設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

同じ行為ながら

2006年06月30日 11時14分14秒 | 独り言
「いい加減、これきりに」裁判官、万引き親子に苦言  (朝日新聞) - goo ニュース


大昔 イタリアのローマに行った時 添乗員さんから
こう注意された。
「親子連れの万引きやスリが とても多い街ですので
 気をつけてください。」
その時は 日本以外の国は こうした犯罪が多いと
聞いていたけれど まさか子供もいるとは知らなかったので
結構びっくりした記憶がある。

案の定 同じツアー客の一人が お財布をすられそうに
なったという話を聞いた。
子供数人がスリ役で 一人が観光客に話しかけている
最中に他の子供が財布をスル。
相手が子供だからと つい立ち止まる大人の心理を
たくみに使うのだ。
そして親は見張り役。逃げた方がいい時は 遠くから
合図を出すらしい。

多くの観光客がお金を落とす中で 日常茶飯事のように
スリの親子が生活している。
なんだかなあ~と 色々な世界があると あの時は
観光気分も吹っ飛んだ。

自分に子供が産まれると 自分の子供に罪を教えてまで
しないと生きていけないとしたら・・・と考えると
なんだか悲しくなる。

日本でもスリや万引きが 全く無い訳ではない。
でも ここで違うのは生活の為に必死に人の物を
盗もうとしている人達よりゲーム感覚の面白さで
万引きを繰り返している人達が多いという事。

寂しい。虚しい。暇だ。
こういう理由で 罪を繰り返す。
それに子供を巻き込むとしたら もう親なんかじゃない。

同じ スリ 万引きという人の物を無断で盗み取るという
行為だけど 一緒にしてくれるなと あの頃のスリ親子から
叱られそうな気がする。

今でも 世界中の街角には きっと生きていくために
必死に盗みを繰り返す子供達がいる。
それが悪い事だとか辞めなくてはいけないとか
考える暇を与えないほど 生きている事に必死な
子供達がいる。

冷蔵庫を開けて 何かしらの食物が入っている状態が
普通と思っている毎日に感謝しなくてはいけない。

平和な三日間

2006年06月29日 10時49分53秒 | 独り言
月曜から昨日まで 我が家はシーンと平和に包まれ・・
なぜなら 長男が学校の行事お泊まりで消えていたから。
「いいねえ、一人っ子平和家族!!」と毎回 こういう
機会があるたび 母はホーッホッホッホの笑みがこぼれる。

次男は借りてきた猫状態だし 夫のいない夕飯に二人に
なれば どこかシラケーの雰囲気で・・・・
いつもは 喧嘩しながらも ふざけあえる兄がいるものの
一人では何もしようがない。
「静かで平和~~」なんて声が 近所でもちらほら。
どこのご家庭も子供一匹減ると なんだか調子が狂うらしい。

最近の学校は「凄い!」と思う事が色々あるが
たとえば給食の美味さとか・・・・
それは あんたの時代がひどすぎると言われそうだが・・・
確かに大昔だから・・・・

この「凄い!」の中に 去年同様 今回のような泊まりの
行事があると 学校のHPでリアルタイムに近況を流して
くれる事がある。そんなのは どこの学校でも もう当たり前かも
しれないが 大昔人間は学校のHP開けるたびに
「おお~~!もう佐野インターだ!」なんて このリアルタイム情報に
いちいち感動している。
たまーに長男が映っていたりすれば 兄恋し(?)の次男が
歓喜の声なんぞあげて・・・・暇な一家だ・・・

それにしても このリアルタイム 便利で良いのだが
自分には違った意味のストレスを持ち込む時もあり・・

夜のさむそう~~な感じの時に 半袖半ズボンで
「ひょ~~寒い」と言っているような手足つぼめて
立っている我が子を画面から見てしまったりすると
「長袖持っていったのに あのバカは なぜに着ない~~!」
そんな小言が無駄だとわかっても画面上に向かって
言ってしまったりする。
さすがに今年は少々学習したのか(?)そういうストレスは
なかったが・・・・
この傾向 やはり単純おバカな♂達に多いらしく
女の子達は自分で考えて 寒い時には上着を着ていたり
している場面が多い。かたや♂集団は 息子同様 妙に
震えているような感じで・・・やっぱ♂ってバカかもと・・

そして最後の日は「もう○○インターです」なんて
実況も書かれ 大体 学校に着く時間もバッチリ
わかってしまう。それを見て お迎えにいく母達も
多いらしい。暇なんだし HP見ているのだし
自分も行けばいいのかもしれないが 今年から
息子の希望もあって お迎えなんぞはやめにした。

考えれば 自分の時って・・・お迎えだの送りだの
まーったくなかったような・・・
特に自分の小さい頃は 共働きだったから
「あら?帰ってきたの?」みたいな そんな感じで。
親も いちいち 寒い時には長袖着ているかしら云々も
あったものでもない。なんともアバウトな感じで。
そう考えれば 少々 過保護か?と思ってもしまう。

修学旅行だの林間学校だのと 今になってみれば
記憶がないが 親のいない生活という喜びと
時には 一人で戸惑ったりした事もあったのだろうと
思う。でも親がいない時間というのが こうやって
徐々に増えていくという予行練習でもあるような。

そう思うと HPでたとえ家に子供がいなくても
リアルタイムに大体の状況がわかるというのは
便利な反面 親の方でなかなか子離れというのが
出来ない状況もつくっているような。
そんな気もする。

ちょっと大袈裟だが「親のわからない部分」というのが
大昔は いつでも作れて 勿論 今もやろうと
思えば出来るが ランドセルに発信機をつけたり
携帯を持たせたりと 世相も反映してか 子供の
「見えない部分」は 少し昔より減ってきている。

良い部分と悪い部分 どっちもあるのだろうが
「困った時に 自分で考えて行動する」
これがなくては いつの時代も生きていけない。
半袖半ズボンで小言が出るようでは・・・・・

自分もまだまだ 子離れ出来ない親の一人らしい。。。

空想迷い込み

2006年06月25日 13時37分04秒 | 独り言
こんな場面で大地震が来たら嫌だ!という場面。
この間 ふと思い浮かべたら出るわ出るわ。
なんと暇な バカなと言われそうだが・・・・・

一番嫌だと思うのは やはりトイレ。
いくら 運良く 瓦礫の下から救出されても あの
格好では!!まあ、そんな事 本当になったら言ってられない
だろうとは思うが・・・
で、最近 トイレの中で地震到来も嫌だけど 例えば
「あートイレ トイレ」と駆け込む瞬間に来たら・・・と
考えたら この「直前」は もっと嫌だと思う。
正に用を足そうとした瞬間だとしたら こっちも
うまく脱出したものの その騒ぎの中でさえ
「トイレが・・・・」とそればかりを訴えていそうだ。
おまけに きっと大地震が来たら 下水道関係はストップで
トイレ事情が大変という事だし・・・・

トイレばかりに気をそらしていたが ふと思いついたのは
お風呂中。これも絶対嫌だと思う。
特に頭なんか洗っている時だったら・・・・
これまた脱出!となって 「ああ、良かった」と頭見上げて
泡だらけというのは どうすればいいのか・・・
そして最近 夜寝る前も嫌だなと思い始める。
なぜか?恥ずかしながら 自分は寝る前にパジャマと
呼べないような代物を着込んでいて・・・・
ジャージともつかず 部屋着ともつかない 着古した
ゴム入りズボンにヨレヨレの この季節ではTシャツ。
これを着て脱出となって ウチの近くの避難場所というのは
多分 子供が通う学校の体育館。
「あら 裏窓さん、無事で良かった」
こんな近所の知り合い達と会った時の このボロボロの
パジャマもどきの格好・・・やっぱ嫌だ・・・

生きるか 死ぬかの大惨事に何を言ってるかと
物凄く怒られそうだが 勝手に空想がモヤモヤと
迷い込んでしまう。

そんなバカらしい事 考えるなら防災グッズでも揃えようと
あるホームセンターで覗いてみたが 簡易トイレから
乾パンからという家族分のセット料金を見たらケチな
自分は「ひょ~~~」っと驚いてしまった金額だった。
「ちょっとずつ揃えよう」ケチな根性が災いして 
その場では5年保存の水と非常食何品か買ってきたが・・・

ともかく こんな水も自分のアホらしい空想も
全てが現実にならない事を祈るのみである。


悲しい人

2006年06月24日 15時19分27秒 | 独り言
心に思っている事を溜められない人達がいる。
ウジウジといつも文句を溜め込む自分などは
こういう人達が羨ましい。
スパっと言って それで終り。
なんとも明るく 豪快な・・・・

だが 相手が絶対傷つき 焦燥とした態度になってしまうと
わかっていながら その悲しげな困った表情を見たいが為に
ズケズケとお腹に溜まった言葉を吐き出す人達には
少々嫌気がさす。
しかも そういう事を言ってしまう人達って 案外
高齢の人達が多いから ますますうんざりだ。

先日もスーパーで こんな光景に出くわした。
混んでいるレジ待ちの中 自分が並んでいるレジの
担当の人は 今日が勤務初日か或いは日が浅いのか
ともかくレジの打ち方が遅い。
今は値段をいちいち打ち込まず ポップ式というのか
品物についているバーコードを機械に読み込ませるだけだが
こういう行為も慣れている 慣れていないでは大違い。
慣れない人に限って 変なエラーが出てしまったりと。
ともかく 自分の列は見る間に長蛇の列と化す。

確かに 自分もこんなおばちゃんゆえに「遅いなあ」という
感触はあったが それよりも ぼんやり この慣れない
パートらしき人を見ていると
「働くって大変だよな・・・・」という他人事になれない
切実な感触の方が大きい。
やっと自分の一人前まで列が進んだ時 前でレジの精算を
してもらっていた 多分自分よりも遥かに「おばさま」と
見られる人が開口一番 この新米パートなる人に言い放っている。
「もう 日が暮れちゃうと思ったわ」
怒って言っている訳ではなく そこも嫌らしいのだが
甘ったるいような声で。しかも目が笑ってない笑顔で。
同意を求めるように後ろに並ぶ 自分を見たりして・・・・

正直 バカか・・・と。
「すいません」を連発しながら新米パートさんは
ますます焦りの表情だ。

日が暮れると思ったら 黙って他のレジに並べばいい。
ふんぞり返って レジを打っている訳でもなく とりあえず
今現時点で一生懸命やっている人の前で なんでそういうセリフが・・・
他人事ながら そっちの言葉の方がイライラした。

でも小心者。無言で その場はやり過ごしたが
あの言葉を放って「おばさま」はスッキリしたのだろうか。
「良い事言ったわ」そう自負しているのだろうか。
そうだとしたら悲しい人である。

家に帰れば あの「おばさま」も多分の多分 母と呼ばれる
人かもしれない。ああいう態度を子供に見せて恥ずかしいという
感触ないのだろうか。ないのだろうなと思う。

「人の嫌がる事はやめましょうね。」
子供が幼い時は あんな「おばさま」も自分の子供に
言い聞かせてきただろう。
年とると怖いものなし。それは それでいいけれど。
なんでも溜めるのはよくない。それもそれでいいけれど。
ちょっと おかしい。

思いやりの気持ちもなく 人と絡むのは
本能だけしかない幼い子供と同じ。
逆戻りしているのか。本当の本能が出てきただけなのか。
立派な大人が 子供以下の行為をして楽しんでいる。

気持ちが狭く 固く 意地悪になる現象。
これが老化というものなら 意識的にこの現象を
やっつけていきたいと つくづく思う。

小心者でも ウジウジ者でも悲しい人になるよりマシか。。。

親エゴ

2006年06月23日 09時42分42秒 | 独り言
保護者会の朝、何が 奈良・高1逮捕 (朝日新聞) - goo ニュース

「明るい」「成績優秀」「いわゆる良い子」
この輝かしい代名詞が 毎度 このテの事件にはつきもの。
今回も「やっぱり」という結果になってしまった事に
胸がモヤモヤとしてしまった。

親なんてものは 所詮 自分を棚に上げ 理想ばかりを
子供に求める。
休み時間に一人でポツリとしている我が子を見れば
「友達がいないのか」と不安になり 授業中にボケーっと
窓なんか見ている姿を見れば
「どうしてハキハキ発言出来ないのか」と今度は苛立ちの
気持ちさえ湧いてくる。
どんな親も我が子が 他より少し上 或いはうんと上だと
安心し 少し下 うんと下だと焦りまくる。
焦ろうが何しようが 自分とは別の個体の問題なのに
なぜか自分と置き換えてしまう。

今回の事件も まだ真の理由はわからないが そういう
勝手な親の妄想が子供を追い込んだのも多少あるのでは
ないだろうか。
加えて どんな職種も世襲制って何だろうとも思う。
特に医者 政治家など 個人の力量で決まるものが
なぜか親もやっているからの一言で出来る場合がある。
個人的には二世医者のところには 正直 行きたくない。
確かに親の働く姿を見て 自分もなりたいという気持ちで
動いた人もいるだろうが 一般的に この仕事につけば
将来が安泰という ただそれだけの理由でその道を選んだ
二世ばかり。また その親も この道にいけば自分の子供は
安泰した人生を送れるという おかしな幻覚で子供を動かす。

自分も親だから 正直 子供に理想を求める。
バカみたいだとか 愚かだとか 言ってしまうのは
簡単だが 子供を持つと なぜか親は一人の人間である前に
変な征服力を持った人格が出てくるのも事実。
「子供の為」と言いながら 実は「自分の為」に
突っ走る事もしばしばだ。

いずれにしても 命を救うという医者になろうと
苦しんだ結果 最愛の家族の命を奪う結果になって
しまった。

子供を見る目が一方通行になる時が一番 親として
怖い時期である。
そうならない為には 自分の目を ともかく一方通行に
しない事。

「スタートはいつでも出来て ゴールは今じゃないという事。
 そして そのスタートもゴールも決めて走るのは親じゃなく
 子供自身であるという事。」
自分の親エゴが出る度に その言葉でセーブさせなくては。
何しろ 全く出来てない大人の自分だから。。。。


今日も一口

2006年06月21日 14時05分22秒 | 独り言
最近チョコレートならぬ 炭?ならぬ でも一応
チョコレートというのが出回っている。
いわばカカオの含有量を多くして その分 甘さがないと
いうか・・・全くないのでさえある!
そのチョコを食べた時は やはり「炭!」という感想が
頭を即効で横切った・・・・・

なぜか大人になってからチョコレートが少しだけ
毎日食べたい~~というのが日常となっている。
よくない・・・・確かに この代謝の少なくなった
老体に 脂肪をこれ以上摂らなくてもと思うのが
なぜかチョコレートというのは 他の甘いお菓子とは
自分の中の勝手な解釈では 違うのである。

学生時代にホワイトチョコレートが流行ったり
ナッツが入ったものが流行ったり 受験前には
やたらとキットカットを持ち歩いたりと・・・
色々な流行に左右されつつ 大人になると
シンプルな板チョコに落ち着く。
で、最近は なぜかポリフェノール効果だとか
甘さが少ないとかの殺し文句に誘われ ついつい
買い物しながらチョコ売り場を覗いてしまう。

そして食べては「あー脂肪になっちまった・・・」
こう悔やむ。
何をどうこう言っても「ほどほど」という言葉をなくせば
どの食品だろうが毒にもなってしまう。
わかってはいるが つまみ食いの癖は直らず・・・

子供には偉そうに
「きちんと食事すれば余計な物を食べたくならない筈」
なんて言ってしまうのだから 親って凄いと思う。
別腹なんて言葉が女性は大好きだけど これこそ
子供から見れば矛盾の一言かもしれない。

でも今は 家族達からも もうバレバレ。
「また食べちまった・・・・」
こう悔やむ一言を出せば
「そんな事言うなら買わなきゃいいのに」と
ボソボソ攻撃の言葉をくらってしまう。

人に厳しく 自分に甘く。
老いるほど 人は我儘で こういう路線まっしぐら。
たかがチョコレート一つでも ああだこうだと都合のいい
理屈を並べながら 今日も新種を少々味見となるのである・・・


遠足日

2006年06月20日 13時38分08秒 | 独り言
昨日は、子供の学校が土曜参観の振り替え休日となる。
で、長男が前々から行きたがっていた「ダ、ヴィンチ、コード」という
映画を母子二人で見に行こうとなり・・・

弟・・・??ちと可哀想だが彼は 旦那の事務所託児室(?)に
お預けとなる・・・
原作も読んでないし しかも歴史好きな兄に比べ 当たり前だが
物語の背景もわからない。
一緒に見てもあくびの二時間となるだろうと予想され
仕事をしている父の隣で ちまちま持っていった漫画やら
ゲームなどをしていたようだ。

いやあ~~長男と二人きりで出かけるというのは
何年ぶりだろうか。医者とか以外なら 凄い久しぶりだ。
思えば 次男が産まれるまでの僅か1年半は どこへ行くのも
ほぼ日中は母と二人。
デカイ腹抱えて公園に行って よくコイツの頭をペンペン
叩きながら帰ったものだと思い出す。
とかく第一子は手がかかるというが・・・この長男にも
何度キレまくったかわからない。
多分 すぐ下が生まれて彼も満たされない何かを感じていたのか。

それが今じゃ 自分の隣で静かに映画を見ていられるまでになった。
たったこれだけの事に感動するバカ親・・・
10年以上たてば当たり前だ!と叱られそうだが・・・

映画は良かったが 母はお尻と腰が痛くなる。
平日の映画館はガラガラだし 白けた母子は会話もポツリ。
駄目だ~~と昨日は つくづく実感だ。何が駄目かって
世の母達と違って自分は「息子といるのが こよなく楽しい!」
という事がぜーったい出来ないという事。
別に嫌ではないが やはりあえて 息子と出かけたいとは
正直思わず・・・・(苦笑)

それでも帰りは スーパーの夕飯買い出しに嫌な顔せず
黙々と籠を持って後に付いてく長男を見ると
「まだまだ幼いなあ~」と笑いも出る。

今に 映画が見たいなら即友達と!となるだろう。
母と二人で出かけるというのは 男だし皆無になるのも
時間の問題。
こんな時間も あえて作りたくはないが貴重という事なのだろうか。

「手すりが余裕だ!」
帰りの電車で この間まで掴めなかった車内のぶらさがっている
手すりを嬉しそうに掴んでいる長男。
こういうところも まだまだオバカっぽいけど確実に
成長していると ちょっと母はまぶしい気持ちにも
なったりするのだ。

昨日は ちょっとした長男との遠足日。


想像の面白さ

2006年06月14日 14時38分09秒 | 独り言
今更ながら「凄い!」と思う事がある。
それは「ハリーポッター」の威力というものだ。

世界的にもベストセラーとなった本は ついこの間も
最新の第六巻が出たばかり。
我が家もというより自分も 第一巻からはまりにはまって
一家総動員で映画も毎回見に行っている。
本も勿論買いあさり 早くも最終巻が待ち遠しい。

児童書や童話の類いで名作と呼ばれるものは 
たくさんある。
時間泥棒の「モモ」やら 最近映画になった
「ナルニア物語」だのと・・・・
勿論こういう名作は大人が読んでも引き込まれる。
でも それに輪をかけて「これは・・」と唸ったのは
「ハリーポッター」シリーズが初めてである。

そして何より「凄い!」と思うのは 我が家の次男が
とうとう流行から一歩も二歩も遅れながらも
ここ最近 ハリーポッター第一巻を読み始めた。

実は これは家族一同 大驚きである。
ともかく 変わっている上に頑固な次男は本というものを
一切読まない。
読むのはゾロリシリーズという子供向けの これまた
児童書ではベストセラーの本だけ・・・・
別にこれが悪い訳でもないが ともかく一度「これ!」と
決めたら多方面に目がいかない偏屈なところが多々あるため
毎度 一応親としては
「どうしたら柔軟に何でも読んでもらえるか・・・」と
悩んでいたところであったが・・・

あれだけ「面白いよ」とすすめようが 映画を見た後
「原作を読んでみたら」と自分と長男がすすめようが
シラ~~という感じで。
まあ、こっちも「勝手にしろぃ」という感じでほっといたが
何を思ったか読み始め あれよあれよという間に
なんと今は最新巻目に到達している。

次男の読みが早いのじゃなく やはり「さすがハリー!」なのである。
頭の中に勝手に映像が生まれる本。それが一番の魅力かもしれない。
そして最近は 大昔に買ったDVDを見ては
「ここが あそこが原作と違う 同じだ」とうんちくを
言うようになっている。これは少々うざいところがあるが
文で読んだ自分の頭の映像が 既に映像化されたものと
見比べる楽しさというのを知ったらしい。

ゲームやテレビばかりの脳も やはり「想像する力」という
面白さには勝てないのかもしれない。

そういう意味では このハリーポッターシリーズ。
やっぱり魔法である。

やりきれない

2006年06月09日 17時55分39秒 | 独り言
「娘の品もらって」と誘う 畠山容疑者の弁護士が会見 (朝日新聞) - goo ニュース

最悪のというか予想通りのというか どっちにしても
またもや子供が犠牲となった事件が起きたものである。

連日 この事件はテレビをにぎわせ 犯人の生い立ちから
人格についてが事細かに語られるが どっちにしても
簡単に言えば どうしようもない自己愛中心人物が
起こした事件という ただそれだけにしか見えない。

小さい時 苛められ 表情がなく 暗く 結婚もうまく
いかず 離婚してシングルマザーで等々・・・
確かに悲劇的な半人生だったかもしれないが こういう
感じの人って 案外 どこにでもいそうな気もする。
誰だって 暗い一面はあるし 誰だって苛めの経験
だって一回や二回くらいあるかもしれない。
同時に 誰でも自分が一番可愛くて 自分を一番の
中心に置いておきたい。
こんな願望だって 皆持っている事だろう。
子供なんか生まれれば尚更の事。
生まれて即 親になれるというのは大間違いで
各個人の差はあっても子供という無償の
愛を提供しなければいけない存在に自己中心的な
自分は大きく戸惑い 時には腹立たしささえ感じるものだ。

報道のどこまでが本当かわらないけれど この犯人にとって
自分の子供は「都合の良い置物」だったのかもしれない。
だから余計にヨソの人が持っている丈夫で元気な
「置物」に嫉妬したのかもしれない。
「なぜ自分だけが 持ってない!」
この気持ちだけで 小さい子供に殺意を抱けるというのは
人として全く成長もしていないせいかもしれない。

親になると人は変わらざるを得ない。
「面倒だ。ああ、嫌だ、うんざりだ。」
こんな言葉が出てくる 繰り返しが子育てで
それでも大多数の親達は
「しょうがないか、親なんだから」
という その一言で自己中心的な尤も自分らしい
一面をセーブするのである。
そして 子育てを ほんの一瞬垣間見せる子供との接点や
成長を喜びとして見いだしていく作業にするのである。

こんな作業に出会えなかったのか。
そうじゃなければ同じ親として 子供を手にかけようとは
絶対思わない筈である。

自分中心でも なんでもいい。
勝手に自分の中で爆発して自滅すれば なんでもいい。
でも 他人の命を奪うという大きな迷惑どころじゃない
事をするのは どんな環境 条件であれ許される事ではない。

何をどう償おうと何を言おうと 現に失った命は
戻らない。
それを本当の親として感じた時 逝ってしまった
娘にどう伝えるのだろう。。。

腹立たしいけど もの悲しい。。。。

敵が増える原理

2006年06月07日 09時38分54秒 | 独り言
村上代表「金もうけ、悪いことですか」 つきまとう酷評 (朝日新聞) - goo ニュース

「バカだなあ~」と思う。
この間世間を騒がせたホリエモンなる人もこの人も。
当たり前だが両者とも子供の頃から神童と呼ばれ
まるでゲーム感覚さながらに難関といわれる物を
ぱっぱとクリアしてきた人生だったろう。

まあ、影の努力やら人並み外れたセンスと行動力
それに他の人にはない集中力等々 多分何か難関を
クリアするのは 十分すぎるほどの能力を持った人達。

でも ただ一つ。「バカだなあ~」と思えるほど欠けてた
部分があったのではないだろうか。
それは世間一般の人達というのは嫉みが強いという事。
そんな簡単な事を無意識にも知らないという事だ。

「こんな事を言えば 反発がくる」
そこまでは わかっても 結果良ければ全て良しで
何も起こる筈はない。というような甘い解釈があったのでは
ないだろうか。

個人的には 今 世間を騒がしている子供を中心とした
事件よりも こんな事を言ってはなんだが
「大した事ない事件」じゃないかなあ~っと思ってしまうのだ。
変な話 他でもゴロゴロ転がっているような感じで・・・・

それをなぜか目くじら立てて なぜか注目がいく。
正に出る杭を打て状態のような・・・・
つまり嫉妬やら嫉みやら 口では説明出来ない何か
「面白くない。ともかく嫌い!」
そんな感情が根底にあるようでならない。

自分の周囲のこんなちっぽけな世界でも嫌われる
人種というのは決まっている。
決して自分を卑下しない人種。
「こんなに凄いんだ。どうだ。」とばかりに胸を
張ってくる人種・・・・
確かに結果として「凄い」という結果に変わりはなくても
周囲は面白くないのだ。
大人だから表面上は「あの人は凄い。さすがだ!」
そうベタ褒めしたところで心の根底は全く逆なのだ。
だから怖いとも思うし 人は謙虚さを失うと
敵が押し寄せてくるものなのかと思ってしまう。

へりくだるのでもなく見下げるのでもなく
ともかく同じ土俵から話して見て暮らしていかないと 
勝手に敵は膨らんでいく。

どんなに名門の学校でも この駆け引きは
教えちゃくれない。そこが難しく そこが複雑だ。

時代の寵児。時代の最先端。
その一番新しい中で まだまだ大昔の人の気質の
根底を垣間見た気がした。

どんなに世の中 進んでも 人の気持ちは一筋縄じゃいかなく
人の気持ち一つで 多くの敵味方をつくるきっかけと
なってしまうという そんな古くさ~~い基本を垣間見るのである。

マイブーム

2006年06月06日 09時58分27秒 | 独り言
最近のマイブーム。
それは・・・100円ショップで本を買うという事なり。

「100円ショップで本~~??」と驚きも
あるかもしれないが 実際 大きい100円ショップでは
本当に置いてあるのだ。しかも やはり一冊100円・・・

ケチ根性もここまでくると我ながらアッパレというより
物悲しくもなるが・・・
でも本は本だった・・・100円だから半分しかない?とか
100円だから内容がおかしい?とか少々 疑惑の目つきで
読んでいたが なんと解説が冒頭にあって大変読みやすい。
勿論 カバーとかそんな装飾はないけれど「流ら族」の
自分にはピッタリかもしれない。

この100円ショップ本 なぜか知らぬがいわゆる
純文学というような物しかない。
文豪と呼ばれる遥か大昔の教科書に載ってくるような
作家の方達の本しかないのが 少々難となるが・・・

太宰治なり芥川龍之介なりと・・・
これが実は大昔は大の苦手部類で・・・
今更ながら再チャレンジ!とばかりに数冊ごっそり
買い込んで(これでも数百円だからたまらない!ケチ!)
読み込んでみたが・・・やはり「う~~ん」という
結果も多い。

難しいとかじゃなく 裏の裏の意図まで汲み取れない。
「だから何?」と言ってしまいそうで・・・

夏目漱石の本も一杯あるのだが
「わが輩は猫である。名前はまだない」
この冒頭で買うのをためらってしまった。
大昔同様 ページが進まなそうで。。。

100円だろうが何千円だろうが このテの部類は
どうしても頭がついていかない。

若干 油汗ながしながらの読書タイム。
このマイブームも長くは続かなそうな予感である。。。

4592日!

2006年06月02日 17時50分52秒 | 独り言
我が家のトイレには時計がある。
デジタルで現時点の時刻が出るタイプなのだが
ちょっと変わっているのは 記念日などを設定する欄が
あり そこに数字を打ち込むと その日から現在までの
日数が勝手に計算されて表示されるのだ。

この時計は多分 夫が仕事絡みでもらった代物で
写真のフォトフレーム付きなので 大昔の子供の
写真を入れて トイレなんぞに飾ってある。
お洒落にとか 意味あってとかじゃなく
「飾る場所がない」というズボラな理由のみで
トイレなんぞに置いてあるのだ。

で、この間用足しながら(?)しみじみ時計を見ていたら
勝手に表示される日数欄が4592日となっているではないか!
一体なんの日から数えて現在まで4000日以上もたっているのか。
ズボラな自分は何を設定したのかも忘れている。
ひっくりかえして しみじみ見れば なんと結婚式の日から
設定となっている・・・・

うーん 4592日もたっている~~!!
驚き少々 あっぱれ少々と・・・・
今に自分が生まれて結婚するまでの日数を越す事になるのか。
なんだか不思議で しばし時計をジーッと見てしまった。

今度は違う日を設定してと しばらくトイレに篭り
四苦八苦とガチャガチャ時計を動かすものの
機械オンチなる自分の手にかかっても うんともすんとも
直らない。
カチカチと今日も4592日を越えようと勝手に
時計は動くのみ。

子供が帰宅するやギャンギャンと4592日の由来を
しゃべくるが「へえ~~」の一言。
きわめつけは「4000日以上も一緒でお父さん気の毒」
そんな事をヒソヒソと兄弟言い合い・・・・

まあ、いいんだけどね・・・(複雑・・・)




お出かけで

2006年06月01日 15時47分33秒 | 独り言
夏のような暑さ・・・・
6月は寒い日があれかと思えば真夏日もあり・・
こうだから 体調をおかしくしたりする。
と 文句出つつ 今日は久しぶりに電車に乗って
以前 近所に住んでいた知り合いと会う。

上りの電車に乗って 気がつく。
「夏の通勤電車が始まった~」という事。

フレックスが多いせいか 朝の9時台でも車内は混んでいる。
クールビズは どこまで浸透しているのか周囲は
やはり「可哀想~」と言葉が出てしまうような
サラリーマンでごったがえしている。

ああだこうだと知り合いとは4時間近くも ひたすら
話し込み 声がカラカラになった時に毎度
お開きとなるのだ。

帰りに電車に乗ると これまた営業の方々が多いのか
そんなに空いていない車内にネクタイきちんとした
サラリーマンの方達がごったがえす。

ふと思った。
そういえば建築士のセンセイと呼ばれる人達って
ネクタイつけないと・・・・
うちの夫もそうだが あのテの職業の方達はスタンドカラーシャツと
いうようなシャツにジャケットという格好がやたら多いような・・・
色も決まって黒系???みたいな感じで・・・

まあ、中にはゼネコンの建築設計の仕事をしている人達は
正に「サラリーマン!」という格好だが いわゆる
設計事務所とかデザイン事務所というところの方達は
ネクタイに背広にという格好をあまりしていない。

自由業の良さか 偏屈な集団なのかわからんが
テレビに映るような建築家の大先生達もスタンドカラーシャツが
非常に多い。
で、最近は勝手にこのテの格好を見ると「建築宗教服」
などと呼んでしまうのである。

服装に限らず 車も「これはどこの車?」というような
外車に乗っている人達が多いような・・・・
我が家は「大センセイ」と呼ばれる代物じゃないので
ありきたりな車保持となるが 知り合いの同業者の
方達は高級とか高いとかじゃなく「これ何?」という
感じの外車を持っている人達が多い。

「普通はつまらない」
これは理想的な言葉であり画期的な言葉でもあるが
服装とか所持している車の共通点を見つける度
「むむ~~やはり建築やっている人種は変わってる~?」
そうおそるおそる思ってしまうのだ。

口からは おしゃべりがとめどなく続き
頭の中は 相変わらずのくだらぬ一人言で埋められ
今日は いささか心地よい外出(?)となったようだ。