設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

憧れ家族物語

2005年05月30日 09時19分03秒 | 独り言
どういう縁があるかわからないけれど我が家の
個人住宅の仕事って なんだか2世帯住宅が多い。
勿論 話がきたのだけで結果にいたらなかったのも
多々(?)ありなのだが・・・・・

現代に多い娘様世帯と暮らすというパターンもあれば
昔ながらの息子様世帯と暮らすというパターンもある。
大昔と違って やっぱり水場は全く別。割り切った
分割の2世帯という希望が多い。
それでも一つの家族だけでも ああだのこうだのと
家ができ上がるまでには 紆余曲折の物語が展開する
家造り物語だから これが2世帯となると年代で或いは
怪しい(?)しがらみで 絡む絡む物語となっている。

でも資金の問題から2世帯へと発展する家族達も多いだろうが
2世帯を!と望んでいるクライアント達は皆 根底は
物凄く家族思いの深い方達が多くて 毎度毎度偉いなあと
素直に羨ましくなる。
子供側からは「いつかは親と一緒に住みたい」という気持ちが
感じられるし 親側は「なんとか子供世帯の力になりたい」
という気持ちが伝わってくる。
まあ、2世帯となるには嫁或いは婿という他人の家族も
加わり 正直ぎくしゃくした感情も生まれる事もあるかも
しれないが これは本当の親子でも同じ事である。

そんなぎくしゃく感情も 根本の思いが覆してしまうような
そんな強さを2世帯を選んだ家族達からは感じられる。

自分も実はバリバリ完全同居2世帯で育った。
確かに家族が多いというのは 平穏が少ない。
まして母と祖母は嫁&姑関係であったから どんなに
お互い頑張っても無理のある部分もある。
それでもいろいろな世代の行き交う家族の良さもある。
そんな現状を知っているくせに 2世帯クライアント達の
家族へ対する思いやりの深さを垣間見る度 自分にはない
感情ゆえに感服する、憧れる。

結局 2世帯で育とうが何だろうが個体の問題なのか・・・

縁あっていろいろなご家族の2世帯パターンを見られる今
改めて ちょっとでも家族思いのある部分が育てばいいのだが
年を取ると何でも素直に吸収するのは難しいらしい・・・・

我が家の2世帯住宅のお仕事は 今の自分にとっては
憧れ家族物語である。

久々に読む!

2005年05月27日 09時30分00秒 | 独り言
久々に 寝不足になる位 読み込んだ本。
もう話題はとうに去ったけど さすがに世界でベストセラーに
なっただけはあるという本!「ダ、ヴィンチ、コード」

話は殺人事件から始まるけど 内容はキリスト教やら歴史やら
宗教と国の陰謀やらと奥深く・・・・・
改めて無宗教の自分は 違った意味で衝撃!という感じに
なってしまった。
だって 罰が当たるかもしれないけど無宗教人間である自分は
イエス、キリスト様が人間であり 妻がいて子供がいてと
聞いても衝撃も驚きもない。むしろイエス様が神の子である
のが本当だとしたら驚いてしまうのだから。
でもこの「ダ、ヴィンチ、コード」では話の基本はこの
イエス様の秘密が大昔の歴史から絡んでくる。
この秘密の為に本当にあの有名なダ、ヴィンチやらモーツァルトやら
ディズニーランドで有名なウォルト、ディズニーまでもが
自らの作品 絵画 音楽 アニメなどなどに その秘密を
隠喩して盛り込ませているとしたら・・・・
そっちの方が実は物凄く驚きなのだ。
なぜ 人間じゃあいけないのか。やっぱりわからない。
結局 神を崇める背景に 都合のいい利己主義的な
人工的なものを感じてしまうのは自分だけだろうか。

本当に宗教の篤い人達は結局 イエス、キリスト様が人であろうが
神であろうが何も関係ないのではないだろうか。
それが信心というものかもしれない。

結婚式の時は確かに教会は使わせていただいた。
あの賛美歌の流れる パイプオルガンの響く聖堂。
神秘的な厳かな気持ちになる事は間違いない。
それが ちょっと自分の中では宗教である。
不謹慎なようだが その教会に神がいたとは思ってない。
でも 自分を見つめ直したり落ち着いて自分を見つめたり
そんな場所に教会はなってくれる。

世界で一番有名な人物といったら やはりイエス、キリスト様。
何しろ一年で尤も騒がれる誕生日を持っている。
そんなイエス様が今生きていたら 一番驚く事は何だろうか。
自分が神なのか 人間なのかで殺人まで起きるという
そんな内容の本が大ベストセラーになっている事。
これを知ったら・・・・きっと驚くのでは・・・・

宗教って やっぱり凄い・・・

5人目の家族の行く末

2005年05月24日 08時52分00秒 | 独り言
「どうにかしなくては・・・この車・・・」
こう夫婦で言い出してから もうどの位たつか・・・
でも言えるのは 絶対 近々 買い替えの時期であるというだけ。

暇のある休日は家族で車のショールームへ行き 査定なんかも
してもらっているが・・・・
そうやって買い替え準備しながらも 実際にこの車が去ったら
なーんか変な気持ちになってしまう気もするのだ。
何しろ夫婦共々 15年位のおつき合い。
自分は車に疎いので 何だかわからないが 車大好き人間には
好まれる車だそうで おかげでマニュアル操作のものしかなく
疎い自分は これがきっかけで(?)ペーパードライバーへと
変身するわ この車種のおかげで(?)何度 警察様の
「止まりなさーい。スピードオーバーでーす。」
この後ろからのゾッとするお声で止められた事か・・・・
しかも後部座席には子供もいて 思いっきりのフャミリー
やっているのにもかかわらず・・・・
我が家よりも イケイケ若者達がヒュンヒュンと飛ばす中
何度となく毎度目をつけられた・・・・
(ちょっと被害妄想かもしれないけど・・)

自分が乗っている時に限って 警察様のお世話になるもの
だから 最初はこの車は♀で自分に嫉妬してるかも!
なんていう妄想もかきたてたりと・・・・
そんな事すら考えたほど 夫の免許はここ何年もゴールドとは
程遠い・・・・

それでも 最初は名字の違う二人が乗り 
そのうち同じ家族になり後ろに子供が一人 
また一人と増えてきた。
そして今は この車のやはり特徴である後ろの狭さが
子供達の成長と共に無理を醸し出している。

車の歴史は そのまま我が家族達の歴史になるようだ。

苦々しい思い出ありながらも なんだかいなくなったら
我が家の5人目の家族が去ったような気になりそうだ。
ちょっと今から 娘を嫁に出す心情に陥っている・・・

特別事業

2005年05月18日 09時46分35秒 | 独り言
最近 ニュースを聞くとやたら「監禁」という言葉ばかりが
流れている。
監禁しなければ 愛情表現が出来ないという歪んだ感情は
毛頭理解に苦しむが 過激なビデオのせいだとか
バーチャルと現実を見極められない世代だとかで片付けるよりも
根本は やはり育ってきた環境が大きいように思える。
そうなると要となるのは「親」らしい。

自分も親だから 主観的なものが多いかもしれないが
最近のというか もう何十年も前から親達自体が壊れている
ような気がしてならない・・・・

本屋に行けば あふれかける育児書の山。
確かに自分も子供が小さい時は ワラにもすがる気持ちで
読んだ記憶もある。でも冷静に考えれば なぜ人を育てるという
事が こんなにも特別扱いになってしまっているのだろうか。
そして こんなにもマニュアル本がなければいけないのだろうか。

個人的な事かもしれないが 長男を生んで実家に帰ったとき
明治生まれの祖母と昭和生まれの母では 赤ん坊に対する
態度も全く違ったし 育てるという意味も全く違っていた。
二人とも自分から見れば もう一人の人格を育て上げた
ベテランであるが 母はともかく少しでも赤ん坊が泣けば
母乳が足りないのでは 眠いのではと 泣いている原因ばかりを
自分以上に気にしていた。まあ、それは母自身の性格によるものかも
しれないが 赤ん坊をとにかく家族の中で特別視する傾向は
強かったように思える。方や祖母は あの戦時中に8人育て上げた
だけあって 反応は全く違っていた。
赤ん坊も人間。赤ん坊も家族の一員。人を育てる事は特別な事でも
なんでもない事。そんな言葉は言わなかったけど 祖母の
態度はいつもそうだった。

あれから10年。ちょっと冷静に自分たち親子だけじゃなく
周りの親子を見渡せば やはり子育ては親にとって何か特別の
事業を展開しているような感じが多い。でもその特別が子供に
とっては歪んだ感情へと発達していっているのは 悲しいが
当事者の今「親」をしている自分でさえわからない。

ただ言える事は 人が育っていくというのは昔から特別の事じゃ
なかった筈だという事だ。きっとマニュアルも指導書も
必要なかった。必要なのは育てる人がごくごく「普通」の
事を自らしている事なのかもしれない。

最近 子供の事件やこういう監禁事件が起こるたび 暗くなる。
それと同時に不安にもなる。
もし「こうなってしまったら」こんな気持ちがいつもある。
子供にどんな教育をさせるか どんな事をさせるか。
きっとこんな事より自分たち親が人に迷惑をかけないで
「普通」に生きていればいいのではないだろうか。

亡き祖母の こんな言葉が聞こえてくるようでならない。

相矛盾な(?)悩み

2005年05月16日 14時37分17秒 | 独り言
もうすぐ誰もが憂鬱になる梅雨のシーズンがやってくる。

毎日 雨。毎日 どよーんとした灰色の空。
そして家のカビや湿気の気になるシーズン到来だ。
最近では高機密&高断熱の家が売り物だから きっと大昔の
家々よりも密閉度が高い代わりに結露などが生じやすい。
まして あまり考えもしない間取りで建っている家などは
結露で壁紙がはがれたり 窓のサッシに黒いカビがビッシリ
なんて事もあるらしいのだから・・・・

「結露がひどい!」
こんな話も知り合い達からよく聞く。
その知り合い宅 窓を拭いても拭いても 結露で下が
水だらけになるとか。

確かに構造上 間取り上 家自体に結露やカビが出来やすい
家というのもあるだろうが 使う側がよりその悪条件を
増やしている場合もある。
よく結露が多いと嘆く人に どんなふうに暮らしているか
それとなく聞いてみると まず窓を開けるという行為をしない人が
多い。真冬でも30分くらい 風の通り道をつくるように
家中の窓を開け放す事も大事らしいが 嘆く方々は特に
冬などは朝から閉めっきりの部屋で暖房ガンガンといった具合だ。
それと浴室やトイレの換気扇をコマメに付けないという方達も多い。
浴室などは使用後 換気扇があれば二時間位 作動がいいらしいが 
これもせいぜい数十分という。だから使用後 何時間たっても
浴室を開けるとムッとする蒸気が漂ってくるとか・・・

そして最後の決め手は 嘆く方達の多くが雨の日などは
家中に洗濯物を干すらしい・・・
うーん これをやってしまうと 確かに湿気は増えてしまう。
何しろ家の中にバケツで水をまいているような行為
(ちょっと大袈裟か!?)なのだから。
我が家も商売上 このテの相談は多く 家の中で洗濯物干場が
欲しいなどという 少々相矛盾(?)したご希望を伺うと
夫などは毎度 乾燥機などをお勧めしている次第だ。

どんなに湿気やカビに強い!なんていう家を建てても
住む側によっては100%防げる家なんていうものは
出来ない話。

窓を明けて埃が入ってくるのがカビよりも嫌だと
おっしゃる方もいる位だから 自分の家で何を重点的に
持っていくかで暮らし方や 家の傷み具合も変っていく。

自分なんかは 埃は拭けば奇麗になるがカビは 厄介な
病気の元源になるような気がして ついつい真冬でも
ヒー寒い!と嘆きながら 一日一回は窓開け作業となってしまう。

まあ、こんな家族の健康の為!みたいな事を言っているが 
根底は なるべく厄介な掃除をしなくていい方向へと
こじつけているだけ・・・
家族達には とっくにバレバレである・・・

口コミ

2005年05月12日 09時16分25秒 | 独り言
GWが終わると 勝手に心はもう夏休み~~~
毎年 資金がないくせに夏の旅行を計画したがる・・・

やっぱり自分の中では夏といえば海水浴。
あの砂や汗にまみれながらも それでもどこからか
しょっぱいような匂いの風に吹かれ ドドーンという
波の音聞きながら うたた寝・・・ああ、やっぱりこれがいい。

という事で 暇時間出来るとカチカチとネットで海水浴検索となる。
本当に便利な世の中になったもんで・・・机上にいながら
全国各地の情報が入ってきてしまうのだから・・・
そこで最近 はまるように読んでしまうのが 宿泊施設の
口コミ情報というもの。
ここは最低だとか 料理が美味だとか いろんな見ず知らずの
方達が情報を寄せてくれている。まあ、勿論 主観が入るから
話半分と読んでるが それでもこういう影響って大きい。
この間も電化製品の口コミ情報なんぞを見つけ 隅々まで
読破してしまった。

主観だと思いながらも10人のコメントで10人NO!を出してると
さすがにその商品は本当に悪いらしい・・・と勝手に心が
洗脳されるから不思議だ。

そして口コミ情報読みながらも ふと頭に浮かぶ。
「なんで建築関係って口コミ情報ないのかな!?」と・・・
もしや どっかにあるかもしれないけど・・・・・
それで夫に
「なんでないのだろー。なんでないのだろー。」
しつこくしつこく言い回っていたら
「リピーターいないからじゃない」との答え・・・・
うーん なるほど~~~かもと・・・確かに
「ここは最低です。次回からは頼みません!」なんて口コミしても
その「次回」は多分 大方の方達はないのだから・・・

本屋にいけば「信頼出来る工務店100選」だの
「間違いだらけのハウスメーカー選び」みたいな本には巡り合えるけど
実際に家を建てた人達が率直に言い合っているような代物には
巡り合ってない・・・・それにある人には最高に良かった家造りでも
他の人に同じやり方でやったとしても それが最高になるか
わからない世界という事だろうか・・・・

それでも これから家を!と思っている人達にとっては
何でも情報ってほしいのじゃないかとも思う。
それもやたら良い情報だけじゃなく 本当のナマの情報ってやつを。

まだまだ この世界ってやっぱりわかりにくすぎ!
と、ブーブー言うものの建築関連の口コミが充実したら 
我が家は批評される物体へと立場は変る訳で・・・・・

うーん やっぱり口コミは 読んでいるだけに限る・・・

貧しても・・・

2005年05月09日 15時03分50秒 | 独り言
脱線事故の余波なのか 最近は線路の置き石事件が
頻繁に起きているとか・・・・
それにJR西日本の運転士に嫌がらせをしたり罵倒したりと
なんだか外野ばかりがめちゃくちゃらしい・・・

呆れ返る事ばかりだ。

「貧しても貪するな」
こんな言葉をある本で読んだ事があるが 外見の貧しさじゃなく
心の貧乏で自分を貪に追い込んでいる人達が多過ぎる。

置き石をしたり 嫌がらせをしてみたりと結局 被害者の方達と
遺族の方達を面白がっているだけにしか思えない。
これがいい年をした大人達のやる事なのだから
ますます 開いた口がふさがらない。

この世で一番はかないものは 本当に人の命かもしれない。
さっきまで同じように自分と同じこの世界の空気を吸って
同じ世界に存在していた人が あっという間になくなってしまう。
あっという間に自分とは全く別の個体と化してしまう。
しかも一瞬にして。
まだ自分には こんな経験はないけれど いつ降りかかってくるか
いつ訪れるか 絶対ないという人はいないのだから・・・・

だからこそ生きている間は 自分を貪する方向に持っていっては
いけないのだとも思う。
外見の豊かさは 悲しいけれど一生豊かに出来ないという場合も
あるだろう。でも心の豊かさは どんな人にも出来る筈。

弱くてもいい。臆病でもいい。
心が貧乏になるより よっぽどいい。
自分の出来る範囲の心の豊かさを 日々大きくしてほしい。

最近 こんな大人になってほしいという子への勝手な願望が
どんどん変化していっている自分に気がつく・・・・・


いざ 鎌倉!

2005年05月07日 17時08分00秒 | 独り言
GWもいよいよ終盤。
人は多いし 物は高いし サービス悪いしで
こういう時は外に出ないのが一番らしいが・・・・・
毎年 こう思いながらもどこかへ出かけてしまう。

なんだか大河ドラマの影響じゃないのだが 前々から
あー鎌倉 あー鎌倉に行きたい~~~という気持ちがあり
とうとう連休中に行ってしまった。

感想・・・やっぱり後悔・・・人がどっから降ってくる?と
思うほど一杯湧いていて(?)鎌倉情緒に浸るどころじゃあない!
それでもギューギューに詰め込まれた江ノ電に乗り
ヒーヒー言いながら大仏を目指す。
何年ぶりの大仏だろうか。感慨に陥る隙間もないほど そこにも
人 人 人の群れ・・・・・

それにしても鎌倉は大分前から確かに観光地だったけど
ガッカリする位 街が商売で沸き立っている。
鎌倉名物なんて書けば何でも売れてしまうのだから。

片手に鎌倉案内マップなんていう雑誌を持ち圧倒的に
女性軍団が多い観光地。
小町通りにはお洒落な店が並び 普段はヒョー高いなんて
敬遠してしまう和食のお店も なんだか鎌倉にあると
足が向いてしまうようで どの店も女性客でわんさか状態。
今や歴史の街。古都鎌倉というイメージよりも
実は新しき 女性陣が尤も好む街へと変貌を遂げているようだ。

そんな鎌倉熱に浮かされてか 批判しながら ついつい
目は可愛らしい竹細工のある店などを見つけると どれどれと
覗いてみたくなる。

足を伸ばして江ノ島に行けば 新鮮生しらすなんていう看板を
又々 主婦根性丸出しで高いだの 観光値段だのぶつくさ
言いながら 結局買わずに文句だけ残して通り過ぎる。
そうして人にもみくちゃにされながらの鎌倉日帰り旅は
やっと湘南モノレール経由で帰途につくという終焉を迎える。

そしてフと電車内で息子どもから
「鎌倉の大仏って誰が何の為に造ったのかな?」
こんな質問を受け ハタと固まる一同・・・・
一体 何しにいったのやら・・・・???

それでも 自分の中では「いざ 鎌倉!」
なんだか不思議な魔力の街に つい魅かれてしまうようだ。

病院にて学ぶ

2005年05月02日 19時27分14秒 | 独り言
今日は とある事情の病人の付添の為に ほぼ一日病院で過ごした。
紹介制と救急しか受け付けない総合病院なので患者数は
普通のマンモス病院より うんと少ないが それでも
連休の合間のせいか待合室には人が多い。

車イスの人。機械をぶらさげている人。痛々しい包帯で
ぐるぐる巻きになっている人。
病院という建物に入れば 外の世界でどんな地位にいる人も
弱き患者の同じ立場になる。本当に不思議な世界である。
そして健康体にとっては勝手ながら 病院ほど 
ドーンと心が疲れる場所はない。

病人が心臓MRIという検査があったので検査室の待合室で
ひたすら待っていると なんだかひどく退屈そうに
自分が見えたのか ドーンと暗そうにみえたのか
隣に座っていた見知らぬおばあちゃまが自分に
あれやこれやと盛んに話しかけてきた。

70過ぎくらいかな・・・・そう思っていたが・・・・
予想は遥に超えて82歳だった。とにかく元気でよく笑う
おばあちゃま。息子と娘はそばに住んでいるが自分は夫婦
二人暮らしだとか。孫が4人いるだとか。老人クラブの
習い事で一週間びっしり予定が入ってるだの カカカと
笑いながらよくしゃべる しゃべる。はてさて どうして
ここに?という感じだが 時々 心臓がズーンと痛い時が
あるそうで・・・・今日はその検査だとか・・・

「心臓も82年 動かして怠けてるのかな。カカカ」
なんて笑い飛ばしてる。
それでも時折 目を遠くに飛ばしては 年老いると心が
病気になる時があるんだという話をしてくれた。

なんともいえず寂しい気持ちになってしまうのだという。
それは言葉でなんとも表現出来ないという。
それを忘れようとする訳でもないが なるべく人と会ったり
外に目を向けているのだという。
そして毎日の日課は日記だともいう。
書く事は なんでもない日常だけれども最後の締めくくりは
必ずこう締めるとか・・・
「今日も一日 元気に暮らせました。ありがとう。」
別に誰に感謝している訳でもないけど 今日一日幸せだった。
ああ、良かったと感謝して寝るそうだ。

なんだか どんなにお金がある人や地位の高いと言われる人。
そのどんな人よりも このおばあちゃまは幸せな人なんだろうなと
感じてしまった。
人の幸せって 案外こんなものなんじゃないだろうか。
案外 こうやって転がっているものなんじゃないだろうか。
そして転がっている幸せを見つけられるのか踏みつけるのか
それも結局 自分らしい。

病院にて学んだ一日・・・・