設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

正直に映るのは・・・

2005年08月31日 09時31分00秒 | 独り言
「写真撮るよ~~」
最近 この一言を聞くと逃げ回る自分がいる。
今は デジカメなんていう大層 便利な物があるから
撮った楽しみはあっという間にその場で確認出来る。
やれ写真写りが悪かっただの 良かっただのと
後から思い出と共に振り返る楽しみも この便利なデジカメの
登場であっさり消えてしまった。
それと同時に さっきまでの自分が色濃く その場で
再現されるのである。

よく子供の隣に立って 同じように若ぶって
「ピース」なんて柄にもなくやってしまい
後から どれどれと皆で覗き込むと 我ながら
「おお!」っとびっくりする代物が映っている。
勿論自分なんだけど・・・・この妖怪のような女は・・・と
恐る恐る見れば 子供の隣の自分であったりする・・・

最近はそれに輪をかけて 手なんかがアップに映っていたりすると
そのガッサガッサの手が 老婆のようで・・・・
絶対映りたくないぞ!と決心させれてしまう。
悲しい事である・・・・

思えば昔はこんな風でなく
「写真撮るよ~~」となると 真っ先に映る~と
飛び出したものだが・・・・・
それでも写真写りが これでバッチリ!と喜んだ時はなく・・
結婚式の写真ですら 今もあまり見たくない代物である。

写真はともかく正直者。いくら若ぶっている人も
写真では見破られるというが 本当にその通りかもしれない。

で、この間 買い物に行ってお金を払っていたら
「おお!」っとびっくり!目の前に妖怪ババが!!
と思ったら精算レジでお金を払っている自分が鏡で
映っている。

「あのスーパーの鏡 ドッキリするよねえ」
以前 近所の友もこう漏らす。やっぱり皆も知っていたらしい。

あの日から なんだかそのスーパーでお金を払う時は
妙にソワソワする。なるべく目線をあげないようにと
いう感じで・・・

ついに写真だけでなく鏡まで苦手になってきている。
正直に自分が映る物は 何でも苦手である・・・・

雑種的街

2005年08月29日 10時59分21秒 | 独り言
「浅草にサンバが来る!」という事で週末の土曜に
いざサンバ!と張りきって 家族で浅草まで行ったが・・・
見れたのは人の山だけ・・・・という状態・・・
かすかに 多分グラマーな外国のおねーさんが身に付けている
衣装の頭の羽部分が人だかりの中からチラチラ見えるのみ・・・
こんなにも凄いものだったとは!!
グラマーなおねーさんを見に行く!というのが専らの目的で
あったらしい♂達家族は 残念そうであったが・・・
一体何しに行ってるのだか・・・・
考えれば 浅草の人込みは元旦の初参りもそうだったし
いつか行った事があるが 隅田川の花火大会もそうだった。
なんだか浅草=人込みという印象ばかりである。

帰宅してテレビをつけたら バッチリ ニュース番組で
奇麗にサンバを踊るおねーさん達が映っている。
やっぱり生でみたかったけど・・・
あの人だかりは 一種の恐怖すら感じたから もう二度と
あの人込みには戻りたくない。

浅草は 割と自宅から近いので良く家族で出没してしまうのだが
駅に降りると なーんか特有の匂いがあり・・・
これは上野駅と共通しているような・・・・
「あんたの鼻がおかしい」と家族達からは毎度言われるが
自分には街の匂いというのが あるような気がしてならない。

たまに映画を見に銀座へ行くが ここは なーんかキツイ
香水の匂いが時々する。
外人さんが多いせいか 若きOLさん達が多いせいか
たまたま香水売り場を歩いた時の印象が残っているのだか・・・

浅草や上野は この銀座臭と比べるとやや違う・・・・
ちょっと庶民的というか・・・なんというか・・・
ちょっと言葉では言い表せなく・・・・(?)
あの食べ物屋さんがゴミゴミと立ち並ぶ町並みのせいなのか。
それでも浅草は やっぱりなんか面白い街である。
川あり寺あり近代的な建物と古い昔ながらの建物が
ミックスされた そう言葉は悪いけど「雑種的」
それが なーんだかホッとさせる。
駅にドーンとそびえたつ松屋も なんだか客層は
年期の入ったオババ様達で一杯だし そこがデパートらしく
なくて なんだか落ち着くし。

雑種的な街が大好きな 雑種的人種の自分。
つい駅を降りると 鼻がヒクヒクしてしまうけど
足が向いてしまう不思議な街である。

贈り物

2005年08月25日 17時08分58秒 | 独り言
先日 随分久しぶりに純粋に友にプレゼントを贈った。
大したもんじゃないが・・・・
やはり人に何か「贈ろう!」と決心してからは
なんだかウキウキし始める。
昔からのくだらぬ癖で くだらぬ自己満足かもしれない。

大体 いくら歳を重ねても 人からもらった贈り物というのは
無条件で嬉しい・・・・たとえちっぽけな物であろうと
たとえ祝いたくもない誕生日であってもだ・・・・

小さい頃は なんだかマイブームのように家族中に
プレゼントをまきちらした時期があり・・・・
やれ敬老の日だとか母の日だとか・・・
大人の喜ぶ顔が見たいと思っていたのか いいように
解釈すれば奉仕精神が多かったのか・・・・

その奉仕精神が向ける目は 次第に家族から外部へと
向けられ 社会人になっても やたら友などに何か贈っていた。
勿論 お金がないから誕生日には 手書きのカード位だったけど・・

「昔 くれたんだよ~」
なんて大昔の 自分のこっぱずかしいカードを後生大事に
持ってくれる友もいたりして・・・
「いやあ~~昔は変だったねえ」
なんて改めて 大昔の出来事に恥ずかしくなる。
それほど 今は純粋に誰かに贈るなんて行為に遠ざかっている。

母の日が近づけば・・・ああ、花か・・・という程度だし。
お中元やらお歳暮やらと 全て何か因果関係の絡んだ商品を
機械的に選ぶのみである。
夫に何か???そう考えるものの 結局 無職の自分が
何か贈っても元源は夫自身じゃねえ~~という言い訳で
締めくくる事になり・・・・

だから先日は なんだか久しぶりにウキキの気分になった。

あの赤いリボンをヒラヒラ解く時の気持ちは 子供の頃の
ワクワク感と同じである。
でも やっぱり誕生日には贈り物を見たくない歳になって
きている。というより 誕生日が来ないでほしいと毎年
思ってしまう。

贅沢な悩みであり 悲しい現実であるけれど・・・

贈り物は やっぱり贈るほうが断然楽しいのだ。

スの自分

2005年08月22日 10時38分05秒 | 独り言
文字には その人の性格が出るというが
文字自体より やはり書き方とか言い回しに
その人の個性や性格が どう隠したところで出てしまう。
暑中見舞いや年賀状を見て毎度そう思ってしまう。

物凄く 相手に気を使う人は やはり手紙一枚にも
気を使っている。自分の住所の欄はきちんと書いてあるし
郵便番号まで きちんと書いてあったりする。
今は 宛名書きを印刷が殆どだけど 両面印刷されても
絶対一言書いてくる人もいれば 決まりきったように
毎年 両面印刷のままの人もいる。
超失礼だが「面倒だ!!」と叫んでいる声がそういう
手紙にはありありと見えている。

最近 手紙や手書きの文だけじゃなく メールやブログも
その人の何かが丸見えなんだなと感じる。
これだけブログ人口が増えたから 当然 全く知らない人の
HPなりブログなりを参考まで見てしまう機会が多いのだが
なんか独りよがりっぽくて すぐ見るのが飽きてしまうのも
あれば 結構面白い~~どんな人が運営しているのかなと
興味津々になってしまうものもある。

面白いのは やっぱり第三者を意識して造られたものや
独りよがりじゃないもの。
そして自分に嘘をついていない等身大のもの。

別に人にウケる訳に造っているのじゃないという人も
いるだろうけど・・・・・・
だったら 公開しないだろうし どっかで
「見て!見て!」という気持ちがあるから出す訳で・・・

コメントも ちょっと「カチン」という音を
出して書いているのもあれば 明らかに相手が
不愉快になってほしいという意図で書かれたものもある。

顔が見れない。表情が見れない。
その特徴が変なふうに生かされているものもある。

結局 世の中 どんなに便利になって直接人と人とが
会わない機会が多くなろうと 最後にはどんなに隠しても
自分の「ス」というのが見えてしまう。

そうそう 今まで この人のブログいいねえ~と思って
しまうのは やはり「ス」が浮き出るような
正直なもの。
素直に自分に嘘つかないという単純な行為に憧れる
気持ちがどっかにあるから魅かれるのか・・・

なかなか 自分に自信がないと「ス」は出せない。


一致!!」

2005年08月17日 10時35分00秒 | 独り言
先日 元クライアントだった方と連絡をとる事があり
話がちょっと夏休みの話に・・・・

元クライアントご一家 二世帯で7月中旬に海へ行ったと。
「いいですね、どちらですか?」と聞けば 
「房総なんです。」
「うちも行きましたよ。外房ですか?」
「鯛の浦ってところで・・・・・」
鯛の浦??それってこの間 我が家が行ったところじゃん!
「もしや泊まったところって・・・」
「○○っていうところなんですけど 知ってます?」
知ってるも何も泊まったところだし・・・・
いやあ~~偶然で面白いね!と その時は夫とガッハッハで
終り・・・・・

先週の日曜 夫はこの元クライアントの方じゃない
他の元クライアントの方にゴルフを誘われ行く事になり
まあ、建物が建ってさようならという関係じゃない
設計事務所との物造りは こういう面もあり・・・
ゴルフ行く事には全く驚いてなかったのだが
なんと この元クライアントの方もお盆には
房総へ行くという。そこまでは良くある話で
「で、房総のどちらなんですか?」と夫。
「鯛の浦ってところで・・・・」
鯛の浦??また我が家が行ったところ!
「あのお~泊まりの予定は・・・」と聞けば
「○○というところなんです。知らないと思いますが」
それがなぜか知っている。我が家が泊まったところだから。

ゴルフから帰宅して この話を聞いた時は
ガッハッハよりウーンと感心してしまったほどだ。
なんていう偶然!なんていう一致!
房総半島って広い筈だし宿泊施設なんてあふれる程
ある筈だし それより何より鯛の浦って超マイナーっぽい。
それが良さそうで行ってきたけど・・・

元クライアントの方 一人じゃなく二人と同じ場所で
同じ宿泊施設に泊まるなんて不思議だ~~と感じで
しまった。当然誰にも言ってなかったのに・・・

結局 考え方とか好みとか似てるんじゃないか。
そういう結論を勝手につけてしまった。
きっと旅行の場所とか同じように「いいなあ」と
感じてしまうところがご一緒に仕事出来たという
ところだろうか・・・・・

それにしても不思議な一致でありました。

で、近所で仲良くしていただいている子供の同級生の
ママさんが自分が房総に行っている間こんなメールもくれ

「うちも裏窓一家と入れ違いで房総行きます。
 場所は知らないと思うけど 鯛の浦で・・・」

こっちは泊まったところが隣だったけど・・・

こう一致が続くと なんだか怪しくなってくる。

結局 人間の価値観って凄い!と勝手に感動した夏。

残りもん

2005年08月16日 09時31分00秒 | 独り言
子供達がいる夏休みになると 昼のご飯は
やたらと麺類が多くなる。
素麺 冷や麦 冷やし中華に蕎麦にうどん
ちょっと変わりだねでスパゲティと・・・・・

麺類だけでは とりあえず栄養不足かと
とりあえず(本当にとりあず)サラダとか昨日の
残り物おかずがくっつくのだが 生意気にも
「また残り物だよ」なんて兄弟同士囁き合ったりしてる。
文句言うなら自分でやれ~~というところだが
昼間仕事の用がない時以外は我が家で昼を摂る
夫までもが
「我慢しないさい。おとーさんも我慢してるのだから」
なんてくだらぬフォローをしている・・・・

「食べる」という行為は心理的に重要な働きをしていると聞くが
ほとほと 家族のいる日の「食べる事」というのは面倒である。

以前 テレビで御菓子しか絶対食べないという若い
一人暮らしの女の子の一日を追ってたけど さすがに
最後には見てるだけの自分の舌がお茶漬けなんか食べたく
なってしまったほどだ。

朝から まずスナック菓子を一袋。午前中に小腹が空くと
チョコからせんべいからひっきりなしに口に入れる。
でも入れてるものは ひたすら菓子類。
これだけカロリーだけ摂ってと思うけど その女子のは
驚くほど痩せている。

テレビ番組が内科の医者に連れていき 血液検査やら骨密度
やらの精密検査をすると 驚くほどの悪い数値が出てくる。
これにはショックの女の子だが 御菓子食べの習慣は治らない。
そこで今度は心療内科へと連れていく。そこで女の子は
両親が共働きで手作りの料理というのは学校の給食しか
知らないという過去が出てきたのだ。

御菓子をひたすら食べて口を動かすという行為は 単に
食欲を満たすだけでなく 彼女の内面の寂しさや虚しさを
満たす為だったという。

なんだか悲しくなった。
御菓子ばっかりなんてと 単に今風の訳のわからない女の子と
思ってテレビを見ていたが「食べる」という行為に
その人のいろいろな内面が隠れていると知って
一人ぽっちで暗い誰もいない部屋の中で 無心に
御菓子を口に入れる女の子を想像すると なんともいえない
嫌な感情が湧き出てきた。

でも だからといって 何も心入れ替え しゃかりきに
家族の為に料理を頑張る母でもないので 我が家の
食卓は以前のまま 
「ゲー また残りもんがー」
なんていうセリフの出る食卓。わかっちゃいるけどさ~
とりあえず造ってるし 皆で食べてるしとか勝手に
解釈してフタ閉めてる状態。

今に食卓には家族4人が3人となり そのうち2人となり
必然的に 夫婦どっちか一人となるだろう。

ただ「食べる」という行為だけなら 確かに味も
わからなくてもいいから それ相当の栄養価の粒を
毎食 一人で呑込んで生きていくという未来もあり得るかも
しれない。今より科学がより発展すれば そんな食材
開発されそうである。

でも息子が成人してもっともっと年とっても 家族で
文句言いながらも 怒られながらも 皆で共通の
食材をつっつくという光景はなくならないように
思える。

周りがどんどん進んだ世界になっても ただ「食べる」
という行為に様々な心因性が出てしまう人間だから
この中身を持っている限り 変わらない食事のような
気がする。

当分は 我が家も「残りもんがー」のセリフを
聞く事となりそうである・・・・

嫌な部類

2005年08月15日 17時21分30秒 | 独り言
今は美容院に男性客がいても全く おかしくない。
子供の頃は 美容院に男の人が入ってくると皆
ギョッとした顔をしたし お釜をかぶっている人が
足なんか組んでて チラリと見たらモジャラ~の毛が
垣間見えた時なんかバカみたいに
「男の人がパーマかけてた!!」なんて帰宅してからの
話題にしたほどだ。
それが今では 高校生位の若い子からおじさん部類の
方々まで普通の
「いらっしゃいませ~~~」の声で迎えられる。
ギョっと目をむく客もいない。

息子達二人の散髪は専ら1000円床屋だったのだが
近くの美容院が小学生カット970円だと近所の知り合いが
教えてくれたので ケチ丸出し母は専ら その美容院を
子供には利用している。

女くさいだのオカマっぽいだのと散々 美容院に行くのが
嫌だと のたまっていた兄弟だったが 無理やり連れていくと
おじさん臭いシャンプーじゃないだの 若いお姉さんが
多いだの 男の子も一杯いただのと一度で気に入ってしまった。

そこで今日もやや鬱陶しくなり始めた子供達を連れて
毎度の美容院へ行ってきた。
お盆だから 平日だから空いていると予想していったのに
美容院の中は自分と同じような母子で一杯だ。
皆 夏休み中にサッパリする気なのか・・・

その美容院 店員さんたちは若いし多いし元気だし
決して嫌な美容院じゃないのだけど 必ずといって
いいほどその美容院で置いてある化粧品だのシャンプーを
売り込みに来るのだけが気に入らない。

店の方針なのか 絶対見習いというか新人っぽい人が
わざわざ自分の席まで商品持参で
「いかがですか?良かったら?」という文句で
商品の説明を売り込んでいる姿が痛々しい。

ここで小心者は「いやあ~~」とか「はあ~~」なんて
返事を発してしまうものだから 可哀想に
新人店員さんも脈ありとばかりに売り込んでくる。
毎度最後の「すみません 必要ないので」が出るまで
時間がかかるのだ。
案の定 今日も子供を待っている間 何か商品片手に
見た事ない新人お姉さんがやってきた。
何でも肌の角質が塗ってマッサージするとボロボロとれるとか。
実際に手に塗ってみましょうと言われ 相変わらず
「はあ~~」の曖昧をいつ断りに代えようかと思案。
確かに自分の手の甲にクリームを塗るとポロポロと
何かが落ちてくる。

「ほお~~」なんてうっかり声をあげてしまったから 
お姉さんも嬉しそうで でもその時 やはり前で
子供を待っているお母さんだろうか。
「それって 古い角質なくても どこでもポロポロ
 落ちるのよねえ~」
ほらほら見なさいよといわんばかりに 自分の手の平
なんかにもつけはじめちゃって・・・・・

そのまま商品売り込みは悲しくフェードアウトとなったけど
やっぱり おばさんパワーは凄いかも。

会計を済ませる時には 若いお兄さんが又そのお姉さんに
説明され そっちは頷きながら商品買ったりしている。
男の人の方が こういうのは売れ行きいいのかもしれない。

1000円カットを30円ケチリ 何か買わされたら
割に合わない!とばかりのおばさん集団。
美容院側にとっては 嫌な客の部類か・・・・

今の美容院は男客の方がきっとウェルカムなのだ。

悪質ナントカ業者

2005年08月14日 11時32分35秒 | 独り言
悪質なリフォーム業者の話題があったけど 悪質な
葬儀業者というのもあるらしい。
まあ、頷けるけど・・・・

悪質ナントカ業者にとって一般に「知らない世界」
というのは大変 都合がいいのだ。
葬儀の祭壇一つとっても 一体どれが妥当な値段なのか
自分だってわからないし きっと葬儀を出す時の心情と
いったら冷静な判断を下す頭もないだろう。
それにつけこんでというところが 同じ人間のやる事とは
思えないけど 事実 そういう人達は一杯いる訳で
ともかく皆がそういう悪質を冷静に排除していく姿勢を
持つしかないようだ。

一生に一回。しかもその時かかる費用が莫大という代物は
葬儀だけでなく 結婚式もそうであるし やはり
我が家を建てるという事もそうである。
確かに結婚式や家を建てる時は 時間も余裕もある事が
多く どちらかというとお祝い事である。
だが それが危ない危ない。
太っ腹になって金銭感覚がマヒしてきた頃が一番危ない。
これも追加。あれも追加と気がついてみれば予算を
大幅に超えてしまう事は 家を建てる場合も結婚式も
ある話では ないだろうか。

良心的なしっかりとした業者も 勿論一杯あるけれど
家の場合 施工側としてみれば当たり前だが商売。
どんどん予算をオーバーしてもらいたいというのが本音部分。

だから家を建てる時 我が家のような設計事務所が
設計&監理で入るとなるのを絶対嫌う怪しい施工業者もいる。
きちんとしたところは 勿論絶対嫌がったりしない。
なぜなら施工側と設計&監理側と別れても 結局
最終目標は「予算内で良いものを造り上げる」
そんな一致があるからだ。

「自分たちのいいように出来ない」
そんな匂いをプンプンさせて 我が家が監理する事を
嫌がるような業者もいる。
自分たちがいいようにという事は 巡り巡って
そこに住むクライアントの為には絶対いいように
巡ってきやしないのだ。手抜きとはいかなくても
大きな無駄をしている場合もあるし 大きな損失を
している場合もある。そんな無駄や損失を一体
誰が受け取る事になるのか。それは最終的に莫大な
資金を投じる事になるクライアントである・・・・・

儲けが一切無いという商売は 勿論ある筈がない。
我が家だって設計監理料というのを頂いて 商売になっている。
だがその儲けが妥当じゃない場合を この建築の世界でも
たくさん見かける。
しかも「知らないお客」が「美味しいお客」と
なってしまっている。
一体 誰の為の家を造るのか。一体 何の為に造るのか。
その基本が どっかに飛んでしまっている。
そんな嫌な部分も垣間見られる。

きっと悪質ナントカ業者という話題は 悲しいけど
今後も尽きる事はないような気もする・・・・
かといって素人達がやみくもに研究したところで
プロの知識や経験には叶わない。そしてそれを
やったところで家の場合 良い家が出来るとは
個人的には思わない。プロに任せるべきところという
のは 当たり前だがどの世界でもあるのである。

この世界 まだまだ難しい部分が本当に多い・・・・

お盆

2005年08月11日 15時12分51秒 | 独り言
知り合いの旦那さん達を平日の昼間見かける機会が
多くなると お盆の季節だと感じる。
今年は土日が運悪く13,14となってしまい 一斉に
お盆ムードになるのは 来週の月から水辺りなのだろうか。

年々 夏休みは各個人の都合に合わせてという企業体質が
増えていったようで 今は昔ほど一斉に 通勤電車が
ガラガラになる事はないようだ。
それでも建築系の現場などは昔からの体質は全く変わらず
お盆だけが夏休みとなる。
会社にいる頃も お盆を挟んだ週はめっきり電話も少なかった。
いくら世が進んでも この世界には まだまだ古いところが
残っているような そんな感じもしてしまう。

東京では7月に お盆は終わったとか言うけれど
スーパーに行けば「お盆セット」なるものを目にする。
切ったナスだとかキュウリが入った籠だとか
送り火 迎え火に使うワラのような束だとか・・・・・

小さい頃は 祖母が狭苦しい玄関の外で毎度この季節は
燃やしていたっけ・・・・
意味もなく火が消えかけたワラを面白がって飛んでいたものだが
正確には またぐらしく 毎度怒られた記憶もある。

先祖の霊が帰ってくるとか聞くと もうその日から
お仏壇を恐々覗き込む毎日が始まり・・・
今の子供達はお盆という季節そのものも わかっていないだろうし
まして お仏壇のある家だって少ない。
大体 二世帯の家も少なくなっているし 家の中に神棚なるものを
造る家も大層少ないだろう。

以前 個人住宅のクライアントが神棚を是非!と言った事があって
珍しい!と感心してしまったほどだ。
それも自分と同世代の とりあえず若き(?)部類で・・・・
きっと自分なら神棚造る余地があったら他のものを!と
考えてしまうところである。

御洒落な事が大好きなクライアントであったので せっかくだから
ガラスなんかで棚を造ったら なんていう話も出て大層喜んでいたが
掃除がどうなのだろうかなどという現実的な話もあり
今は棚がいつでもつけられるようになっている感じで保留っぽく
なっている。

今はホームセンターに行ったりすると ちょこんと小さな
神棚が売っていたりする。
確かに仏壇でも神棚でも そこに「何か」が実際には
存在していないのかもしれないが そこに向き合う人の心に
意味があるのでは ないだろうか。

そう思うと 大昔 怒られながらも送り火を飛んでいた自分を
思い出す。すると その時の季節を必ず思い出すのだ。
家の中の小さな小さな行事。それが今はどんどん消されていっている。

神棚よりも仏壇よりも 他のことを望む!となってしまっている
自分が住む 殺風景な我が家を 万が一 お盆で祖母が霊となって
訪れているとしたら・・・・

大きなため息をついていそうである・・・・

海惚け

2005年08月05日 17時44分00秒 | 独り言
海惚けしている・・・・
1から4まで 千葉房総へと。
天気は不安定ながらも晴れ間もあり 上々といったところだろうか。
ひたすら初日から海だと 日に当たっているだけで
なぜか疲れてくる老体・・・・

子供達はもっぱらボディーボードを持ち出し 喜々と遊びまくるが
ふとテント内を見れば 父か母が居眠りしている状態。
毎年 年を感じるような・・・・

それにしても海水浴場にはカラーがある。
家族連れの多いところ 若者ばかりのところ
ナンパ浜か!と思うほど ひたすらキョロキョロの同性チームの
多いところと・・・・・・

二日目に若者がごったがえす浜に行ってしまい 超浮きまくりの
我が家・・・・まあ、少しは家族連れもいたけれど・・・
こっちは寝ているだけだから関係ないのだけど
こういう時にも おばさん根性出てしまい ついついナンパ
風景なんかを「へえ~~~」と見入ってしまうのだから呆れる。

ともかく今の男の子達は腰が軽い。
海の家でせっせと飲み物やら とうもろこしやらを女の子チームに
言われた通り買ってくるわという感じで・・・・
こんなに懸命にやっているのに「バイバーイ」なんて最後には
可愛く手をあっさり振られてしまうのだから・・・・
なんとも可哀想な光景だが それも「夏の海!」という事で
許されてしまうのだから不思議である。

夏は開放的なんていうけれど 考えれば普段は下着姿でウロウロ
出来ないのに 海だから 夏だから というそれだけで
女の自分がこっぱずかしくなるほどの露出度水着を平気で
着て歩いている人もいるのだから こっちも不思議である。

それは見せている方も多いに満足かもしれないのでいいのかもしれないが
モラルの開放的すぎるのは いささか閉口した。
ともかくビールを飲めばそのままポーンと捨てられているし
一番凄いと驚いたのは 煙草の吸い殻だらけの浜・・・・
なんだかねえ~~~と又々 おばさん入ってしまったけど
やっぱり開放的になれるのは 元々の締めつけがあるからで
それがないと どうしようもない世界。

そう考えると海惚けのボケーッと疲れ切った今日は
結構 頑張っている毎日があるからか(?)
そう贔屓目に見て 今日はひたすらボケーッとしたい。