魚は貨幣になり得るか
アフリカの文化というのは、文化の原始形態を考える上でも興味深いことが多々ある。
中央アフリカ、ソンゴーラ族の物物交換市のことを書いているタネ本を元に、つらつら書き込みをしてみたい。
伊谷純一郎先生、米山俊直先生の編著になる「アフリカ文化の研究」 1984年 アカデミア出版会が、そのタネ本である。かなり分厚い本であるが、ある一点に絞って読み込むので、アレルギーは起きない。
アフリカ大陸の中央部を流れる世界第二位の流域面積を持つ、ザイール川及びルアラバ川が流れているのだが、この河口から2700キロ遡った熱帯雨林の中に、ソンゴーラ族がいる。
ソンゴーラの土地には、現金を扱う市場も存在するが、現金の使用を禁止した市場(バーター市)も存在する。
ここが注目点なのだ。
ワーゲニアという部族である。ソンゴーラの住むところには殆ど住んでいない。ソンゴーラが農耕民族であるのに対して、彼らは正業が漁業である。
市の品物の品目を調査した表がある。それを見るとワーゲニアが丸木舟でバーター市に持参してきた品目の98%が魚類である。農耕民は作物との交換をそこでやっていたのである。
そこには、バーターレートなるものも存在していて、なかなかおもしろい。ヨーロッパからの侵略前から行われていたのだそうだから、営々と行われてきたものである。
贈り物のことが非常に興味深い。トンゴマチョの青年が、バーター市の日にゴリ集落から来た女性に、魚の一切れを贈る。ムカサという魚だそうである。贈り物は女性の夫へのもので、これを受け取ったゴリの男は、次週にお返しをするのである。こうやって、贈り物をする関係が、それぞれの土地に遊びに行ったときに、歓迎するされるという関係になったのだそうである。
(p.386)
農作物と魚では、保存期間が異なる。だから、この二つの品目は、きれいな二分法で量的な関係を構築しているわけではない。当然であろう。魚類の方が、早く腐るし、交換できなかった場合、残りものがどうなるかということをどうしているのかということは、興味深いことである。そこで、交換のレートができてくるわけである。
さらに、当然トラブルが想定されるから、監督の存在と必要性がでてくる。伝統的首長に任命されているのだ。
物々交換から貨幣経済に移行する歴史がだんだんと明らかになっていく。魚が、原始貨幣化していくあたりがなかなかである。
魚は、種類と大きさによって、味が異なるし、どうやって差別化していたのか。農耕民に選択権はないのである。ポイントは「重さ」である。
干物の魚も同様で、なまものであったときの重さで取引されている。すべて同一視して、重さのみで同一単位である。
農産物が種類ごとに異なる取引単位であるのに対して対照的なのだ。
農耕民は、あくまでも食べ物と食べ物を交換しあっているというものであって、農耕民は決して自分たちが「農作物を売っている」というようには思っていない。
「貯蓄の思想」がないのである。保存しておいて、なにかにしようとは思っていない。生計のレベルをほぼ一定に保つことができるのである。生業経済の特徴である。
思うに、この生計のレベルをほぼ一定に保つという考え方は、平等を招来するのかもしれない。
平等ならば、贈る・贈られるという良好な関係が構築できるのであると思う。
農耕文化はそうではない。貯蔵が可能である。特にコメがそうである。我が日本の文化は、そこでいったんリセットしてしまったのだ。
縄文文化と弥生文化の違いのようなものである。
日本における縄文文化はどこへ行ってしまたのだろうか。狩猟漁業の生活を中心とした狩猟経済であったのである。縄文時代には米作は行われていなかったという説があったと思うが、最近ではそうでもないらしい。福岡の板付遺跡で米作の痕跡があるという論も散見している。
階層の未分化の状態がなぜ続くのか。それは、
①住居がほぼ同じ規模
②墓や埋葬方法に差がない
③使用された道具が同質
のような理由が考えられる。
なかなか平等社会というものを作る上では、示唆に富む内容ではないだろうかと思うのだが。
いかがか?
※こうやってまじめに書くこともありますです。