創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

開示可能な情報は不明

2012-08-01 07:59:57 | Weblog

おはようございます。

 今朝、昨日の記事を読み直しました。我ながら、笑ってしまいました。自分が書いた情報を読むことは本当に面白い。オリンピックなど頭から消えています。此のブログにかかれた当人が、私などの人気のないブログを読むはずはありませんが、万が一、この文を読んだら、ふざけるな、だらしないお前に言われる筋合いはない、と思うかも。

 しかし、この文章に書かれたことはほとんど真実です。私の記憶違い、錯覚で、前後関係が狂っただけ、と自信があります。むしろ、1割程度しか、書けることを書いていません。例えば、公序良俗に反すると思われる恐れのある事例はカットしてあります。後に地位を得た人の学生時代も酷いものが普通かも。もし私がカミングアウトして良いなら、10倍も100倍も面白い、人気サイトを作れるかも。まな板に乗せた人がこのブログを読めば、自分のことと分かるかも知れません。でも皆さん、私の10倍もの社会的な成功者です。私は庶民の貧乏人です。皆さんは世間が認める大学教授や会社重役の経験者です。

 逆に、人生に疲れた人のことを書くのは危険です。褒めたつもりが腐されたと思うかもしれません。ですから、何処まで他人のプライバシーを書いて良いか、足を引っ張れるか、腐せるか、大変に難しい。要は、書いた記事を読んだ相手の気持ち次第です。書く人は関係ありません。書ける限度を法律で定義できませんし、情報を開示できる境界は定義できないでしょう。書ける領域は狭い閉集合ではなく、書ける領域は境界に包まれた開いた集合のように思えます。ですから、学生さんは、私のような塀の上の文章を書くような真似をして欲しくありません。

 その日は、ママと、息子と娘の話を主にしていました。私が野球部退部者で、学生時代から先行きを心配してくれていたのでしょう。子供達の成長をとても喜んでくれました。安心させられた良かったと思いました。料理学校から四年制に発展した大学の非常勤をする、本も書いていると。これは自慢ではなく、フアンとして応援者を安心させたかったからでした。

 当方は工学系でしたが、農学系の常連助教授は私と院が同期でした。実は彼は、定年の少し前、ママが死んだ年に、教授になりました。ママの執念が教授にした、あと半年、ママに生きていて欲しかった。幻の閉店祝いは、彼が幹事だった。フローラはその年に店を閉める予定でした。また涙が出てきました。

 彼は九州の大学から東京に来て、古い世界で苦労したのかも知れません。大学院時代からフローラの常連。煩い客もいるものだと、私が長年感じていたのは彼かも。農学部の助教授が今日も多分来る、話していったらどうか、とママは言ってくれました。9時ごろに彼が登場。やっと話が私の頭の中で繋がってきました。死んだ私の親友の親友でもありました。

 心の中で私は壁をつくっていたのでしょう。料理や農業や情報の話から、息子の話に直ぐ戻し、なるべく隣の先生と話題が交わらないようにしようとしました。でも、息子の高校の話題や同好会やバドミントンの話題に振っても付いてくるのです。しばらくして中学も高校も息子の後輩。大学は同じ同好会に所属しているのだと分かりました。やっと私の警戒心は溶けました。

 そして、フローラプロジェクトと命名された会が間もなく発足。インドネシアに出張し、バド交流と農業調査をする活動に繋がりました。私は不参加でしたが、先生も、私の息子も先生のお子さんも、院生やその他、10名近くのバドと農学部の学生さんが研究調査活動に参加しました。この話題だけで、ブログの記事を幾つか書けます。縁は異なもの味なもの。この話題は此処までにして、本の内容に次回から戻りたいと考えています。でも、記事を読むとまた脱線するかもしれません。

今日はここまでにします。

コメント
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