ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

八坂神社

2014-01-14 05:00:00 | 大阪にて

正月休みも終え、数日経ったころに私の方から毎年年賀状を出している先輩のI藤氏の奥様から手紙が届き、昨年の11月25日に心筋梗塞で亡くなり、気が動転して喪中葉書を出せなかった旨がしたためられていました。同じように私の先輩のH見氏の奥様からも年末に喪中葉書を貰っていたのですが、その葉書には“こちらからは出せませんが、皆様の賀状は楽しみにしている”旨のことが語られていましたが、私はその方の顔も声も知らないし、相手の方も私を知らないと思ったので、年賀状は出さないでおきました。I藤氏の死を知らされたその日のこと、昔の大阪中央電報局で働いていた頃の知人が大勢集まっている場所に私もいます。いろんな顔を懐かしがっていると、その中にH見氏が居るではありませんか。声をかけようとしたのですが、届きません。近くに居た人に「年末にこれこれこういう葉書が来たけど・・・」と尋ねると、「女の人が出来て、その女がそういう葉書を出した」という言葉、なんともミステリアスな夢を見たのでした。

             

さて京都、建仁寺の北門を出て八坂神社に向かいますが、方向は地図で判るものの、どの道を通れば良いのかよく判りません。とにかく人が進んでいく方向よりも向かってくる人が多い道を選んで歩き、10分ほどかかって八坂神社の南の鳥居の前に到着したのでした。

       

よくテレビでも出てくる神社ですが、私が訪れたという記憶はありません。正月三箇日は済んでいましたが、まだまだ初詣の客は多く、撮った写真は人だらけ、なるべく人の少ない写真をUPしています。南の鳥居から入ったので、まず南楼門を潜り、正面に舞殿、その後ろが重要文化財の本殿です。人の数にも辟易しますが、時間も無いのでじっくり見て回ることが出来ません。円山公園の標識を辿って東の鳥居を出たのでした。

             

歩いているとやけにサクラの木が目立つ広場、いつの間にか円山公園に入っていたのでした。ハイキングツアーなのか名札を付けて帽子を被っている人が多く見られます。私も同じような格好をしていたので、同様に見られていたのかも知れませんが、私は名札など付けているわけがありません。

                    

平安時代の昔、一帯は真葛やススキが生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていたそうです。鎌倉時代になると慈円僧正が“わが恋は 松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原に風さわぐなり”(新古今集)と詠われたことから一躍和歌の名所になったと言います。江戸時代に入ると安養寺が勢力を伸ばしますが、その山号『慈円山』から丸山の名が残ったと言われています。

円山公園って枝垂れ桜で有名だったはず、時間は無いけどそのサクラだけは探しておこうと思ったのでした。左側が案内板にあった枝垂れ桜、反対側にも柵に囲まれて大きな枝垂れ桜が立っています。是非花の先誇る枝垂れ桜を写してみたいものです。