ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

御願塚古墳

2011-12-13 05:00:00 | 大阪にて

予定では先週末から25日までの2週間は休んで、姫に帰って釣りでも・・・と思っていたのですが、11日はソフトボールの今年最後の練習があったし、16日の金曜日には私にとって我が社での最後の忘年会があるということで、その日は出勤しようと思っているので未だに家でグータラしています。

この間に年賀状を仕上げてしまわないと、後の休みにゆっくり出来ませんが、人間というのはなかなか切羽詰らないと動かないもので、今週も(ブログのネタのために)あっちに行こうか、何か映画でも観に行こうかなどと考えてしまっています。

                  

さて、伊丹市の南町を徘徊していると、街の一角でこのような碑に出くわしました。『御願塚古墳の周辺墳 満塚跡』とあり、御願塚古墳まで西南へ約300mと示されています。御願塚古墳には一度行ったことがあり、ブログにも綴っているはずですが、ここまで来たらもう一度行ってみようという思いで、西南方向へ歩きますが、その方向への一直線の道がある筈もなく、当然西へ南へと角を曲がって行かねばなりません。

             

当時のブログと比べると面白いというか、拙い自分が居て気恥ずかしい気持ちがします。同じような写真も撮っていますが、当時と比べてどうでしょう?もちろん天気などは自分で左右できるものではありませんし、カメラも替わってると思いますから、写り具合とかは度返しして、何を対象にしているとか、それについて自分はどう考えているとかを知るきっかけになります。

この古墳を神体としているのが南神社、これで私の行っている街の名が南町なのが理解できます。

             

前回来たのは4年前の7月、今は冬ですから堀にはカモが泳いでいます。私が橋の上に佇んでいると何かくれるのかと勘違いしたカモたちが近寄ってくるのですが、あいにく私は動物に勝手に何かやってもいいという考えは持ってないし、当然あげる物も持ち合わせていません。

             

前回来た時は全く気付かなかったのですが、堀の水を浄化する装置が橋の下にありました。ポンプで水を汲み上げて、石を詰めたドラム缶を通して浄化しようという試みですが、うまく浄化出来てるのでしょうか。

             

前のブログを読んで思い出したというか、全く忘れていたのですが、満塚跡の碑があったということは、この辺りにはまだ3つの碑があるということなのでしょう。藻川・猪名川を超えたところに弥生時代の遺跡である田能遺跡があったし、この辺りは平野で水源もあり豊かな地だったのでしょう、弥生時代の遺跡が点在します。弥生時代の後継である古墳時代にこの地に余剰収穫物を独り占めする豪族が誕生したというのも頷けます。

             

古墳の後円部の頂上から南西方向の眺め、だいたい3階建ての建物と同じ高さです。

             

こちらは入山してきた方向、北部にあたります。どちらを向いても山は見えません。天気のいい日だと多少は山も見えるだろうと思いますが、この辺りの平野部としての広さが分かろうというもの。

                  

古墳創設当時から植わっていただろうと思われる松やクスノキやケヤキの木々、そうだとすれば樹齢は有に1500年は超えているだろうけど幹はあまり太くはなく、この古墳の樹木は背が高いのが特徴です。

             

こちらは前方部分、前の方ではなくて、前の方形部分です。この御願塚古墳は西を向いて造られています。

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田能遺跡

2011-12-12 05:00:00 | 大阪にて

先週末から急に寒くなり、やっとのこと冬の訪れを感じさせます。寒くなれば寒くなったで大変な日々が続くのに、今年は温い・暖かいなどと文句を言うのは私のように愚かで拙い人間の習性なのかもしれません。何はともあれ、万病の元となる風邪などお召しにならないよう、くれぐれもご留意のほどを。

             

農業公園の少し南にある猪名川橋を渡り切って右の方向を見ると、大きな看板で田能遺跡があるのがすぐに分かります。

田能遺跡は2300年~1700年前の弥生時代の遺跡で、昭和40年にこの地で工業用水の供給のための工事を開始した際に発見され、貴重な文化財と認定されたにも拘らず、阪神工業地帯の地盤沈下に対応すべき工業用水の確保の工事は中止されることなく、工事と並行して発掘調査が行われました。

私が入ったのは昼食時だったので、園内でお弁当を食べておられる方がいましたが、その他に訪れておられる人はいません。

独りで見て回るので、どうやら順路を間違えてしまったようですが、そのこと自体にさして問題は無かったと思っています。

             

どうしても人のいる方へ近寄ってしまうのか、ベンチに腰掛けて弁当を食べている人の後ろにあったこの復元された住居にまずは来てしまいました。

これは円形平地式住居、直径は8mほどあり周囲は、幅25cm深さ12cmの溝があったそうです。

             

不法侵入ではありませんよ。中は暗くてストロボを光らさないと、写りません。

暖をとったのか料理をしたのか、炉の跡が復元されています。

             

こちらは方形竪穴住居、こちらの方が奥にあるのに、順路ではこちらが先だったよう、何故なら案内文に「円形平地式住居と比べてみて下さい」と書かれてあったから。

この方形で竪穴式の住居の方が暖かいそうで、弥生時代も後期にはこの形の住居が中心になったようです。

             

円形の平地式の住居と比べると、ここまで考証されたのか疑問ですが、柱が加工されてピカピカの円柱形です。どういう訳か炉がありません。

左隅の丸い影は私の頭なのか・・・

             

こちらは一番奥にあった高床式の倉庫、地中に埋めたり、瓶に入れたり、食糧を蓄えるために弥生人も色々と考えたようです。

             

順路ではこの高床式倉庫から見学するようになっていたらしい。見学者は私一人ですから、反対から見ていったからって、何か支障があったわけではありません。

             

高床式の復元倉庫があった地点から入口方向の写真です。僅かに円形平地式住居が伺えます。

その奥には資料館もあるのですが、写っていません。

             

最後に撮った入口から眺めた写真、先客さんが弁当を食べていたベンチがあり、その奥に円形住宅が見えます。実はまっすぐに伸びた道を進んでいくのが順路だったみたい、後の祭りです。

住居が復元された頃は、植わっている木や草は全く無かったようで、この木や草は時代考証されたものでしょうか、それとも単に公園の雰囲気作りのためのものなのでしょうか。

             

ここが尼崎市・伊丹市・西宮市の三つの都市に工業用水を供給する園田配水場、もしこの地に配水場の建設が行われなかったら、田能遺跡はまだ見つかってなかったかもしれません。それとももっと完璧な形で復元され、もっと多くの遺物が確認できたのだろうと思ったりもしています。

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農業公園

2011-12-09 05:00:00 | 大阪にて

農業公園への道で信号を渡らなければならないところがあり、そこで信号が変わるのを待っていたら、後ろから「どっかで見たことある後ろ姿やなぁ」と、後ろで聞いたことのある声がするので、振り返ると2年前にリタイアしたS藤さんが自転車に乗っています。

「そっちで働いてた頃より、今の方がしんどいわ」とリタイアメント振りを語ってくれましたが、S藤さんは伊丹駅前の花屋で働いています。でも結構ハッピーそう「今日は休みやからチョット散歩」と来た道をそのまままっすぐ走って行かれました。

             

私は信号で左折、そのまま直進して農業公園です。もう盛期を過ぎたコスモスが、それでもまだ秋季を名残惜しむかのように咲き乱れています。

この農業公園では時折『収穫祭』なるものが開催され、駅などにもポスターなどが貼られて、大概が土曜・日曜日なので私は行くことはありませんが、その公園なるものがどんなものであるのか興味を持っていました。

             

バラ園というコーナーがあって、数々のバラが咲いていますが、人間の背より高く聳え咲くバラも在ります。『ボブ・ホープ』とかいうような格闘家のような名前が付いていました。

             

平日からなのか、冬だからなのか、訪れる人は殆んどいません。その割には猪名川沿いの土手のロードにはランニングする人がやたらと多いのです。

             

園内では掃除をする係員があちこちにいて、送風機の風で落ち葉を吹き飛ばしながら、きっとその落ち葉を一ヶ所に集める作業をしているのでしょうが、その機械の音が喧しくて仕方がありません。

農業公園は結構広いスペースがありますが、やはり季節が冬だけに咲いている花は限られているようで、観たいと思う菖蒲園などはカラカラの土しかありません。

             

早々に猪名川の土手に抜け、南下していると公園の一角に何やら碑が建っていて、興味を引きます。

『三ツ俣井組』と表題された碑には、この地の水利に関する歴史が刻まれており、特に田能村大和守について書かれていました。

                  

概要はこうです。将軍足利義政の時代に田能村大和守は隣の(豊中の)原田庄との間で水争いが起き、興福寺や春日大社を味方に付けた原田庄が勝利、田能村は没収されます。

その頃に春日神社がこの地に出来たのでしょう。その社が昨日の記事の神社であるとは思えませんが、移転、改築はあったにせよ、当時の騒乱の結果としての神社であることは間違いなさそうです。

             

負けたのに何故大和守の碑なのか、よく理解出来ませんが、おそらく田能村の権益を守るために尽力したということなのでしょう。

猪名川の畔にある案内板を見ると田能遺跡が見つかりました。この猪名川を渡ればすぐにありそうです。

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春日神社

2011-12-08 05:00:00 | 大阪にて

南町4丁目の交差点を東へ渡るとすぐに尼崎市に入り、東への道をまっすぐに歩くと、昨日のポンプ場が左手にあり、そのまま進むと藻川を超え、田能の街を抜けて園田競馬場に至ります。

競馬場には用はありません、要は弥生時代の遺跡である田能遺跡へ行きたいのですが、あまり詳しいことは知りません。その近くにきっと遺跡はあるのだろうと思いながら、取り敢えず農業公園を目指して歩いていました。

             

藻川の土手に立っていた案内板、この地図では田能遺跡が何処にあるのか分かりませんが、自分は中洲の北側に居るのが分かります。このままこの道をまっすぐに進めば農業公園があるので、その道を選んで歩いて行きました。

             

歩いていると、ポツンと遠くにこんもりとした林があるのが見え、きっと神社かお寺があるのだろうと思って行ってみることにしたのです。

手前には畑で働いている人が居て、のんびりとしてのどかな風景です。

             

到着してみるとやはり神社、春日神社とあり、直近に行った神社が春日大社だったので、何か運命の悪戯めいたものを感じますが、何も困ったことではありません。

             

拝殿だけで本殿はない簡素な神社です。社務所のようなものも無いので、掃除も行き届かないのでしょう、階段には落ち葉がたまっています。

             

ひとところに仏像やお地蔵さんに見たてた石が無造作に並べられていますが、安置しているというより、寄せ集めているという風、もう少しなんとかならんのかい?と思うのですが・・・

                  

神社の裏手から農業公園へ行こうと思い、裏手に出るとまん前に、このクスノキを見て、思わず「可哀想!」です。どう考えても建物の方が新しく建てたであろうと思うのですが、家の造りに沿った形で木が捻じ曲がっているではありませんか。

きっとこのクスノキが育った時点でもっと古い家があって、その家の形に沿って変形したものなので、今あるこの家もこのクスノキに沿った形で設計したものと思われます。

この木はどう感じているのか知る由もありませんが、人間なら家格や社風に雁字搦めに嵌め込まれ、人前では一人前を装いながら、性格はひん曲がったようになってしまうのを連想してしまいます。

             

神社の裏手からの眺め、紅葉したり常緑樹が見える一帯がおそらく農業公園でしょう。

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伊丹市南町

2011-12-07 05:00:00 | 大阪にて

12月になって仕事はJR猪名川駅で降り、西へ少し歩いたところにある伊丹市南町という街での活動です。猪名川駅の西にはマヨネーズで有名なキューピーの工場があります。最初猪名川駅に来た時は、こんなところにキューピーの会社があるのかと驚いたものです。

             

こうやってキューピーのマークが取り付けられているので、すぐにキューピー株式会社のものと分かるのですが、もし付いていなければ何の関心も抱かなかっただろうと思います。商標とはすごいものです。

             

街を歩いていると用水路があるなぁ、はまらんようにせなアカンなぁぐらいに思っていたら、こんな案内板がありました。昆陽川が何処を流れているのか分からないのですが、そのような分からないような川が一級河川だなんて信じられません。

伊丹川の水位が上昇した時に云々とありますが、これまた伊丹川がどこを流れているのかも地理不案内の私には分からないのですが、水害対策の水路であることは分かります。ポンプで強制的に藻川に排水するのです。このような水路を捷水路と呼ぶのですね。

             

この地を津波が襲うようなことは無いのでしょうが、なかなか考えられた洪水対策だと思います。

                  

街を歩いていると真っ赤に実をつけた木が鮮やかさを伴って目にとまりました。クリスマスのシーズンにピッタリの色調です。

             

千両はもっと小さい木だと思いますから、万両なのでしょうか。食べれるなら、さぞ満腹感を味わえるだろうほどたわわに実っています。

             

尼崎に来てまだ田能遺跡を訪れていなかったので、地図上では猪名寺の駅からまっすぐ東へ歩くと行けそうなので、しばらく歩いていました。

             

すると先ほどの案内板と同じ内容のものがまた掛っていて、ここがその強制排水するポンプのあるところであることが分かります。

             

これが伊丹川の水の強制排水を受ける藻川、ついこの先で猪名川とこの藻川に分かれているらしい。そしてまた一つの川に戻って猪名川になり、少し流れて神崎川に合流し、尼崎市と大阪市の境を流れて行きます。

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今から100年前・1911

2011-12-06 05:00:00 | 大阪にて

仕事に行かない日、大阪の家にいるとさしあたって何もすることがないので、とても手持無沙汰です。そろそろ構想も出来かかっている年賀状でもさっさと作ればいいのですが、これから何が起こるか分からないしという思いから、もう少ししてからとサボタージュを決め込んでいます。

                  

こんな新聞を手にしました。はじめは「なんじゃ?これは」と思ったのですが、映画の宣伝用のもの、コロッとその気にさせられて、この映画を観てきました。2年ぐらい前に舞子で孫文記念館にも行ってることやし、前に『熊谷陣屋』を観た時と同じなんばパークスでの上映、朝9時ごろに当日の上映時間を調べると10:10からとあり、2回目は夕方しかなくネットで予約を入れた後、慌てふためいて出かけて行ったのでした。

ネットではシルバー割引の適用を簡単に受けられます。まだ60歳には達していないのですが、まぁあと二月もしないうちにその齢となるのですから、映画会社の方には少し辛抱をしていただきましょう。1000円で観ることが出来たので、700円のパンフレットも買ったし、入場する際にはビールも買ったので、許していただけることと思います。

             

列強諸国に蝕まれる清朝、その祖国を憂い封建社会を終わらせようと願う人民の先頭に立って闘った孫文、その闘いにおいて清朝を終わらせ、中華民国・初代臨時大統領に就いたその孫文や朝廷没落後の権力の座を狙う袁世凱との確執も描かれ、とても納得のいく映画でした。

主役は孫文の同志で革命同盟軍を率いる黄興役を演じる成龍=ジャッキー・チェン、私より二つ下ですから、彼も更けましたね。私は若いころ観た『プロジェクトA』や『スパルタンX』の印象が強くて、アクション俳優でありながら喜劇俳優だとも思っていたのに、暫らく見ないうちに本格派の俳優に様変わりしていました。

入館した映画館は年配の方がほとんどでしたが、パンフレットの中でもジャッキーが言ってるように、いかなる思いで命を懸けて闘ったのか「若い人に観てもらいたい」ですね。

孫文役を演じたウィンストン・チャオ、彼は他の映画でも随分と孫文の役を演じてきたようです。

             

袁世凱役のスン・チュン、袁世凱という将軍は『蒼穹の昴』や『珍妃の井戸』に出てきた人だと記憶しています。清朝派の将軍ですがかなりのやり手です。

この映画、ジャッキー・チェンの出演100作目だそう、若いころはブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』にもスタントマンとして出演していたんだって、ブルース・リーを観てから、ジャッキー・チェンを観た時は迫力無い奴やなぁと思ったものでしたが、息の長い俳優になったもんだと少し驚き、少し感心しています。

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ハッピーリタイアメント

2011-12-05 05:00:00 | 読書

12月に入るともう都会の繁華街はクリスマス気分一色、仏教立国したはずのこの国が、お釈迦様の誕生日は忘れても、他国の神の誕生日を何故こうまでして祝うのか、不思議がるのは何も浅田次郎氏だけではありますまい。そう、この本にはそういう件もあったのです。私から言わせれば儲けんがため、資本主義の悪弊でしょう。キリスト教徒ならクリスマスぐらいは敬虔にミサでも執り行い、讃美歌でも歌うものでしょう。

さて、リタイアメントという語を国語辞書で調べてみても、該当する語句はありませんが、変換すると“りたいあめんと”はリタイアメントに変わります。となると、その語句は認められ、使用されているということ、私もそのリタイアメントを目の当たりにしている一人なのでしょう。

ハッピーリタイアメントとなると幸せな引退後の生活なのでしょうが、果たして私はそんなハッピーなリタイアメントを迎えることが出来るのでしょうか?

浅田氏は私と同い年か、もしくは一つ上の年齢、私がそろそろリタイアすると知ってこの本を書いたのではありますまいが、私が読むには丁度いいタイミングのような内容とも思え、今置かれている境遇とを鑑みつつ読み進んだのでした。

             

財務省を早期退職した樋口慎太郎と自衛隊を早期退職した大友勉は、業務実体のない天下り機関である全国中小企業振興会(JAMS)神田分室に再就職を斡旋されました。

JAMSとは戦後GHQによって財閥解体がなされ、新たな資本主義を目指す日本国において、大蔵省が立案した新規事業者に対する無担保無保証の融資を行う機関です。そんな制度は銀行にとっても新たな資本主義にとっても考えられない制度ですから、債務不履行の場合はこのJAMSが無条件に全額を肩代わりするのです。こんな美味しい話って本当にあったのでしょうか。

着任した二人は元銀行員の立花葵のレクチャーを受け、歓迎会に臨み、この組織の不思議さを体感し、頽廃振りに呆れてしまいます。そして立花葵の指揮のもと、本来業務の債務者に借金の返済を求める仕事を始めます。不可能と思われていたこの仕事が案外にも好調に進み、数件の債務者から約3億円の取り立てに成功するのです。

この神田分室には、創設当時からいてマッカーサーにコーヒーを淹れたことがあるという山村ヒナという嘱託の老婆がいて、立花葵を励まします。この取り戻した3億円は元財務官僚、JAMSの理事であり、神田分室の実質上のボスとなっている矢島純彦には報告していません。でもこの嘱託の老婆はその3億円の存在を知っていたのでした。

借金を取り戻していることを理事の矢島に察知された葵をはじめとする三人は、この3億円を横領することは善行であると決意、山分けしたお金でハッピーリタイアメントに繋げようとするのですが・・・皆まで書けばダメですよね。決して3人がハッピーリタイアメントを迎えなかったとは言えない終末が待っています。

JAMS(All Japan M-S Companies Organization)はネットで調べても当該するような組織はありませんが、全国中小企業振興会という名の組織は東京の日本橋茅場町2丁目、神田美土代町にもあるようですが、確かに実態は明らかではありません。

ところで確かに私はまだ定年には至っていませんが、残した休暇を全て取りきっていると月にして七日の出勤で、決して多いとは言えませんが一月分の賃金、もうすぐすれば人生最後の冬期一時金、所謂ボーナスも手にしている今の生活は、この本のキャッチコピーである『最高の人生とは“たいそうな給料をもらい、テキトーに仕事をすること”である』そうで、今こそが私にとってのハッピーリタイアメントな時間なのであり、定年後はその反動が来るのではないかと、密かに恐れ慄いている次第であるのです。

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伊丹市藤の木

2011-12-02 05:00:00 | 大阪にて

今回の帰省では闘鶏神社へ行ったことなど、まだまだネタがあったのですが、Y下君が来たことによってゆっくりブログも綴っておれず、その写真のデータを家のパソコンに送っておくことにも失敗したらしく、届いてなかったので串本での記事は一旦昨日でおしまいです。メールで送らずにHDDなりCDなりUSBメモリなりに保存して持ち帰れば確実だったのに、そのようなことは頭の隅にも浮かびませんでした。

この藤の木というのは、帰省する直前に仕事をしていた町名でありますが、決して名前のような古墳があるところではありません。JRの伊丹駅で降り、北へ徒歩で10分程度のところにあります。

写真のように小さな家が立ち並ぶ区域ですが、周りにはサカタインクスや東洋タイヤというような大企業も点在しており、その中に埋没しているような地域です。

             

畑や田んぼもあり、つい3週間ほど前までは稲も刈られていませんでした。今はどうなっているのでしょう。5月初旬に田植えをし、盆を過ぎれば稲刈りをするのが私の田舎の習慣ですが、この辺りはいつ頃田植えをしたのでしょうか、それにしても遅い稲刈りですね。

             

大きな会社のほかにこのような大きなマンションも立ち並び、早くからこの街に住んでいた人たちは肩身の狭い思いをしているのではないかと、案じてしまいます。

             

街の東側は猪名川が流れ、川沿いには人が住む家は全く無くて、工場や会社が並んでいます。

             

藤の木の町への行き帰り、JRの線路の西側に免許更新センターなるものが見えています。窓なのかよく分かりませんが、少し笑っているようにも見えて、微笑ましい建物です。

運転免許とは書いていませんから、私とは全く関係のない免許なのかも知れませんが、このように駅の近くにあると便利ですね。大阪は門真も光明池も私の家からは不便です。

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紀伊姫雑記

2011-12-01 05:00:00 | 田舎

今日から師走、寒くなったり暖かくなったりの日が続いていますが、三寒四温とは言わないようです。今年も後一カ月、私の『サラリーマン』生活も残すところ四カ月となりました。後々の新たな生活のスタートを思うと戦々恐々、悠々自適な生活など遅れるとはとても思えません。

             

さて姫の家の庭、前回来た時より少しは枯れた百日草が増えて、随分引っこ抜きました。それでも未だ姥桜と言わんがばかりに色めきたつ花もあるので、それはそれで残しておいてあげています。

             

綿状のものが付いていた花は『柳唐綿』らしいとN田君の奥さんが教えてくれました。きっとこの綿状のものは種だと思い、すでにあちらこちらに根を張り付かせているのでしょうが、枯れているものは見苦しいので今回全部引っこ抜きました。そういえばもう花はありませんでしたが、アマリリスに似た紫色の花はアマクリナムというのだそうです。これもN田君の奥さんの教示です。

             

百日草に代わって白い菊のような花が咲いています。14日に来た時にはチョウやハチが舞っていましたが、19日に雨が降って以降はいなくなったようでした。カエルも然り、メダカも後半には姿を見せていません。

             

カボチャの蔓が伸びていたのは1か月前のブログに載せていましたが、今回は実がなっていて「なんや、ヒョウタンやん」と思っていたのですが、Y下君が「これもカボチャやで」と教えてくれました。

                  

さて、姫駅に遭った『紀伊姫駅ノート』御覧のように一部分が焼かれ、書かれた部分は破り取られて、更にはボールペンも無くなっていました。酷いことをする者がこの地にいるという証明です。

             

このノートを置いていった人の善意、或いはロマンが踏みにじられたような気分を味わいました。この地を訪れた人への感想を共有できるノートだったのですが、何の権利があって破り捨ててしまったのでしょう。自分の気に入らないものは処分するという、今回の大阪市長選で当選した人物が思い起こされます。

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