設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

見上げて

2007年07月28日 22時25分22秒 | 独り言
すっかりブログ更新おサボ状態。
何をするにも「続ける」って事は偉大である。
飽きっぽい、文才がない、継続性なし。
でも子供には立派に「~しろ~!」なんて言ってしまう。
少々(?)反省の日々である。

さてさて夏。
夏といえば花火大会。
我が家は 一応 家の中から某花火大会が見れる。
毎年 一家総出で観賞となる。
見えないだの もっと後ろいってだのという
兄弟喧嘩を親の一喝で抑えながらの観賞だったが
今年は なぜか静かに。
よく考えたら みんな背が伸びて 見えないとか
見ている角度をどうすればとかの課題がなくなってきたのだ。

花火は音がいい。
あの轟音があるから 色がさえる。
そして片手にはアルコールがいい。
くわえて 暑さがいい。
エアコンぎんぎん冷えた部屋の中から音無しの花火。
これはいただけない。

花火が終われば 一年はあっという間。
毎年 いつも勝手に夜空に祈る。
どーか来年も無事 家族が空を見上げて
ぎゃーぎゃーと感想を述べられるようにと・・・・

花火大会は 自分の中で真夏の正月のようなのだ。

それにしても この正月 段々 手ごわく暑い・・・・

執着

2007年07月14日 18時22分01秒 | 独り言
正確には呼び方も よくわからないが
96で亡くなった祖母は
「親にとって 一番悲しい事は
 逆さをみること」
と、よく言っていた。

「逆さをみる」多分 こんな漢字だと思うが・・・
要は 親である自分より子供が逝ってしまう事。

祖母は長生きはしたが この「逆さをみる」を
二回も体験した。

一人は 定年でこれから二度目の人生を出したばかりの
長男で 二人目は やっと結婚して これからという
時の働き盛りの43歳だった末っ子の4男。

どちらも 偶然なのか 長男&次男の出産で
里帰りをしていた自分。

戦争を体験し 大体の事には動じない祖母だったが
知らせを聞いた時は 目もあてられない感じだった。

でも今でも鮮明に思い出すのは 息子が亡くなったという
知らせを聞いても
「なんで なんで」と呟きながら しっかり朝食は摂っていた。
あの時は なぜか奇異な思いと共に
「やっぱり凄い」と変な感心もしたものだ。

そして必ず葬式に出かける前に 留守番をしている
臨月ギリギリのせりでた私のお腹を撫でながら
「しっかり食べて」
そればかり 繰り返してた。

食べること。
それは祖母にとっては「生きること」だったのだろう。

たとえ 最愛子供が亡くなろうとも なにがあろうとも
きっと身体が勝手に「生きること」という執着を見せる。

長生きする事は 良い事ばかりではない。
そうも思うけど 人は「生」に執着する。
自分は どうだろう。

万が一 親にとっての最悪「逆さをみる」事になったら
何も食べられない。きっと生きることに執着が薄くなる。
それだけ飢餓の体験もなければ 甘い世界を生きてきた。
そんな証拠なのかもしれないけど。。。。