お堂で念仏をあげる人たちと話をしてきた。彼岸と毎月21日に行われている行事だ。昔は、回り念仏といって各家を順に回って念仏を唱えていた。当番が回ってくると母親が山菜や煮物などで忙しく動き回っていたことを覚えている。時代が変わりその形では続けられなくなり、お堂を使うことにしたようだ。もっとも、彼岸の行事は100年以上続いているようで、その間、当番が決められオテンマで煮焼きの接待をしてきた。
息子が嫁さん貰うと数年のうちに当番が回るのが決まりだった。泊まりを廃止するなど、時代に合わせて変化してきたが、それでも地域にはいろいろな意見がある。私としては地域の文化でもあるので、残せるものなら残していきたいと思うのだが。
1時間ほど意見交換したが、結局、お堂やお念仏の歴史、意味を先ず発信していく必要があるということになった。後継者が育っていない現状では何年かすれば消滅の危険もある。次に時代につなげるか努力はしてみよう。
お堂
息子が嫁さん貰うと数年のうちに当番が回るのが決まりだった。泊まりを廃止するなど、時代に合わせて変化してきたが、それでも地域にはいろいろな意見がある。私としては地域の文化でもあるので、残せるものなら残していきたいと思うのだが。
1時間ほど意見交換したが、結局、お堂やお念仏の歴史、意味を先ず発信していく必要があるということになった。後継者が育っていない現状では何年かすれば消滅の危険もある。次に時代につなげるか努力はしてみよう。
お堂
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