設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

旅行には行ったけど

2007年08月27日 17時30分35秒 | 独り言
先週 長野の方へ家族旅行で行ってきた。
やはり若干・・・・涼しい・・・
温泉三昧と大人は やりたいところだが
子供達には つまらないだろうと
夏リフトと呼ばれる リフトに乗ったり
どっか面白そうな観光地はないかと
親の方は 夫婦で睨めっこして地図を見ては
計画しているというのに・・・・

またまた 冬のスキー場と同様 子供達が
一番盛り上がったのは 親も交えての
家族での「ウノ大会」・・・・

「UNO」というカードとトランプは確かに
持っていったが、それは悪天候などで動けない
状態の時に~~っと思って鞄に入れたのだ。
勿論 天気は最高!でも子供達の
「面白かった~!」は「ウノ大会」・・・・

いかに 親が子供を日常でほっぱらかし・・と
いう事なのだろうか。。。

しかも「お母さんの性格が酷い」だの
散々な事を言ってくる。
勝負には親も子もなし。
時には嘘つき人にもなる。

それにしても 物より思い出。
今年の夏の旅行も 息子どもは何を覚えているか。

多分、ウノ大会・・・・
それだけって なんだか虚しいけど・・・
これが一番盛り上がる 家族での共同作業。
あーあである。

なんだか・・・・

2007年08月23日 21時03分54秒 | 独り言
「あ~~世も末だな」と唸ってしまったテレビを見た。
多分 昼の番組の特集で 親子でお見合い参加みたいな内容。

結婚の出来ない独身男女の合コン話しやら 高所得者、高学歴
それだけの会員のお見合い産業やら こういう話しはよく聞くけど
親が参加!っていうのは初めて見た。
中には子供の履歴書片手に 子供はいなくて親だけ参加と
いうのもあった。

なんだかねえ~~~と思ってしまう。
子供っていっても もう30代から40代・・・・
立派な大人である。
それが親に引っ張られて 見合い会場へやってくる。
当の本人は さっぱり結婚する気もなく
親だけが熱くヒートアップ・・・・・

中には「孫を抱きたいから」それだけの理由で
しゃかりきになっている母親もいて・・・
昨今の「出来ちゃった婚!」の若い人達も
なんだかねえ~~~となってしまうが これもこれで
うわあ~~世の中 おかしくしているのは親世代だ!と
つくづく思う。
今や 就職セミナーも親持参って話しもよく聞く。

長男が中学生になってよく聞く話しは
高校受験 大学受験 そこまで親の関与があって
当たり前という話し。
娘の場合だと大学祭まで親と一緒に行くのも
珍しくないとか・・・・
確かに資金を出すのは親で 未成年のうちの学校選び
親の意見はあって当たり前。
でも昔は高校受験とか大学受験って事後承諾というか・・
親も 今より無関心で・・・自分も親と話したのは
資金云々のみ。予備校の模試とか 自分でしゃかりきに
友達と情報集めた記憶がある。

友達親子。
そういう親子よく見るが進路 就職 結婚まで
親と一緒!が絡むと どうかしているのじゃ・・・と
考える自分は時代遅れなのか・・・

掃除

2007年08月17日 14時16分27秒 | 独り言
我が家は 夫の事務所が自宅から10分ほどの
ところにある。
滅多に行かない自分だが 時々は行く。
本当に「たまーに」行く。
何をするかといえば 掃除。
独りしかいない狭い空間の事務所だけど
多分 毎日埃が出る。
要は汚い・・・・・

本当は暇な自分が毎日行け!と怒られそうだ。

事務所には時々 来客があり 自分の中で
勝手に ここは是非とも汚い事務所じゃマズイ!という
時だけ(?)その来客の来る前に 掃除しに行く。
でも 時々 忘れてしまったりして・・・
あーーー打ち合わせテーブルの下、埃溜まってた・・・
と嘆いてしまった事もあった。。

で、随分前だが このうっかり忘れをやらかして
「ガーン」となった頃 追い討ちをかけるかのように
夫が
「テーブルの下 クライアントの家のお子さんが
 綺麗に掃除してくれたよ」だって。
お子さん2歳頃だったそうな・・・そうそう、息子どもも
やってたよなあ~大人同士の話しに飽きると テーブル
もぐっては 背中とかつけて くるくる回ったり・・・

あーーー背中 どうなったのか~(涙)
うまく 良い家が建つ事を勝手に祈っています~

終戦記念日

2007年08月13日 10時57分13秒 | 独り言
もうすぐ終戦記念日。
テレビでは戦争の話しが多くなる。

小さい頃 毎日が終戦記念日のようだった。
それは明治生まれの祖母がいたから。
ちょっと食べ物を残せば
「戦時中は・・・」という話しが出たし
壊れた玩具なんぞを 簡単に捨てれば
「戦後は物がなく・・・・」という話しが出たし
殆ど 毎日のように戦争の話しを聞いていた記憶がある。

あの頃は 小さかったし 今でもそうだろうが他人事。
「またか」という気持ちの方が強かったと思う。
でも 自分が母となり親となり 二人の命を育て
守っている立場になると あの頃の話しばかり蘇る。

「がばいばあちゃん」じゃないけれど明治を生き抜いた
女達って凄いとも思う。
こんな事を書いたら怒られそうだが 今「おばあちゃん」と
呼ばれている 昭和生まれのおばあちゃん達は やはり
あの頃の「おばあちゃん」に比べると全く違う。
身体なんて縮んじゃって 背も丸まって うんと小さかった
祖母だったが なんかデン!と構える 鷹揚さがあった。
ちょっとの事じゃ動揺もしない。そんな雰囲気があった。
それはやはり「戦争」という激動を生き抜いた強さである。

今の自分の生活で 3食が途切れる事はない。
お金ない~なんて会話に出ても いざ冷蔵庫開ければ
何かが入っている。店に行って物がなかった!という
経験もない。それが家の中に何一つ食べ物がなかったら・・・
考えるとゾッとするのだ。
飢えとの戦い、物がないという事への恐怖。
祖母は爆弾よりも何よりも それが恐怖だったと
毎度言ってたような気がする。
8人も子供がいて 多分 子供に食べさせ 自分たち親は
一食や二食 抜いてしまう日もあったに違いない。
「次の食事はどうしよう」
そんな事を考える日もあったに違いない。
臨機応変な柔軟で強き脳は こういうところから
育ったのかもしれない。

終戦記念日、「知る」という事が大事である。
今は他人事でも うるさいなと思っても
事実を知ってもらう、過去を知ってもらう。
この事だけは 息子どもには伝えたい。

そういう意味では戦争の生き証人だった祖母と
暮らせた26年間を感謝しなくてはいけないかも・・・・

空想願い

2007年08月11日 09時58分08秒 | 独り言
究極の親のエゴを持っている。
息子達には
「出来るなら サラリーマンにはなってほしくない」
なんて身勝手。なんてエゴ。

別にサラリーマンが悪い訳じゃない。
そして職業に優劣もない。
本人が納得して 他人に迷惑かけなければなんでもいい。
自分とは別個の個体、人格、人間。
本人が決める一生である。

でもでも 究極のエゴを言わしていただくと
「サラリーマンじゃない人生がいいなあ~」となる。
「働く」事自体 大変な事で その頃の時代も
予測がつかない。もしかしたら働ける場所が
あるだけいいという時代かもしれない。
だからこそ 何か好きな事が仕事になる人生なら・・と
思ってしまう。

考えれば 一流大学 一流企業、それを目指すのは
実は簡単。
まあ、本人の資質云々で絶対無理な場合もあるけれど
イチローさんを育てるより簡単な気がする。

「好きな事が 生活を支えられる」
それの方がうんと難しい。
本人の才能、努力、コネ、少々(?)の資金等々・・・・
あらゆるものが総合され そして その総合を
本人が使いこなさなければ意味はない。

いわゆる一流大学へ入れと願うより 多分
困難な願いかもしれない。
勿論 息子どもには こんな事は言った事もなく
母の空想願いなのだが。

若さって 宝石の原石のようだと思う。
なんでも変われる。同時に 単なる石ころにも
なってしまう。

石ころになってしまった 親の究極の空想願いである。


戻った生活

2007年08月09日 14時07分02秒 | 独り言
「~しなくてはいけない」
この固定観念を ちょっとでもなくすと
毎日の生活は「あれ?」っと思うほど楽になる。

勿論 固定観念をぜーんぶ 取っ払った生活を
している人は 単なる独りよがりの我儘。
固定観念を上手に作動している人ほど
柔軟性のある人になるのだろうか。

多かれ少なかれ 多分 人は自分の事を不器用と思う。
「こうしなくちゃ ああしなくちゃ」と考え込む人ほど
意外と動いてもいない。
うーーん 正に自分である。
今までを振り返ると 何もそんな苦労しなくて良かった云々が
たくさん出てくる。元々の根源は毎度
「~しなくてはいけない」という考えから・・・・

でも 子供が産まれて一番学んだのは この固定観念、
悲しいけど 子供には通用しない。って事だ。

突発的な事ばかりの毎日。
そこには「普通は」とか「いつもは」とかの余地もなし。
待ったもなし。

多分育児ノイローゼなんていう言葉が当てはまる親達って
この固定観念を譲れないって人達では・・・とも思う。

子供に時間を奪われる数年間は 究極の固定観念に変わる。
「生きてればいいや」
なんてものぐさな・・・・とも思うが 自分は毎度そう
切り替えて ぐちゃぐちゃの部屋で寝てたりしてた・・・
単なる ぐうたらかもしれんが・・・・

さて今は こんな突発原因の子供達もいくらか
人間になってきた。
「~しなくてはいけない」を又々 戻せるというか
言い訳の出来ない時期に突入。
きっと こうなると頭はもっとカチカチで
「こうでないと ぜーーーったい駄目!」という
固定観念に変わるだろう。
それが「老い」ってもので それが「偏屈」「頑固」って
いうものになるのだ。

固定観念を操縦しなくてはいけない。
カチカチではなく かといってユルユルの脳に
ならないように。。。。

そろそろ 感情すら コントロールしなくてはいけない
年なのかも・・・・

怖いけど 今日も書く

2007年08月08日 11時21分29秒 | 独り言
結構 毎日楽しみにしていたブログが閉鎖された。
子供受験に関するブログだったし 今春 めでたく
そのブロガーのお子様は第一志望の学校へ入学されたし
結局は そういういきさつで 閉鎖となったのだけど
多分 いろいろ詮索されてしまったのだろうなあと察する。

個人的にメール交換を ほんの少ししていた事もあり
「今日限りで閉鎖」と読んだ時は なぜか「やはり」
という気持ちもあった。

一部からは人気あったみたいだし ブロガーの人の
人柄ゆえか 読んでいる人も多かったと思う。
でも「どこの学校に受かった?」
  「どんな人が書いている?」
そういう探索がジワジワときていたのだろう。

私小説と同様 ブログも私物は続かないのかもしれない。
まして 自分の事じゃなく 関係ない子供云々となると
親として「危険」という言葉まで浮かぶ。

誰が読んでいるかわからない。
当たり前である。
だったらブログなんぞ書くなとなる。
気にしすぎ。まあ、そういう考えもあるけど。
でも今どきの高校生のように実名&顔写真バンバンでの
ブログは やはり怖い・・・・
企業や商売ゆえの実名と違って 少しでも探索されれば
なんか怖くなる。

「何か伝えたい」
そんな気持ちを持つ人達が なんと多いのか。
このブログの反響を見ても思う。
自分も そうだけど・・・・・

受験云々じゃなく 同じ親として
そのブログは好きだった。
また どっかで綴ってほしいなあなんて勝手に思う。


ああ、勘違い

2007年08月03日 15時19分06秒 | 独り言
この間 とんだ勘違いをした。
しかも 物凄く悲しい勘違い。

7月21日 夏休み第一日目。
次男 学校行事で泊まり。
長男 部活で帰宅遅く
夫 仕事で帰宅遅く・・・・

そう!昼間たったの独り~ラッタッタ~とばかりに
本屋に駆け込んだ自分・・・・

大勘違いしてた。
その日 ハリーポッターの最終巻発売日。
うん、確かに発売だった、日本以外で・・・・
てっきり日本語訳も21!と勝手に思い込む。

でも なーーんか本屋が毎度の風景。
活気なし 人なし 本もなし・・・
当たり前だ、発売は来年頃(ここもまだ微妙らしい)

あーーーせっかくライバルの息子どももいなく
さっさと最終巻読んで悦に浸ろうとしたのだが・・・

あれ以来 amazonのハリーポッター英語版の本を
いつもネットで恨めしそうに見てしまう。
あーーこんな事なら英語を もっとしっかりやれば良かった。

来年までにはストーリーの断片 どこからか耳に入る。
こんなつまらない事はない。

ついつい 電子辞書の広告に目がいく最近である・・
そんな事している間に どうか翻訳版 早く出ないかなあ~
                  (切実・・・・)