今日は久しぶりに、最高気温が30度以下の一日。
それでも、秋田県では大雨に見舞われて雄物川が氾濫。
今年は九州の豪雨に始まって、先週の愛知県地方の集中豪雨。
今回は東北地方と、水害の多い夏になりそうです。
川が氾濫するたびに被災者がでて、何とも痛ましい。
日本の国土は欧米に比べると、水の量が非常に多い。
古くから水をいかにコントロールするのか?
日本の歴史は『治水』と共にあったと言っても過言じゃないでしょう。
今の会社の本社がある山梨県は、水害とは無縁の土地と言うイメージがある。
それは、かの武田信玄が『治水』と言う事に重きを置いていたからだと聞く。
実際に今でも『信玄堤』と呼ばれる堤防があって、
川の増水があっても、その堤防によって反乱を防いできたと言う。
実は東京は、かつて利根川が流れ込んでいた。
今の利根川は、徳川家康が人工的に銚子方向に川の流れを変えたと聞く。
東京の江戸川も、荒川も人工的に流れを変えたもの。
元々は都心を流れる今の隅田川が荒川だった。
徳川家康は、城下が水害に見舞われないように、川の流れを変えた。
今の江戸川区のあたりは、江戸に米を供給するための農業地帯で
農業用水確保の目的も兼ねて、川の流れを変えたらしい。
そしてこの川の両側は『関東流』もしくは『伊奈流』と呼ばれる治水が施された。
地図を見ると判るのだが、この『関東流』には乗越提や霞提と言われる場所があり、
ある程度の増水があるとジンワリと溢れさせて、田んぼなどに流れ込むようにしていた。
その為に、所々で土手の切れ目があったりする。
先人の知恵と言うのは、本当にすごいなと思います。
そう言えば数年前に、氾濫して被害を出した鬼怒川も、
元々は増水した時に水を逃がす方向があったそうだ。
それがいつの間にか、そういう場所にも住宅地が出来てしまった。
東京もその例外ではないようです。
『関東流(伊奈流)』は自然の流れを上手に受け入れる技術で、
現在でいう自然型工法に近いものですが、水に浸かる土地も多く、
江戸の洪水被害が増えたり、乱流地帯も多く残るなど、
家康が考え居た新田開発には限界があったようです。
その『関東流』に対して8代将軍の吉宗が施した治水方式が『紀州流』だそうです。
こちらは『関東流』とは全く逆に、水の流れを完全にコントロールする方法。
乗越提や霞提を取り払い、それまで蛇行していた河川を、
強固な堤防や水制工(水の勢いを止める構造物)で固定し、
連続提によって直線化し、遊水池や河川の乱流地帯は必要なくなり、
広大な新田が誕生することになったそうです。
まぁ、これ以上は僕の頭には無いので調べてください(笑)
最近の東京は、洪水対策が進み、都心で浸水することが少なくなった。
江戸時代の徳川家康、吉宗ほど派手ではないですが、
地下に水を逃がす巨大なプールを作って、神田川は氾濫しなくなった。
これを進めたのが、石原都知事の時代です。
そう言う意味では、石原都知事はのちに歴史に名を残すのでしょうかね?
とは言え、各地で起きる水害の被災者が気の毒で仕方がない。
少額ではありますが、被災者支援の募金に寄付してきました。