設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

比較しても 平行線

2004年08月30日 14時36分54秒 | 独り言
ウチがこんな商売をしていると わかると知り合い達から
「ハウスメーカーの家と どう違うの?どっちがいいの?」
と、聞かれ どう答えるべきか 考えてしまう事がある。

「設計事務所の家とハウスメーカーの家」 
両者の家は いろんなところで 比較される事が多い。

物凄く個人的な考えなのだが どちらがいいとか 悪いとか
結局のところ 比較するものではないと思う。
何しろ「質の違う家」なのだから それぞれ メリット 
デメリットはあるだろうし それをどう受け止めるのかは 
各個人の受け止め方だ。
こっちがいいとか 悪いとか議論していても 結局は
平行線のような気がするのだ。

ただ 私も含め素人達が陥ってしまう 一番怖い落とし穴は 
ほんの一部分だけを見ると それが全ての世界だと
思ってしまう事だ。

設計事務所にしても ハウスメーカーにしても その他の所に
しても 星の数ほど たくさんある。
その選択肢の たった一軒を見て「合わない!ダメだ!」と
思い込んだり 逆に無意識に自分の中で
「ここが一番いい筈だ!」と思い込む事が 一番怖い。

そんな落とし穴に落ちないようにするには
机上やネットだけでなく 最終的には 自分の目で見て
耳から聞く事を 本当に たくさんトライしてみるしかない。
すると不思議な事に 必ず自分の価値観に合う選択肢が
見えてくる。
「家造り」は 本当に 自分の価値観が反映される。
だから これは とっても大事な事だと思うのだ。

「自分は どう暮らしていきたいのか」 
「自分たち家族は どんな価値観を持っているのか」
それを突き詰めていけば わかってくる というのが 
結局 このテの比較質問の私なりの 答えなのかも
しれない・・・・

こんな わかりにくい答えしか思い浮かばないから
こういう比較質問は少々 苦手だ・・・・
そして つくづく 私には営業向きの仕事は不向きだと
感じてしまうのだ・・・・・
一応 設計事務所の看板を掲げ ダメだなあ~と思う反面
営業して造り上げる家は やっぱり設計事務所の
「家造り」では無いと思う。それも決定的な違いかなとも
個人的には思っている。








 

肌寒い日の励まし

2004年08月28日 15時20分50秒 | 独り言
「ブログは公開日記のようなもの 自分のプライベートを
 売り物にしたり 公開して 何が楽しいのか・・・」
以前 どっかで こんな記事を読んだ事がある。
批判するのは 一番 簡単だが いい意味でも悪い意味でも
人気がある事には 必ず何かしらの魅力がある。

昔はホームページにしたって 企業の宣伝用とか
ごくごく限られた人達が 作るものだと思っていた。
それが 今では 趣味や家族の事 子供の事 ペットの事
一般の主婦でさえ ホームページを作って 楽しんでいる。
こんな疎い私ですら ショボイけど一応ブログなんぞを
作れている。驚きだ・・・・

何か 表現したいという欲求は なにも特別な人達だけに
限られたものでは なかったのかもしれない。
毎日 何も考えない生活など無い。
平凡でありふれていると思っている毎日が 実はドラマの
連続であったりしているのだ。

結局 自己満足の世界だ というのは事実。
それでも冷静に見渡せば 自分の周りは自己満足ばかりだ。
ひょっとしたら 家を造る事だって 家族を持つ事だって
旅行する事も ペットを飼う事も 究極 子供を育てる事ですら
自己満足の世界で成り立っている部分が あるのかもしれない。

今後 ブログにしてもホームページにしても 利用人口は
どんどん増えていくように思える。
何が そんなに魅了しているのか 今書いている私にも
わからない。

それでも時々は 
「寒いなあ~独りよがりで嫌だなあ~辞めてしまおうか」
ちょっと 引いている自分もいる。 

「自分が楽しくなければ 周りも誰もかれもが楽しくない」
最近作った 私の究極の自己満足モットーだ。
引いてきたら これを心に留めて 当分は自己満足に
浸ろうかと・・・・ 
違った意味で肌寒かった一日の 励まし事だ・・・・ 


ローンを抱える意義

2004年08月27日 11時25分07秒 | 独り言
「家造り」を煮詰めていくと 当初 予定していた予算が
多少 膨らんでくるというのは 結構多い。
最初は 平面図からの自分の家が 模型を見たり
色のついたパースを見たりしているうちに モクモクと
より具体的に 立体的になってくる。
そうなると「もっとこうしたい」「あれも これも」
という要求が多くなるのは当然の心理だ。

そして 最初は 大きい数字の羅列に圧倒されていた
見積もり書などに見慣れてくると 金額に対して
変な錯覚を起こしやすい。
「何千万」単位の話しの中で「何百万」単位の話しが
出てくると「そのくらい 安い」などという感覚も
生じてしまう。だが その最後に追加となって出てきた
「何百万」は、ローンで払うときには利子がついて
倍くらいの「何百万」となっている。

大体の設計事務所もそうなのかもしれないが 我が家の場合
よほどの設計変更がない限り 設計契約で結んだ設計料は
一定の額で最後まで変わらない。

要は、お施主さんの予算が どう大きく膨れ上がろうと
追加 追加を出しても 我が家自体は関係が無いとも言える。
むしろ 打ち合わせは 毎度「どう予算内でやるか」
という課題と背中合わせに 進めていかなければならない。

少し金銭感覚がマヒし始め気味の お施主さんを
修正してあげたり あきらかに無駄 無意味な予算の
膨らみに「NO」のアドバイスをするのも建築士との
「家造り」ならでは かもしれない。

「全部キャッシュで 予算は気にしないで」
と言える「家造り」もあるだろう。
でも大多数の方達は「家造り」が終ると同時に 長い長い
ローンとの付きあいが始まる。
サラリーマンの場合は毎月決まった お給料から一定の 
お金が勝手にすり抜けていく。大変な事だ。
なんていっても 我が家もローンを抱えている。
そして多くの方達と同じく サラリーマン生活も体験していた。

「相手の立場を知る」
なんでも これも我が家では大事な仕事の要素らしいが
ダテにローンを抱え込んでいるのも意味が あるのかもと
お施主さんを見ていると 悲しい同盟感が生まれるのだ。



価値観の共通ー髪見て思うー

2004年08月26日 14時36分06秒 | 独り言
「後ろ美人」という言葉が あるように 髪の毛は
女の人にとって ポイントが高い。
それなのに 一応♀である私は小さいときから「剛毛」だ。
分析すると一本一本が妙に太い。だから固まりとなると
今時 珍しい時代遅れの「真っ黒」な髪と化す。
それだけならいい。変な風に うねっている。
だから 一番厄介なのは湿気。
ショックだったのは 私の お風呂上がりの少し乾いた
髪を見て 子供達が 不思議そうに言った言葉。
「お母さんの髪って おとーさんの足に生えている毛に
 似ているね!」
そう、少し乾いてくると妙に 小さい スネ毛のような毛が
ちょろちょろと出てくるのだ!

あれ以来 定期的に美容院で「縮毛矯正」というのを
かけている。今は値段も手頃になってきているのが嬉しい。
一回 かけると とりあえず湿気には強くなる。
スネ毛も お目見えしない。

でも最近 自分の髪を見ると「人工的だ」と感じる。
なんか 天然にサラサラ!という人の髪では無い。
真っすぐすぎるというか 要は自然じゃないのだ。
結局 「本物の美しさ」って何でもあるのだなと感じる。

家の素材にしても そうだ。
本物の石やタイルと「石風」「タイル風」は やはり違う。
そうは言っても 予算が絡む「家造り」
本物の良さは わかっていても そればかりでは
造れない場合もある。

嘘物のシルクと本物の綿 予算で どちらか選ばなければ
いけないとしたら・・・・・
建築士との「家造り」は 個人的には綿を選ぶ価値観かも
しれないと思う。
どちらの価値観がいいとか 悪いとかでなく こういう
「価値観」が ちょっと共通しているという感触がないと
建築士との「家造り」は お互いに苦しいのかも・・・と
裏から見ていて 個人的には最近感じる。

世の中には 案外「本物」と呼べる物は結構ある。
それでも高価な物になればなる程 その嘘物も多くなる。
私の髪は 決して高価な物ではないが 結局 数多く
作られている嘘物の商品の一部だ。「嘘物 大好き!」
という価値観でもないのだが、この「スネ毛無し」の
嘘物髪は、嘘 本物 関係なく しばらく やめられそうにない。


展望室で物思い

2004年08月25日 09時23分24秒 | 独り言
先週末 初めて六本木ヒルズへ。
展望室に行くと 東京タワーが下に見える感じで
「おおっ」と圧巻!だった。

それにしても 人は展望室と名が付く場所が好きらしい。
どこの展望室でも人は 多い。
何も高い お金出して 上に上らなくても・・・・と
思うが その眺望を お金で買うのだ。そして私も結構 好き。

飛べない人間の憧れからなのか 下を見下ろしたい
見渡したいという 悦に浸りたいのか うんと高い位置に
いる自分が心地いい。

「目線が抜ける」という表現を よく専門屋(夫)は
お施主さん達と話している時に使っているが 窓を開けて
バルコニーから スキッと遠くまで見える快感は
たまらなく気持ちいいと想像出来る。
でも 悲しい現実。都内では 中々 そういう土地は無いに
等しい。窓を開ければ 隣の壁だったり 昼間でも真っ暗い
部屋が当たり前のように 存在する。

「変形の土地こそ やりがいもある」と何かの本で建築士の
方が言っていたが 「こうだから しょうがない」を結構
打破しようとしているのは ウチの専門屋(夫)も似ている。
周りで光を取れないなら 上から取ったり。
目線が抜けないのなら 中庭を取り入れて どの部屋にも
中庭を見渡せるようにしたりと・・・・
人間本来が持っている「目線の抜ける気持ち良さ」を
追及しているように思える。

打破していくには 予算や機能の問題等々 そっちも打破が
必要なのも現実だが・・・・・
それでも「しょうがなかったね」という お施主さんの
声で終る「家造り」は、やっぱりやってほしくないと
個人的には感じる。

なぜなら展望室に上る気持ちは 興味や好奇心もあるが
無意識のうちに「心地よさ」も求めている気もする。
だから お金を出しても上りたい。
「家造り」も高い高い お金を出して求めるものは
「住めればいい」という箱を買うだけではないと思う。
やっぱり「心地よさ」も買って欲しい。
展望室から眺めた 玩具のような建物群を見ながら ふと
そう感じた休日だった。

「普通」を広げてみる

2004年08月23日 19時41分49秒 | 独り言
人間誰しも 新しい物を受け入れるのは勇気がいる。
未知なる物を見たり聞いたりする最初は、結果が
わからないが故に つい受け入れるのを辞めてしまったりする。
自分が 今まで見た事 知ってる事 聞いた事を
世界中の「普通」という常識に組み込んでしまう事もある。
 
振り返れば 未知なる物が結構 当たり前の様に
自分の「普通」に入っている事もある・・・・・・

個人住宅の お施主さんは、毎度この未知なる物を受け入れる
勇気を出してくれているように思える。
だからと言って 建築士の設計する家が物凄く「奇抜」な物
ではないのだが、現実的に街に たくさん溢れて建っていない。

外壁の材料一つ取っても 予算に合わせた提案で 建築士から
提案された物は、今まで 一般的に お施主さんが
「見てきたことが無い 知らない」材料だったりする。
そうなると ちょっと躊躇している方もいる。
それは、正直な態度だ。何しろ 結果は いくらパースとか
模型で確認しても 実物大は出来上がった「結果」でしかない。
それでも 何回にも渡る打ちあわせで お施主さんの方々は
かなり変わってくる。

最後の方では
「今度は どんな未知なるアイデイアや見たことの無い物の
 提案が出てくるのか」
と、建築士との打ち合わせが逆に 楽しみになっていく。
そういう雰囲気が生まれてくると もうその「家造り」は
大半が成功したのではないだろうかと 超いい加減だが
個人的には感じる。

「普通」と感じる常識を小さくしてしまうのは簡単だ。
その枠を広げるのは 大変な事である。
そして そんな大変な枠を上手に広げさせてあげるのも
建築士の力量に入っているのかもしれない。

これは もう設計云々の話しでなく 建築士の魅力にも
繋がるのかも・・・・・と考えると 段々 我が家が
怪しくなってきてしまった・・・・・・(暗)



プールにて

2004年08月21日 10時41分50秒 | 独り言
昨日 家族でプールへ行った。
場所は 毎年恒例の埼玉県の とある県営プール。
県営といえど 流れるプールあり 波のプールあり
スライダーあり で、結構 ウチの子供達には大人気である。
場所ながらなのか 毎年家族連れが圧倒的に多い。

流れるプールで はしゃぎながら泳いでいる子供達を
監視しながらも 中年夫婦は 流れるプールでひたすら歩く。
これが 日頃 運動不足の私には結構 堪えるが・・・・
歩きながら ついつい おばさんの私は周りを観察してしまう。

水が怖いのか 泣きながら父親にしがみついてる女の子。
疲れ切った おじいさんらしき人と孫達とか・・・・・
そんな家族連れの中でも 若者グループがいたり
カップルがいたりと・・・・・・

若くていいなあ~とほほ笑ましく見てる間はいいのだが
毎年 いるのが「場所間違えている??」
と思うような 濃厚なカップルの方達・・・・・・
そんなカップルが子供の傍を通ると つい子供を見てしまう
自分がいる。超お笑いだが 毎度そうしてしまう。

そして昨日は 「ギョ!ギョ!ギョ」!」と周りの人達も
引いてしまう様な カップルの方が漂流してきた。
しかも子供達の傍に プカリプカリと・・・・・・
すると 今までバカみたいに はしゃぎまくっていた子供達が
じーっと そのカップルを見ている。無言だ・・・・・
カップルが通り過ぎると くるっと振り返り長男がこう言った。
「あの おねーさん具合悪そうだよ。一個の浮輪で
 おにーさんもいたし・・・・・」

無邪気というべきか 本当に おバカなのか・・・・
なんだか おかしくなった。
いつまでも そう言って欲しいものだが その前に
家族でプールに来れるのも こう言っているうちだなと思った。

勉強熱心な(?)お施主さん

2004年08月19日 09時58分24秒 | 独り言
今は、いろんな情報が巷に溢れている。
家の事も建築の事も例外ではない。
そういう影響だからか 最近の お施主さん達は大層
勉強家であり いろんな知識を持っている。
外壁の材料にしても キッチン お風呂に関する設備関係に
ついても 資料を抱えて 打ち合わせに見えられる方もいた。

自分の住む家の事である。
勿論 専門屋(夫)も 全て熱心に目を通す。
ただ毎回 悲しいのは、当たり前だが お施主さん達は
皆 素人の方達。結局、聞きかじった少しの知識が
全てになってしまっている事が多い。
「実は、これには こういう欠点もあって・・・・」
などの専門屋(夫)の説明を受け 「う~~ん」と唸ったり
「そうなのかあ~~」と 少々気落ちをなされる事も・・・・

でも、だからと言って 素人だから何も言わず
全てお任せで 疑問を抱えたまま進行していっても
決して いい家は造れない と、私個人は思う。
何しろ 個人住宅は「建築士の持ち物」では無いのだから。
但し 難しいのは 知識ばかり集め 果ては いろいろな
住宅メーカーの免震構造や外断熱の宣伝をゴチャゴチャに
吸収してきてしまうと 一体 何の為に建築士と共に
家を造っているのか わからなくなってしまう。
素人が集めてきた知識の固まりを そっくりそのまま
集結させた家なら 建築士は、いらないのだから・・・・

要望 希望は全て吐きだし その上で 建築士の
センスと技術と知識を貪欲に その要望等に反映させていく。
それが結構 利口な お施主さんの立場かもしれないと
個人的には 思う。

以前 どっかで読んだ事がある。
「決定権は施主 主導権は建築士」
この関係が結構 建築士と家を造る場合は、いい感じだと。
ちょっと なるほど と思った・・・・・・・

上を見上げなくても・・・・換気扇

2004年08月18日 10時26分00秒 | 独り言
どの家にもキッチンに換気扇があると思うが・・・・・
毎日 掃除している!という偉い方達は、いるのだろうか。
自慢じゃないが 私は ガス台の上にある換気扇を眺め
「ウウ、限界じゃ~~」
と、なった時が掃除の到来だ・・・・

何しろ 目線が上の厄介な代物だけに 掃除が億劫。
単に だらしないの一言なのだが・・・・・
でも、毎日使う。しかも又々 厄介な事に料理の油や
諸々の埃や 汚い物を 毎日吸い込む。

だから 以前 専門屋(夫)の事務所で 
煙が出る傍から吸い込む「下引き換気扇」なる物の
カタログを見たときは 正に「へえ~~へえ~~」
「トレビの泉」状態であった。
これは、先月竣工した個人住宅のキッチンに付いている。
実際 見る機会にも恵まれたが ガス台の本当に煙が
出るという場所にコンパクトに入っている。
掃除が大変では?とも思ったが 簡単に排気口の上に
お洒落にガラスで付いているフードも取り外せる。

換気扇に限らず 様々な設備は凄い進化を遂げているが
恥ずかしながら私は「換気扇が上じゃない位置」という 
それだけで驚きだった。
ただ専門屋(夫)が言うには「値段が高い・・・」らしい。
でも、毎日使う物、それが何百万という物でなく
他と比べて ちょっとの差と思うと 毎日の事を考えてしまう。

フィルターの無い 油分をオイルパックにまとめる という
機能の付いた換気扇も見た事があるが その時説明してくれた
現場の方が
「換気扇一つ取っても どんどん新しくなって こっちが
 ついていけません」なんて説明してくれた。

奥様達の「こうだったら いいのに!」という飽くなき
希望と それを 組んで更なる進化をしていく設備機器の
あれこれ・・・・・・
殆ど 競争のようである。
そして 今日もカタログをめくり羨望の声をあげている私も
そんな競争に躍らされてる(?)一人かもしれない。
 


見えない仕事  監理

2004年08月16日 11時40分43秒 | 独り言
我が家には「監理」という仕事もある。
この「監理」結構 何それ?と聞いて来る方が多い。

「監理」は「管理」ではない。
現場の工程が予定通り進んでいるか そういう事を
チェックするのではなく、現場が図面通りにきちんと
なされているか 施主に代わって チェックしていく。

これは全くの個人的考えだが 設計 施工 監理が
全て一緒の所でやると どうしても
「なあなあ」の雰囲気が生まれそうである。
勿論 こんな事は疑ったらキリがないし、きちんと仕事を
している所も いっぱいあると思う。
でも身内同士で第三者的にチェックは難しいのではと
素人ながら考える・・・・・・

設計契約は請負契約ではなく 依託契約。
だから お施主さんの代わりとして動く事が多い。
そういう意味では、「監理」の仕事は重要な仕事である。
そして素人ゆえに専門的な事が わからない お施主さん達に
とっては「監理」がどこでやるかも とても重要だ。

現場では、「監理者」である建築士と施工側とが ぶつかる事も
多々 あると聞く。
でも 結局皆が お施主さん家族の為に「いい物を造る!」
という気持ちが根底にあると そのぶつかり事は建設的な
論争に過ぎない。フタを開けてみれば そのぶつかり事は 
全てプラスになって お施主さん家族の「家」に跳ね返ってくる。
なんとなく 今回 個人住宅の仕事を見てそう感じた。

「見えない仕事程 大事」という言葉を どこかで読んだ事が
ある。
我が家は 正にその連続で成り立っているのかもしれない。
その連続は 今時 古くさいと言われてしまいそうだが
結局のところ「信頼関係」で生まれている。
ひょっとすると、こんな時代だからこそ どんな仕事でも
この古くさい「信頼関係」が重要な時代なのかもしれない。




椅子で食べる?畳で食べる?

2004年08月14日 21時16分30秒 | 独り言
12日から自分の実家へ子供を連れて帰っていた。
毎回 思うのは、自分の実家のくせに落ち着かない!

なにしろ 実家は築27年のバリバリ木造の古い家。
畳 畳 畳の連続の家。
リビングもダイニングも ひたすら畳の部屋でこなす。
畳でゴロゴロ、これは結構好きだ。それは素直に認めるが・・
なんか疲れる、そう それは食事の時・・・・
結婚前は 畳に座って食べるという行為を なんとも
感じなかったが、今回も妙に疲れた。
単に年のせい?それも大有りだが、椅子で食べるスタイルに
慣れてしまった今 どうも駄目だ。

父母も年を取り 畳で「食べる」「寝る」という行為に
限界は感じているらしい。だが頑として 今のスタイルを
変えようとはしない。

布団を干したり引いたり いちいち下に座って食べる事も
年と共に辛くなっていくのは、わかっているが
それでも 畳で「寝る」「食べる」という欲求が勝っている。

お施主さんの中でも「畳の部屋」は結構 要望が多い。
でも 若い人達は割と ゴロゴロしたいという欲求だけで
寝るのはベッド、食べるのは椅子となる事が多い。
でも やはり私の親世代は「食べるのも寝るのも畳で」が多い。

いくら身体が楽でも、精神が落ち着かなければ意味は
ないのかもしれない。
そう思うと 頑なに「畳で!」とこだわる父母にも
「それで いいんじゃない~」としか言えない。
そして そうやって どう客観的に見て不利でも何でも
自分の「頑なさ」に無性にこだわっている父母に
ちょっと「老い」を感じた里帰りだった・・・・

トイレ 「癒し」への進化

2004年08月12日 09時53分50秒 | 独り言
息子達は学校のトイレが嫌だという。
暗いし なんか汚いし 和式だし・・・・・
この間 懇談会で初めて そのトイレを使用させていただくと
「なんだ マトモじゃん」だった。

私が遥か大昔の小学生の頃は、それはそれは ひどかった。
何しろ水洗じゃなかったし・・・・
これ以上は、ちょっと語りたくないが、トイレにまつわる
正に「うんちく話」は数限りない・・・・・

今は、水洗で洗浄付きは当たり前っぽいトイレだが
最初に洗浄付きトイレが出たとき「拭く」でなく「洗う」
という感覚が想像出来なかった。
一体 いつ自分が使ったのか 記憶は定かでないが
そんな洗浄、なくても一緒と 思っていた。

ところが ところがである!
一回 使うと もう止まらない ではないが、今度は
洗浄付きでないと、無性に一日気持ち悪い・・・・・
だから最近 新しく出来た店とかホテルが洗浄付きトイレだと
ホッとしている。習慣とは恐ろしい。

以前 専門屋(夫)が仕事の関係でトイレのショールームに
行ったとき 家族でゾロゾロ見学してたが あまりの
トイレ進化に その時は、びっくりした。
人が立てば センサーが察知して自然に便座がふわりと開いたり
(きっと、これは飽きるまで子供の玩具と化すだろうが・・)
他にも流れが トルネードのように流れ便座を
自然に洗ってくれたりと・・・・・
そして これはいい!と思ったのは、タンク無しタイプ。

「家」は、単に「食べて寝て排泄して」だけの空間から 
ひたすら「癒し」を求める空間へと変化してきているように
思える。

トイレも、そんな変化の表れなのか それとも切っても切れない
場所ゆえに 飛躍的に進化を遂げていくものなのか・・・・
 
居心地がいいと 人は篭る。
「トイレに入って ホッとしていると、つい長くなってしまう」
こんな事を言ってた お施主さんの旦那様もいた。

トイレは「排泄場所」だけでなく 段々「癒し」の
空間へと進化を遂げ始めているのかもしれない。



夫=ストレス源?

2004年08月10日 11時00分42秒 | 独り言
「専業主婦にも夏休みを~~~~」
こんな事を言ってしまうと 世の働いていらっしゃる方々から
「年中 休みのくせに ふざけるな!」
と、怒られそうだ。でもでも 最近 自分の時間が取れない!
夏休みに子供がいる・・・・ただ それだけなのに・・・・
それでも 近所の知り合い達は 子供はまだマシ。
長い夏休みを 旦那がとると地獄だと言う・・・・

いつも自分が一人でいる時間帯に 旦那がリビングで
寝転がっている、それだけでストレスが溜まると・・・・
まあ、わからなくもないが、旦那様側としては たまの休みに
自分の家で伸び伸びして何が悪いという言い分だろう。

よく夫が 定年退職して家にいる時間帯が長くなると
妻がストレスを抱え始め 果ては心療内科などに通って
しまうという話しを聞いた事がある。
要は、「旦那」そのものが妻にとってはストレス源になる。

別に仲が悪いとか、相手が大嫌いとかでなく ずっと同じ
空間にいるのが耐えられないという事らしい。
結構 老夫婦のいる家の設計でも 夫婦は昼間別の空間に
いたいという希望を出される家族もいた。

どんな夫婦も結婚する前は、おノロケでも何でもなく
ただ ひたすら一緒にいたいという気持ちで結婚した筈。
そうでなければ 結婚などしなくていい。
その「一緒にいたい」は、いつから風化してしまうのか。
そして それは夫より妻の方が風化が早いらしい。
なんだか 熟年離婚とか診療内科通いの熟年妻の話しなどを
聞いていると ちょっと悲しくもなる。

だからといって 私も超良妻でもない。
ただ 我が家がラッキーな事、それは仕事柄なのか性格なのか
専門屋(夫)は、完全に「休み!」という日が無い。
土日でも 時間があれば自分の事務所。旅行でもパソコン持参。
単に こうしなければ一家が食べていけないという理由も
ありそうだが・・・・・・
そんな諸々の理由で とりあえず「夫=ストレス源」の
状況になっていないのだ。

そんなに恵まれた(?)環境においても 最近 私にも
「夏休みを~~~」と叫んでしまう我儘な自分である。


酒が造らせた空間

2004年08月07日 10時56分48秒 | 独り言
全く関係ないが 専門屋(夫)は酒好き。
酒を飲むのも大好きだが 飲んでいる雰囲気も好きらしい。
だから 飲み会があれば なんだかんだ言いながらも
絶対参加するタイプ。

長い打ちあわせ期間の中で お施主さんと ちょっと雑談して
お酒の話が出たりして お施主さんも どうやら好きらしいと
わかると 必ず
「今度 一緒に」
という話題が必ず出ている。社交辞令かと思っていると
「打ち合わせが夕方からだったから」 「交流を深めに」
などと言訳述べながら 結局お施主さんと飲んでいる。

まあ、お酒というのは いい意味でも悪い意味でも
その人物の「ス」の部分を出したり「本音」を漏らさせて
くれたりする。

「実は この間の打ち合わせでは言えなかったのですが・・・」
と、ぽろりと お施主さんがこぼす事もあるらしいのだ。
予算の関係で妻には言えなかったが 自分のスペース
ほんのちょっとした本を読むとかの部屋が欲しかったと
言われた事も あったそうだ。

結局 それは 改めて話しあって なんとか中二階に
旦那様の小さな一人空間が出来たそうだ。
酒が造らせた空間かあ~と その時は まんざら酒の席も
悪くないかと私も思ったが・・・・・

やはり専門屋(夫)が お施主さんと飲みに行くと
聞くと ちょっとハラハラの自分もいる。
そう、専門屋(夫)は酒を飲むと話していた会話を
あまり覚えていないという特技の持ち主でもある。

次回からは、お酒が全く苦手だという お施主さんに恵まれれば
と思うのだが、なぜか 
「私もお酒は好きですよ」
と同意していただけるお施主さんばかりに、恵まれている。

類は友を呼ぶ・・・・とは、この事かもしれない。

引き渡し、でも続く仕事・・・・

2004年08月05日 10時08分27秒 | 独り言
先月の31日 専門屋(夫)の設計した個人住宅の
引き渡しがあった。
鍵を渡した瞬間から もう終り!
この仕事は、実質的に全く終了!
と私は思っていたのだが、今日も 専門屋(夫)は、
その現場に行っている。

どんなに完ぺきに造った家も 何かと不都合は生じる。
作り付けの家具の引き出しが ちょっと重い。
扉が ちょっとだけ曲がっているように感じる。
そんなチェックを 専門屋(夫)は、細かくやっていたが
住んでみての 不都合というのもある。
今日は、「どうですか?」という様子聞きもあるという。
施工会社と施主の調整役、これも引き渡し後の仕事として
まだまだ続いている。

家が出来るまでは「設計者&監理者」であった建築士は
家が出来上がると 今度は いろんな意味での
「家の相談者」になる。これは我が家の場合だけかもしれないが
一つの仕事が終って 引き渡しても それで お施主さんと
繋がりがパッタリ切れる訳ではない。

特に個人住宅は やはり何年間に一回単位で何かと補修が
出てくる。その時は、「こういう場合は・・・」と
お施主さんが聞いてくる事もある。

今回 専門屋(夫)が引き渡したのは 今は単なる「箱」に
すぎない。施主の要望と専門屋(夫)が生みだした空間と技術
そして様々な技術力を提供して何十人と携わってくれた職人達
そんな多数の人達が造りだした「箱」

その「箱」から家族の笑い声、話し声 時には泣き声
そんな音が漏れ出し、初めて「箱」は「家」になる。
今回の「箱」は、どんな「家」になっていくのか。
私も関係ないながらも 影から楽しみに見ていきたい。