蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース、ルロワグーランとの対話 7 最終回

2020年02月10日 | 小説
2月10日 渡来部須万男(部族民通信の開設者)の投稿を続けます。
レヴィストロースの公開講座は
>全く理解は出来ない<惨め状況にはまり込んだ、で前回を終えた。ハナのパリその中央のラテン区は学びのミヤコ、そのド真ん中に位置するフランス学院(College de France)の舞台が階段教室。紛れ込んだは若者一人、当代きっての学識、レヴィストロースの講義を聞いてチンプンカンプン。
華麗なる悲惨(徳永恂の著書名)をまさに実行してしまったのだ。
講座はその後も続くし、私(渡来部)も欠かさず出席するのだが、理解に至らない。その原因は第一に頭脳回転能の欠損、次にフランス語理解の未達が挙げられるが、これらと決めつけて正しいだろうか。別の何かが、頭巡りの位相差を、決定的に阻害しているのではなかろうか。
そんな疑問が浮かんだ訳はというと、頭の良し悪しは千差があるにせよ聴衆が100人として、下位かも知れないが、私が最下ではないだろう。フランス語にして能力差があるとしても、講義での言葉は別系なので書を読み、専門の語彙を学べば追いつける。では彼らはあれほどの「ラテン語」みたいな「口演」に追随し理解しているか。全員がそうした特殊能を持つかに疑問を抱き、100人中数人しか追随できないと(負け惜しみ気味に)推定した。

他人はどうでも良いのだ、己の悲惨の真の原因は何か;

講演に対する意識、彼我の差である。
講座としていたが、その語感は「教育」「単位」との繋がりが強い。公開講座は単位を与えない、演者の思想を伝えるだけ。故に講演の語感に馴染む。そして彼の地で講演とは伝えの様が「一方通行」に徹する。演者は語る、述べる。しかし教えない。学部生となって講座とゼミ(travaux diriges)に出席して、理解不能に陥った経験は覚えなかった。それらには「教える」目的が厳としてあるから。

講演での言葉の伝わりは一方通行であるも、中には、演者は聴衆の反応を掴みつつ論を進める。核心に入って、そこ辺りの理解が容易ではないと自ら知るから、繰り返したり筋道の絡繰りを明かしたりする。この一工夫で理解できる。演者にも聴衆にもよけいな経費(口演と頭の空回り)を予防できるから経済的だ。こうした演者は有り難い。
しかしレヴィストロースは過激だ。口演の原理主義者であるから教えず伝えず、考え込ませるだけだ。
写真:レヴィストロースの教授(Chaire)の部屋(CollegedeFrance)説明と拡大は下に

聞き取り不能の学術用語を容赦なく用いながら、ひたすら語る。言葉の句切りは浪々と、息の繋ぎの乱れも聞こえず、喋りの速度は常に一定。己が頭に組み立てている他人に見えない文脈を、言葉と言葉の脈絡で、一語と一語を踏みしめながら、しかと前に進み、後ろに聴衆を置き去りにする。

その例;
<Bien que les connaissances sur les systems numeriques des indiennes laissent beaucoup a desirer, on sait que les systems decimaux reganaient en Amerique du Nord. En revanche, ... le nombre ordinal et le nombre cardinal, la somme arithmetique assure une sorte de mediation,...puisqu’elle permet toute a la fois aux nombres de parraitre l’un apres l’autre , et d’etre presents en meme temps>(講演できっと語ったはずの食事作法の起源から引用)

論を理解するには、これら言葉の繋がり息継ぎのなかで、核心となる語は何かを自身で探し出さねばならない。一方通行、走馬燈でも眺めるかに流れて消えゆく言葉を後ろ影から、一句を引き抜いて、これが理解の手口と当たりを付けて、前節、前々節で疑問に残った言い回しを噛みしめ、解釈をそれなりと工夫しながら、さらに耳は同時性に専念しレヴィストロースの講演を追いかける。
上記引用での核心はまず「decimaux」十進法があって、「nombre ordinal」は序列数詞、「nombre cardinal」は基本数詞、この概念を理解するところから始まる。そしてla sommeがmediation仲介者となる。これを知らないことには全体がぼやけるだけです。しかしフツーの人がフツーの時にこれら語の概念を理解してはいない。
(なお、部族民通信ホームサイト(WWW.tribesman.asia)で序列、基本数詞、la somme がmediationとなる辺りの解説し、PDFを作製している。「食事作法...の続き2」2019年10月15日投稿。ヒマのある方はご訪問を。蕃神注)

写真はL'homme2010年193号からデジカメ、この机にレヴィストロースはもはや座らない。彼の死後(2009年)に撮影されたから。

「ちょいと聞きに行くか」
好奇心で臨むのでは理解はできない。何を主題とするのか、どんな用語が用いられるかを前もって調べ、その書に接しない限り無理と知った。その覚悟をレヴィストロースは聴衆に求めている筈だ。演壇と列席を挟んでの刃撃、散るは火花、智の真剣勝負と言えます。口舌で相手を納得させるローマ時代以来の雄弁、そのパトスが階段教室に危険なほど充満していた。骨の髄から日本人の私(渡来部)は呑気でそれを知らなかった。

彼我の差は匕首を懐に呑む哲人に対して呑気坊ーヤの行き当たりばったりに収斂される。

後日談;さっそくサンミシェルの書店に出向いて本書を購入した。少しずつ読み進めるのだが、理解に至らない。2週に1回の公開講座は楽しみだが、幾度も「華麗なる悲惨」を実行するのみだった。

さて、レヴィストロースとの対話はあったのか?これが;
無かった!一の学部生が稀代の哲人に近づける機会はない。読者には、長いこと引き続けたが講演では真剣勝負で戦われるを知った「対話」があったのだと赦してくれ。それに彼の右腕のプイヨン先生とは幾度か対話もしたんだから。了

終わりに;学生留学の制度を設け、私(渡来部)を選考し派遣してくれた財団法人「サンケイスカラシップ」様に深謝を表します。また「ソルボンヌ学部に登録するにはaccueil(選別する事務所)で口頭試験があるから、目的をしっかり説明しないと落とされるわよ、そうなったら文明講座にまわされるのよ」有り難い助言を頂いた島田明子様(サンケイスカラシップ事務局)には多々感謝のみです。風の噂で山岳遭難してしまった、若くして他界なさった彼女へ謝意と、生前に伝えられなかった熱い好意が届くよう願いつつご冥福を祈ります。

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結婚パラダイムをHPに掲載

2020年02月08日 | 小説
部族民通信ホームサイト(WWW.tribesman.asia)に昨日(2月7日)に当ブログに投稿した「同性婚、結婚パラダイム」を投稿した。一部加筆とあわせパワーポイントの図式をPDFとなって参照できる。本ブログにはそのPCスクリーン画像を張るけど、ぼんやりですね。

拡大は下に
また一昨日の「頼朝....」もホームサイトに入れています。


「部族民通信」で検索してもたどり着ける。よろしくサイト訪問を。蕃神
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人の自由、同性婚と結婚パラダイム 読み切り

2020年02月07日 | 小説
(2020年2月7日)
同性婚を認めるよう圧力をかける団体、個人の動きがあるという。ネットで調べると世界26箇所、19%を越す国地域で同性婚(同性パートナーシップを含め)が「法的に」認められている(NPO法人EMA日本のサイトから)。こうした現状から日本においても「同性婚に異性婚(このような言い回しはないから以降「結婚」とする)と同等の権利を法律で規定する」と同団体は求めている。
これを如何に考えるかを部族民の立場から述べる。
結婚による配偶者であることの権利、優遇、認知は以下にまとまると思う。なお3の権利優遇…はいずれも、とある特定の義務と裏表である事実が大前提である。
1 両性相互の扶養の義務と権利。かつては夫が働き妻は夫を助け家庭を切り盛りした。妻の扶養に法の根拠はないが、法律以前の倫理として夫はそれを持つ。結婚は子を成すから夫の稼ぎで子を扶養し、養育は妻が担う。
2 社会での認知。近隣、地縁、村落共同体で結婚への認知は通過儀礼的に、昔は、不可欠だった。認知を受けることにより各種義務と権利が生じ、給付に預かることができた。入会権、刈り払い、伐採、作業の相互手伝いなどが挙げられよう。今の世では勤務する会社から配偶者(子息)への補助、福利厚生、旅行の機会が供与されると聞くも、かつてのしきたりの延長であると思う。地域あげての結婚への盛り上げは今も残ると感じる。
3 国、法律、制度による結婚への優遇。配偶者であることの優遇には税金(特別控除)、相続(無税の範囲)、年金(第3号資格)、保険(家族単位での支払い)など小筆が個人的に数えた。前出のEMA日本サイトで他に、医療行為への同意不可、カルテ開示に請求不可、控除のための医療費合算不可、介護休業の不許可、相続借地の継承で不認可などを読み、多岐にわたるモノだと驚いた。
さらに番外;しきたり習俗との不調和も挙げられる。親族の冠婚葬祭に「同性配偶者」が呼ばれることは少ない。配偶者の葬式にあたり「死亡証明書」の交付を受けられないから焼き場に持ち込めない、ひいては葬式で「喪主」に座れず、呼ばれもしない(多々あるとか)。
1~3は家庭、社会、制度と段階に分かれるが、そこで「同性婚」が人々の心情、風習と不協和をきしませる背景は「なぜ」か、これを取り上げる。

さて、この投稿の文初に申した「特定の義務」は再生産活動への参加である。
「次世代の再生産」を個々の単位で行動しても効果がない。集団として、すなわち村落共同体として、さらには国家ぐるみでこの活動を維持、促進しないことには国が滅びる。それ故に褒賞を設けて義務課す仕組みである。端的に言えば優遇するから、結婚して子を産めである。
犬や猫など動物であれば仔を産むに病院に入らない。産んでしばらくは母犬猫が授乳させるがそれも幾カ月。母と子はすぐに別れるから、仔育てにおける親の懸かりは僅少である。よって犬ドモ(猫ドモ)が両性挙げての育児や、犬猫社会が法制度を定めて子犬猫の育児を援助するなど聞いた例しがない。蛇やトカゲに至っては、子育てはさらに乾燥している。
なぜなら犬猫猿などは視界が狭い。共時的事象にしか目が届かない。共時的とは今の見える行える状態であり、それが彼らの活動そのものである。雄と雌が交尾する、仔が生まれる。交尾と仔は時間差のある経時だから、奴らにはそれが因果とは気づかない。交尾も授乳も本能に制される行動である。
人は犬猫とことなる、
共時と経時の因果を知る。だから「再生産パラダイム」を心に持つのだ。
家族制度、社会の仕組み、法制度。これら全てが結婚を「世代再生産」活動の出発点と規定している(これが共時性)。結婚している両性を保護、育成する。経済的利得と法制での優遇を与え再生産活動を促す(経時性)。
結婚とは子を産み、育て、新たな家庭を形成させるとは再生産パラダイムに両性が身を置く事に他ならない。

同性婚を法で認め、さらに「結婚」と同じ水準の制度優遇を法制化すべしはこうした団体の要望である。部族民としてはこの要求は、人が過去、幾万年の歴史で形成してきた「再生産パラダイム」にただ乗りする行為だと思う。賛成しかねる。

写真はネットから、RuwenOgien解説は下に

衆議員の杉田水脈氏は「LGBTは生産性がない」と発言して社会の多層から反論を受けた。LGBTとは同性愛者など性行動の少数者を総称する用語(英語圏で広まる)である。この語を用いる目的は「規格にとらわれない性行動の自由」を求めている。性愛の形態に自由を求める運動と見る。そうした方々に「生産性」が劣るかの受け止めの背景には、かように性愛作法に年中拘泥するとは「社会での実活動をないがしろにする性状」の人々ではないかとの危惧、誰もが抱くそんな怖れを杉田議員が指摘したとのだ思える。


Ogienはフランスの哲学者 2017年没。「他者に危害を与えない限り人行動は自由」を提唱した。同性婚、マリファナ摂取も全て自由。フランスにおける同性婚推進の旗手であった。

杉田氏への批判側は「決めつけは人権無視」とのできあがりの文句を繰り返すのみで、前向きに「LGBT実践者だって社会での実活動も積極的」を証明する機会を自ら排除した。これは残念だった。性愛活動のあり方、同性婚の推進、否定の議論とも合わせ、敵対側を全否定する過激にのめり込まず、それぞれが意見を言い合う風潮を希望する次第です。了



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肖像画頼朝、泉石、モナリザ 読み切り

2020年02月06日 | 小説
(2020年2月6日投稿)
京都神護寺に伝わる画、伝源頼朝像(国宝)は肖像画の傑作として名高い。
ネット百科を開くと作風について=髪の生え際などは細かく線を重ねる丁寧な墨描きで表現され、ごく淡い朱色の隈取りをほどこして立体感=とある。この解説あと>人物の外見のみならず内面を描こうとしている様子が<(Wikipedia、神護寺三像から)が加わる。
渡辺崋山の鷹見泉石像紹介においても>人物の内面まで感じさせる高い完成度を持つ<(ネット百科から)とある。

伝頼朝像画はネットから採取。

内面とは心であろう。心を描くとはどの様な技法を用いて可能になるのか。

泉石像について小筆は>異様を感じるとすれば漲る光であろうか。画の全様から光が発せられているとしたら、それが意思<と述べた。これは個人的心象でしかないから、読者には分かりにくいし、納得に行かないとおもう。よって、ここで取り上げている「内面」「意志」「光り」を掘り下げてみたい。

頼朝像(部分)幕府の開設者、武家の頭領の毅然とした決意が窺える面構えである。

人の体から熱は放射する。犬猫だってそれを放射するし、熱とは光と波長が違うから目は感じない。すると内面、意志を描くとは、身体から発する見えない何某、それを熱気あるいは光としてもよい、を描くに他ならない。しかしその何某を光束として可視化したら後光、オーラとなってしまうから政治プロパガンダか布教専用の宗教画になりはてる。

肖像画とは見えない意志を見えない光でキャンバス、絹本の上に表現する作品となる。いかにしてそんな芸当が可能となるのか。

基本は技法の習熟である。>線描を使った東洋の伝統的な画法、相貌は西洋の陰影法や彩色法を使うという対照的な技法を用いながら全く違和感なく融合させ<(泉石像の技法、ネット百科から)要するに上手い絵描きでなければならない。上手い絵描きが人物を克明に再現したら内面が描写できるのだろうか。きっとそれは可能だろう。
しかし、写実に徹し上手く再現できた人物像と写真との違いはどこにあるのだろうか。すこぶる立派な写実とは写真と変わらないだろう。

それでは肖像画の傑作とはどの様に描くのか。

メルロポンティにお出まし願う。
知覚の現象論から;状景とはmilieu(場)でありあらゆる信号が交雑するカオス状況になっている(「カオス混乱」は言い過ぎで、現象論の読み過ぎです。メルロポンティはそれを用いていないから小筆のチョー誤解なのだが、この言い回しは便利なので、時折これを、現象論で使う)。カオスのまっただ中から意義ある信号を選択する行為が芸術である。
セザンヌは色と影の信号を選りすぐって聖ビクトワール岳(南仏エクサンプロバンス近郊)を描いた、とメルロポンティが論じた。神が彩る聖ビクトワール岳とはかくある筈の信念がセザンヌあった。

崋山が泉石を描くとき、絹本に何を写すと心がけたのか。人物である、蘭学者にして藩家老の思想と行動である。藤原隆信が頼朝の似せ絵に取りかからんとして、何を絹に写すとしたか。人物である。鎌倉に幕府を開き皇朝に反旗を翻す武家の統領、その面構えから意志の力を描こうとした。

人の意志は目に宿り行動は口元に浮かぶ。見えない光が人物から横溢するとしたら、目と口元から発する不可視光線が、筆の加減で干渉し、重層し増幅に至る。見えなくても増幅しているからそれは画を見る者に伝わる。崋山の泉石像で感じた>漲る光<の源泉画この重複にあります。
頼朝像、泉石像、参考にモナリザ像を張る。最後の写真はピアニスト・アシュケナージです。この目つきに脅かされてCD全集を買ってしまった。


なお、本投稿は部族民通信ホームサイト(WWW.tribesman.asia)に同時投稿した。こちらには他2者の肖像画を並べて比較している)
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レヴィストロース、ルロワグーランとの対話 6

2020年02月04日 | 小説
(2020年2月4日)
演壇裏の通路からコツコツ、靴の音が聞こえた。始めは微か、すぐに大きく、急ぎ足を響かせた。ドアが開いて男が肩口からのりこむかに入った。痩身、振る腕の手先には一帳のノート、頸がひょいと長くその上の顔はコケ皺の一条が刻む薄い頬、鷲鼻がその真ん中にしっかり座る。その若い頃の写真で髪は黒。しかし登場した男の頭に白い髪、生え際が後退しているから、もとの広い額をさらに広くしていた。紺の上下にネクタイ。生地にやつれが見える。着する様は羽織るかにゆったり、着古したその分、着易いと覗える。肩口から前身頃は素直に、着ずれの皺を浮かばせず垂れている。上着と同系、でもより濃い色のネクタイが頸もとを緩く占める。

写真はネットから。拡大解説は下に。

演卓に歩みを速め立ち止まった。
ノートを卓に置き頁を開いて、黒縁眼鏡をすこしズリ上げて、席列に待ち並ぶ聴衆に目を向けた。それはクロード・レヴィストロースであった。写真で見慣れた風貌まさにそのもの、彼自身であった。

百人を越す聴衆に対峙し、演壇に立つ一人の男が無表情に視線を巡らせた。
構造主義の旗手、言語学意味論を換骨奪胎、意味の主客を逆転し、現象論を無味乾燥の根源的対立の無神論に刷り替えて、弁証法論争でサルトルを打ちのめした理念の超人。神にも近い立ち姿を目の前にしている。その筈だ。
しかし、張りつめた気がすーっと風の通りのように、私から抜けた。
背広上下にネクタイの痩せた長身の男、それは一人の市民ではないか。

フランス学院の公開講座のレヴィストロース。黒板にaishishi(イシス)と書かれる。「裸の男」のヒーローなので撮影は1970年以降。私(渡来部)が聞いた2年後であろうか。

確かな気落ちである。沈思してしばらく、そして、
tapis rougeレッドカーペットを敷き詰め、登場に合わせファンファーレでも流したらよかったのか。哲人といえども背にオーラが生えてはいない、バラ花弁の散らばる石楠花の小径を踏みしめる毎日ではないし、風体とか身なりでそこいら市民と変わるところがあるものか。痩せぎす背の高い一人の眼鏡の男。それで彼には十分ではないかと思い直し、
「この初老男がレヴィストロースを演じているのではない、レヴィストロースが彼を演じているのだ」気を取り戻した。

<Messieurs, dames et mesdemoiselles. Bonjours a tous.紳士淑女、お嬢さんの皆さんによい日よりを>
damesとmesdemoi...の間に一息おいた。damesで終わってお嬢さんを外しても欠礼ではない。聴衆に未婚女性が混じると気付いたのでmesdmoi... お嬢さんを追加したのだろう。顔見知りかも知れない。
さっそく演題に入った。
彼の口からは演題について「それが何か、素材は、主題は、展開、筋立ては...」これらの一切を語らない。すぐに本題に入った。

写真をもう一葉。公開講座の雰囲気(50年前)がお分かりかと。3日投稿した写真は今の状況である、随分と変わったモノだ。

1968年11月のレヴィストロース刊行物の状況をさらうと;
神話学の第三巻「食事作法の起源」を1968年7月に出版している。部数は9495冊。
それ以前は;第一巻生と調理(Le Cru et le cuit)の出版が1964年末、8979部を印刷して評判は高かった。第二巻蜜から灰へ(Du Miel aux Cendres)は1967年初に出版。部数は若干増えて9271。
すると1968年4月までの講演は(おそらく)「蜜から灰へ」であったろう。7月出版の「食事...」を11月に取り上げたのは自然な流れである。
しかしここで私(渡来部)の記憶が不確かになる。

「食事...」はモンマネキの冒険から始まる。この神話M354が本書の基準とされるので、まずここから解説を始める筈だが、その時聞いたのは「バイソン婦人」(M465北米Hidatsa族)に思えてならない。神話は小男、実は太陽神が村人に賭をけしかけて、村が所有する武器を全て取り上げた。バイソン婦人が「太陽神の手下部族が攻めてきて、男は殺され女は奴隷に貶められる。これを防ぐには...」村人に入れ知恵し、何とか守りきった。神話紹介の段は分かり易かったが、その後が「全く分からない」状況に陥った。
後日、同書を購入し読み進めて、というか辞書を首っ引きにして、幾度も挫折して頁を開けたままにして、数年後に(自分なりの)理解に至った。
前知識なしに<le nombre ordinal et le cardinal, la somme arithmetique assure la meditation , puisqu’elle permet aux nombres de parraitre l’un apres l’autre......>
を聞いて100名のフランス人聴衆はスノッブで高学歴だから、きっと分かっているのでしょう。私を言えば全く理解は出来ない。ラテン語の講義を聴いている錯覚さえ覚えた。
続く

(なお上記バイソン婦人神話は「食事...」の第二部Balance egaleの基準神話となります。この章は数え方の原理、基本数詞と序列数詞の区別。序列数詞の最終位が「充実」を意味するを述べる。部族社会の興隆と没落の周期性を序列の最終位と見比べる思考を解説している。部族民通信のホームサイト(WWW.tribesman.asia)2019年10月15日投稿で取り上げています)
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レヴィストロース、ルロワグーランとの対話 5

2020年02月03日 | 小説
渡来部須万男からの投稿を続けます。
1968年11月23日の日曜日、11時、快晴。晩秋の空の青さに染まるパリ、道も広場も街路樹も光と影に透き通っていた。アジア系若者がカセット通りに降り立った。その時、風が一陣吹き抜け、若者は冷たさに襟を立てた。再開されたレヴィストロースの講座を聞くためにフランス学院(College de France)に急ぐ。

市民参加の公開講座ながら学期と連動するので10月からの開講が期待された。しかし11月の遅くまで待つ事になった。前の期にしても通例は7月末まで開かれる筈だったが、突然4月に、中断する旨の通告が閉ざされた教室の戸板に張られた。打ち切りと遅い再開、原因は言わずと知れた5月の学生騒動である。
半年が過ぎて再開の公知に待ち望む面々は胸をなで下ろした。

写真はフランス学院の階段教室、公開講座の聴衆。ホームページから。

学院の公開講座は教授(chaire)の義務であると前回述べた。
月に2回、時間は90分。入場希望者に登録、記帳などの義務、制限が一切なし。まして講座料を取るなどケチの臭さは発想にも浮かばない。
講演の進め方がフランスのスタイルである。学部の大教室の講座でも同様である。そのスタイルとは、講師は口頭の説明のみに徹する。彼は語る、語り続ける。分かり難い箇所があろうとも聴衆反応が渋かろうと、ひたすら「口演」で進める。繰り返しを入れたり、込み入ってきたから噛みくだく解説を披露するなど、理解弱者への手助けが一切ない。さらに質疑応答は設けられない。資料配布は絶対にない。
講演者の言い分をもっぱら有り難く聞き賜る、フランス式講座である。
(こんな講座を体験したい方は日仏会館(東京恵比寿)の公開講座に足を運ぶをお薦めする。無料、資料なし、予約と記帳はいまの世情なのであり。フランス式が何とか分かる)

レヴィストロースは日曜午前を選んだ。
日曜なら多く市人が時間を取れる、彼自身もその時間帯に他の用件も特にはなかろうが理由として思い浮かぶ。一方で彼はユダヤ系を父母にもち「無神論者athe」である。日曜午前に教会に参列する習慣を生来、持たない。聴衆者にnon-pratiquant(日曜に教会に通わない)を無言で求めている。

冒頭で襟を立てた若者とは私(渡来部)です。
カセット通りをリュクサンブールに下り、ヴォジラールを左折してサンミシュエルに向かう。エコル通りに出てソルボンヌを目指す。学院はその隣。通い慣れた道のりはおおよそ15分。
開始の10分前に教室に入った。床は広く天井が高い、収容数は数百席か、学術講演では相当に大型の会場、もうほぼ満席、人々の立ち声と息切れに驚いた。
もっとも低い中央には横長の演壇がしつらえてある。その中央に大きな演卓と椅子が一脚ぽつんと置かれ、後ろには長い黒板。手書きでClaude Levi-Strauss, Seance a partir 11 :00、11時からの講演が読めた。

写真は同じくホームページから。改修されて立派になった。

1の列の椅子数は20ほどか、左右の端が3~4席が扇に閉じる。それら列が演壇に対し勾配を上方にとる。近くでの水準は演壇と同等なるも、演壇から離れるほど列は高くなるので、遠くとなれば見下ろせる。2の通路が左右に、椅子列を二股に分断する。この通路が階段をなすが故に階段教室(amphitheatre)と呼ばれる。

すでに市民が多く集まっている。

私(渡来部)は後方の左奥の一席を探り当て、くぐり入って座り込む。その前ざっと教室を見渡した。
聴衆の年齢は30代後半から50代前半が過半と見えた。民間も官界でも仕事場の実際では指導的立場を占める層であし、自信ある姿勢、仕草の男共が目についた。服装はおしなべて、きらびやかさを排するが、日曜午前の時間なりにしっかりした身だしなみを決めている。例えば2列前の男、厚地ツィード上着にその下は色の濃い、紺か紫のシャツにリヨン絹のスカーフ。この装備ならば今の季節、冬のとば口で風は冷たいけれどメトロ(地下鉄)移動に徹すれば、外套の重ね着ヤボは不要だ。厚地ながら外套なしなら、パリ的にシックである。そのツィードと立ち話しの男はシングルのバーバリーを脇に抱え、チェックの上着。頸を巻いたスカーフ生地は色ツヤからアルパカか。腕に抱えるバーバリーはタンス出し卸しだろう、くたびれ塩梅ながら洗いざらしの地の青の照りが映えて、これが小粋。

女は色とりどりである、その一方で色と色の組み合わせの有様には何やらの基準、統一性が窺えた。その配色を探れば、くすみである。
皮側を表にしたムートンコートが流行っていた。長い毛の側が厚い裏地となる。それなら下のブラウスは薄手でも北風をしのげる。そのコートを脱いで無造作に椅子に、もう要らないと放り捨てた薄着女の格好はいかに。薄地ウールがボディコンシャス。その色は強い灰か、うっすらとビアズリー模様が表に乗る。身体露出の代わりに、灰色の裸体を見せつけたのだ。
知り合いであろうか、ひょいと立ち上がり3列前に手を小さく振った。向こうも同じ歳の格好、ベージュ無地のダブルの上着のコートなし、振り返り立ち上がったスカートはタイト、それは無地の濃い臙脂。

右列に学生らしき若い女性が席を取った。
厚手のセーター、ざっくりの織りは黒にも近い濃い青、胸前に大きなインコのアプリケ。栗色(chateigne、ブロンドより濃い)の長い髪を後ろ手で探り、うなじから添えあげて一ふるい落とした。その間に視線流しを私に見せつけたけれど、その仕草は特定意思ではない。身体表現が胸部、さらに臀部で際だつこうした女の歳のころが25、26ならの決まり切った日常の動作である。
道で立ち止まる、相手を見つめる、誰かの前で腰掛けるなどの動作の止まりで、次に移ろうとする一瞬の前、こんな仕草で時を止め身体の表現力を挑発の証しとして、ただ確かめているのだ。

一旦、席を決めて見渡して、知り合いが認められて手を振れば、相手にも悟られる。そちらに歩いて立ち止りボンジュール、あるいはmon vieux ca va ?の挨拶。そして握手、女同士あるいは男と女なら頬ずりをかわす。頬を重ねるからと親密な間ではない、普段の挨拶の一形態である。それから会話に入って二言三言を交わすけれど、別にたいした話題ではない。「ミッシェルが死んじゃった」「ミッシェルて誰」「ネコ」それでもそんな立ち話に花が咲いているから、教室は雑談の坩堝に化した。
席を移動して話し込むなどの配慮は絶対に起こりえない。別にやって来て己の席を誰からも離れて取る。誰か画どこかに来ていると認めたら、近寄って立ち話するだけ。席は共にしないが決まりである。
私も幾人かの同期と手を振り位置確認しただけ。

「日曜の午前」なりの服装と前に申した。その趣旨とは派手さを抑え、それなりの物で着こしめす。この服装の統一性には日曜ミサのしきたりが色濃く残こるかと感じた。
伽藍に向かう代わりに学院、聖堂を階段教室に乗り替え、祭壇を剥がして黒板に張り替え、耶蘇司祭を追い出してレヴィストロースを置いた。するとノッブ(通人、あるいは流行おっかけ)の礼拝が始まろうとしているのか。

時計の針が11時、始まりを刻んだ。 続く

(フランス学院のHPを覗くと公開講座は「教授」のみならず、多くの研究者が開いている。制度が民主的に変わっているかと思う。また土日の講座はもはや無いようだ)
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