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静岡見聞録4 駿府城 なハナシ

2024年09月23日 | 22_静岡見聞録

東京への帰り道、

静岡で途中下車して

日本百名城のひとつ、駿府城へ寄ってみました

 

駿府城は、静岡駅から歩いて10分ちょっと

アクセスのいいお城ですね

 

お堀が見えてきました

おおっ、結構立派なお堀だ!

 

しばらくすると櫓と門も見えてきました

櫓は、巽(たつみ)櫓です

お城らしくなってきましたね

 

東御門橋が繋がるのは高麗門

 

お堀は長く遠くまで続いています

江戸城のと同じくらい雄大なお堀だ

 

高麗門

再建だろうけど、

とても立派な門構えです

 

門をくぐってすぐに右に曲がる感じは

江戸城の桜田門を思い出させますね

 

石垣も、いかにも再建したって感じ

石のカット面がとてもきれいです (^^;

 

狭間(さま)と言うそうです

縦長の四角い穴は、外へ矢を射る窓

丸い穴は、外へ鉄砲を打つ窓

外敵対策です

 

櫓 (やぐら)門

これも立派だ

 

ところで、駿府城ってどんな言われがあるんだっけ?

的な軽い気持ちで行きましたが

勉強不足を反省する訪問でした (^^;

 

駿府城は、

天正13年 (1585年) から

家康が居城として築城開始しました

天下統一する前ですね 

 

そのあと、天正18年 (1590年)

秀吉の命により

家康は江戸へ移封 (国替え) されて

駿府城主は豊臣方の中村一氏に変わります

 

時を経て、天下統一した家康は

慶長10年 (1605年) に

将軍職を二代秀忠に譲り

「大御所」職としてふたたび

拠点を駿府城へ移します

 

とくに、大御所として

駿府城に拠点を移してからは

天下普請と称し

本丸、二の丸改修や天守完成に向けて

各国大名に土木工事、建築工事手伝わせました

完成した建物は、家康の力を全国に示す

壮大なものだったそうです

 

家康は、三河国の岡崎に産まれましたが

隣の強国である今川氏との友好のために

8歳から19歳まで今川家 (駿府) で

質として過ごしています

 

家康の生涯75年のうち

約3分の1が、駿府と駿府城に大きく関わっています

すごいお城だったんだね

勉強不足でした (^^;

 

本丸堀

駿府城には、三重の堀がありましたが

この本丸堀は、幅23-30メートル、深さ5メートルと

本丸を守る重要なお堀でした

 

家康公像

街道一の弓取りと言われた家康

左手には、好きだった鷹狩りの鷹を従えています

 

天守発掘調査場です

 

東御門の内部には、資料展示があります

 

きれいな展示だ ♪

 

駿府の歴史について

わかりやすく解説してくれます

 

これは、東御門にあった当時のシャチホコ

お堀に長く沈んでいて発見されなかったため

いままでその姿を残すことができました

 

巽櫓の資料展示はとても充実していて

見応え充分で、見識を深めることができました

 

こちらは、坤 (ひつじさる) 櫓

駿府城で再建された櫓は

巽櫓と坤櫓の二つです

 

どれも当時のものではありませんが

その時代の景色を思い描くには参考になりました

 

さて、駿府城公園内に

紅葉山庭園も観てきましたが

それは次の回に (^3^)/


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