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茨城見聞録9 水戸東照宮 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

本日の最終訪問

水戸東照宮です

 

元和七年(1621年)に

水戸藩初代藩主徳川頼房公が

父徳川家康公の御霊をこの地に祀りました

 

御祭神は、徳川家康公(東照公)

配祀は、徳川頼房公(威公)

 

ちなみに、配祀を調べたら

主祭神のほかに同じ神社の中に

他の神を祀ることだそうです

いろいろ勉強になるね (^o^)

 

 

境内にあった天満宮

菅原道真を祀っています

こちらもしっかりお参りしました

 

これで、本日の水戸巡りは終了

よく廻れました (^o^)


茨城見聞録8 弘道館 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

つづいては、弘道館です

 

弘道館は、水戸藩の藩校として

第9代藩主徳川斉昭により、

天保12年(1841年)8月に創設されました

いわば、昔の総合大学のようなものです

 

建物の一部が保存され

国の特別史跡になっており、

正門、正庁、至善堂は、国の重要文化財に

指定されています

 

尊攘の文字がありますね

斉昭の頃から、尊皇攘夷の気運が始まったようです

 

これは、長持(ながもち)

衣服や調度品の保管や運搬に使われたものだそうです

 

徳川斉昭肖像

 

縁側に掲げてある額

「芸に遊ぶ」 斉昭直筆の文字です

芸とは、六芸

礼(礼儀作法)、楽(音楽)、射(弓術)、

御(馬術)、書(習字)、数(算術)を指し

文武に凝り固まらず、芸を極めるように

という意味があります

なるほどねぇ

 

建物から外を眺めて

ここにも梅がたくさん

 

 

昔は、それなりの立場でないと

通えなかったそうです

いまは、教育の自由があるからいいよね (^o^)


茨城見聞録7 水戸城 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

続いて、水戸城です

日本百名城のひとつです

 

水戸城は、北を那珂川、南を千波湖にはさまれた

日本最大級の土造りのお城です

元は、平安時代末から鎌倉時代初期に

馬場氏の手によって建てられた館に由来して

慶長14年(1609年)に

徳川頼房公が水戸に封じられるとともに

水戸徳川家の居城となりました

 

徳川御三家わかりますか? (^o^)

水戸徳川家、尾張徳川家、紀州徳川家です

ワタシも調べて思い出しましたが (^^;

 

天守は1945年の戦災で焼失したため、

残念ながら現存していません

 

また、水戸城があった敷地内は

いまは高校や中学になっていますが

いくつかは当時のものを復元しています

 

薬医門

本丸と二の丸を繋ぐ門で、

旧水戸城の唯一現存する建造物です

 

杉山門

 

棚町坂下門

 

二の丸角櫓につながる城壁

 

二の丸角櫓

 

中は、史料館になっています

 

二の丸の表門

 

復元したものも含めて、日本百名城を

またひとつ経験できました


茨城見聞録6 水戸学の道 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

水戸駅降りて、水戸城跡から弘道館辺りは、

水戸学の道と言って、

水戸藩ゆかりのものがいつくかあります

 

光圀公像

 

光圀生誕の地

いまは、小さな神社になっています

 

徳川頼房公像

頼房は、徳川家康の十一男にあたり、初代水戸藩主です

 

あらに歩いていたら、黄門様がいたので

写真撮らせてもらえました

 

いい記念になりました (^3^)/


茨城見聞録5 水戸グルメに舌鼓み なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

さて、

水戸へ移動したところで、お昼になりました

 

茨城グルメを楽しみます

さて、茨城の名物料理と言えば

まず、納豆

そのほかに、あんこう鍋があるようですか

ここは、定番の納豆をいただきます

 

てんまささん

 

納豆御膳

納豆オムレツに、いかマグロ納豆、

納豆の大葉はさみ天ぷら

納豆しらす梅肉添えに、納豆味噌汁

納豆三昧

美味しかったです ♪

 

水戸で納豆を食べる

ベタですが、こういうのも嫌いじゃないんだよね (^^;


茨城見聞録4 千波湖 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

偕楽園の横に位置する千波湖

 

千波湖は、偕楽園の下に広がる

自然豊な淡水湖です

 

周囲は約3キロ

最大水深は1.2メートルと低いため

分類上は、「沼」になりますが

昔から「千波湖」と呼ばれています

法律上では、「河川(桜川の一部)」に位置づけられています

 

1周3キロなので、一周してみようとも思いましたが

時間が無いので止めておきました (^^;

 

こちらは、撮り鉄のひとたち

梅が咲く中を通る列車を写真撮影するために

早い時間から待ち構えています

 

スゴいね (^o^)


茨城見聞録3 好文亭 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

偕楽園敷地内にある好文亭

素敵な建物だったので、ご紹介します

 

 

好文とは、梅の別名です

晋の武帝の

「学問に親しめば梅が咲き、

学問を廃すれば梅が咲かず」

の故事に基づいて、斉昭が名付けました

 

現在の建物は、

昭和30年に復元されたものです

 

各部屋で、それぞれの植物の襖絵があり

とても興味深かったです

 

竹の間

 

萩の間

 

桜の間

 

梅の間

 

つつじの間

 

桃の間

 

紅葉の間

 

菊の間

 

松の間

 

廊下から見える庭もいい感じです

 

天井や側面にも、網代(あじろ)があって素敵です

 

中階段を2つ上がって三階へ

 

ほぉ~っ

溜め息の出るくらいの絶景です

 

 

好文亭も含めて、偕楽園さすがでした (^o^)


茨城見聞録2 偕楽園 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

さて、いよいよ本日のメイン

 

偕楽園です

 

偕楽園は、

江戸時代、水戸藩九代藩主徳川斉昭(なりあき)により

造園されました

ちなみに、徳川斉昭の七男が、

徳川最後の将軍の徳川慶喜(のぶよし)になります

 

偕楽園の名前の由来は、

領内の民と「偕(とも)」に「楽」しむ場にしたい

との斉昭の想いが込められているそうです

 

園内には梅が満開 ♪

園内には100種類3000本の梅があるそうです

すごい数だね

 

これだけ梅があると圧倒されます

梅の開花時期に来るだけの価値がありますね

 

こちらは孟宗竹林

梅の多い園内の中で、少し落ち着いた雰囲気を醸しています

 

吹玉泉

岩から水が出ていて、癒しを与えてくれます

 

中門

和の趣を感じさせます

 

 

偕楽園記碑

偕楽園の名前の由来や創設の理由、利用の心得などが

斉昭直筆の文字で記載されています

 

偕楽園内の好文亭は素敵な建物だったので

別ネタで (^o^)

 

これで、日本三庭園制覇できました ♪

「制覇」いい言葉だねぇ (^3^)/


茨城見聞録1 常磐神社 なハナシ

2024年03月02日 | 08_茨城見聞録

茨城県と書いて、「いばらき」けんと読む

知ってましたか? (^o^)

 

さて、今日はひさしぶりの一日ひとり旅

茨城県の偕楽園と水戸を周遊します ♪

 

朝イチの特急でまず向かったのは、偕楽園

金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ

日本三庭園のひとつです

 

いつか訪れたいと思っていましたが

偕楽園は梅が有名で、

2月・3月の週末は

「偕楽園駅」が臨時駅として停まるので

この時期が来るまで待っていました

 

東京から特急に乗って、84分

 

偕楽園駅に着きました

偕楽園駅は、下り(水戸方面)のみの駅で、

上り(東京方面)は止まりません 

 

 

階段を上がると、

常磐神社が見えてきました

偕楽園のすぐ横にあるんですね

偕楽園の前に、まず常磐神社を参拝します

 

常磐神社は、

水戸黄門で知られる水戸藩二代藩主徳川光國と

水戸藩九代藩主徳川斉昭を祀った神社です

 

明治初年、

義公(水戸光圀)と烈公(徳川斉昭)の徳を慕う人々により

祠堂が建立されました

 

 

そもそも、「黄門」の名前の由来って何だろう?

 

常磐神社のホームページによれば、

黄門とは、中納言の唐名で

元来は中国古代の宮廷の門の扉が黄色だったことから

王宮の門の異称でしたが、

秦・漢時代には、この門の中で執務した侍従職の官職名を

「黄門侍郎」の名がありました

日本で黄門を中納言の異称とするのは、

職務内容が類似するためです

 

何か、わかったような、わからないような (^^;

 

徳川光圀公を黄門様と呼ぶのは、

光國公が、中納言職にあったからです

 水戸藩には中納言職に叙された歴代藩主が7名いるので

水戸黄門と呼べるのは光國公を含めて

7人いることになるそうです

 

へぇ~っ、勉強になった

それもこれも、ここを訪れたことで

調べてわかったことだから

ある意味、各地の観光は

自身の見識を広めることにも繋がってるね (^3^)/