蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

狩人に女はいない 下

2022年12月15日 | 小説
(2022年12月15日)Youtubeの部族民講座で紹介しているMurngin族の婚姻体系において、交換の実体は嫁(婿の場合も)を限定、一般化の様態で贈り貰うのだが、その思想は「財のやり取り」。財には2種あって系統内で承継する財、これは交換に回さない。もう一方は他者に贈って、その他者がまた誰かに贈って...と族内を周回させる「交換財」。これらを族民は峻別している。狩猟採取を生業とするのが部族民の本領であるからに、自然と女が家屋田畑(採取する草原森林)を所有し、男は狩猟する用具と技術、そして族民社会で認めてもらう狩りの権利を所有する。
女が狩猟するとは男が採取すると同様に特異行為と蔑まされる(はずだ)。
これを固定しないと交叉いとこ婚の説明がうまくいかない。「間違いなど犯さない筈」の尊師レヴィストロースも、ここを悔やんで神話学3巻で(鬼が太陽を食らう)同系統の神話を採りあげた際に、erratumの気遣いで「チャリアを女鬼としてしまった」の一文をはさんだのだ。

そこまで考えて:
民族学者を悩ませていた疑問に、物理、理念、摂理の三欠損で女は猟師になれないと部族民(蕃神)が答える。


婚姻制度と財の交換、本年11月25日youtube投稿の説明資料、

1物理。女はひ弱だから狩りに向かない。これは正しい。
獲物を狩るとは。狩るまでの労苦と辛抱は女も勝る。しかし狩りとった獣を前に女は非力だ。皮を剥ぎ、血を抜いて腸抜き四肢を分解する。頭から足先が血と脂にまみれても、夜になっても疲れ果てても、もっこに担いで村に持ち帰る。これは男の仕事だろう。
さらには「月々に流れる血に穢れる身だからからこそ、さらなる汚れの獣血を女が受けてはならぬ」などとご先祖様が御託を並べたかもしれない。

2理念。
狩りは特権である。その権利とは獲物を狩って持ち帰り、満面にドヤを浮かべて女子供らに分配する権利である。これは一子相続、長子に譲られる。娘には絶対に渡されない。肉をハミたければ女は男に、屈強若者に、特に勇猛猛者に身をあずける選択しか残らない。「肉」を喰いたいがために色恋抜きの食欲一本下りの直滑降で、先住民女は、ボロロ女に限らず、男に身をまかした(神話での話)。特権と優越、受容と堪能、これこそが社会安定の秘策であったのだ!

3摂理
狩りは自然界への人の干渉である。獣を殺すは自然への挑戦でしかない。自然は狩人に反撃する。レヴィストロース神話学では「分別ない狩猟、見境なく狩る」「獣が無防備にある夜の狩猟」には懲罰がくだされる。
生き死にの沸騰点に追いつめられる因果の業が男の狩りだ。再生産を担う(子を産む)女を修羅場に押し出す必然はない。


青木繁「海の幸」(国の重要文化財)繁が描いた狩人は海を狩る漁師である。この列に女はいない。海の狩るとは自然への窃盗である。報復を必ず受ける。嵐の海に女は置けない。(実はこの漁師の列には一人だけ女らしき顔が見えている。上図は縮小で見えにくいが、白い丸い女顔が認められる。繁の許嫁の福田たね、との注釈を読んだ)

ここからが部族民(渡来部)のYoutube講座を見て閃いた4番目の理由。これを理由2の追とする。
2-2:狩猟権利は財となる、それは婿に紐付く交換財であろう。先住民多くは母系居住であるから、娘は家に寄りつき、母から家屋田畑を譲り受ける。男が狩猟の道具と「狩猟権利」を携えて婿いりする。財の固定と流動、これが婚姻構造の思想であるのじゃ(蕃神義男)。了(2022年12月15日)


承継財と交換財がいかに流通するかの略図(本図はレヴィストロース著作から)

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