都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
JR 帯広駅 徒歩30分、またはバス10 分
帯広市グリーンパークは昭和53年(1978年)に開園した、約8ヘクタールの全面芝生の公園です。
この公園が出来たいきさつは、元は刑務所跡地の一部で畑だったところです。
当時、畑がむき出しであったために砂ぼこりがひどいと周辺住民から苦情が寄せられたのです。そこで、芝生を植えて砂ぼこりが立つのを押さえました。
ところがこれが市民に大好評でした。「このまま何も作らずに、公園にしてほしい」という声が殺到し、グリーンパークとなったのです。
芝生が8ヘクタール一面に広がるグリーンパーク。野球場が4面入るほどの広さがある。開放的な空間がどこまでも広がり、都心のオアシスとなっています。
パーク内には、昭和56年(1981年)に完成し、かつて世界一「長いベンチ」として1981年7月19日ギネスブックにも掲載された「400mベンチ」があります。
腰をかけて眺めると、更に公園内の広さ、帯広の大きさが実感できます。休日にはピクニックやレクリエーション・スポーツを楽しむ人々で賑わいます。
「400メートルベンチ」は、グリーンパークの端から端まで続いています。夏場は木陰になり、グリーンパークや緑ヶ丘公園で楽しむ方の休憩場所として利用されることが多いです。
当時、祭り好きな、団塊の世代が中心となってつくったのです。
「はんかくさい」ものを作ったと、評判になりました。
当時の帯広市長だった田本憲吾氏が、この団塊の世代に向けて、親しみこめて「はんかくさい」くらいがいいと言ったとか・・・。
「はんかくさい」ことができたのも、当時の景気がよく、気持ちの余裕があったからなのでは・・・と、今となっては思います。
はんか‐くさ・い【半可臭い】
[形][文]はんかくさ・し[ク]おろかである。ばからしい。「―・い理屈」
大辞泉
北海道弁だと思っていたら、「大辞泉」に載っていました。
昭和62年1987年3月29日に完成し石川県富来町の海岸に460mのベンチが完成してしまったのです。
グリーンパークのベンチが世界一の王座に君臨していた時期は、460mベンチがギネスに認定された、1989年(平成元年)まででした。
したっけ。
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YouTube: 都月満夫の帯広市グリーンパーク2013 10 26