『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

先人の知恵・『関東流』と『紀州流』の治水

2017年07月23日 | Weblog

今日は久しぶりに、最高気温が30度以下の一日。

それでも、秋田県では大雨に見舞われて雄物川が氾濫。
今年は九州の豪雨に始まって、先週の愛知県地方の集中豪雨。
今回は東北地方と、水害の多い夏になりそうです。
川が氾濫するたびに被災者がでて、何とも痛ましい。

日本の国土は欧米に比べると、水の量が非常に多い。
古くから水をいかにコントロールするのか?
日本の歴史は『治水』と共にあったと言っても過言じゃないでしょう。

今の会社の本社がある山梨県は、水害とは無縁の土地と言うイメージがある。
それは、かの武田信玄が『治水』と言う事に重きを置いていたからだと聞く。
実際に今でも『信玄堤』と呼ばれる堤防があって、
川の増水があっても、その堤防によって反乱を防いできたと言う。

実は東京は、かつて利根川が流れ込んでいた。
今の利根川は、徳川家康が人工的に銚子方向に川の流れを変えたと聞く。
東京の江戸川も、荒川も人工的に流れを変えたもの。
元々は都心を流れる今の隅田川が荒川だった。

徳川家康は、城下が水害に見舞われないように、川の流れを変えた。
今の江戸川区のあたりは、江戸に米を供給するための農業地帯で
農業用水確保の目的も兼ねて、川の流れを変えたらしい。
そしてこの川の両側は『関東流』もしくは『伊奈流』と呼ばれる治水が施された。

地図を見ると判るのだが、この『関東流』には乗越提霞提と言われる場所があり、
ある程度の増水があるとジンワリと溢れさせて、田んぼなどに流れ込むようにしていた。
その為に、所々で土手の切れ目があったりする。
先人の知恵と言うのは、本当にすごいなと思います。

そう言えば数年前に、氾濫して被害を出した鬼怒川も、
元々は増水した時に水を逃がす方向があったそうだ。
それがいつの間にか、そういう場所にも住宅地が出来てしまった。
東京もその例外ではないようです。
『関東流(伊奈流)』は自然の流れを上手に受け入れる技術で、
現在でいう自然型工法に近いものですが、水に浸かる土地も多く、
江戸の洪水被害が増えたり、乱流地帯も多く残るなど、
家康が考え居た新田開発には限界があったようです。

その『関東流』に対して8代将軍の吉宗が施した治水方式が『紀州流』だそうです。
こちらは『関東流』とは全く逆に、水の流れを完全にコントロールする方法。
乗越提や霞提を取り払い、それまで蛇行していた河川を、
強固な堤防や水制工(水の勢いを止める構造物)で固定し、
連続提によって直線化し、遊水池や河川の乱流地帯は必要なくなり、
広大な新田が誕生することになったそうです。

まぁ、これ以上は僕の頭には無いので調べてください(笑)

最近の東京は、洪水対策が進み、都心で浸水することが少なくなった。
江戸時代の徳川家康、吉宗ほど派手ではないですが、
地下に水を逃がす巨大なプールを作って、神田川は氾濫しなくなった。
これを進めたのが、石原都知事の時代です。
そう言う意味では、石原都知事はのちに歴史に名を残すのでしょうかね?

とは言え、各地で起きる水害の被災者が気の毒で仕方がない。
少額ではありますが、被災者支援の募金に寄付してきました。

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