設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

生かされる立場

2005年01月28日 13時37分01秒 | 独り言
活きのいい魚は大好物!
でも ごくごくたまーに お目にかかれる
「活き造り」というのは・・・・食欲が一気に半減・・

出す側としては「こんなに活きがいい!」という
パフォーマンスもあるだろうし 食する側だって
「活きがいいから食べるのが楽しみ!」という
目でまず 満足度がアップというのがあるのだろう。

だが自分は どうもこのピチピチとまだ動いている
魚がくっついた切り身を食べるのは苦手だ。
なーんか処刑後の断末魔を間近に見ているようで
落ち着かない。

勝手なもので 自分の見えないところで行われた
行為の結果を食するのは 全部平気だというのに・・・・
殺生を繰返して それによって日常なにげなく
自分が生きていけているというのに誠に勝手である。
わかっているものの「あわびの踊り焼き」などが
出てくると「あ~~苦しそう」とか考えてしまう。

自宅から車で20分位のところに お肉の卸業者さんが
兼ねている肉屋がある。ここで牛肉を買ってしまうと
スーパーで買うのがバカバカしくなる。
それほど安いな~といつも感心してしまう。
家族と頻繁に買いにいくのだが ある日毎度のごとく
店に入ると
「牛だ 牛だ」子供が騒いでいる。

実は店の裏側は卸業者ゆえに牛の解体作業場。
それが奇麗に陳列された店から丸見え状態。
子供達が騒いでいたのは 牛と原形をとどめる肉の
物体が 針金に吊るされベロ~~~ンと調度さがって
いる状態だったのだ・・・・・

「あ~~~牛だ・・・・・」
見てしまった・・・あの死体の一部分がこの奇麗に
飾られたショーウィンドーに並べられる・・・・
わかってはいたものの 又々 食欲半減になる。

勝手なもので食欲半減は あの日だけでまた元通りに
なってしまったが・・・・

考えれば人間ほど残酷な生き物はないだろう。
たとえ食欲が満たされても 楽しみの為や
身を飾る装飾の為に いとも簡単に殺生を繰返す。
それに「こんなものまで食べる!?」という位
最高の雑食動物だ。マナコなどを見る度に一番最初に
食してみた人の勇気と好奇心を褒め称えたい。

そんな勇気と好奇心のおかげで 今日まで人間が
トップとして全動物に君臨している訳だろう。
だが考えれば 他の動物によって正に「生かされている」
という立場のみ。

なんだか鯵の干物を突っつく箸も 申し訳なさそうに
なってきた・・・・

カッコ悪い大人

2005年01月27日 14時12分52秒 | 独り言
子供の頃は 早く「大人」というものになりたかった。
なんだか制約もなく自由そうで 何よりも大人同士
コソコソと囁き合っている話は カッコいい!
勝手にそう思い込んでいた。今 考えればバカらしい・・・

きっと重要な話をする事が一杯あって 自分も「大人」
というものになれば そんな重要な出来事の連続なのだと
思い込んでいたものだ。

一体 いつから自分が子供から「大人」になったのか。
その境目がはっきりとわかっていない。
きっと自分の気持ちにブレーキをかけ始め 嫌な相手に
愛想笑いが出来た頃なのだろうか・・・・・

少し大きくなって 早くも社会人として世間の中で
働き始めた友人達が
「仕事の内容云々じゃなく 人間関係が大変だ・・・」
こうぼやけば その ぼやきでさえ
「なんかカッコいい~」
そう思っていた。漠然と自分にはない大人の世界という感じが
同じ年の友人達から醸し出されていたように感じた。

そんな「大人」たる世界に どっかり漬かって多分10年以上。
「大人」の話は 重要な事なんて あまりなかった。
コソコソ囁いているのは 人の陰口だったり悪口だったりと・・・
「忙しい 忙しい」をうたい文句に働いている人に限って
全く忙しくない人だったりと・・・・・

子供の頃の話の方が うんとカッコよかったなと思う。
昨日のテレビの話やら どうやって遊ぶかの話やら
単純だけど 屈託ない話ばかりだった。
いつの頃からか 人の噂話や嫌な話が耳に入り 時として
中心になって そんな事を話している自分もいたりした。
成長するに従って 人は自分という人間に自信がなくなるのか。
だから他人の事が気になるのかもしれない。

長男の友達が来ると 彼らは ちょっぴり大人の振りをして
クラスメイトの話や先生の噂話をしている事がある。
つい数年前までは 人の事など どうでもよく ひたすら
「遊ぶ」という目標だけで話していた内容が少し大人に
なってきているというべきなのか・・・・

子供は「子供」でいられない。
いつかは「大人」になっていく。
わかってはいるものの 「大人」の良さを胸を張って
言えないから 我が子達の「大人」への ちょっぴり
変化が矛盾ながらも寂しくもなる・・・・

招き猫

2005年01月25日 08時41分08秒 | 独り言
招き猫を4匹 集めた。
以前 都庁に行った時に展望室に お土産コーナーがあり
いつもならケチ根性丸出しで絶対そんな所で物など
購入しない自分が なぜか本当に招き猫の手に招かれている
ように買ってしまった。しかも 一度に2匹も・・・・

きっと同じ物が都庁展望室から地上に降り立ったら
妙に安くなっているに違いないが どうも
「買いたい!」という気持ちには勝てず・・・・
しかも そそるように招き猫は5色あった。
金運の黄色猫。財運の金色猫。恋愛運のピンク猫。
開運の白猫。家族運の黒猫。

「恋愛来い来い」は もう時代が古すぎ。
しかも来てもらっても手遅れだ。という事で毛頭なく 
最初は「開運 白」か「金運 黄色」で大いに悩む・・・・
なんだか金ピカ猫を購入すると がめついのが丸出しの
ようだし・・・
「家族運 黒」もねえと・・・やっぱり母にも主婦にも
向いてない。家族の健康や幸せより「金だ」「開運だ」と
そっちに目が行く・・・・
ぶつぶつ悩んだ末に「開運 白」と「金運 黄色」を
専門屋(夫)の事務所に置いてきた。
「一応 デザイナー事務所の端くれなんだけど・・・・」
こうぶつぶつ呟きつつある専門屋(夫)を無視して
小難しい建築の専門書が並ぶ本棚へと押し込んでくる。
なーんか似合わない、まあ、いいかと・・・・

これにハマッたのか 次回に都庁に行く機会に恵まれると
自宅用にと又々 買ってきてしまった。
同じく「開運 白」と「金運 黄色」
それを玄関に置いて よしよしと終わった気でいるから
我ながら呆れ返る。

招き猫が我が家に4匹やってきて 効果のほどは???
怪しい限りだが・・・・ 

万が一 次回 どっかで招き猫に会っても
目は合わさないでおこうと決めている。
なぜなら 一番招き猫が招いているのは 
他ならぬ自分自身らしいからだ・・・・

らせん

2005年01月24日 20時34分38秒 | 独り言
「螺旋階段のある家が希望です!」
こう以前とある お施主さんから希望が・・・・

確かに「らせん」はカッコいい~
シャム猫なんぞ抱いて 軽やかに降りてくるイメージが・・・

でも専門屋(夫)は 聞くやいなや
「使いずらいですよ。」と一言・・・
個人住宅での「らせん」は お勧めしないらしいのだが・・・
敷地の問題もあり めでたく「らせん」の登場となった。

でも お施主さんもふと考えたらしい。
「らせん」というのは部屋にポッカリと穴が開く。
という事は冬なんて寒い!!
床暖をしても空気は下にもれてしまう・・・・
そこで 当初 予定しなかった「らせん」を包む扉が登場。
この丸くカーブした扉は大工さん泣かせの代物であったが
透明な扉が 重くもなく 奇麗で結果的には大正解となる。

実は 恥ずかしながら「らせん」なる階段を持った個人住宅
など行った事がない。
折しも このお施主さんの「らせん」を登れる機会に恵まれる。
「おお~~~~怖い・・・・」
自分の正直な感想・・・・
昔から下が見える階段がどうも苦手だ。。。

この冬 お施主さん家族は初めての冬を新居で迎えた。
大工泣かせの扉のおかげで全く寒くないという話が聞けた。
でもポツリ・・・
「階段を上から見ると ちょっと怖いです・・・」
きっと暮らしてみるのと 描いていたイメージの物とは
ちょっと違うという感じが どんな家にも生まれるの
だろうなと感じる。

それでも 設計段階であれだけ ああだこうだと議論し合った
「螺旋階段」・・・・・・
自分のように 登るのが大変なのではとか そんな小さい
こだわりは、きっと お施主さん達にとってはくだらぬ事
なのだろうなと感じる。

ある人にとって「大事なこだわり」は ともすると
他の人にとっては「くだらない こだわり」にも
なり得る。家なんて その凝縮の固まりでもある。

「こうすれば高く造れるから」
「この方がめんどくさくないから」
そんなやり方だと 何も本当の「こだわり」は出来ない。

階段一つにも そのお施主さん家族の考えが形になる。
やっぱり「家」って おもしろいと思う。 

うんざりぃ~のタンス

2005年01月24日 10時23分20秒 | 独り言
♂の子供を持つと「うんざりぃ~~」という場面には
よく出くわすのだが 日々の日常で子供のタンスを
開けた時が毎度の自分の「うんざりぃ~~」に近い・・・
何がって??くだらない!と言われてしまうが
洋服の配色・・・・黒 青 紺 緑・・・・
う~~~ん暗い・・・殺風景・・・・・

「夏は楽でいいよね。男の子はTシャツとズボンさえ
 あればいいもの」
こう嬉しそうに女の子の母知り合いから言われても
こっちは、まーったく嬉しくない・・・

ワンピースにスカートにキュロットにと誠に
バリエーション豊かな女の子軍団と違って
♂の洋服選びのなんと簡単な事か・・・・
これとこれ どっち?みたいな・・・

決定的は七五三!
華やかな着物とドレスであふれかえるレンタルショップで
申し訳なさそーに 隅の一角に♂コーナー。
店員さんも慣れている。
「お色は どんな?」
こんな一言で決まってしまう。
着物でも黒系?紺系?ちょっと変わって緑かあ~?
という具合で・・・

方や女の子母達は なぜか娘ほっぱらかしで
この着物もこのドレスもと着せ替え人形の服選びの
如く喜々とし始める。
髪形は?お化粧は?髪飾りは?

やっぱりこれが女の子を持った母の醍醐味だよなあ~と
又々 羨ましくもなり・・・・

だがこんな醍醐味も 何も意見も考えもない幼い時
だけだそうで・・・・
長男の同級生の女の子母達は揃って 服が大変になってきた
とぼやく。

「あのブランドの服がいい」
「何々ちゃんの着ていたのが欲しい」
揚げ句には もう母の用意した服を着て学校には行かないとか!
今の子供が早熟なのか ♀ゆえなのか・・・
♂には考えられない・・・・・

うちの息子達は何も考えずに母が適当に出している服を
黙々と着て登校している。
自分が今日何を着て 一体何日着ているとか頭には
まーったく無い!という感じだ。
あまりに無関心なので試しに 長男に上のシャツは
バリバリの柄シャツ。下はこれまた濃いラインの入った
ズボンを置いておいた。
どーみても配色が悪過ぎ というか おかしい・・・・
でも毎度の如く淡々と着て淡々と登校しそうになったので
さすがに実験は取りやめとなった・・・・(汗)

これはうちの息子に限らず 結構他の♂の子供には
多いらしく・・・まだまだ自分の身なりに頭を回転
させるには早いらしい・・・
やはり♂は遅咲きというか おバカというか・・・・

結局 自分好みの服を着させて悦になれる時期も
女の子といえども短い期間らしい。
冷静に考えれば 子供といえども自分とは違う人格。
いつかは全て自分で選択肢を設けながら生きていくもの。
そう思いながらも やはり子供のタンスには
今日も「うんざりぃ~~」のため息が出る・・・・

漢検

2005年01月20日 15時18分04秒 | 独り言
今週の土曜は漢検。
漢検とは日本漢字能力検定の事。
息子の学校が「受けましょう~」という奨励があり
近所の知り合いの「惚け防止になるよ~」という一言にも
感化され なぜかゾロゾロ母子3人で受けてみる事に。

「にっぽん人なんだからさ~~漢字なんてチョロイチョロイ~」
とバカにしながらも3級からスタートの大人の自分・・・
3級は中学卒業程度・・・これで受からないと子供の手前
ちとマズイ・・・でも問題集などをやってみてわかった・・・
まず書けない!!これが一番。日頃いかに書くという行為を
やっていないか・・・・

例えば「勇気をふるって」の「ふるって」とか
「準備には いろうない」の「いろう」
頭におぼろげながらの形は出ても 書けない!!
「ふるって」は「奮って」だし「いろう」は「遺漏」
こうやって目で見ると「これこれ!」と思うのだが・・・
机上で鉛筆を握れば ぱったりと手が動かない・・・
困ったものである。

そして今は 大人のプライドなどかなぐり捨てて
5級位からトライするべきだったと ヒシヒシと後悔している。
なんといっても3級の試験内容には4字熟語なるものが出る。
「我田引水」だとか「百家争鳴」だとか・・・
漢文か!という世界。
4字熟語にいたっては意味もわからないから書けやしない。

「電光石火」とか「無病息災」くらいの意味はなんとなーく
おぼろげにわかるものの「大山鳴動」なんて熟語は???
正に外人の言葉のようだ・・・・
「大山鳴動」とは大騒ぎをしたのに結果は小さい事という
意味らしいのだが・・・・
こんな言葉を日常使って暮らしている日本人がいると
いうのだろうか。
いきなり お施主さんとの打ち合わせ席で
「いやあ~~大変でしたが一件落着、大山鳴動でしたねえ~」
こんな事を言ったら打ち合わせ席の一同は どんな空気に
なってしまうかなと専門屋(夫)にも問いてみたが
いぶかしげな顔つきで見られただけであった・・・・

こんなくだらぬ事を考えているから勉強も進まず。
漢検まで後2日と迫ってしまった・・・・

見守る愛

2005年01月19日 17時43分49秒 | 独り言
子供を持って嫌だなと感じたのは
「代わりになれない」こう思い知ったときだろうか。
別の人格なんだから当たり前じゃん!そう言われると
返す言葉もないが、とかく親というのは
「うちの子供はこういう子供だ」なんて当の本人に
なったつもりのところがある。
それに加え自分の子供が困っていたりしているのを
見たくないばかりに 困らないように困らないようにと
日常の生活で先手を打って 本当は子供がやるべき行為を
親がこなしてしまっている時がある。
実は自分もこういうところが多いにある。
それは子供の為を思ってとかではなく 突き詰めると
まだまだ未熟で完ぺきにこなせない子供より
一応完ぺきにこなせる大人の自分がやってしまった方が
楽だから。ただそれだけの理由なのだ。
本当に どこまでいっても自分本位の親というのは
子供子供と棚にあげて結局は自分の事しか考えてない。
いかんよなあ~~と毎度思う。

簡単な部屋の片付け 掃除 細かい話をすれば
食器のあげさげ等々 とりあえず小学生が出来る事は
生活の中で一杯ある。勿論 やらせてはいるが忙しい時ほど
いいや やってしまえとばかりに自分がやってしまっている。
これが一番いけない。自分がやれば一応大人だから完ぺき。
自分も満足で楽。
でもいつか子供達が巣立った時に 自分は代わりになれやしない。
何も出来ない大人ほど惨めなものはない。
仕事が出来ても勉強が出来ても 
「こんな些細な簡単な日常の事が出来ないのおお~~!!」
そう驚かされる大人達は結構一杯いるものだ。

大昔OLで働いていた頃 絶対重要な書類をなくしてしまう
他部の同期の男の人がいて なんでもその人の机は
汚いなんてものじゃなかったらしい・・・・・
なくさないように少しは机を片付けろという上司の命に
「いつも母が机を片付けているので片付け方がわかりません」
こう答えたそうな・・ほどなくその人は会社を辞めてしまった。
彼は学歴だけは「ほほう~~~」と目を見張る素晴らしい所
だったらしいが、日常の生活は違った意味で皆目を
見張っていたという・・・・

まあ、自分も褒めれたような大人じゃないが
自分の事をきちんと出来ない大人というのは
結局人にも迷惑をかける。

代わりになれないというのは、親にとってはある意味
辛い。だがそれが現実である。
親の子供への理想の愛というのは「やってあげる愛」でなく
「見守る愛」なんだろうなとも思う。
これは本当に難しい。
自分本位の親の自分には 殊更難しい課題のようだ・・・・

上下の弊害

2005年01月17日 13時49分15秒 | 独り言
うちの次男は兄である長男を
「○○!」と名前で呼ぶ。しかも「○○君」や
「○○ちゃん」なんて可愛い呼び方じゃなく呼び捨て。
昔の長子制度が大好きな人達にとっては この弟が
兄を呼び捨てにするという行為は許せない行為らしく
次男は夫婦どっちの実家に行っても おばあさまから
お叱りを受ける。
それでも次男は二人目特有の「どこ吹く風」なる態度・・・
こんな態度はますます おばあさま達の怒りをかい
自分の実家では
「母親のお前が許しているから こんな態度で・・・」
関係ないとばっちりもこっちに掛かってくるから たまらない。

おばあさまに気に入られないは ともかくとして
呼び捨てにされている兄である長男が嫌ならば
親としては直さなければいけないと 以前 長男に
それとなく聞いた事があった。
次男に呼び捨てにされて嫌ならば 変えようじゃないかと。
意外にも長男は全く気にしてない。これがいいと言い出した。
なーんだ それなら話は早い。それでいいじゃないかと・・
それ以来 どんなにおばあさまの怒りをかっても
夫婦揃って知らんぷりをしている。

まあ、次男も本当に小馬鹿にして兄を呼び捨てにしている訳
ではなく 親の自分たち夫婦が長男を呼んでいる名前を
そっくり真似て育ってきたにすぎない。
言葉を覚えたての子供というのは 物真似名人でなんでも
親の言うことをオウムのように真似る時期がある。

自分が専門屋(夫)を
「おーい」や「ちょっとお~~」や「ねえねえ」で呼んでいると
知らず知らず次男が父である専門屋(夫)を
「おーい」で呼んでいた時もあった。
ちょっとこれはさすがにねえ・・・・・という訳でそれから
「おとうさーん」と呼ぶようになってしまった・・・・

そういう事情で結局は 親である自分たち夫婦は振り返ってみると
長男を「お兄ちゃん」という名称で呼んだ事がないのだ。
いつも呼び捨ての名前。怒るときも褒めるときも
「○○!」だから次男もこうなのかもしれない。
自分が二人目で育ったからではないが 自分の中では
長子だから偉いとか偉くないとか そういう意識は全く無い。
兄だから姉だから我慢する事も嫌だろうし だからといって
優遇される事もなくていい。
要は 先に生まれようが後に生まれようが同じという事だ。

ただ どんなに同じにと親は思っていても 上下の弊害は
生まれる。絶対 平等に育てるなんて出来やしないのだ。

だから息子達が小競り合いをする度 どうしても こっちは
「兄だから」という理由ではなく
「とりあえず先に生まれているから とりあえず お前の方が
 今は先に考えて行動していけ」と長男に諭す事が多い。
長男からしてみれば先に生まれたのは自分の意志でもない訳で
勝手な母のまとめ方だと言わんばかりの不服顔だが しょうがない。
「お兄ちゃんだから」
「お姉ちゃんだから」
だから我慢しなさいという言葉は 使った事はないが
自分より立場が小さい者に対しての 譲り合いや我慢は
兄弟間というだけでなく 他の世界でも一杯出てくる。
それを長男には学んでほしいとも思うのだが・・・・
なかなかうまくいかないようである。

こんな親達の 呼び方一つにもあれやこれや考えている中
次男は友達には「僕のお兄ちゃんはねえ~」などと
いつの間にか使い分け(?)なる事を学んでいたりする・・・
二人目というのは やはり一人「どこ吹く風」の存在だ・・・

勝ち負け

2005年01月14日 15時20分32秒 | 独り言
恥ずかしながら ついつい最近「負け犬」という
言葉を「へえ~~~こういう意味なんだ」
と知った。とっくのとうに流行っていた言葉だそうな・・
本当に世の中の動きに疎いから 知り合い達との
会話でわからない言葉が出てくる時に
「何それ?」と素直に暴露しないと とんでもない事になる。
知ったかぶりは、一時の恥じゃなく結局は自分が苦しい。

そんな事はどうでもいいとして、自分にとっては
一応 まだまだ新しい言葉である「負け犬」
「そんなに負けているという事なのかあ~~??」
甚だ疑問・・・・

仕事をバリバリこなし とりあえずは生活には困らない
独身女性・・・・う~~ん いいなあ~だ・・・・

人間は、ないものねだりの我儘だから自分みたいな
単に結婚している、だから一応 子供もいる。でも何?
みたいな存在から見れば 自分の力で稼いでる!
それが羨ましい・・・・
本当は、結婚もして子供もいて でも仕事も充実していて
というのが理想なのであろうが、全てが完ぺきに
揃うというのは難しい・・・・

仕事は手は抜けないし 子供も手は抜けない。
きっと真面目な人ほど 充実した仕事ではなくなるだろうし
家庭も子育ても楽しい巣から程遠くなっていくような・・
そんな気もする。どっかに手を抜くという皺寄せは、どっかに
出る。まあ、ソツなくこなす方もいるだろうが
そんなに人間 器用じゃないとも思える。

人の勝ち 負けは本当に表面では わからないものだ。

結婚しても負けている人達は一杯いるだろうし
結婚してなくても人生に勝っている人達も一杯いる。
要は 今ある自分に満足出来ているか どうか・・・・
そうなると自分は、両者どっちに転ぶのか・・・複雑!!

因果な子供の世界

2005年01月12日 17時11分00秒 | 独り言
子供というのは結構大人の話を聞いている。
「子供だから大丈夫」
なんてタカをくくって あれもこれもと余計な内輪話を
大人同士していると とんでもない痛い目にあったりする。

以前 近所の知り合いが夫の実家で義母が孫である娘に
「ママの料理で何が好き?」
こう質問していたらしい。すると娘は間髪入れず
「ポケモンカレー!でもね、ママの方のおばあちゃんは、
 そういう事言っちゃ駄目って。だからママの手作り
 カレーが一番好きよ!」
固まり~~の嫁と姑であったらしい・・・・(汗!)

♀は特に♂よりも機敏に母の話している事をダンボになって
聞いている傾向があるらしい・・・・
これは本能か はたまた習性か・・・・

自分も小さい頃 母方の祖母が入院してお見舞いに行ったとき
母と親戚の人達が病室の廊下で これが最後だとか
もう長くないとか そんな言葉をヒソヒソ悲しそうに
話しているのを聞いていた事があった。
祖母は心臓が悪く この入院が最後だったからもう
末期の状態だったのかもしれない。
そんな状態で病室に入った私は開口一番 
「おばあちゃんは、いつ死ぬの?」こう聞いた記憶が!
即 病室から出されガミガミとお叱りを受けた覚えもある。

だが幼かった私を弁護するならば 大人のような意地悪い
「いつ死ぬんだ!?」という気持ちではなく
大人達が祖母が死ぬような事を言っているのが悲しくなり
「死んじゃうの?本当に?悲しい!!」
という気持ちで一杯だっただけなのに・・・・・
それがうまく表現出来ないのも子供の特徴だ。

子供というのは、この場面では言ってはマズイとか
この話をこの人にしてしまうのは・・・・という機微な
大人達の怪しい心の揺れは、悲しい性で全くわからない。
故に厄介である・・・・・

子供から言わせれば 
「そんなに聞かせたくない話なら どっか他でしてくれ!」
そう言いたいところだろう。しかも大人達がヒソヒソ声を
潜めて話している内容といったら 大体は人の陰口だったり
悪口だったりと・・・・・
昔は、小難しい顔して大人達が囁き合うのを 物凄く難しい
事を話し合っていると超勘違いしていたものだ。
フタを開ければ 大人の会話は 子供の会話以下の事もある。

言い訳や口答えをすれば やれ生意気だ屁理屈だと片付けられ
まあ、子供の世界も大変だよなと まだまだ子供が抜けきれない
こんなおばさんも つい同調してしまう。

その前に早く自分がしっかり大人にならなければと
思うのだが、そんな自分が親なんだから呆れ返る・・・・


SOS

2005年01月12日 09時15分40秒 | 独り言
子供というのは、何か心にあると必ずSOSサインを
どっかに出しているらしい。
例えば 急に乱暴になるだの 体調がおかしくなるだの
逆に冗舌になるとか・・・・・

愚かな事に こういう内容の本とか読んでも
どこか自分の子供とは違う世界の事だと勝手に
思い込む節が親には少々 あるような気がする。
それに自分も他人様のお子様の分析や テレビの話での
子供の事には 殊更 冷静に客観的に見れるのに
自分の家の事となると全く駄目になる。

思い出せば 自分の小さい頃も
「あれは自分にとってはSOSだったんだなあ~」
という事が 今更になって思い出される事がある。
当の本人がこうなのだから 一体どの程度の親が
冷静に我が子のSOSなるものを発見出来るのだろうか。

両親共に共働きで実質、自分の母は殆ど父方の祖母だった。
寝るのも祖母。お風呂も祖母。果ては学校の授業参観
懇談会という行事も祖母。運動会のお弁当から
高校までの日常のお弁当も祖母の手作り。
まあ、鍵っ子なるものを経験しないだけでも恵まれていた方だ。
それでも「母じゃない!」という不満は沸々とどっかで
沸いていたのか・・・・・

ある時期 母に無理難題をひっかけた時期があった。
それが くっだらぬ無理難題。
雪の舞うような凍てつく寒い日に祖母が用意した
ズボンじゃなくミニスカートを履いて学校に行くと
言い出したり・・・・・

出勤前の忙しい時間帯に 訳のわからぬ娘に振り回され
ヒステリー気味になってタンスを引っかき回している
母の姿を今でも覚えている。

自分で言うのも小っぱずかしいが 小さい頃は本当に
大人しくて物分かりのいい子供だったから(本当に!)
頑としてスカートじゃなければ嫌だと言い出した娘に
周囲はびっくりしただけだった。

その後も 母親が困る事をやってのけた記憶はある。
その度に言われたのは
「祖母に甘やかされて我儘になった!」
その一言。今の自分ならば どんなに言い返せただろうか。
子供の悲しさでうまく反発も出来やしない。

その一言以来 困らせ事はプツッと消えた。
だがそれから数年 定期的に自家中毒という変テコな
病気に苦しめられた。胃液が出るまで吐くという辛い
症状だ。大体は疲れているの一言で片付けられたが
何かのSOSだったのかな~と今は冷静に思う。

世の中には一人親だったり親が離婚していたりと
もっと複雑な環境で育った人もいるというのに
自分は、よっぽど弱い精神だったと思われる。
それでも あの時の自分のSOSを拾えなかった母と父は
やっぱり今 同じ親である自分から言わせると
親失格のところは歪めない。

親失格の親に育てられた自分も 大層そういうDNAを
持っている事だろう。
こういう時ほど この因果関係を鬱陶しく思う事はない。

SOSを拾えるのか・・・・
こんな課題もあるから 親には向いてない・・・・

本性見えたり

2005年01月11日 10時47分40秒 | 独り言
先日のスキーでケガをしていた。
誰が!?子供なんかじゃなく この自分!
ああ、情けなしの一言だ。

本当に下手くそスキーヤーだから 初心者コースオンリー
しかもユルユルとしか滑っていないのに 隣にビュンビュンと
吹っ飛ばすボーダーの若いお兄さんを「オット!」と
除けたその瞬間・・・「ゴグン!!」といういっやあ~な鈍き音。
考えれば 若いボーダーお兄さんを除けなくても
まーったく関係なかった気がする・・・
本当に余計な行動が引きがねとなる・・・・

その鈍き音は右上腕の付け根からしたのだが なぜかその時は
あんまり痛みもなく・・・嫌な予感だけがしただけ。
年取ると痛みまで遅れてくるのか・・・

その夜からジンワリジンワリと鈍痛が・・・
「痛いなあ~~」が夜中には寝返りも出来ず!
まんじりともしない朝には 右腕が上がらない!
着替えもままならぬ自分がジタバタしているのを
息子どもはゲラゲラと受けている・・・・
こいつらには、将来の介護は全く頼めん!そんな腹立たしさの
余裕もなくなっていくほど痛さがアップしていくが
その日が帰る日で 一人ポツネンと部屋にいるのも嫌で
いぶかしげな顔つきの専門屋(夫)を説き伏せゲレンデへ。

いやあ~~やっぱり痛い・・・
しかも右腕は上がらない。リフトに乗っても口数少なく
表情も消えてしまう。
そんな痛い気な母を
「お母さん 静かだね。おっかしい~~ゲラゲラゲラ」
こういう息子達の言葉。
絶対絶対 将来の介護は他人様だ!

結局 後一本滑るという段階で家族とはバイバイ。
帰宅後 時間が間に合ったので知り合いの接骨医に駆け込む。
開口一番 
「奥さ~~ん 日頃 運動してないねえ~~」
ハハア~~返す言葉もありません!

なんでも上腕の筋肉の一本がスパッと切れていたそうな・・・
ヒエ~~とビビるが即付く筋肉だから大丈夫と言われ・・
二日通院して なんとか完治・・・・

筋肉が切れていたと診察結果を家族に言うと
「お母さんの腕切れてるの?見せて!見せて!」
と喜々と人の無残な腕をのぞき込むバカ息子ども・・・
専門屋(夫)は ただただ 心配でなく呆れの表情オンリー。

こういう事で家族の本性 よ~~くわかったと
治った右上腕なでながら 寂しく思う・・・・・・


汚れない台所

2005年01月08日 15時48分13秒 | 独り言
「男子 厨房に入るべき(?)」
という勝手な解釈を自分の中で作っているものだから 
我が家の狭き台所は 専門屋(夫)がよくウロウロしている。
特に中華料理には男の力は絶大だ!
自分がやると鍋も動かさず はし先だけでかき混ぜている
べったり野菜炒め・・・・
だが男の力で回す中華鍋の野菜炒めは心なしか 
安い安い素材のもやしまでシャッキーンと
なってしまうから不思議だ。

「おとーさん すっご~~~い!」
毎度 こう褒め称える。これがミソ。
まあ、男の料理は豪快が特徴な訳だが 確かに
料理後の台所は物凄い事にもなっている・・・・・
でも、そんな事には触れない。これもミソ。

勿論♂である息子達も引き込む。
「おとーさんの作ったのは美味しいねえ。
 二人とも おとーさんみたいになるといいねえ。
 ほーっほっほ~~」という感じで・・・・

だから毎度 ギョウザ作りとハンバーグ作りには
今のところ喜々としてグチャングチャンの手で
息子達が作っている。
これも終わった後は確かにひどい台所・・・・
だが こっちも目くじらは引っ込める。
これもミソのミソ。

台所を汚したくない!
これは個人住宅のお施主様の奥様達は皆思うらしい。
自分も確かに・・・・
掃除しなくていい台所が欲しい!と思ってしまう。
でも考えれば 絶対汚れない台所!なんて無いに決まっている。
料理をすれば どっかが汚れる。荒れる。

料理上手な人は、料理しながら片付けて スッキリ
奇麗に使うもの。
こう言われてしまうと何も言い返せないが・・・・

大体 人が家の中で動くだけで埃が出ている。
人が住んでいる家の中というのは、多かれ少なかれ
どっか汚しながら住んでるもの。
こうやってズボラな言い訳をなんとか丸め
小汚い台所で今日も家族の食事を作る・・・


当面の目標 生まれる

2005年01月07日 11時35分18秒 | 独り言
4日からスキーへ行っていた。
雪質 上々! 天気 上々!
自分の身体 ボッロボロという感じだろーか・・・・
何しろ 即筋肉痛が襲ってくるなら大マシな若き身体。
筋肉痛なんて遥かたってスキー後2週間位して
襲ってくるのが毎度の事・・・・ああ、老体という感じだ。

それにしても毎回 ボーダー族の若い人達で賑わうゲレンデ。
ゲレンデ中央に座り込んでいるとかマナーがひどいとか
とかくそういう噂を聞くが、今回よ~~く観察してみれば
中には好きでゲレンデ真ん真ん中に座り込んでいる訳では
ないらしいボーダー族の方々もいらっしゃる。
それは結構 若いおねーさんボーダー達。
そう、私のスキー同様 失礼な言い方をしてしまえば
下手くそ族。
この下手くそ族は厄介だ。
何しろ自分のスピードが制御出来ない。
自分の身体すら思い通りに出来ない。
だから一回転ぶとそこから動けない。

若いおにーさんボーダーは割と転んでも立ち直りが
早いが、おねーさん達は転ぶと そこで雪だるまと
化している・・・気持ち とーってもわかりますよお~と
言ってあげたくなる・・・・

下手くそ族は、自分のスピードをコントロール出来ないから
狭いゲレンデ中で大概 衝突してしまうのは下手くそ族同士。
上手いスキーヤー達やボーダー達は勝手に除けてくれるからだ。

こんな親に勿論 子供達のスキーを指導出来る筈もなく
毎度のスクールへ一日ぶちこむ事となる。
表向き理由はこんなものだが ものぐさ親達の言い訳
という感じだろーか。
前回も思ったが なぜにスクールの若き男の先生達というのは
揃いも揃って爽やかで カックイ~~という感じなのだろうか。
あの雪焼けした肌に真っ白い歯がいいねえ~~と
おばさんは毎回思ってしまう。
きっと彼らもスキーウェアを身ぐるみとって スキー場じゃない
場所にポツンと置けば「あんた誰?」という存在には
なってしまうのだろうが、これがスキー場マジックと
いったところだ。

マジックでも しばし目の保養。う~~ん次回からは
自分も子供達に交じってスクールにでも入ろうかと
思ってしまうが・・・・・
その前に まだ筋肉痛のおきてない この老体を
何とかせねばと思っている・・・・・

当面 これが今年の目標かな・・・???

正月といえば!

2005年01月03日 11時43分02秒 | 独り言
明けてしまった・・・
毎度一年を振り返る余裕もなくバタバタと正月も
終わってしまう・・・
といっても何やっている訳ではないが・・・・

正月といえば自分の中では年賀状!
こんなにネットが流行ってもパソコンの普及率が
上がっても とにもかくにも年末には
年賀状という厄介な仕事が待っている。
それでも随分と裏表と印刷の年賀状が増えてきた。
かくいう自分も 宛名書きを印刷にしてしまってからは
この年末の仕事が厄介でなくなってきている。

それにしても味気ない・・・・
表も裏も印刷オンリーの年賀状は、単なる印刷物で
正直 もらっても嬉しくない。
とりあえず自分は一言を絶対書こうじゃないかと
思っているが、それでも味気ないものなのかも・・

年賀状というのは結構 各家族の味が出ている。
まあ、お子様のいるご家庭は子供写真付きが圧倒的に
多い。子供だけではなく、まるで家族の記念の様に
絶対家族全員の写真付きという方々も結構多い。
意地悪な見方をしてしまえば ギター侍さんじゃないけど
「人の子供の写真を見ても関係ないんだ、残念!」
となってしまうだろうが、
「去年より こんなに成長してる~~!」とか
「こんなに大きくなっている~~!」と発見出来るのが
楽しい。中には子供じゃなく大人の知り合い達が
みょーに成長してしまって(?)昔の面影なくなって
の驚きもあるが・・・・

一年に一度しか賀状の中で挨拶してない知り合いも多数いて、
今に年賀状は廃止になるとか書く人はいなくなるとか
ネット年賀になるとか言われているが、こういう
大きくなっていく(?)大人の知り合い達の変貌も
見たい自分としては、なくなってほしくないと思っている。

正月早々 年賀状見て ひねくれ屋の自分に出会っている。
トホホである・・・・