設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

自分で考える力

2004年07月30日 17時24分58秒 | 独り言
今年 小学4年になる長男は 友達と放課後 遊ぶとき
「今日 遊ぼう~」ではなく
「今日 空いてる~」と聞く事が多い。
空いてる~?とは、勿論放課後の予定。

今の子供達は、さながら芸能人のように、予定が詰まっている
子供が結構いる。
「ゆとり教育」と叫ばれる一方 「多忙な子供」は増えている。
週休二日のせいか平日の授業時間は 小学校低学年でさえ
5時間、6時間授業。帰宅するのは夕方近い。
そしてその後 決められた お習い事、塾へと行く。

学歴社会は薄れていると言われるが 親の心には、しっかりと
根づいている。
自分の子供が 他より秀でている、もしくは落ち込んでいない
それだけで 親というものはホッとする。
この感情を否定は出来ない。それが自然な親の心だ。

だがウチの専門屋(夫)が脱サラリーマンをした時
つくづくと感じた。
「結局 自分で考えられる力がないと駄目だ」という事。
現在の専門屋(夫)は「会社」というブランドも盾もない。
評価されるのは「本人」あるのみ。
だからと言って他者が専門屋(夫)の技術力や学歴を
買っているのかと思えば、そうでもなさそうだ。
それは人脈であったり この人ならという信頼だけであったりと
何とも頼りのない繋がりであったりする。
だが この頼りない繋がりは自分で作っていった結果でもある。

どんな場所に身をゆだねていても 一生安心という神話は
今後 どんどん崩れていくだろう。
「自分で考える力 行動していく力」
これは机上の勉強より、遥に難しい。

我が家の子供達は、親のやる気なさのせいか「多忙な子供」
ではない。今後どうなっていくか まだまだ未知だが
とりあえずは「自分で切り開き、考える力」を一応は実践(?)
している父を見て欲しいと、母としては思っているのが・・・・

どうなる事やらだ・・・・



子供部屋の変化

2004年07月29日 16時02分34秒 | 独り言
最近 子供の事件が多い。しかも どんどん低年齢化。
とりあえずは、私も母なので他人事ではない。
何しろ「ウチの子に限って」伝説を信じ込んでいる程
母性溢れかえる母ではないので、毎日これでいいのか
自問自答の日々だ。

そんな影響なのか 家造りにおいても
「子供部屋はリビングから見えるところに」
「常に家族の気配が感じられる空間を」
という言葉をよく聞く。

確かに、家の最高の場所に大きな子供部屋を造り 冷暖房完備
テレビ パソコン ゲーム完備。こんな空間を子供に与えれば
快適で快適で、必然的に「篭る」という結果にも繋がる。

そういう意図もあってか 最近は、家族皆が勉強出来る
「スタデイールーム」というような空間を組み込む家が
多くなってきたように思える。
そこでは、パソコンをしている父親の隣に、絵を描く子供が
いたり、本を読んでいる母親の隣で宿題をする子供がいる。

勿論 どんなに家族が好きでも ちょっと一人になりたい
時もある。それは、思春期頃の年ごろには強い気もする。
「寝る場所」と私は、勝手に名付けているが 「子供部屋」
という機能ではなく 小さな小さなプライベート空間だろうか。

子供は、親の価値観の影響を多大に受ける。
「子供部屋」を どう与えるのかは親次第だ。
快適な空間を与え、豊富な物や条件を与えていれば
立派な大人に育つ。そういう神話も崩壊している。
それが現実にわかってきているから「スタデイールーム」
が出現してきているのかもしれない。

「子供部屋」の影響が全て 子供の育ち方に現れる訳では
ないだろう。
だが、今後も少しずつ我々親世代の価値観と共に
「子供部屋」は変化していくように思える。
 

収納を造るのか?家を造るのか?

2004年07月28日 09時00分28秒 | 独り言
個人住宅の打ちあわせ席で 割と奥様達からの要望が多い事。
それは
「大きい収納が是非 欲しい!!」という事。
それを聞くと 必ず専門屋(夫)は 具体的に何を収納したいのか
と聞いている事が多い。

そう、収納と一口に言っても 例えば本が大好きで大量の本がある
着付けや 華道などをやっていて着物がたくさんある等々
単に「雑たる物」が多いのか「目的の物」が多いのか
それによって随分 収納の意味も違ってくる。
そして結構
「何がなんでも 大きい収納を!」
と強く望む方は 割と「目的の物」というより「雑たる物」が
結構 多いような気がする。

私も そうであるが 家の中を冷静に見渡すと
「不要な物 でもなんとなく捨てていない」という物がある事に気づく。
タンスをふと開けると 何十年も前の独身時代に着ていた
スーツなどが出てくる。
絶対着る事はないのだ!自分でも よくわかっている。
大体 サイズも合うのか 怪しい・・・・
でも 捨てようと思いつつ なぜか毎年同じ場所に収まっている。

そういう「雑たる物」を単に隠したい為だけに
収納が!収納が!と目を向けていると 家を造っているのか?
はたまた 収納を造っているのか?
妙な錯覚に陥る事も しばしばだ・・・

時には 辛口と思う事でも きちんとアドバイスするのも
専門屋(夫)の仕事。
「捨てる勇気も 確かに大事ですよね。」
やんわりとアドバイスする事も・・・・
この言葉 ちょっと私にもチクりと痛い・・・・

ほどほどの家

2004年07月27日 10時14分38秒 | 独り言
最近 以前より ほんのちょっぴりだが
「建築士と共に造る家」が話題に出るようになった気がする。
雑誌や本も出ているし テレビでもリフォーム番組
新築の家が こうやって出来た!ふうの番組。
結構 流れている事が多い。
個人的に このテの番組が結構好きで毎回見てしまう。

大きな天窓からサンサンと光が差し込んでる家や自然素材を
使ったローコスト住宅などなど。どの家も素敵だ。
そうやって私が勝手に陶酔していると
「これは明るいけど 真夏暑いのだよね~」
「この窓 結露しないのかなあ。するよなあ~」
という 陶酔から現実に戻す 専門屋(夫)の声が・・・
なんだよ~と思いつつ 専門屋(夫)の声を聞いてると
全面ガラス張り・・・確かに明るいけど暑いかも・・・
大きな吹き抜け・・・気持ちいいけど寒いのかな・・・
梁むきだし・・・・・梁の上って案外 埃が・・・・・
おばさん特有の心配事が次々と浮かんでくる。

勿論 快適さと機能性を大いに追及出来る工夫があるのだとも
専門屋(夫)は言う。
それに その快適さは お施主さんの最大の要望かもしれない。

でも「家」は美術館や公共の建物といった 一時を過ごす
場所ではない。毎日の「生活」の場でもある。
あまりに快適さばかりを追及していくと 「生活」自体が
苦しくなる気もする。だからといって 機能性ばかり
追い求めていると何の為に 住んでいるのか わからなくなる。

「ほどほどの家」
これが私個人が尤も欲しい家なのかもしれない。
夫曰く
「そういう家が一番難しいよ」
そうなのかもしれない・・・・



父の働く姿

2004年07月26日 10時37分15秒 | 独り言
先日 ひょんな事から 専門屋(夫)の設計する現場に子供と
行くことになった。
実は 当たり前だが、私も子供達も見た事も行った事もない。
行くと決まると「わ~~い お家の現場 現場」
訳もわからず はしゃぎまくる おバカな子供達。
現場は とある個人住宅。
街でよく見かける ビニールに被われ 中からはトントンという
金づちの気持ちいい音がする。
「こんにちは。ご苦労様です。」
専門屋(夫)が中に入っていくと どこにも人がいないのに
「こんにちは!」「ご苦労様ッス~~!」
威勢のいい声が上から響いてくる。上にいたのだ!
「今日はお子さんもご一緒で?」
「すいません。社会見学。すぐ帰しますから。」
「いいッスよ~ゆっくり見て下さい。」
恐縮しながらも
「お~~~上にサルのように身軽に仕事してるよ~~」と感動。
すると子供達も
「お~~~~本物だよ。タビ履いてるよ~」
と、訳のわからない感動。
大工さん達は4人位いただろうか。
こうやって たった一軒の家を造り上げるまでに なんと多くの専門屋達が
動くことか・・・・・
改めて 家造りって大変だなあと しみじみしてしまう。
そして子供達を振り返ると
「すげえ~~~」と結構感動している。
うん、いい事だ。たまには父の働く姿を見るのも・・・
「カッコイイよ。お母さん」そうか、そうか。
「大工さんって凄いよ!お母さん!」
あっそっちね。まあ、いいか。人が働いている姿を見せるのは
悪い事ではないしね・・・・
なんだか ちょっとアテが外れたが 私も結構感動した一日であった。 

宅建奮闘記

2004年07月25日 11時35分28秒 | 独り言
昨年 ン十年振りで受験した。
「宅地建物取引主任者」
なんとも長たらしいこの資格。
バブルのはじけた今でも 超人気資格。

なぜ こんな資格を受験したか?
実は資格を生かしてバリバリと不動産屋の 
おばさんになるつもりでもない。
何か自分でも!というキッカケになれば・・・という動機。
こんな甘い考えだから 当たり前だが甘い勉強法。
ちょいちょいと問題集やって受かるだろう~~~

とんでもなかった!

民法も建築基準法も法律というものには全く無知!
まず民法で躓き 専門屋(夫)の分野である
建築基準法で大いに 躓く・・・・・

建ぺい率?容積率?こういう言葉が出るたび
この問題は捨てよう~~という声が 頭の隅で囁いている。

ともかく お金をかけたくなかったので ひたすら過去問。
解いても解いても 合格点以下の点数。
見かねて家族達も
「やめれば~~~」の冷たい声・・・・

いいや、ここで母の頑張りを見せるのは最高の育児かも。
なんとか こじつけて迎えた試験当日。
なんと意外にも手ごたえ有り!
50問中 8問間違えただけで なんとか合格。
なーんか一生分の運を使い果たした心境だ。

そして 今 役に立っているのか??
それは、物凄く疑問だが こんな素人のおばさんでも出来た!
という おバカな陶酔には毎日酔っている。

キッチン話

2004年07月24日 10時41分15秒 | 独り言
個人住宅の打ちあわせ席で  構造体 耐震性などの話しでは
旦那様が主導権を持ち 傍観者的存在だった奥様が
話しがキッチンの細かい打ち合わせになってくるに従い
俄然 水を得た魚の様に主導権を握り返す という事は多い。
それほど一家の主婦にとってキッチンは関心が深い。

今の奥様達は、キッチンを「単に料理を作る」「食器を洗う」
という行為だけをする場所でなく いかに自分が楽しく
その場所にいられるか 心地よさを求められるのか
そこまで追及してくる方が多いと思う。

そして 私もそうであるが つい細かい所が目に入る。
シンク下は引き出しの多い収納がいい
調味料は手元に届く収納がほしい、でもスッキリと見せたい。
汚れが目立たない工夫は・・などなど言い出すとキリがない。

勿論 そういった要望をかなえ 尚且つ もっと改善出来る
事を考え出すのも専門屋(夫)の仕事だ。

だが女側である私と違う点は
「キッチンも家の中の一部」として捉えている点だ。
要は、もっと大きい観点からキッチンを見ている感じがする。
例えば どうしても大きいキッチンがあっても
他の空間とのバランスがある。色も雰囲気もキッチンだけが
独り歩きをしていくと妙な空間の家になってしまう。
わざと独り歩きをさせる場合も時としてあるだろうが
それは失敗すると厳しい感じもする。

「家造り」には、キッチンに限らず ちょっと冷静に
大きな観点から考える事が必要であるらしいが なかなか
細かいところに目がいく女の人にはむずかしいと言われる。

でも夫婦で「家造り」に取り組む場合、大きく物事を捉える
夫と細かいところを追及する妻の合作だからこそ
「家造り」は楽しいのかもしれない。

建築士とのデート

2004年07月22日 13時52分23秒 | 独り言
専門屋(夫)と初めてデートしたのは、東京デイズニーランド。
別に 感動で陶酔して覚えている訳ではない。
専門屋(夫)がとった行動が あまりにも妙で覚えている。

確か「キャプテンEO」というアトラクションを並んで待っていた時
「トントン ガンガンガン」
ふと気がつくと隣で一緒に並んでいた専門屋(夫)がいない。
叩きまくってるのだ。アトラクションの会場内の壁を・・・・
「・・・・????」
変テコな行動をする人・・・固まっている自分がいた。

東京デイズニーランドの一部の設計を当時 専門屋(夫)が
勤めていた会社の設計部がやっていた。
まあ、仕事柄 興味はあるだろうが 壁を叩くとは・・・・

その後も新しい建物がある、見たい建物がある、その度に
デートにはその場所が設定された。勿論 壁も叩いたり・・・

一番の驚きは、結婚式。
披露宴会場が 私にはわからないが有名な外国の建築家の
建物だったらしい。専門屋(夫)の同業の友人達は
「花嫁は、ここよ~写して~」
という花嫁の私の声をよそに なんと建物の梁や柱、天井を
生き生きと撮りまくっていた。やっぱり変わっとる・・・

あれから何十年たったか・・・・
今は、建物を見にいっても壁は叩かない。
なぜなら 子供達が父の真似をして喜々として 訳もわからず
叩きまくるからだ。トホホな事である。

でも 変わっとる・・・という印象は変わっていないような。
そしてそんな変わっとる専門屋(夫)といる自分も
そうなのかもしれないと思うと ちょっと悲しい・・・
だって他人様の「家造り」を通して学んだ事
それは「夫婦はなんだかんだいって価値観が似てる」
という事だからだ。


お年寄は客間が お好き(!?)

2004年07月21日 16時08分28秒 | 独り言
個人住宅の設計で お施主家族に お年寄の方がいる場合
大体 要望の中に共通するものがある。
それは「客間」だ。
あり余る程の土地に家を建てる、そういう場合は まだしも
大多数の お施主さんは限られた土地に建てる。
そういう場合 専門屋(夫)は なぜ必要なのか 果ては
家の中に何を求めるのか どう暮らしていきたいのかまで
とことん話しあう。

「家」は、そこに住む「家族」と共に変化している。
昔「家」には「ハレの日」があった。
結婚式、葬式も「家」でやった。客人をもてなし、何日も
「家」に泊める。「客間」は家の中で尤もいい場所にあり
家族達は暗い 狭い所で寝食した。
今は、どうだろうか。外にはホテルもありレストランも。
結婚式場も斎場もある。「ハレ」は外へと移動していった。
同時に家族達は滅多に来ない客人よりも 長く家族といる
居間を造るようになる。「リビングルーム」の登場だ。

だが そういう家の中で過ごしてきた世代の方達にとっての
家の「思い入れ」というものもある。
二世帯住宅となると こういう点も難しくなっていく。
「思い入れ」も十分取り入れ それと同時に新しい心地よさを
アドバイス 実現していくのも専門屋(夫)の仕事である。

「家」は、今後も変化していくのだろうか。
どんなに変化していっても 結局は家族全員が満足出来る
そんな家造りが お手伝い出来ればと思う。


相性が決め手の家造り

2004年07月20日 11時14分01秒 | 独り言
建築士との家造りで何が大事か?
個人的な考えでは「相性」これかもしれない。
相性というよりも 信頼度が濃い程 いい家が生まれるという
可能性が大きくなる気もする。 
 
例えば 名医がいる。名医が処方した良薬がある。
でも飲む患者が
「どうも この医者うさんくさい。本当に効くのか」
恐る恐る飲み続ける。結果的に良薬は 単なる小麦の
固まりになってしまう事もあるらしい。

これは家造りにも似ている。
客観的に見て どんな完ぺきな家も 住み手が
「本当に これで良かったのか」
疑いの心で住み始めたら その家は最悪 最低の家と化す。

幸運な事に 建築士との家造りは 打ちあわせ期間が長い。
いきなり 家の話 図面の話より趣味や雑談 家族の事
こんな初めが多い。そうやって なんとなく自分と合うか
わかっていく。勿論 人間、誰も悪くないけど
「合わない」事もしょっちゅう。
そんな時は 選択肢の一つなのだから 早く次へトライ
していくのが お互いにもいい。

施主が高い家を造る事が 建築士にとっては目的ではない。
そういった意味で 建築士と施主は対等関係がベスト。
それには利害関係だけでなく「相性」が決め手に
ならざるを得ないのかもしれない。

ドキドキの内覧会

2004年07月18日 17時46分41秒 | 独り言
31(土) 個人住宅の引き渡しがある。
その日 お施主さんの好意で内覧会が開ける事になった。
埼玉県なので ちょっと近所の知り合い達は遠いかなと
思いつつ、恐る恐る誘ってみると意外にも
「見たい~行く、行く」
と、嬉しい返事が・・・・やはり皆「家」というのには
興味や好奇心がるらしい。

その個人住宅 結構大変な家であった。
まず第1種低層住宅地域という住環境には良い所に
建つ反面、規制が厳しいのだ。高さも面積も規制がある。
それなのに二世帯住宅。そして施主家族の最大の要望
それは完全分離型二世帯。
風呂も台所もリビングも全て 親世帯、子世帯別々にする。
限られた面積と高さで工夫に工夫を重ね なんとかクリア。
ほっとしたものの、今度は施工予算が合わない!
あの頃は、正に打ちあわせ席は暗雲垂れ込め・・・である。
だが、皆の努力のたまものか(?)予算も無事おさまり
31(土)には引き渡しだ。

専門屋(夫)にとっても娘を嫁がせる父の心境(?)かも
しれない。打ちあわせと称しての お施主さんとの
飲み会も少なくなり寂しい限りではあるが まずは良かった。
そして初の内覧会、こっちもどうなることか・・・・
ちょっとドキドキである。

建築士という人種

2004年07月16日 09時50分45秒 | 独り言
ウチの専門屋(夫)は「建築家の大先生」などという代物でなく
タダの「建築士」である。
だが「建築家」も「建築士」の方々も な~んか似てる。
勿論 顔やスタイルではない。一言で言ってしまうと
「営業職には あまり向いていないタイプ」
これに尽きるのかもしれない。

これは私の超個人的な考えである。
ただ お話が上手で万事そつない「営業マン!」という方達は
少ないように思える。
どちらかというと そう、理系タイプで秋葉原パソコン街を
徘徊してるタイプ(失礼しました!)

だがよく考えてみると 家を共に造ろうとした お施主さんに
対して営業をする必要はないからかもしれない。
なぜなら「売る為の家」でなく「住む為の家」を提供する
からではないだろうか。
時として お施主さんの要望も 玄人から見てあきらかに
おかしいと感じれば やめましょうのストップも言ってしまう。
「顧客満足度」だけを追及する営業では出来ない。
これも建築士との家造りの醍醐味でもあるかもしれない。

「何の為に建築士と共に造るのか」
それが理解している人には、営業向きでない建築士という
人種がむしろ好ましいと言ってくれた人がいた。

うちも そうであってほしい・・・願うばかりだ・・・
 

家の適正価格って!???

2004年07月11日 16時04分56秒 | 独り言
誰もが家を建てよう 造ろうとした時に真っ先に気になる事。
それは、一体いくらで出来るの~~~?という事と
自分たちのお金が適正に使われてるの~?ではないだろうか。。

専門屋の仕事の中でも 打ち合わせが白熱する場面。
それは予算の事。見積もり検討。施工会社決定の時。

大体 設計段階が終ると 次は数社の施工会社を
専門屋(夫)が見積もりを出させ チェックする。
勿論 最終的にどこに施工してもらうか それは
お施主さんが決定する。そこで難解なのが 見積書だ。

時々 私も見せてもらうが さっぱりわからない(当たり前か)
一体 どの項目が妥当な値段で正しいのかも 検討がつかない。
専門屋(夫)は「この項目が抜けている」「これは高すぎ」
と、ぶつぶつ言いながら 施工会社と調節し お施主さんに
アドバイスする。この作業だけに数ヶ月かかる事も。

何しろ「家」のお金というのはバカ高い。皆様 ローンを
抱え しかも「失敗だったねえ」は絶対許されない買い物。
それなのに 素人には妥当な値段さえもわからない。

一体 どの位の「家」が「適正価格」で出来ているのだろうか?
建築業界は不透明な世界が多い。だから「欠陥」という問題も
おきてしまうのだろうか・・・???
どうにか ならないのかなあ~~どうしようも無い事ながら
今日もつぶやいてしまう~~~

子供が嫌い!!

2004年07月09日 13時52分32秒 | 独り言
10年前の秋、長男を出産。
「実は、私は子供が嫌いなんだ!」そう気がついた。
超ショックであった・・・・・

当たり前だが子供は我儘、本能の固まり、自我の固まり。
この行動、考えが全て許せない。
逆に考えると 我儘 自我の固まりは自分自身でもあったのだ!
そう、大人である自分も子供。そしてそんな自分が育てていく。
うまくいく筈は無いのだ・・・・・・

そんなに嫌いなのに なぜか長男1歳半の頃 次男出産。
あの頃は専門屋(夫)も猛烈サラリーマン。
育児に参加はしてくれていたが、とにかく家にいない・・・・

テレビで幼児虐待の報道が出るたび、食い入るように見てる
自分が凄く怖かった。。。
子供というより 自分の醜さばかりが毎日募る。

あれから10年。今でも子供は嫌いだと思う。
子供は大きくなっても心配事を持ち込む。
これも嫌だ・・・・

でも最近ちょっと心を明るくしてみた。
この心配って ちょっと子供好きって事かなと・・・・
そうでもしないと母は出来ない・・・・

家造りは家族のドラマ

2004年07月08日 21時16分37秒 | 独り言
実は我が家にとって個人住宅の仕事は、正直赤字である。
(ひゃー言ってしまった!)
作業量の多さと設計料を天秤にかけると ググッと作業量が・・・

それでも同業の方々も個人住宅の設計をやりたがる。
宣伝の為?広告?それも多いにありだが・・・・

それでウチの専門屋(夫)とよくその話しで盛り上がる。

専門屋曰く「個人住宅の仕事は楽しい」
これに尽きるらしい。

確かに「この家族の為に良い物を造りあげるゾ」というこちら側と、
「この人に設計してもらって本当に良かった」という
信頼関係のキャッチボールは「楽しい仕事」
その一言なのだろう。

でも良い事ばかりでなない。
「家」を造るという事は、家族の価値観や生き方をさらけだす事にもなる。

打ち合わせの席で、夫の意外な意見に目を見張る妻がいたり
女のテリトリー キッチンに関して陶酔して話す妻にお疲れ気味の夫がいたり・・・・
時には予算の事で食違い、気まずい雰囲気を醸し出す事も・・・

どの家庭でも「家」が造り上がるまでに濃厚な家族ドラマができ上がるのだ。
そして不思議な事に最終回は、ドラマと同様ハッピーエンドの話しにまとまってくれる。
勿論そうなるには、施主側とこちら側の努力の結晶なのであるが・・・・

確かに設計料云々の話しより、このハッピーエンドの最終回を見てしまうと 
個人住宅の仕事はやめられないのだろう。
そして そんな施主家族のハッピーエンドを身近に見れる専門屋を
ちょっと羨ましく感じている この頃である・・・・