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佐賀見聞録4 虹の松原 なハナシ

2022年11月19日 | 41_佐賀見聞録

先ほど唐津城から見えた、

虹の松原を見に来ました

 

虹の松原は、

三保の松原(静岡)、気比の松原(福井)と合わせて

日本三大松原に選ばれており、

また国の特別名勝にも指定されています

 

「日本●大なんとか」とか言われると

すぐに飛び付いちゃうんだよなぁ (^^;

 

虹の松原は、唐津城初代城主寺沢広高が

防風、防潮のために

海岸沿い長さ約4,5kmにわたり

約百万本の黒松を植生しました

 

松原の中を歩いてみましたが

ずっとこの光景で変わらず 

そりゃ、そうだよね

松が植えてあるだけなんだから (^^;

 

時間も夕方だったので、

15分ほど松原を歩いて雰囲気を味わうだけに

しておきました (^o^)

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佐賀見聞録3 唐津城 なハナシ

2022年11月19日 | 41_佐賀見聞録

佐賀から、電車に揺られること70分

唐津まで来ました

 

唐津といえば、唐津焼き

 

 

駅前には大きな唐津焼きの像がありました

 

さて、唐津城に向かいます

やっぱり、その土地その土地のお城は押さえておかなきゃね (^o^)

 

唐津城は慶長13年(1608年)

寺沢志摩守広高が完成させました

 

海に面した場所に築城された珍しいケースです

海と城のコントラストが絶妙ですね ♪

 

また、唐津城は

城を要にした砂浜が翼を拡げた鶴のように見えることから

別名「舞鶴城」とも呼ばれています

 

ただし、いまの天守閣は、

昭和41年に作ったものになります

 

 

外観はお城ですが

中は、普通に近代的施設で

2階、3階は資料館になっています

 

5階(最上階)からの展望

海が近くて、いいですね

 

曇っててわかりにくいけど

緑のベルト状になっているのは、虹の松原

 

唐津の歴代城主は

初代寺沢氏、二代大久保氏、三代松平氏、

四代土井氏、五代水野氏、六代小笠原氏と

いろいろ変わっています

なかなか珍しいですよね (^o^)

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佐賀見聞録2 佐賀城本丸歴史館 なハナシ

2022年11月19日 | 41_佐賀見聞録

吉野ヶ里公園から佐賀市内に移動しました

 

こちらは、面浮立之像

鬼面をつけた踊り手が、勇壮に群舞する野外芸能で

悪霊を追い払ったそうです

 

佐賀城公園へ向かいます

 

佐賀城は

もともとあった村中城を拡張整備して

1611年に完成しました

ただし、天守閣は1726年に火災で焼失しており

いまは残っていません

 

鯱の門

国の重要文化財に指定されています

 

反対側から見るとこんな感じ

 

佐賀城本丸歴史館へ

本丸御殿を復元した施設です

 

中は資料館になっていました

 

外に出ました

 

石垣を抜けると

 

天守閣跡地

 

佐賀藩は、二百六十年もの長きにわたり

鍋島家が治めました

その歴史の一端に触れることができて良かったです

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佐賀見聞録1 吉野ヶ里歴史公園 なハナシ

2022年11月19日 | 41_佐賀見聞録

今週末は、福岡博多出張で泊まりなので

例によって、週末観光で楽しみます (^o^)

 

さて、今日は福岡から少し脚を伸ばして佐賀県へ

 

見聞録シリーズ第14弾 佐賀シリーズです ♪

 

佐賀って意外とスルーされることが多いんだよね

普通、九州旅行って言うと福岡、長崎が鉄板じゃない

佐賀は完全に通り道だけ

そこを今回はあえて掘り下げていきます

 

最初の訪問は、博多から電車で80分

 

吉野ヶ里歴史公園に来ました

 

吉野ヶ里と言えば、吉野ヶ里遺跡

弥生時代の生活ぶりを知ることができる貴重なスポットです

 

弥生時代は

それまでの狩猟生活から農耕生活に変化したのが

大きなポイントと教科書で習いましたよね

紀元前5世紀から紀元3世紀までの約700年も続いた長い時代です

 

逆茂木(さかもぎ)

米作りが盛んになると、

水や土地を奪い合う争いが起こるようになり

自分たちの集落を守るために

集落の入口に設置して、侵入から守ったそうです

 

物見櫓(ものみやぐら)

敵が来ないかを見張っていたようです

 

大人(たいじん)の家

 

集会の館

 

煮炊屋(にたきや)

食事をつくるところです

ここで作ったものを各々の家に運んだようです

 

酒作りの家

 

北内郭(きたないかく)に来ました

見えているのは、主祭殿(しゅさいでん)

高さ16.5m

吉野ヶ里集落のなかで最も重要で神聖な場所とされ

田植えや稲刈りの日にちや、戦いや狩りの祈りなど

重要な事柄はここで決められたそうです

 

内部二階はこんな感じ

決めごとを話し合っているのかな?

 

 

三階になると、最高司祭者(巫女)が

神がかって、神からのお告げを聞いていたそうです

 

祀堂(しどう)

歴代の王の祖霊にお供えを捧げ

お祈りをする建物です

 

斎堂

まつりの道具が置かれていたようです

 

高床住居

 

竪穴住居

 

さて、ここは北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)

2100年前の歴代の王やそれに近い身分のひとが埋葬された特別な墓です

 

 

これ、資料館にあった弥生時代のひとの復元した顔

そんなに違和感無いね (^o^)

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