設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

何しに行ったのやら・・・

2005年10月29日 10時46分50秒 | 独り言
昨日は子供達の学校が開校記念日だったので子供達は
休みとなった。
せっかくの平日休日という事で 平日なら!という
期待を込めて幕張でやっている東京モーターショーへと
家族ぞろぞろと行って見る事に。。。。。

平日ならば!という淡い期待は幕張駅にて 打ち砕かれる・・・
なんだか秋葉原族?みたいな格好の男性陣から
ベビーカーを押すママ軍団から 仕事で来ている!という
感じのスーツ姿の集団やらが ともかく多い多い。

でも あのとてつもなく広い会場のおかげか
押せ押せの見えない所も多々あったが 大分現地では
人がばらけていたように思える。

それにしても「これが車の値段!?」というような
家の値段のような車から大衆車と呼ばれる車まで
こんなに揃ってお目にかかれるのは 確かにないだろう。
超が三つくらいつく高級車のブースには商談スペースが
喫茶店のごとくあって そこには絵に描いたような
親子連れなんかが にこやかに商談なんかしている。
うーん 心なしかお子様が飲んでいるジュースまで
高級ちっくに見えてならない・・・・・

大多数の一般人は そんな高級ブースを外から眺め
携帯カメラやらデジカメでともかく車を撮りまくっている
人もいれば なーんか何しに来ているのか やたらと
車に付随しているコンパニオンのおねーさんを
撮りまくっている方々もいる・・・・・・
昔と違ってスーパーカーにハイレグ水着のおねーさんという
場面はなく 皆どのおねーさんも個性的なイデタチで
にこやかに立っている。

「若いといいよねえ~~」なんて こっちもババちっくに
おねえさん吟味をついしてしまうのだが 車そっちのけで
おねえさんオンリーで撮りまくっている方々は やはり
ちょっと引いてしまう・・・・・
そうかと思えば 車のタイヤの溝やらホイールのネジの部分
などを 下にもぐりこんで撮っている不思議な方々もいて・・・
何?スパイ?じゃないけど こういう方々は結構日本語じゃない
言語でしゃべくりまくってて・・・不思議・・・

車は大人の最高の玩具と考える人もいれば ただの交通手段と
割り切る人もいれば 自分の価値観を反映させる道具と
考える人もいれば まあ様々・・・・
でも大多数のいい大人の男の人達が目をサラのようにして
食い入るように見てしまう魔力は どこかにあるのだろう。
あの塊を運転するって支配力というか征服力というか
そんなものがあるのかもしれない。

という事で ババの自分は車を見に行ったのか
人間観察をしてきたか よくわからない・・・・

ともかく足の疲労が・・・・
いい運動と目の肥やし(?)になった日のようです。。。

自分で飛ぶ!

2005年10月26日 09時50分14秒 | 独り言
来月 我が家の長男は11回目の生誕日を迎える。
やっと11年となるのか されど11年となるのか。
まあ、一般的な親御様なら「やっと」になるのかも
しれないが 母性薄き自分は「されど」に傾いてしまう。

なぜなら もしかしたら後7年後には完全独立とまで
いかないにしても着実に家を出て自立への道を
模索し始める時期だろうと思うからだ。
そう考えると 後たった7年・・・・
今までの時間より あっという間にその時は来るだろう。
ここで一般的な親御様は又々「寂しい」などという
感傷がやってくるだろうが これまた母性薄き自分だと
「オイオイ 大丈夫かいな??」という焦りの気持ちが
襲ってくる。
あれもこれも こちら側から見れば「出来てなーい!」
というところが多過ぎて・・・日々 焦っている自分を
感じている。今 育っている過程の人間に高度な
要求をつきつけている気もするが 夫婦共通の考えは
息子どもを「ともかく家から出す!!」という方針なので
それまでの期間はあっという間だと思うと焦るのである。

子供への考え 家族への考え 家庭についての考え。
これは各家庭によっても違うし 夫婦によっても違う。
どれが正解 不正解もないけれど 我が家は
価値観の成立したいい大人達が一つの家族になっていると
あんまりロクな事がないというのが共通の考えである。
ちょっと これはヨソ様の「家造り」のお仕事で勉強
させていただいた部分も多かったのだが(?)

家族の核は親と子だと言い切る人も多いが 自分は
そうは思わない。
家族の核は やはり夫婦である。考えれば夫婦で始まった
家族。それに子供は途中 付随してくるだけである。
子供の家族は変化する。今 一緒にいるのは
「仮の巣」であり「本当の巣」は 自分で築くのである。
親なんて働き損かもしれないが 巣から飛び立つまでの
道具ちっくなところもあるのかもしれない。

確かに子供を守るべき時期はあるけれど それも一定時期。
それを勘違いすると とんでもなくなる。
子供は巣から飛べない。親は巣の出口を塞ぐ。
なんて悪循環に陥ってしまう。ここで子供が異性の
息子だと いつのまにか父の場所に息子が座って
なんていう おかしな現象にもなってしまう。

巣の出口を一心不乱に塞ぎ続ける人達を よく見かける。
「子供の為」という言い訳をしながらも
「自分の為」という感じが意地悪な自分には感じて
しまうのだが どうなのだろうか・・・・
でも それで子供達が幸せそうかと思えばそうでもなく・・・

一番この世で不幸そうな人達は 大人になっているのに
自分の翼すらなく自由に自分の意志で空を飛べない人達
ではないだろうか。

なんだかんだと言い訳して 早く「子育て」なるものから
「解放!!」というのがやりたいだけの自分かもしれないが
やはり自分の夢はお互い翼を持った大人同士として
息子共々 空を飛びたいものだと思うのだ・・・・


いつまでたっても・・・

2005年10月20日 09時28分29秒 | 独り言
もう学歴社会の世界は終わったとか 個性の時代だとか
とかくそう言われて 学校教育も「ゆとり」を
繰り返し 週休二日制に学校もなっている。
でも現実は塾通いの子供が増え 私立の学校は土曜授業も
存在している。
なんだかんだいっても企業に学閥も存在するし 親の
子供への大学志向への気持ちも高い。

「なんとなく大学くらいまで行って欲しい」
こんな気持ちの親達は一杯。
声を大にして言わないけど お受験戦争の過熱ぶりを
見れば それは一応親の立場としてヒシヒシと感じられる。

で、一応親としての我ら夫婦はどうじゃ?と思えば・・・・
進学するというのは当たり前だが費用もかかり 後何年後と
いう我が家のその時に それだけカバー出来る費用が
あれば 後は子供の勝手じゃないかと・・・・
大学に行って欲しい。高校卒でいいだの 親が決める事でもなく
結局「何をやりたいか」という結果に大学というものが
ついてくるならば その時カバー出来るのが可能なら
一応親としては応援するだろうという それだけかもしれない。

今 小学生のポヤーっとした生活を送っている息子どもを
見る度
「早く自分の何か好きな事 やりたい事を見いだしてくれ~」
なんて思ってしまう。
こんな高度な課題を彼らに突き詰めたところで じゃあ
自分の小学生時代はどうだったか?なんて聞かれると
息子どもよりポヤーっとしていたので何とも言えない。
高校生位になって「将来 何をしたいのか」というのが
明確になってきていたら もうその子供はなんと
幸せ者だろうか。それほど「何したいか!」と
突き詰められても 即答出来る人は少ないと思う。
それが普通なんじゃないかとも思う。

大学に行っても目的もなく なんとなく終わったという
4年なら とことん働くというのも一つの道でもあるし
何かを見いだす為だけに大学へ行くというのも
一つの道でもあるような気がする。

どれが正しくて間違っているなんて無いけれど
自分は親の欲目でもなく 世間体でもなく
何も目的がやってこないのなら ただ大学4年を過ごすのも
結構賛成派だ。

こんな考えは間違っているかもしれないが 長き長き人生の
中のたったの4年。でもその4年というある意味自由で
勉強に打ち込める時間なんてとれやしない。
勉強だけではなく 色々な経験と様々な人に出会える
4年でもあり 自分を振り返れる4年でもある。

自分を振り返れば 授業をさぼり友と日が暮れるまで
なんだかんだと当時の悩み話を語り尽くした あの
夕日が懐かしい。
学生は勉強しろと怒られそうだが 気がつけば夕日に
なっていたあの日も 今思えば無意味でもない。
胸を張れるような事をした訳でもなく 外から見れば
ダラダラと無意味に過ごしている学生生活も 送っている
人しか味わえない「何か」もある。

なんだか自分はその説明のつかない「何か」を
息子どもにも味わってほしいのかもしれない。

でもやっぱり一番の欲は
「これがしたい!これが楽しい!」
こんな事をはっきり言い切れる一生の仕事を見いだして
ほしいと思う。

親というのは いつまでたっても自分の「欲」ばかりを
子供に押し付けている。
愚か者だなあ~~と毎度思うのである・・・・

一回ぽっきり

2005年10月19日 14時59分29秒 | 独り言
この年になると「女の人生も色々だあ~」なんて
そんな言葉が毎度頭に浮かぶ。
つい子供がいるので 子供絡みの知り合い達に埋もれて
いるが ちょっと目を他にそらせば「この年だから」
という 調度何かにつけての決断の時期でもあるような
気がしてならない。

勿論 女だから男だからじゃなくても 人生には様々な
節目が巡ってくると思うが・・・・
自分位の年齢の女性達は今 正に多種多様。

独身でパワフルに仕事をしている人。
そうかと思えば超早く結婚して もう孫が出来る?!
なんて勢いがあるような大きい子供を持っている人。
やっと子供が産まれて 正に育児に翻弄されている人。
離婚している人。これまた離婚は終り 今や再婚して
第二の人生を歩んでいる人と・・・・・

本当に多種多様・・・・
どれが一番いい生き方も悪いもないけれど 独身或いは
結婚しても子供がいない知り合い達は今切っても切れない
悩みが少々あるらしい・・・・
それは「子供どうする?」という事らしい。
なぜなら
「今は子供いらない。でも10年後 20年後と考えた時
 いいの?このままでいいの?」という気持ちも横切ると
以前 結婚して子供は作らないと言っていた知り合いが
漏らした事がある。

そう、今の自分の年齢って迷う年齢。なぜなら今の医学が
超スピードで発達しない限り 男はともかく(?)
女は子供を産むのに「制限」というのが必ずあるからだ。

50歳で出来るか。60歳で出来るか。となると・・・
これは今の医学では不可能だ。しかも50で生んで
その後 あの過酷な(?)育児をこなせるかといえば
自分じゃ恐ろしくてトライもしたくない。

仕事でも子育でも出産という事ですら とりあえず
人には「旬」があるのかもしれない。
その「旬」をずらしてもいいのだと胸張って その後の
ちょっぴりの大変さを楽しめる余裕があればいいのだが
今出産について悩んでいる人達にとっては 楽しめるか?
という自問自答の時なのかもしれない。

よく我が家の商売を聞くと 知らない人達は
「定年がなくていいね」という言葉をもらうのだが
それはとんでもない~~と毎度思う。
いくら自分でやっている。使われている身でなく 
辞めさせられるというタイムリミットはなくても
「旬」の時期というのはあると思う。

身体が動けて 次々と柔軟な頭の回転が出来る。
こんな時期はどんどん低下していく。
確かに今までの経験と知識が蓄積されても
「今 ここにしか出来ない!」という事は去年出来たのに
今年は出来ない。
なんていう事が どんな仕事でもありそうである。

人の一生が何度も何度もあれば 今度はこういう生き方。
次の次は こういう生き方で。という虫のいい事も
あるけれど これまた現代では天地がひっくり返っても
それはあり得ない。

一回ぽっきりの一生。
一回ぽっきりの人生。
だから面白いのか何ナノか・・・

女だから男だからでもなく 結婚しようがしまいが
子供がいようがいまいが 要は自分の人生が終焉を
迎える時には「悔い無し」なんていう言葉が出れば
いいのだろうが・・・・・

なかなかどうして 自分には出来そうもないようだ。。。

解消法

2005年10月18日 09時45分43秒 | 独り言
どんな人にもストレスがある。
生きている限り 生活している限り人は
このストレスという厄介者と付き合っていかなくては
いけないのだ。

こんな自分でも そりゃあ ストレス!というものは
あるのだ。
大体 みんなはそんな厄介なストレスをどう発散
させているのだろうか。
酒・・・・こういう人も多いけど・・・
食べる 買い物 趣味・・・こういう人も多いだろう。

最近 気がついた自分の解消法。
これはなんていっても吐き出す!という事。
どこにとなると 運の悪い友達達へ・・・となる。
平たく言えば「おしゃべり」という事。

情けない事に自分のストレスと呼べるものは
毎度「愚痴話」
こういうのを聞くのは一番嫌である。
なんていっても愚痴には結果というのがない。
「こうなんだよ~ ああなんだよ~~」
「それは大変だよねー」
こんな会話しか成立出来ない。元々 何か愚痴やら
悩みを打ち明ける人間にとって人からのアドバイスやら
結果よりも「そうなんだー」という相づち。
これだけが欲しいという時が多い。

なんと我儘で嫌な人間か・・・・

そう思いながらも 自分も毎度「聞いて~聞いて~」を
やってしまうのだ。
だから時間がなくて電話や会って話せないとなると
「聞いてメール」を送ってしまう。
これが打っているうちに長い 長い・・・・・

今に友をなくすかも・・・そう思いながらも
同時に こうやって愚痴をこぼせる相手がいて感謝!
なんて勝手に違う方向へ話を持っていって納得させている。

勿論 この愚痴話のとばっちりは夫もこうむっている。
ところが自分の「聞いて~聞いて~」の怒濤話を
10年以上もとばっちりしているから 自分の話が
少々BGMの如く聞こえるらしく誠に空耳ちっくに
聞いている。いいんだけどね・・・・・

自分を変に持ち上げるつもりもないが(?)
人間溜め込むのは ともかく良くない。
最近はストレスが原因で身体のあちこちに支障をきたす
仮面性鬱なる病気も多いらしいし 身体的に何も異常が
ないのに長年あちこちの痛みに振り回される
心因性疼痛なる病も多いらしい。
心療内科と名乗る新しき分野の病院も増え ストレスを
うまく回避 発散させるという事が重要になってきている。

身体は思いもかけないところで全部精神と繋がっている。
いくら外科的技術が飛躍的に進歩しても 1人1人の
心までは進歩していないようだ。

だからという訳ではないが 家族以外にも誰か1人でもいい。
醜い自分をさらけ出し 心底の腹の中を話せる人がいれば
とても幸せだなと思う。
勿論 家族の中身もしっかりしている事も大事だけど・・・

自分が毎度 愚痴を怒濤の如く吐き出してしまう相手は
自分だけが「友!」と思い込んでいるかもしれないが
しばし この状況は続きそうで・・・・
やはり一緒に聞いてくれる相手といるとき これだけでも
「ああ、良かった~」と感じられて帰れるのだ。

結局 愚痴の元源はどっかに飛び 自分はこの毎度
「ああ、良かった~」だけが欲しいらしい。

年ばかり取っても 中身は毎度自己中心的な子供のようで
又々自分がうんざりするが・・・・・


運を使いこなす

2005年10月13日 10時18分52秒 | 独り言
http://www.excite.co.jp/News/society/20051012201416/Kyodo_20051012a405010s20051012201418.html

エキサイトのニュース欄を見て なんだかやりきれない
気分になった。

那覇市の小学生一年生がスーツケースに自ら遊んで入って
そこから出れなくなり 熱中症で亡くなってしまったという
事件・・・・・
一緒に友達がいたらしいけど 開かなくなって困り果てて
友達は帰ってしまったらしい。

スーツケース自体に問題があるとか 一緒にいた友達が
早めに大人に言っていればとか 色々な考えがあるけれど
亡くなってしまった命は もう戻れない。

子供の行動というのは 自分も親だから少しわかるが
突拍子もない。
だから柔軟で自由な発想が生まれる訳だが・・・・

自分も小さい頃 ひやりとしたり 今考えれば
少し間違えれば今ここにはいないかも なんていう
ゾッとする記憶もある。
きっと簡単に「大人になった」と一言で言える背景には
大人の誰もが「運」みたいなものに がっちり守られて
成長してきたように思える。

今回の事件だって 誰が被害者か誰が加害者か なんて
決められない。あえて決めるなら ほんの少しの
「運の狂い」としか言い様がない。

確かに子供が大きくなるにつれて「親と一緒」という
行動はめっきりと減る。その分 親は負担が少なくなって
いくが 大袈裟かもしれないが 1人で動き始めた
子供達を「運」に託すような事にもなるのだ。

何か起こった時の対処を日頃から言い続けるというのも
確かに大事だが 言える事は何か起こった場面に
親はいつもいるとは限らないという事だ。

いくら「運」らしいものに守られて成長していくとしても
そんな「運」らしいものだけに左右されて消えてしまうのが
命なんかじゃないとも思う。

命はあっけなく はかなく消えてしまう。
時間も元には戻らない。

だからこそ自分の命を自分で守る中には 
「運」さえもコントロールして使いこなす気持ちじゃないと 
いけないのか。

なんだかやりきれない気分が取れない朝。。。

アナログ人間

2005年10月11日 15時21分02秒 | 独り言
早いもので 来年からのカレンダーとか家計簿とか
スケジュール帳などが店先に並べ始めている。
これが出始めると 年賀ハガキ クリスマスケーキ予約と
バタバタと もう今年も終りという雰囲気になる。

それにしても スケジュール帳の種類が当たり前だが減っている。
カレンダーはそれほどでもないが 家計簿なんていうのも
減っている。

皆 パソコンで管理したり電子手帳があったり 携帯が
あったりしているせいだろう。
これだけ「何か書いて」という原始的なものが減ったのだから
紙の使う量も減ったと思うが なんでも紙の消費量は
変わらないそうで・・・・

そうそう 自分のようなアナログ人間は ついデータとなった
画面を印刷したがるからだ。
どうも画面の中のものだと しっくりこない。
こんな人間 まだまだ多いのではないだろうか。

我が家も商売柄 紙の消費量は物凄い。
だから子供が小さい頃は いわゆる「お絵書き」なんていうのに
使うミスコピーものの 片面だけ白紙という紙に困った
事がなかったくらいだ。
今や さすがに「お絵書き」年齢ではない子供だと この
片面白紙が余る 余る。
だが 片面だけ白紙だからといって捨ててしまうほど
裕福な設計事務所でもなく この片面白紙はメモなどで
再活用となる。
時には まだ小さなお子ちゃまのいる近所知り合いに
バラまく事もあり・・・・
我が家の商売を知らないお宅だと さぞ怪しい商売を
展開しているような片面白紙であろう。

今後 本だってきっと電子書店となりそうである。
事実 パソコンで携帯で本を読む時代になっているし
でも ついついアナログ人間は本屋に足を運ぶ。
手にとって 紙の感触を楽しんで読むという変な
体質から離れられそうにないのだ。
それは小さい頃 広告の裏面白紙に落書きをして楽しんだ時の
感触と大層似ている。

アナログ人間は いつか消え そのうち紙の消費量も減るのか。
なんだか それもちと寂しい。
と思いながら 最近家計簿い付けがパソコンで出来るようになり
手書きの家計簿帳が去年からいらなくなっている。 

意志のないアナログ人間でもある。



一生勉強

2005年10月07日 17時51分10秒 | 独り言
学校の終了式の日。
はるか大昔の記憶だけど その日はいつもとは違う。
そんな感じのする一日だった。

学校も午前中に終わってしまうし 明日から長期の
休みに入るという事がウキウキとさせる一方で
最後の最後に渡される通信簿の不安と期待が
反対にドキドキとする不思議な一日だったのを
覚えている。

今 子供達の通っている小学校は二学期制。
始業式も終了式も午前で終わるという日はない。
式自体は通常の一日の1時間目にやる。後はまた
通常の授業に戻る。終了式も夏休みの一日前ではなく
前期終了という事で今日行われた。

三学期制を普通と思って小 中 高ときた自分には
毎度この二学期制がしっくりと来ない。
だから子供達が「通信簿」なるものを今日持ってきたので
「ああ そうか。二学期制は今日前期が終わったんだ」
毎度の戸惑いを覚える。

なんでも週休二日で減ってしまった授業確保の為らしいけど
あのドキドキとウキウキ感を知らないのは ちと今の
子供達には可哀想な気もする。

思えば「通信簿」なるものも様変わりだ。
数字で評価するものは一切無いし 自分の時より
簡素化というかシンプルになっている気もする。

一応こんな自分も親なので評価は評価で気にはなるが
この結果がながーいながーい この先の息子達の
何に繋がるかと思うと あまりしゃかりきの気持ちも
出てこない。まあ こういうところが母性無しだあ~と
毎度思うのだが・・・・

これから先 息子達は何度となく人からの評価を受けるだろう。
それは嫌でもついて回る。
時には紙切れ一枚。それが決め手となる事もある。

評価は良いにこした事はない。
試験と名のつくものは合格しなければ その先もない。
それでも机上の出来事だけで一生は送れない。
絶対安泰という絶対も怪しい時代へと突入しているし
最後の最後に残るのは 机上の知識でもなく
自分の周りを包んでいる外側でもなく タダの「自分」
こんなタダの「自分」を評価するのは相当難しい。
「これで終り」という到達点もないような気がする。

きっと自分も死ぬまで「これでいいのか」
そう思いそうである。

人は「一生勉強」と誰かが言っていたけど その通り
かもしれない・・・

夢も単純

2005年10月05日 17時01分38秒 | 独り言
よく夢を見る。しかも決まって朝方。
というより 多分 朝方の夢しか覚えてないのだ。

よく夢は深層心理を映すだとか 心のキーワード
なんていうけれど 自分のは後からよくよく考えてみると
物凄く単純。
寝る直前まで話していた事とか 寝る前に見ていた
テレビの内容らしいものが関連して登場してくる。

昨日というか今朝の明け方に見た夢は 蛇が登場した。
縞模様の色まで鮮明で なぜかコブラだという事実
だけは わかっている夢。

どっかの民家で 知らない蛇使いのおばさんが 飼っていた
蛇を捕獲しようと躍起になっている。
自分は これまた知らない小さな男の子とその場面を
見ているのだが 蛇がこっちに来そうでハラハラしている。
この蛇使いのおばさんもトロくて なかなか捕獲出来ないのだ。
そのハラハラドキドキ感が 起き上がってもみょーに
生々しく残っていて なんだか今朝は目覚めが悪かった。

早速パソコンで夢占いを 興味津々で探索したけれど
蛇の夢って 一般的には吉夢らしいが 追いかけられたり
かまれたりは悪いらしく・・・・

占いは「良い事だけ信じる」主義の自分にとっては
蛇=金運を信じて 早速宝くじなんぞ雨の中 買いに
走る事となる。なんとも単純な・・・・・

で、午後になって冷静に蛇の夢の元源はなんぞ?と
考え始め さっき「あっ」と思いついたのが 昨日の
夕方見たニュース番組。
特集は「危険なスズメバチの恐怖」というもので
今 山からスズメバチが都会に進出していて 刺されると
ショック死を起こす人もいる位 危険な季節らしいという内容。

田舎じゃないから 山がないから安心は間違いらしく
いつ遭遇してもおかしくないようで。
大切な自分の人生 たかが「ハチ」されど「ハチ」ごときで
終焉を迎えるのは同じ終焉でも 実に悔しい。

確か そんなくだらぬかもしれないが 心配事をあれこれ
考えて寝てしまったような・・・
蛇の柄 そういえばハチの柄そっくりだったし・・・

まあ、単純な自分の夢分析は毎度こんなもので
第六感が働く予知夢でもなければ 何か深い深層心理が
動いているようでもなさそうである。

それにしても一緒にいた知らない男の子・・・??
うーん その存在だけは自分だけでは わからない。
これを考え過ぎると またこれに関連した夢を見そうである。

単純な人間は 夢まで単純という事らしい・・・

マイブームとの格闘

2005年10月04日 16時12分35秒 | 独り言
思えば中 高 大と計8年は英語を習ってきた。
だが 当たり前だが8年もの月日を費やして
まーったく話せない!というより 英語の単語すら
思い浮かばない毎日・・・・・

一体あの英語の授業と受験の為だけの時間は どこに
どう消えたのやら・・・・

考えれば昔の英語の授業なんてめちゃくちゃで
「これはペンです」なんてところから始まってしまうのだから。

子供は教えている訳でもないのに 親の言葉を聞き取り
話すようになる。かくいう自分も自然と言語を身に付けた。
「これはペンです」
こんなとっかかりで 習得していく子供はいない訳で・・

今 子供達はハッピータイムという英語の時間があり
ジャパニーズイングリッシュの先生じゃなく バイリンガルな
先生様がついている。時代は変わったもんである。

しかし 家に帰れば当たり前だが日本語オンリーの家庭。
週に一回は気休め程度の子供英会話なんか通わせてるが
一つの語学を習得するには 本人の強い意志がなければ
こんな状態では無理だろう・・・・

で、こんな自分も惚け防止になるし 子供にもいいかもと
勝手な講釈をつけながら 夫を踏み倒して毎月
「スピードランニング」という英語教材を買っている。

毎月CD一枚 その中に最初は英文次に訳した日本文が流れる。
日常の会話から旅先やら外食やらと いろんな場面での
会話文のみが流れる。
「聞き流すだけ」なんていう名文句にも魅かれちゃったのだが
家族中 毎度のマイブームがいつまで持つか 呆れ気味のこの頃である。

とりあえず損にならずにと毎朝 CDつけっぱなし。
家事の間は 子供達からとりあげたipodさんを耳に挟んで
不気味な格好でのCD聞きとなる。

はや一ヶ月位 聞きまくっているけど・・・・
なーんか効果はねえという感じで。
でもでも 赤ちゃんはお母さんの言葉を最初はひたすら「聞く」
だけじゃないかあ~~~などと 宣伝のキャッチコピーを
思い出したりして・・・

人の耳は語学に全く向かない人もいるらしいが 自分も
これに近く どう頑張って聞いても「???」の連続。
それでも「こんな時にはこんな言い方するんだ!」
なんていう発見もあり・・・・

1人勝手に興奮したのは 夫が帰宅した時に妻に言うこの一言
「ハイ ハニー」・・・・・
訳した文は「ただいま」だったのだけど・・・
「ハニーだってえ~~~」と1人バカみたいに興奮してた
自分を家族中は白い目で見てたけど・・・

今は ひたすらこんな興奮を見つけては「おお!」っと
唸っているのみで英語の単語すら口から出てこない。

「一ヶ月たって いかがですか~~」
なんて教材の会社から 若きお姉さんのお電話もあったけど
「ハニーに驚いたくらいで しどろーもどろー・・・・」
こんな答えしか出来ない現状。

このマイブーム まだ少しは格闘しそうである・・・