先週末のサイクリングはフジの花の開花期とあったこともあって、やたらフジの花が目に付きます。
心なしかフジって増えていない?なんて思っています。
増えたと思っているフジを見て、かつて「フジの花が綺麗ですね」と言った時に返ってきた言葉を思い出します。
その時言われたのが「フジの花が沢山あることは恥ずかしいことなんだよ、山をほったらかしにしていることを意味するから」というもの。
ツル性木本のフジは植林した樹木に巻き付くと樹形に影響を与え巻き付かれた樹木の利用価値を著しく低下させるので除去する存在であるものを何もせずに放置していることになりフジを伸び放題にすることは木を大切にしない恥ずべき行為であることを意味していたんですね。
その時、成る程と納得したこともあったので、それ以来「フジの花が綺麗ですね」という発言は相手の人の属性を考えながら言うようにしています。
あと、数年前からはまっている古書の中にもフジは登場してきます。
その大半はフジを有用植物として書かれています。
私が目にした江戸時代に編纂された飛騨地方の風土記である飛州志では木材を流送する木材にフジが使われたことが詳細に記載されています。
また、以前に見た民族映像研究所の作品である「草木蔓」の中にもフジの利用の再現映像が納められています。
そんなことを知ると、昔は今と違い有用植物として利用されていたので、今のように沢山のフジは見られなかったか、利用するために積極的に増やし今より沢山のフジがあったのか、どっちだろうと考えるようになりました。
真相はどうだったのだろう?と今ではそんな疑問を持つようになっています。
あと以前、「巨大なフジ」のことを徒然写真帳で書きましたが、フジの利用を積極的に行っていた時代だと、ここまで太くなるまで放置はされなかったであろう?と思います。
ある意味、現代社会が生み出したものであるのだろうと思います。
こういった植物の利用を趣味で調べていると、植物を利用する技術が本当に廃れたものだと、しみじみに思います。(管理人)
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あと、数年前からはまっている古書の中にもフジは登場してきます。
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私が目にした江戸時代に編纂された飛騨地方の風土記である飛州志では木材を流送する木材にフジが使われたことが詳細に記載されています。
また、以前に見た民族映像研究所の作品である「草木蔓」の中にもフジの利用の再現映像が納められています。
そんなことを知ると、昔は今と違い有用植物として利用されていたので、今のように沢山のフジは見られなかったか、利用するために積極的に増やし今より沢山のフジがあったのか、どっちだろうと考えるようになりました。
真相はどうだったのだろう?と今ではそんな疑問を持つようになっています。
あと以前、「巨大なフジ」のことを徒然写真帳で書きましたが、フジの利用を積極的に行っていた時代だと、ここまで太くなるまで放置はされなかったであろう?と思います。
ある意味、現代社会が生み出したものであるのだろうと思います。
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