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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「狛犬の起源は犬ではなかった」について考える

2018-01-03 07:19:39 | 語源・由来・起源

今年の干支は戌です。それで昨年末に年賀状の題材に犬を調べていたら狛犬に当たりました。それで、年賀状は狛犬を描いたのですが、調べて見たら意外なことが分かりました。

 

こま‐いぬ【狛犬】

(高麗犬の意)神社の社頭や社殿の前に据え置かれる一対の獅子に似た獣の像。魔よけのためといい、昔は宮中の門扉・几帳きちょう・屏風などの動揺するのをとめるためにも用いた。こま。

広辞苑第六版より引用

 

狛犬とて聞いて知らない人はいないでしょう。

神社に行くと対になって置かれています。それくらい日本人には当たり前の存在です。

狛犬は誰もが知っている存在でありながら、なぜかあまり学術的な研究がされてきませんでした。今でも、定説というものはないそうです。

 

よく「高麗犬」という表記をあてられることが多いのですが、実際のところは朝鮮半島ではなく中国から伝来したもののようです。

その中国へは、はるかシルクロードのかなたオリエントの世界から伝わってきたようで、本来は獅子(ライオン)であったようです。

 

獅子は、守護の霊力を持つ特別な動物として、王の玉座の肘かけなどに彫刻されたり、家紋に使われたりしてきました。

さて少し見方を変えて古代インドでは、仏の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたというのは紛れもない事実です。

 

それが西へ行くと古代エジプトやメソポタミアでの神域を守るライオンの像につながるわけです。

それが更に時代を遡ると今に残るスフィンクスとなります。

 

シルクロードを通って、強さ・権力を象徴する守護霊獣として伝えられてきた獅子は、龍や麒麟など想像上の動物を作り上げることが得意な中国で、実際の姿からどんどん離れ、独自の姿になりました。

 

狛犬とは、中国から日本に伝えられた当初はどちらも「獅子」であったのです。

しかし、「左近の桜 右近の橘」のように、左右非対称を美とする日本の文化は「一対の獅子像」よりも「獅子と狛犬で一対の像」を生み出します。

つまり、本来、狛犬像は「獅子・狛犬像」であって、「一対の獅子」でも「一対の狛犬」でもないのです。

さらに、どちらも口を開けた「獅子」だったものの一方を閉じて「狛犬」にしました。

一般的には、大きく口を開けた姿の「阿形(あぎょう)」が獅子で、頭に角があり口を閉じた姿の「吽形(うんぎょう)」が狛犬であるとされています。

 

狛犬の狛という字は、昔の中国の中華思想(中国が世界の中心だとする思想)では、「周辺の野蛮な地」を指している言葉でした。

狛犬という名前は、当時の解釈で言えば「よくわからない国から来た正体不明の怪しい犬」という意味になります。

また一説には、狛という言葉は、今では中国でも使われていない言葉ですが、本来「神獣」の意味です。

その神獣は、全体が犬に似ていて、頭に角があり、猛々しい姿をしているのです。

日本の狛犬はここから生まれたと考えてもよさそうです。

今、一般的に神社などにある狛犬は、中国から伝えられた当初は、宮中で天皇を守る像として扱われていました。

その後、天皇に縁のある有力な神社に伝えられ、さらに時代を経て一般の神社にも広く普及するようになったものです。

しかし、当時の一般人は、本物の獅子など見たこともありません。狛犬像も見たことがない人がほとんどだったのでしょう。

口伝えなどで当時の職人が作り上げたため、狛犬の姿が、はっきりとした唐獅子風から普通の犬のような姿まで千差万別なのはそのためです。

本来は、神獣ゆえに無性であった狛犬に雄雌があるというのも「左右非対称の個性」をつけたがる日本人の、またはどうしてもはっきりとした区分を付けたがる人間の悪いクセ、というものが原因だったのかもしれません。

 

狛犬のルーツや歴史、厳密な分類なども楽しいものですが、神社を訪れる際には、そういった小難しいことはいったん忘れて、狛犬像の個性やかわいらしさを楽しんでみましょう。

狛犬とは、神社を守護する神獣の像です。

猛々しい表情をしているものが多いのですが、中にはちょっととぼけた風情のものもたくさんいます。

日本で一番古い狛犬は、東大寺南大門にある石造りの狛犬で、建久七年(1196)の作であると伝えられています。

 

しかし、これは中国(宋)から呼び寄せた石工に宋の石を使って作らせたもので、二体の口元の形も阿吽になっていない中国獅子の像です。正確に分類すると「狛犬」とは呼べません。

そういう意味で、一対の獅子・狛犬像として最古のものは

・京都府宮津市の籠神社の狛犬(鎌倉時代説、安土桃山時代説などがあり、年代は特定されていません)

 

または

・山梨県旧三珠町の熊野神社の狛犬(お腹の部分に応永12年2月と刻まれています。1405年となるので、600年以上前)

 

 

あたりだと思われます。

時代順に見ると、デザインや技術の面では、大正から昭和初期くらいにかけてのものが充実しているように思われ、芸術品としての狛犬の質で言うならば、この時期のものが見応えがあるでしょう。

戦後に入ると、大量生産品の狛犬像になってしまい、職人の個性を感じることが難しくなってきます。

かつて、「狛犬」という言葉だけで職人が四苦八苦して製作していたことを想像しながら、個性や風情を感じるのが、狛犬観察の醍醐味と言える部分ではないでしょうか?

この時期のものは、口や手に玉を持っていたり、足元に子犬が群れていたりして見応えがあります。

 

狛犬とは、中国から伝わったと考えられる想像上の動物で、守護の神獣とされています。

狛犬、という言葉は、古い中国の言葉で「正体不明の犬」もしくは「神獣」という意味で、その姿形に関しては日本独自の解釈による部分が多いようです。

神社などにある狛犬像は、正確には「獅子・狛犬像」で、一般的には口を開けた阿形のものが獅子、口を閉じた吽形で頭に角があるものが狛犬であるとされています。

しかし、時代によってはこの区分が当てはまらないものも多く、一貫した狛犬の特徴はつけづらいというのが本当のところです。

狛犬には、元々雌雄はないのですが、像によっては、はっきりとわかる形で区別がつくものもあります。

時代によって様々な姿の像があり、それらを観察するのが狛犬好きの醍醐味です。

神社に参拝した際には、ぜひ個性的な狛犬像をよく見て行ってください。

もしかすると意外な発見があるかもしれません。

狛犬とは? 名前の由来、起源、阿吽など

「狛犬とは何か?」について考える

コメント (8)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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