子規記念博物館へ来ました
子規とは、ご存知、正岡子規です
正岡子規と言えば、作家だけでなく
野球の普及にも貢献した印象もありますね
さて、名前の有名さはあるものの
意外と作品の記憶が無いので
しっかりと学ぼうと展示資料を見ました
そうそう、何と言っても、この写真ですよね
インパクトあります (^o^)
まず、正岡子規は小説と言うよりも、俳句に力を入れた方でした
だから、作品の印象が無かったんだね
晩年に詠んだ
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
は
正岡子規の詠んだ句です
って、改めて知った (^^;
野球を愛媛に持ち込んだのも、正岡子規と言われています
さて、その正岡子規は、
21才のときに喀血(血を吐く)して
自分が不治の病(いまで言う肺結核)に侵されたことを知り
さらに、最期の6年くらいは
脊椎エリエス(ウイルスが脊髄に転移)で
激痛や身体の不自由さ(晩年は寝たきり)と戦いながらも
残された余命を俳句に尽くしたとのことです
自分の立ち上げた俳句雑誌に
「ホトトギス」と名前をつけていますが
ホトトギスは、口の中が赤いので
「血を吐きながら鳴く」と言われており
(実際には違うそうですが)
自分の境遇とホトトギスを重ね合わせたそうなんですね
また、子規という名前も本名ではなく
ホトトギスの漢字「不如帰」「杜宇」「時鳥」「子規」のうち、
「子規」をペンネームに使ったのも
そんな思いからだそうです
良く見る横顔の写真も、晩年病床に伏せた中、
ある表彰式に体調不良で参加できず
集合写真に入れなかったため、
ひとり別撮りした写真なのだそうです
そう考えると、せつない気持ちになりますね
これは、具陀仏庵の復元
夏目漱石との52日間の下宿生活は、お互いに大きな影響を与えた期間だったようです
短い生涯の中で、夏目漱石との交流、
後に雑誌ホトトギスを引き継ぐ高浜虚子に
多大な影響を与えた正岡子規の功績は
偉大ではないでしょうか
大変勉強になりました (^o^)