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警察病院からの帰り夕陽丘ストリートを西へ走っていると、左(南)側の奥に一瞬鳥居が見えたので、一旦上町筋まで上り信号を渡ってから、鳥居の見えた狭い路地まで引き返したのでした。12時を少し回った時間ですが、南から太陽が照りつけ真昼とは思えない影が出来ています。鳥居には文政十二己丑歳四月吉日とあり、もう後15年も経てば200年前のものということになります。
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鳥居を潜ると標柱が建っており、左の柱には“欽明仰聖皇”とあり、明らかに欽明天皇が聖君であったと讃えているのであり、右の柱には“冶理逢煕運”と刻まれ、理を以って治めれば恩徳が広くいきわたるというような意味なのでしょう。
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鳥居の横に有った木製のお触書、こう書いてあります。“定 車馬ヲ乗入ル事 魚鳥ヲ捕ル事 竹木を伐ル事 右條々於境内令禁者也 明治四十年 大阪府”明治40年と言えば100年チョット前、黒ずんでいますが板に墨で書いた文字がハッキリ残っています。真ん中は標柱の奥に有った碑“皇極開昌運”と書かれています。皇極天皇は栄えゆく運を開くと言うほどの意味なのでしょうが、この神社、天皇の名前がよく出てきます。右の写真は標柱から入ってきた鳥居の方向を写したものです。
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境内へ入るところにあった標柱、これは分かり易い“清明 正直”と書かれています。この門から清廉潔白として入れますか、猪瀬知事?まぁ、選挙前に5000万円も借りておいて選挙には充てていないなどと言い張る魑魅魍魎の類ですから、こんな文言など目には入らないのでしょう。
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こちらが拝殿です。
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拝殿の右横にあった祠の長屋と稲荷社、真ん中の菊の御紋の入った扉があるのは宝物殿でしょうか。稲荷社の前にこちらを向いている狛犬は拝殿のもの、なかなか面白い顔をしています。
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どうやらこちらが正面の鳥居のようです。勝山通りに面したこの神社ですが、今まで何度かは車でも自転車でも、前を通った筈なのに一度も気が付いていませんでした。
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このイチョウがこの神社の御神木、樹齢約500年と書かれています。江戸末期の記録に高さ22m、周囲5mと記されているとありましたが、ウソを書いてはいけません。江戸末期当時日本人はメートル法など使っていなかったのです。30年ほど前に枯れかけ、倒壊寸前だったのを手当したのだそうですが、周囲5mもあるでしょうか。
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この神社の祭神は敏達天皇だとか、この地が中国(ここでは支那と表記)の唐制による我が国最古の都が難波宮で、その五条筋にあたり、敏達が皇太子の頃ここに住んでいたと伝えられていると記されていますが、難波に都が移されたのは孝徳天皇の頃だったと覚えているので、都がこの地に移されたのは敏達の皇太子時代よりずっと後だと思うのです。
また橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社だとか、そんなことを書かれると橘氏とは何の縁も所縁も無い私などが訪れたのは、なんと筋違いのことだったのかと反省することしきりです。
右は勝山通りの五條宮前の交差点から見た神社ですが、何処に神社があるのかよく分かりません。
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