と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

持参資料の作成が

2012年12月01日 16時14分24秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今月の七日に京都に行くので、それに持参する資料の作成が、16:15終わった。

A3の用紙で2枚びっしりである。行数も最大限とってある。京都まで持っていくので、軽いほうがいい。なんといっても、カネとチカラが無いかつての美少年だからねぇ。

(^0^)

 

昨日師匠にあちこちご指導をいただいてその修正をしていたのだった。朝からずっと、ワンコの散歩以外は書庫に引きこもっていた。やってもやっても不満な部分が出てくる。アッタマが悪いなぁと慨嘆しつつ。

ま、これでいいだろう。当日の七日午前中に師匠から最終チェックをいただいて、求名駅から東京に行く。東京から京都である。夜行Busではない。なんとシンカンセンである。憧れの。学割がきくのだ。ははははである。往復割引というのでさらに安いのだ。もっとも、アタシャギャラをもらえるわけではないしなぁ。当たり前だ。

所詮たいしたことはないのだから。

 

それよりも、源平盛衰記を参照したいと思って、県立図書館に大急ぎで行って借りてきたが、焦ったねぇ。この狭い書庫に無かったからだ。てっきり持っていたと思っていた。(*_*) マイッタ

退職したから書籍が買えないのが、一番しょうも無いのだ。研究者でもなんでも無いしなぁ。研究者なら大学から研究費が出ているんだそうだ。うらやまぴ~。これにマンモスをつけると、マンモス・ウラヤマピ~になるんかねぇ。あ、これってあまり使わないほうがいいフレーズですな。話題になっちまうから。

 

今日はそんなわけで、途中で客が来たんだけど、上がってもらうのをワスレテしまった。失礼をした。事前の連絡もなかったから。客と会っていたら、この時間に終わることはなかった。でも、いきなり来たんだから、しょうもないか。ごめんよ!

これから塾にも行かなくちゃならんし。六時には開始するんだ。間に合わなかったら、申し訳ないし。子どもたちに。受験も近いし。

 

さ、老犬とこれから散歩をする。今日、これで3回目だ。我が儘になってきてどうしようもない。

愚生の末路のようだよん。

 

じゃぁ~

 

 

 

 

 

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還暦は長寿のパスポート

2012年12月01日 08時29分07秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

還暦にたどり着いたということは、言わば長寿のパスポートを入手したということである。

第一の人生を、いろいろあったにせよここまで生きてきたわけである。しかも、なんの病気もせずに、医者通いもしていないとか、高血圧の薬もなんも飲んでいないというのが理想である。愚生がそうだから、こんなことを書いているのではないが。(半分くらいはそれがあるか・・・)

ところがだ。還暦になったということを言うと怒り出す御仁がいる。ヒトを年寄り扱いにするな!というわけである。アンチエィジングという言葉を修士の時に何回もレポートに書かせていただいたが、多くの高齢者は、自分はまだまだ若いと思っているのである。さらに、70歳が69歳を「まだ若いじゃないか」「未熟者だ」と罵倒するに至っては、苦笑を通り越して寒々しい思いになる。1歳大きいとかのたもう方もそうである。60過ぎて、1歳大きいもなんも無いモンだと思う。かなりの違和感が愚生にはあるのだ。

69も70も変わらんじゃぁないかと思うのだが、いかがか。もっと範囲を広げてもいい。70も60も、と言ってもいい。

要は、高齢になってもどれだけ夢を持っているかということが肝要なのであって、年齢自慢や、見た目の若さだけに執着しているようではぼけまっせということを言いたいのである。

年をとったことを嫌がるというのは、それを認めたくないという潜在意識があるからである。さらに言えば、誰でもゴールは「死」である。いつまでも生きているわけにはいかないのだ。それをワスレテいるから、思い出したくないから、年をとったと言われると腹が立つわけである。

愚生は、常時死ぬかも知れないという思いで毎日を生きている。就寝する時に、感謝するのだ。やぁ今日も、寝るまでは生きておりましたです。ありがたいもんですって、ね。(^▽^)

ベッドの神さんに。

で、次の日の朝、目が覚めたら、ああ今日も元気に生かさせていただきまひょと思うんである。別に宗教では無い。いろいろな宗教学を学んできたが、とうとう本格的に信仰を持つことができなかった愚生である。だから、こんなふざけたことを書いているんだろうけど。

白寿(99歳)まで生きたい。もっと言えば、日野原重明ドクターのように100歳を過ぎても元気で仕事をしたい。だから第二の人生をランランとスタートしたのである。これからは趣味の郷土史にも、「にも」であるが、範囲を広げて生きていく。本学にもシニアのための講座がたくさんあるし、近いから通学にも便利だし、なんぼでも通える。学割もきくし、定期券があれば毎日登校してももったいないという思いにとらわれることはない。

格好なんて気にしていられない。そんなもんを気にしていたら、この一年間通学できなかった筈である。ましてや、若い人たちと一緒にTシャツ着て、身長を測ったり、体重計に乗ったりという健康診断もするんでっせ。あははははである。ま、ガクセイさんは、なんだ?このじぃさまはと思っているだろうけど。福祉学部があるから、そのへんは本学の若者達は鷹揚というか、優しい人が多いのだ。なんでも愚生に教えてくれるしねぇ。

ところがである。

こういうことをあちこちで言っていると、「とてもとてもできまへん」とか「貯金がモタナイです」とか言われる方がいる。最初から諦めておられる。

夢が無い。なんども言うように、高齢化社会は、勉強したいという還暦以上の「自称若者」に実に優しいのである。門戸は大きく広がっているのである。できまへんというより前に、やってみなくちゃわからんですと申し上げることにしている。貯金がモタナイのなら、愚生のようにアルバイトでもなんでもすればいいんである。学部の時に新聞配達をして卒業したから、そんなの愚生にしてみれば屁でも無いのである。今回だって、60過ぎた大学院生を新聞配達をしながら行こうと思ったくらいだった。残念ながら、断られてしまったが。(^0^)

保証なんてないのだ。安全な道ばかり歩こうとするから夢が持てなくなる。家にじっと閉じこもっていて、老人性のうつになったり、朝から飲酒をしてアルコール中毒になったり、夜は夜で香水をばっちりつけたおねーちゃんの店に毎日毎晩出かけたりしていては早く死んでしまいまっせ。

子育ても終わり、配偶者とふたりになった。昔ならそこで人生は終わりであったのだ。だから「楽隠居」とか「余生」という言葉があったのだと思っている。それはそれで実にいいことである。

しかし、現代の日本は、まことに幸福なことに、我々に第二の人生を用意してくれている。もう一度人生をやり直すというチャンスを与えてくれている。60歳から生き直しができるのである。

第二の人生では、生きるための手段方法もわかっている。もう生育環境にも左右されない。自分自身の意思によって、新たな人生が始められるのだ。

これだけ恵まれた環境を用意していただいているのに、「不安だ、不安だ」「どうすべぇ、どうすべぇ」と、マイナス思考ではいけない。

自分の頭で考えないからである。マスコミの嘘に左右されすぎている。あんなの、ハナから疑ってかかっていくべきである。たまにあっちの世界の人間が間違うと実に楽しい。

へっ、エリートでも間違うことがあるんだとか言って、にやにや笑っていると、ますます偏屈じじぃになっちまうんだが。

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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11月30日(金)のつぶやき

2012年12月01日 04時15分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

選り好みをしないってことは(昔からそうだったなぁ) goo.gl/BSELR


ああああああ、疲れた。師匠とずっと一緒でした。午前中の講義がしびれた。寺の縁起を原文で訓読していたのだが、それを印刷して持参したのです。師匠が、どれ見せてくださいと言われたのだ。顔が真っ赤になった。真剣にやっていればよかったと速攻で(_ _ )/ハンセイした。


来週午前中に再度の講義をいただいて、それから求名の駅をスタートします。資料の体裁も今日は教えていただいた。所属大学名は、二つ書かせていただくことになる。そういうものだそうである。しかし、妙な大学院生である。こっちで教えていただいて、あっちで教えているんだから。


それに教えているほうの大学には文学部がないので、妙な男が、登壇してきたら、へ?って思われるだろうと、そのまま師匠に伺ってみたのです。そしたら、両方並記とあいなりました。ありがたいものであります。


午後は修士課程の方々の修士論文途中経過発表会。5人くらいで、3時間はかかっただろうか。すばらしい研究をなされている。見習いたいものである。師匠に発言をしなさいと言われていたので、ちょっとだけやらせていただいた。院生ごときが発言していいのだろうかと思っていたんだけど。


大学の先生なら研究発表にコメントをしてもいいだろうが、愚生は、ここではあくまで学生なんであります。ちょっとねぇ。。。。逡巡しますよねぇ。生意気だと思われたらどないしようと思っていたのですよ。(^-^)/


発表会が終わってから、二人の修士の方々とちょっとだけ話をさせていただいて、これまた勉強になりました。文化的スクリプトの話などしておりました。また、大学院の事務室の方々も来ておられたので、ちょっと明るく対話をさせていただいておりました。毎日、毎日楽しいものであります。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/