蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

牧野富太郎、シーボルト、お滝 4 最終回 

2022年08月15日 | 小説
(2022年8月15日)本書Makino(高知新聞社編北隆館発行、初版平成26年)を借り出した目的は昭和天皇とのつながりを確認したかったから。思わずシーボルトに筆先が向かったが、本筋となるべきくだりは;
昭和23年の秋、富太郎の自宅に宮内庁から電話が入った「お父さん宮内庁から電話ですよ、天皇陛下がお召しですって博士は左手を耳に当てて「陛下がこの私に…」ゆっくりうなずいた」(163頁)


山と積まれた蔵書から一冊を取り出し真剣に調べる富太郎(Makinoからデジカメ)


吹上御所を歩きながらのご進講となった。博士は武蔵野の植物についてご説明を申し上げた。陛下は興味深くお聞きになり、御苑の植物について専門的なご説明をなさった。ご進講の終わった博士に昭和天皇は「あなたは国の宝です、長生きしてください」励ましの言葉をさしのべなられた(同)昭和23年10月7日。
侍従談話が新聞に載った「陛下はいつも牧野博士の著作に親しんでおられ旅行先にも必ず携行される。博士の権威には大いに敬服しておられる」(165頁原文)
植物採取で健脚、生まれつきの強壮を富太郎は自慢するが加齢にともない体調が思わしくない。
「病状は深刻となっていた。7月には陛下から魔法瓶に入れられた見舞いのアイスクリームが届いた。12月に急性心不全の発作」これをやっと乗り越えて昭和32年の正月を迎えた。1月18日3時、命が尽きた。94歳。死去の18日付けで国は文化勲章を贈った。ひ孫の一オキ(氵に孛)氏は当時幼年、ご下賜アイスのご相伴に預かった「バニラ風味で美味しく頂いた」の記憶は懐かしげだった。
ある植物和名の決定に昭和天皇が関与した逸話は巷間に流れている。
世間に広まっていたのはムラサキダイコン、地方名でハナダイコン、ムラサキナナナ、シキンソウ。そして有力対抗馬がショカツサイ。この多年草は中国から渡来した、大陸に進駐した兵士が種を持ち帰ったから戦後に急速に広まったとも伝わる(あくまで一説)。大陸渡来の所以を和名に残す一派の謳い文句はかの諸葛孔明が愛でた「だからショカツサイ」(ネットなどからの情報)。こちらが和名に定着するかの勢いを得た、何しろ孔明なのだ。


和名オオアラセイトウの元になったアラセイトウ(ストック)。命名のこの経緯から両草の分類上の近縁が理解できる。原色牧野植物図鑑からデジカメ

孔明との縁はない、古く江戸期から広まっていたと知る昭和天皇は「牧野がそれと言うならそれが和名に適切」と侍従に漏らした。その名がオオアラセイトウ(大紫羅欄花)。天皇の一言で決着した。以上は人も知る話で、書籍ネットなどでその旨が語られるが、原典をいずれも出していない。侍従がどこかの新聞記者に語ったのなら記事が残るはず。部族民(渡来部)は未だその記事を見つけられない。この本ならばその原典を明らかにしている、本書を借りだす狙いはそこにもあった。しかし命名の経緯も昭和天皇の「お差し金」なる顛末も記載されていない。推察するに高知新聞としてもこの話を採り上げたかったが、原典を見つけられなかったのであろう。都市伝説に風化させたくないものだ。(渡来部須磨男の投稿)

元祖部族民トライブスマンこと渡来部須磨男の近影

牧野富太郎、シーボルト、お滝 4 最終回の了(2022年8月15日)
次の連載投稿はラカンに戻り「オオカミ少年ロベール」、8月29日から(予定)。

補記:本日は77回目の終戦記念日、戦死した将官兵士の方々、お亡くなりになった犠牲者様へ部族民通信より哀悼を捧げます

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