せっせと父や自分の為に実に
まめまめしい。こういう家庭では 大体 父もどっかりと
テーブルにいつも座っている。間違えてもゴミ袋を
両手に下げて 慌ただしく出勤する姿もない。
そんな父を見ながら育つ息子の目には 
「男は 何もしなくても平穏に生活出来る」
こんな怪しい誤解が映る事になる。

そして息子はめでたく配偶者に出会い 結婚する。
ここで 自分の母と全く同じようなタイプに恵まれ
独身時代と相も変わらぬ生活を送れる幸せ者もいるが
時として男性は 自分の母と全く違うタイプと結婚して
しまったりする。そうなると今まで普通と思っていた
行動にヒビが入り始める。
「腹ヘッタ!メシ!」
こんな一言で テーブルにどっかりと座れば年期の入った
妻からは怒声と鉄拳が飛ぶかもしれない。
しかも子供なんかが生まれると 夫の優先順位は
家族の中で最下位となる。

結局 「自分でやるか」こういう行動に出る。
そして「やれば出来るじゃない」こんな妻の言葉にも
苦じゃなくなる時 男性陣はもう一人の女性 つまり
妻からの躾を受ける事となる。

では母にも妻にも幸運にも恵まれた(?)男性陣は
その後どうなるかというと それにも大きな落とし穴が
ある。

大体 まめまめしく甲斐甲斐しく心優しい妻は
身体をそれだけ動かせ柔軟な心を持っている若い時に
限られる事が多い。自分も年老いて身体が言うことを
きかなくなると 途端に今までやってきた事が鬱陶しく
なってしまう。
「それくらい やってよ!そんな事も出来ないの!」
つい そんな言葉を吐くはめになる。
男性陣としてみれば晴天の霹靂という感じだろうか。
何しろ 今までやってくれていたので 今更ちょっと
した事が 大変な事になってしまう。

要は 男でも女でも「自分で出来る事は自分でやる」
ただそれだけである。お腹が減って 作る相手が忙しければ
自分が代わりに作る。そんな事を男だから特別な事と
教え込むと その本人も大変な老後になってしまう。
こう書いていて今ふと思いつく。
世の女性陣の第一位像の男を作るのは 案外簡単。

ズボラな妻とズボラな母がいる家には まめまめしい
男がどっかで誕生する。というか そうせざるを
得なくなる。

それって ウチかあ~~~??

安物自慢大会

2005年03月15日 21時44分00秒 | 独り言
最近 1000円以上の靴を履いてない。
今 愛用している何種類かの靴の中にはワンコインで
買った物まである。こんな変な自慢をすると
「そこまで安い靴ある!?」こう驚かれるが最近靴屋で
靴なんて買った事がない。毎度 近所の知りあいが回して
くれる靴の専門通販カタログ。
多分ネットでも個人的に買えるのだが 毎回この
「まとめ買い」で買う事にしている。

「靴と男は妥協しない方がいい。」
こんなセリフを以前 柴門ふみさんの漫画で読んだが
もう男が どうのこうのという年は枯れてしまったから
靴にも とことん妥協の毎日。でも こういうのって
健康にも悪いだろうし 結局 安物買いの銭失い。
だって さすがにワンコインの靴はあっという間に
縫い目からほつれていく。雨の日は絶対履けないし・・・

「悪いけど デリケートな自分には絶対履けない。」
 
軽べつの眼で専門屋(夫)にも よく言われたが 最近では
「どうだ これなんか1000円ジャストだ。
 見えないだろう!」
一緒に買い物に行ったディスカウントストアで ちゃっかり
安げな靴を自慢している・・・
こんな「見えないだろう!」が気に入ったか 最近では
夫婦でいかに安く買ったか!ばかりの安物自慢を
頻繁に家庭内で繰り広げる。

「790円の靴だ!」
「これなんか通販ネットバーゲンで下がった物なんだから!」
「今日なんか上から下までユニクロだぞ。しかも全部
 バーゲンの時買ったものだ」等々・・・
なんとも悲しい自慢大会。
でも これも妻側は気をつけないと 
「そんなに買って 無駄な事してるのか!」
という見せなくていい物を相手に知られてしまうのだ。
くわばら くわばら・・・・・・

確かに「良いものは良い」
ブランド品が良いというのではなくて その値段に合った
代物はその値段を出した価値だけの物を持っている。
それは丈夫さでもあり 高級感でもあり 安心感でもあり。
でもねえと ここでまたオババの自分の首が伸びる。

良い靴履いて 良いバック持って 良いもの身につけ
いつも通り外出。絶対こんな声で呼び止められる。
「あら裏窓さん どうしたの?スーパーで何かあるの?」って・・

車 いのち!

2005年03月14日 20時55分00秒 | 独り言
そろそろ車がヤバイ・・・・
結婚する前からの専門屋(夫)の持ち物なので
家族の中では一番 古い存在だろうか・・・
かれこれ15年か!

いくら国産車は故障しにくいとか安全と言われても
最近は ちょっとさすがに怖い・・・・
なんでも 急に道の真ん中で「シュー」と悲しい音と共に
止まってしまった事もあったそうな・・・・
目下 家族の友とでもいうべき車を物色中なのだが
なかなか金銭的にも 感覚的にも納得出来る代物がなく
難航中といったところだ。
自分なんかは どうでもいいというか ついつい維持費は?
保険代は?なんて現実ばかりに目がいくだけなのだが・・・
そう 車選びは家と同様 選ぶ人の価値観が的確に表れる。

以前テレビで 住んでいる所は四畳半のアパート一間なのに
車は1000万近い高級車に乗っている男性の特集を見た事が
あった。こういう人って結構多いらしい。
食べる物や住むところを最低にしても 車は最高にするとか。
そうかと思えば ひたすら性能だけを求める人。
ただ走って小回りがきけばいいよ という実用的な人。
ガソリン代は?その後のメンテナンスは?
安い?高い?と自分のように妙に現実めいている人と・・・

一台の車を選ぶだけで金銭的感覚から美的センスから
生活の価値観の重点まで あからさまにバレてしまう。

考えれば家と違って 衣食住を最低レベルにすれば
とりあえずは どんな人にも高値の花が手に入りやすい。
そういう中途半端的な値段も 多様なタイプを生み出している
のかもしれない。
でも以前 テレビでみたような男性タイプは 独身だから
こうやって「車 いのち!」と突っ走れる。
まあ、中には結婚しようが子供がいようが突っ走る
タイプもいるだろうが 真っ先に嫁の一喝でシューと
現実に萎んでしまうのが一般的だろーか・・・

我が家の場合は 夫婦のくせに車への価値観は全く別物。
「走って面白くない車なら 車はいらない」
そんな考えの配偶者と「なんでもいーじゃん」の自分では
ズレまくっている。

「まあ、自分はペーパーさんだし関係ないし
仕事柄 現場監理なんかで車を使用する貴方にお任せするわ。」
こうゆったりと言いたいのは山々なのだが
「走って面白い。奇麗な形。」こういう条件の車って
結果的には高いのだ。
だから意地悪じゃなくても ついこんなセリフしか吐けない。
「ないものは 無いもんねえ~~」

ここで断固と反旗を翻し 目を輝かせて車への自分の熱さを
語れるのは 付きあっている時の恋人か 結婚していても
子供もいない まだ生活感のない新婚さんか・・・・・

家庭持ち男は ここでグッと詰まっているしかないようである。
可哀想・・・・

ないものねだり

2005年03月12日 20時57分00秒 | 独り言
3月というのは学校では年度末になる。
どの学校もそうであるかもしれないが 息子達の小学校も
お決まりのように懇談会と授業参観が先週あった。

普通の母ならば 我が子をじっくりと観察といったところ
だろうが 自分はついつい息子と同じ年の女の子ばかりに
目がいく。なぜだか・・・・
ちょっと間違えて自分が「おじさん」だとしたら怪しい
人と思われるかもしれない。

何しろ同性の子供しか持っていない親にとっては
子供と同じ年の異性の子供というのは 未知なる存在だ。
「大体♂は こういうパターンでくる」というのが
経験上わかっている頭も これが違う性別だとうろたえる。
慣れてないというほうが早いかもしれない。
ごくごく たまーに女の子が
「お邪魔しまーす」なんて遊びにくると
「何か 飲むぅう~」なんて声もひっくり返ってしまう。
変に緊張してソワソワしてしまうのだ。

長男と同じ年くらいの女の子となると 正に
「女!」に近い子も たくさんいる。
失礼ながら観察してしまうと 
「こういうタイプの子って 将来もてそうだわ~」
なんていう雰囲気を醸し出しているタイプもいたりする。
まだまだ幼げな♂に比べ 髪の毛かきあげ ため息なんか
ついている姿は やはり♂しかいない母にとっては
新鮮だ!

一体 子供の授業参観に何しに行ってるのだか・・・・
こんな事を考えながら 学校へ行っている母は
自分一人くらいなものだ。

女の子を観察する目も ひょっとしたら将来の姑の目に
なっていたりして!?ああ、いやだと思う。

考えれば 自分も一応れっきとした女のくせに
なぜに子供の女の子に緊張と新鮮さを感じるのか。
きっと自分の中に「女の子」がすっかりなくなった
からでは ないだろうか。
それとも やはり家族の中に全くいない存在に
憧れに似た気持ちがあるせいなのか・・・・
 
人は結局なんでも ないものねだりだ・・・・・

言えた義理じゃないけども

2005年03月11日 14時53分00秒 | 独り言
一体いつから大人達は こうも子供に媚びを
売るようになったのか。
最近 なんだか目に入ってくる光景・・・・
お店の前で「買って~買ってぇ~~」と転げ回る幼子。
まあ、よくある光景といったところか・・・・・
そして大体が それにうろたえている親の姿・・・・
子供という生き物は 幼くピュアな心を持っているのと
同時に 大人の「負」の目の色を見つけるのが天性的に
上手な生き物である。少しでも自分の欲求が勝てそうだと
わかれば それはそれは押しの一手だ。

先日何気なく目に飛び込んで来た光景は こんな光景に
プラスして 寝転がって泣いている我が子を抱き上げようと
した母親を 抱っこされながらも叩きまくる子供の姿。
「凄い・・・・」
何が凄いって どうして あんなに子供に叩かれ
困った顔だけでいられるだけか・・・という半ば呆れ半ば
感心の域に入ってしまっていた感想・・・
おまけに下に下ろされた子供は 今度は逆襲に出る。
母の足や お尻にケリを入れ始める。
そばには父親らしき人物もいるのだが
「駄目だよ。今度ね。」
一応 説得のつもりか。なんなのか。まだ二歳児位だろうか。
育児書には尤もらしく書かれるけどね 実は二歳児に
説得って あんまり通用しないのだよなと 一応現役母の
自分は呟いたりしてしまうのだ。

親は子供の友じゃない。親は親なのだ。
昔の頑固親父みたいな存在を 物凄く煙たく思う自分も
いるのだけど 子供のご機嫌伺いばかりの最近の親達も
やはり嫌だと思う。

叩かないで納得させる。こんな高度なテクニックを駆使出来る
親は 人でありながらも完璧な人なのだろうなと思う。
親も 実は子供と同じ人間。
だからこそ 時には 子供を精一杯抱きしめても抱きしめても
足りない位の愛情が心から溢れかえる事もあるし
子供が心配で心配で心がひっくり返りそうにもなる。
そして時には そんな親だからこそ 子供の理不尽に
怒り激怒し手を上げる行為に及ぶ事もある。
こんな矛盾した両者が 親だからこそ芽生えるのではない
だろうか。

子供がいつか心身共に成長して 自分と同じ価値観を持てる
大人になるまでは 親は「負」の目の色なんかしては
いけないのだ。そんな楽な事をしている場合でもないのだ。
自分の手の中で 一人の人格が確実に育てられている。
そんな重みを現役親達の私達は もっと考えなければ
いけないのかもしれない。

いい加減で母性欠如の「言えた義理じゃない」呟きです・・・・

片付け下手

2005年03月10日 21時30分00秒 | 独り言
片付けが どうも苦手である。
たまに遊びに来てくれる知りあいにこう漏らすと
揃いも揃って皆いい人達なので
「こんなに奇麗に家の中 片づいているじゃん!」
そんな嬉しい事を言ってくれるが・・・・・
これも ちょっぴりは当たっている。
何しろ「見えるところのみ」限定ならば外に物は
ないのかもしれない。だが一回どこかの戸棚を開ければ・・・・
何度片付けても「ウジャラ~ウジャラ~」という感じ。
こういう人種は多分 究極に片付け下手なのだろうと思う。
絶対 収納達人だの片付け名人と呼ばれる人達は
見えないところも完璧なのだ。こういうところにも
いい加減でズボラな性格が災いとなるらしい。

でも世間には自分と似たタイプが多いらしく 本屋を覗けば
インテリア関連の本棚にはズラリと収納の本ばかりが並んでいる。
「これで貴方も収納美人!」
「なんて簡単 収納術!」
こんな そそるような題名の本が並んでいる訳だが
敢えて 毎度の如く 自分は買わない。
なぜなら例えこういう本を読んで同じにしても 数ヶ月いや
数日単位で元に戻ってしまうという情けない現実を知ってるからだ。

自分よりは こういう分野も専門家である夫に聞いても
「結局 どんなに使い勝手のいい収納造っても 片付け下手な人に
 かかれば 生かされないんだよねえ」
なんていう本音も漏らす。

よくテレビで収納達人が一般家庭の悩める収納下手を解決していく
という番組をよく見る。
意地悪なオババの自分は いつも見ながらぼやく。
「どうして その後特集とかしてくれないの」と・・・

同じ人種ゆえにわかる事。それはきっと達人が奇麗にしても
数ヶ月でまた戻ってしまうのでは・・・・という現実。
だって何しろ達人がその家で暮らす訳ではないので・・・・
これって「子供の為」と言いながらも ついつい子供部屋を
片付けてしまう親のようにも見える。そこを使うのは子供
だから こういう効果は長続きはしない。

こうやって開き直るのも悪いが 自分の家の暮らしの
収納を他人にやってもらっても無駄なような気もする。

収納や片付けって なんだか物凄くその個人の暮らし方や
考え方が反映されるようでならない。
「他人にやってもらって奇麗になる」
美容院やエステじゃないのだから
これは 暮らし方には通じない気もしてしまうが・・・

片付け下手人間が何を言っても 説得力がないのが悲しい・・・

お気に入りの下界

2005年03月09日 16時28分13秒 | 独り言
先日 運動不足解消とばかりに日中 近所の知りあいと
近くの土手へ行く。
目的は ひたすら「ただ歩く!」という事・・・の筈。
これが結局 歌じゃないけど「さーんぽ進んで二歩さがる」
みたいな具合で 結局 足と共に口も動かしている。
何しに行ってるのかという具合だが 当日は晴天。
気温も今までの寒さが嘘のように高い日だったので
「気持ち良い~~~」と伸びをしたくなるような土手だった。

生まれ育った場所にも 近くに土手があって犬を飼っていた
頃は 毎日のように行っていた。
川が流れて 緑の芝生があるだけで なんだか別の世界に
来た気がする。

多くの人達が学校やら会社やらで忙しく働いている日中に
この土手だけは全く違う下界の世界のようだ。

黙々と両手を振って歩いている おばさまもいれば
「この時間帯になぜに ここにいるのかな?」
そう思うような 大人の男の人がいい気持ちで芝生に
ひっくり返って寝ていたりと・・・・
下界のような土手の世界では 時間までもがゆっくり流れている
ように感じる。

空も太陽も心なしか大きく見えるような・・・・・

会社で働いていた大昔は 会社の窓から見る空の小ささに
ため息が出たし 通勤電車の中から見えた太陽も
憎たらしく感じたものだった。
そんな上さえも見上げない日もあったような・・・
今だって 暇な専業主婦のくせに 空や自分の足元を
じっくりと見つめる心の余裕のない毎日。

たまには こうして大きな空を見て足元の雑草を見るのも
人間 必要なのかもしれない。

そんな言い訳しながら 今回の近所知りあいとの
「歩こう会」はまたもや「おしゃべり会」に変わる。

色あせしない 笑い

2005年03月08日 21時22分02秒 | 独り言
買ってしまった・・・・
ドリフターズ40周年記念DVD。
「いい大人のくせに くだらない」そう言われるか
「いいなあ~懐かしいな 見たいな」そう羨ましがられるか
賛否分かれるといったところだろうか・・・
今のところ買ったと知りあい達に言うと
「見たいねえ~~」という やや羨ましが入ってるのが
ほんの少し嬉しい。

何しろ 懐かしい。
これを書くと又々年齢がバレバレだが 小学生の頃の
土曜夜8時からは絶対見ていた気がする。

「ババンバ バンバンバン~~」
このエンディングのテーマ曲と加藤茶さんの
「宿題 やったか」を聞けば「宿題 大丈夫か」と
本気で気になったし「歯 磨けよ」を聞けば
「忘れずに磨こう」なんて思ったものだ。

お決まりの いかりやさん扮するお母さんと他のメンバーが
子供になるコント劇も大好きだったし 夏には これまた
お決まりの幽霊屋敷の話やら・・・・・
懐かしいな~とDVDを入れて見ようとしたものの その時
ふとよぎった不安もあった。それは
「果たして こんな年月がたっても同じに笑えるのかな」
ということだ。見てしまって
「なんか 面白くない。昔はこれが面白く感じたのに」
そう自分の流れた年月と重ねた年が思ったら 味気ないし
寂しいなと そう思ってた。

でも そんな不安は 見ているうちに消えていった。
ここで大きな洗面器が上から落ちてきてと筋書きまで
知っているのに ドカーンと落ちると笑ってしまう。
くだらないと大人の自分がいるけれど 笑ってしまう。
そして こういうお笑いは今の子供達に受けるのだろうか
そう疑問に感じていた事も 自分の後ろから熱心に見入っている
二人の息子達がゲラゲラ笑い転げている事で 答えは
出てしまっていた。
笑いというのは 案外 色あせないもので いつの時代も
変わらないという答えに・・・・

人を泣かせる事は簡単だが 笑わせるという事は
本当に難しい。人は滅多に笑ってくれない。
「8時だよ 全員集合!」には 一言のアドリブもなかったとか・・

計算しつくされた笑いは 実は裏では物凄くシビアな舞台
だったのだろうなと感じる。

今や「笑い」は病気などを治癒する力もあると言われている。
笑っている間は 確かに今現に悩んでいる事や今後起こる筈の
憂鬱な悩みを考える余地を与えない。
笑っている間だけは 一瞬 そんな現実とはかけ離れた自分がいる。

喜怒哀楽をせっかく授かった人間。
やはり怒哀ばかりでなく喜楽も使いたいものだ。
転げ回って喜んでいる息子達を見ると つくづく感じる。

あくび

2005年03月06日 17時31分08秒 | 独り言
「あくび」というのは うつりやすい。
大体 隣に座っていた人や話していた相手が大きな
「あくび」をしていると なんだか自分の口も「あくび」になる。
「あ~ら うつっちゃったわ。ガッハッハッハ」
なんて会話は 自分たち オババ仲間ではしょちゅうの事。

以前テレビで見たのだが この「あくび」は人の事を思いやれる
人がうつりやすいとか・・・・・・
相手に共鳴出来たり 相手の立場になれる人ほど うつるとか・・・
テレビでは実験で 相手の事よりまだまだ自分が一番の
幼い幼稚園児に「あくびをしている」場面のビデオを見せたところ
反応して うつった子供はいなかった。
そしてこの実験を高学年の小学生に見せると うつっていく子供が
増えていく。うーん あながち嘘でもないようだが・・・・
となると この実験を年代別にやっていくと 一定の年を超えると
全く うつらない人達が増えると思うのが どうだろうか。

何しろ 人というのは年を取っていけば それだけ温厚な
他人を思いやれる立派な人間に育っていくのかと思えば
とんでもない気がする。むしろ子供より「自分が一番」的な
性格が強調されるような・・・・

母親になって強くなったと言えば 聞こえはいいものの
自分も大昔では考えられないほど 我が強くなったような・・・
言い換えれば「自分本位丸出し」
相手の気持ち?思いやり?
そんなものはどこだ?という行動を 取ってる事が多い・・
ここに集団心理なんかが加わると ますます行動は
「自分本位」にエスカレートしていくから たまらない。

いつか隣の人が「あくび」をしようが 目の前の相手が
「あくび」をしょうが まーったく「うつらないわ。ガッハッハ」
となるのであろうか・・・・

年を取っていくというのは 身体の老いだけでなく
精神も老いを患っていると つくづく感じる。
精神の老いは一種の子供返りでもある。

ああ、気をつけて 毎日を送らなければ・・・
そう 呟いたものの 来月はまた自分の年が一つ増える!
いっそ 年を重ねるほどに誕生日が遠くなっていくという
仕組みになってくれればいいのに・・・
恨めしい気持ちとは正反対に 坂道を加速して滑り落ちる如く
毎年のこの時期がみょーに早い・・・

そう感じるのは 自分だけなのか・・・
はたまた皆さまもそうなのか・・・・
憂鬱な桜の季節も 遠くない・・・

サボコンビ

2005年03月03日 17時15分00秒 | 独り言
自慢じゃないが今まで一度も草花を育てた事がない。
「ガーデニングが趣味です」こんな高尚な言葉を口に
してみたいものだが「これは手入れが簡単!」
そう宣言された代物も結局 枯らすはめになる。
そんな自分が お台場のとあるお店でハッと目に入った物が・・・
それが小さい小さいかわいらしいサボテン軍団。
大体 これがお台場のお洒落そうなお店にあるからいけない。
自分の近所の庶民的な花屋さんかなんかで見かけたら
素通りしてしまった物かもしれない・・・・
しかもサボテン軍団の前には
「水やりは一ヶ月に一回程度、お手入れ簡単でーす」
なんて丸文字の可愛い宣伝カードまでついている。
家族達が呆れるほど迷いに迷って結局買ってしまった!

「水は一ヶ月に一回ですよね?簡単ですよね?
 大丈夫ですよね?丈夫なんですよね?」
これまた おしゃれなお店にピッタリのおしゃれな
若き女性の店員さんに畳みかけるように聞きまくる。
たったサボテンに ここまでしつこく聞きまくるおばさんも
自分位かもしれない・・・
お姉さん曰く 水は一ヶ月に一回で日中 ちょっと日に当てれば
いいとの事。ますますズボラな自分にピッタリだ!

こういう植物は物言わない故に正直な生き物である。
こっちがいい加減に接するとあっという間に態度に出る。
なんかこういうところは生身の子育てと同じようで
ますます自分には向いていないのだ。

サボテンはいい音楽を聴かせたり 話しかけたりすると
大輪の花を咲かせるとか、そんな話をどっかで聞いた事も
ある。心入れ替え育てようとするのだからと
一応二つ買ったサボテンを勝手にのっぽな方は♂の
「サボ太郎」ちょっとずんぐりと横に大きいのを♀の
「サボ花子」なんて名付けてみる。
毎日何事もサボリ気味の自分のあだ名のようだが 
「おはよう サボ太郎~~」と言ってみたりと数日 自分の
キャラにない声かけなんぞをやってみる。

まあ、無理な事は続かない。声かけは三日で終わり
水やりも毎日じゃないしと最近は テレビの上の置物と
化している・・・・・

「水やりはやったの?」
息子達が心配するといった有り様で やっぱり自分には
屈強なサボテンでさえ うっかりすると育てられなさそうだ。
ガーデニングというのは おっとり趣味じゃなくかなり
忍耐が必要な趣味かもしれない。
そして裏を返せば たった一つの草花も育てられない自分って
究極の「自分が一番!」人間かもしれない・・・・
何かを育て上げるって やっぱり自分には向いてない・・・

悲しき納得事

2005年03月01日 18時53分00秒 | 独り言
先日 珍しく専門屋(夫)が熱を出した。
この時期 熱と聞けば頭の中は即「インフルエンザ!?」
となる。こうなると相手の体調を気づかう云々よりも
「うつすな!寄るな!隔離!シーッシッシ」と こうなる。
幸い 単なる疲れか風邪かという結果であったが・・・・
こういう時 いかに相手に対してどう思っているか
的確に表れるものである。
いやあ~~我ながら正直である(?)

子供がうんと小さい頃は 家族の誰かが風邪を引くと
大体 菌が家族を一周する。
上の子供が熱を出し やれやれと終わった頃 今度は
下が出すといった具合で・・・・・
こうなると毎回 こう呟いたものだった。
「ああ、今晩も起こされる・・・・・」
なんといっても子供は
「鼻詰まりがひどい」そんな症状だけで泣いて愚図る・・・・
「鼻で息が出来なければ 口ですればいい!」
そう文句を言っても幼児には通用しない。

確かに大人だって風邪の時は鬱陶しい。
かくいう自分も鼻詰まりがひどい夜は いくら口で
パクパクと金魚状態で寝ても寝られない。
「万が一 今誘拐されてガムテープで口をふさがれたら
 即 死んでしまうわ・・」
こんなオバカな想像を巡らしても 鬱陶しい体調のせいで
眠気はちーっともやってこない。
しかも隣には 子供達の健康な寝息がまた癪に触ったりと・・・
これが何も訴えられない状態の小さい子供なら 泣いて
訴えるという行為にしか出られない。気持ちはわかるけどね。
とにかく自ら夜更かしして 自分の意志で起きている状態
じゃなく 寝入っている状態を無理やり起こされる時は
本当にしんどい。子育てで何がしんどいかのワーストに
これは入る・・・・よくしたもので こっちが体力的に
年をとっていくにつれ 当たり前だが子供は成長して
こういう「しんどい状態」も解消されていきている。

でも やはり今回も菌が家族を一周し始めたか こちらも珍しく
長男が微熱を出した。
夜中に発熱し始め どうやら頭痛に見舞われていたらしい。
朝方 「お母さん お母さん」という囁き声で起こされる。
夢の中の囁きかとまどろんでると 少々大きい声で
「頭 痛い」この声でやっと起きる羽目になる。
幸い 長男も単なる風邪の類いだったらしく 今は回復している。

それにしても後で聞いたら 結構長く自分を起こしていたそうな・・・
年を取ると 起こされるのも辛くなるが 起きるまでの
時間も長くなるらしく・・・・
夜中に誰かが急患になっても使いものにならない日は
遠くないような・・・・子育ては若いときに限るのか・・・

ちょっと悲しき納得事である。