ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

四天王寺・元三大師堂

2014-01-28 05:00:00 | 田舎

眼の検査を受け、何の障害も無いと言われ、帰途に就くことにしましたが、帰りは160円の運賃が勿体ないので天王寺まで歩いて帰ろうと考えていました。目が見え難かったのですが、ゆっくり歩けばどうにかなるだろうし、いつまでも見え難いわけでもないだろうと思っていたのです。私は市内で用があっても駐車場のこともあって車で出かけようとは思いませんが、車よりも自転車、自転車よりも歩く方が細かい所がよく見えるものです。

             

警察病院から西に向かって上町筋まで歩き、左折して五条宮前西の交差点を右折し、西へと谷町筋まで歩くのですが、その200mばかりの道路がここ、先に見えているお寺の塔は愛染堂の多宝塔です。ここから見る多宝塔の横に沈む夕陽は当に夕陽丘の名前通り、とても美しいものですが、昔は口縄坂愛染坂等の上から見下ろす夕陽が美しかったのでしょう。旭の116へ通っていた頃、ここを自転車で通りかかった際に見た夕陽はなかなか忘れられませんが、終業時間が終わってもなかなか帰れなかった頃ですから、いつの季節の何時ごろの夕陽を見たのかは定かではありません。

               

谷町筋まで出て左折すると、すぐに四天王寺への参詣道と分岐します。谷町筋より参詣道の方が車道・歩道の区別が無いので、段差も無く自転車は走り易いのでいつも参詣道を走っていました。自転車で走るともし四天王寺に入ったとしたら、境内をウロウロしてもまた元の自転車を停めたところまで戻らねばなりませんが、歩いているとそんな必要はありません。四天王寺は一度紹介しているので病院への途中では寄っていませんでしたが、一番北の門は見慣れないなぁと思っていました。

             

その門がこの写真ではないのですが、元三大師堂から南に向かって歩いていると、この門から出てきたのでした。元三大師を祀るこのお堂は元和4年(1618年)建立です。元三大師はおみくじの創始者だとは知りませんでした。

             

この門を潜って左の方(東側)へ行くと大黒堂が有ります。本尊の像には大黒天、毘沙門天、弁財天の3つの顔が彫られているそうですが、何処にその本尊が有るのか分かりません。

             

この大提灯、左の方で途切れている白と緑で描かれた絵はダイコンです。奥の濃紺の幕にもダイコンが描かれているので、大黒さんとダイコンは何か縁が有るのかも知れません。

             

大黒堂の右隣に有った英霊堂、明治39年に建立された際は大釣鐘堂と呼ばれ、当時世界一大きな釣鐘が釣られていたそうですが、ご多聞に漏れず第二次世界大戦で軍部により供出させられました。その縁によって世界の平和を願い、万国の英霊・戦争犠牲者を祀るようになり、今では災害犠牲者のための供養も行われているようです。戦争好きの大臣たちは何故こういった地方の戦争犠牲者を祀る寺社は無視したまま、靖国神社に参ることばかりに拘るのでしょうか。

             

手術は明日午後1時かららしいのですが、入院は今日からです。前日にならないと病院からの案内が無いのですが、現実にこの項を綴っているのは前の週ですから、今日はどのような行動を取るのか分かっていません。予定では4日間の入院ですから、見舞いはご無用です。


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