徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

奥山線跡地

2024-04-18 21:23:07 | Weblog
 先週出かけたサイクリングの目的の一つが遠州鉄道奥山線が廃線になった後に自転車道と歩道に整備されたところを走ること。
 最初は起点が分からず、少しだけ浜松城のあたりをウロウロしましたが、お城の北側の道をトレースしたらトンネルが見え鉄道車輪を模した車止めが見えたので近づくと奥山線の後でした。
 やっと見つけた!思い記念写真を撮ってから自転車を走らせてみました
 この鉄道は浜松から国鉄二俣線(現天竜浜名湖鉄道)の金指駅を経由し奥山までいっていたとのことでした。
 自転車道も、そこまで延伸しているとすごいな!と思うのですが実際は浜松の市街地だけです。
 ただ、この自転車道なのですが最初のうちはお城の近くということもあり風情があり、こんな良いところがあったんだと思いました。
 実際走ってみると分かるのですが、大半は住宅街の中の車が通れない道といった状態で、車止めが連続するし、交差点まるけでストップ&ゴーを繰り返さ名ればならない道です。
 ですから、ロードバイクだと地味に疲れるし、自転車を走らせるには面白く無い道というのが私の印象でした。
 ですから自転車では無く再訪する時は歩くことを考えることでしょう。
 こんなことを書くと身も蓋もないのですが、奥山線は軽便鉄道であったため幅員が狭く再整備で車道とするには拡幅が必要であったと思われます。
 浜松という大きな町で幅員を広げるということは困難であるため、自転車道として整備したのではないか?と思うし、宅地開発するにも幅が狭いといった具合の消去法により自転車道になったのではないかと私のようなへそ曲がりは推察してしまいます。
 ですからサイクリングを楽しむための道の整備は名目で、地域の方々が安心して歩ける歩道を作ったとう表現がピッタリなような気がします。
 最初は在りし日の状況を連想できる鉄道遺構を探ろうと思っていたのですが実際に走ってみて思ったのは何で廃線になったの?という疑問ばかりが頭に浮かぶ結果になりました。
 戻ってから廃線の理由をを調べてみたら利用者が少なかったからということでした。
 でも浜松のような大きな町を起点とする鉄道が生き残れなったのは軽便鉄道という輸送力の弱い規格の鉄道であったということが廃線の大きな理由であったのでは?と思います。?(管理人)

   


   


  


  


  

  駅間は短かったようです
  


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