おはようございます。この2日間、他用があり、ご無沙汰していました。
前回、本が生まれた経緯から、今回は本の内容に戻るつもりだと書きました。しかし、フローラと農学部の先生の記憶を書いたためか、ママに聞けなかった質問を思い出し、書きたくなりました。本当かどうか分からない、確証のない推理を含んでいます。何方か、真実をご存知の人がいれば、教えて頂けたら幸甚です。
私とフローラ常連の親友が会うのは月1回程度。フローラの開店から閉店まで。なるべくお客が来ない日を狙ってゆきました。話の競争者がいなければ、ママを独占できるからでした。ママには2人の娘さんが居たはずです。3人で迎えに来たり、おつまみを届けたりしていました。 開店や閉店の準備や片付けをママがしているとき、2人の女の子を連れた1人の男性が来たことがあったからです。何回かあったかも。
ママの旦那と娘さんでは、と喉まで出てきた質問を飲み込んだ覚えもあります。頭が抜群の、綺麗な人が夜の仕事をしているのが不思議でした。おまけにアルバイトホステスは皆さん看護学校の生徒さんでした。交代で来ていました。娘さんは、50年前のヨチヨチ歩きの子供だったのでは。旦那さんは身体を壊して、休職していたのでは。
今、さらに推理が繋がりました。ママの旦那さんは若くして身体を壊したのではないか。ママは看護学校の生徒さんになったのかなっていたのか。主治医の先生は大学教授だったのでは。学校の近くにお住まいだったのでは。ママの名言、「看護婦になって欲しい人は卒業と同時にお医者さんと結婚する、看護婦にあまりならない」を思い出しました。繰り返しますが、事実だったかは分かりません。
大事な記憶を忘れていました。私が女子大で非常勤をする、教科書を書き始めたと言ったとき、ママはこの店を始めるために、医学部の先生の奥様に連れられて、料理学校へ通った。料理が好きになった。香川綾先生に教えてもらったこともある、と。私はその四年制の大学に行くのですと言いました。奇遇ですね、と言ってあまり気にかけていませんでした。病院の仕事はハードです。24時間、仕事時間は不定期です。夜勤も多くあります。子育てと旦那の面倒を見ながら、一家の屋台骨は支えられません。ママのおつまみは何でも美味しい家庭の味でした。
面倒見の良い主治医が支援して、近くにバーを開店できたのでは。バーなら、私達のようなあほな客も、開店から閉店時間までで追い返し、店じまいできます。ママは頭が良すぎるくらいに良かった。私の話や友人の話を全部覚えていました。何回か後に行っても以前の話題に戻れました。人の名前を職業も趣味も、一度聞いたら忘れませんでした。なかなか教授になれなかった農学部の助教授は癒されるために、仕事を終え、ストレスが消えるまでこのバーで過ごしていたのかも。兎に角、ママはお医者さんになるべき人でした。
さらに思い出した奇遇を書きたくなりましたが、丁度時間となりました。まだ暫く本の内容には戻れそうもありません。失礼します。