ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(2)「床屋ー研究所」モデル

2013年09月19日 | 高等教育

今回も10月19日に「日本の研究力を考えるシンポジウム」についてのシンポジウムの練習です。

ー第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

 前回のブログではDさんの最初のご質問にお答えをしましたが、Dさんのご質問はまだまだ続きます。

“「減価償却費」は、施設・設備への投資額や債務償還費を反映するが、この比率が大きい病院ほど、相対的に人への投資額が少なくなり、一人当たりの診療の負荷が大きく、その結果、研究時間が少なくなる可能性が有ると考えられる。・・・・・・”投資できる手持ちの資金額が同じ場合、施設・設備に多く投資すると、人への投資が少なくなるのは理解できます。これは経営者の判断の問題では? 

 借入金で施設・設備へ投資した場合、ある決まった期間に返済する必要があります。この期間は、減価償却期間と同じでしょうか? よく分かりませんが、借入金の返済期間が短い場合、返済が終われば、減価償却費というのは現実にお金を支払うのではないのでしょうから、より多くの金額を人へ投資することができる可能性があるのではないでしょうか?

 借入金が大きいため、一人当たりの負荷が大きくなるのは現実の問題としてあるのかなと思います。でも、先生も否定されていませんが、施設・設備は研究に大きく寄与する要因の一つではないでしょうか。勿論、研究目的とか内容とか手段等によると思いますが。 過度の投資というのは、経営者の判断の問題が大きいと思いますが。

 投資できる手持ちの資金額<<借入金 ですか?    

 “研究時間が少なくなる可能性があると考えられる。” 可能性ですから否定は出来ません。でも、臨床医学論文の9割以上お金で決まる!!は少々抵抗を感じるのが本音です。

 今回は財務指標の一つである「減価償却費」をめぐってのご質問が中心ですね。「経営者の判断」のご質問については、「仮に論文数はほとんどお金で決まるということを認めたとしても、そのお金の財源の一部は経営判断で左右されるのではないか?」というご質問のように思われます。これは、論文数がお金で決まるかどうかという問題を一歩進めた高度なご質問ですので、答えは後に回すことにして、まずは、「減価償却費」なるものの会計的な解釈についてのご質問にお答えしたいと思います。

 「借入金で施設・設備へ投資した場合、ある決まった期間に返済する必要があります。この期間は、減価償却期間と同じでしょうか? よく分かりませんが、借入金の返済期間が短い場合、返済が終われば、減価償却費というのは現実にお金を支払うのではないのでしょうから、より多くの金額を人へ投資することができる可能性があるのではないでしょうか?」

 これは「減価償却費」についての基本的なご質問ですね。

 ご指摘のように減価償却費の償却期間と借入金の償還期間にはずれがあります。現在、国立大学病院が利用している国立大学財務経営センターからの借入による場合は、医療機器などの設備については、償却期間よりも償還期間の方が長く設定されています。(仮に医療機器の償却期間が7年とすると償還期間は1年据え置きの9年)。一方、建物については、その逆で、償却期間よりも償還期間の方が短くなっています。(仮に建物の償却期間を39年とすると、償還期間は5年据え置きの20年)。これらの合計でもって、各大学病院の毎年の償還額や減価償却額が決まることになります。今までの国立大学病院では、高額の医療用施設・設備費についてはほとんどが借入金で賄われてきており、少し長い目で見れば両者は概ね相関をしています。

 Dさんのご質問の、「借入金の返済期間が償却期間よりも短い場合、返済が終れば、より多くの金額を人へ投資できるのではないか?」というご質問についてですが、短期間の借入金償還を経常収入で賄えるほど経営状態が良ければ、Dさんのおっしゃる通り借金を返し終わった後は、次に建物や医療機器の更新をするまでの期間については、人を増やすことができますね。ただし、短期間の借入金償還が経常収入で賄えず、資産の取り崩しなどを行わなければならない経営状況であれば、話は変わってきますし、次期の施設・設備の更新までに残された期間が短ければ、その期間だけ人を増やすということは現実的には困難になります。

 国立大学病院でそのようなことが生じるとすれば、病院再開発時の建物建設の償還のピークが過ぎて、返済が楽になってきた頃ですね。ただし、医療機器の更新はけっこう頻繁に行わないと、大学病院は先進医療を維持できませんので、必ずしも人を増やすわけにはいかず、償還のピーク時に更新を控えていた先進医療機器の更新が人よりも優先されるかもしれません。ある大学病院の再開発計画を例にとると、償還のピークが過ぎるのは約25年後になっていました。つまり、人が増やせるとしても25年後ということになります。これでは、25年後に人が増やせるとしても、激しい国際競争には打ち勝てませんね。また、従来は、30年経つと病院の再開発を考えるので、次の再開発投資までの期間もそれほどありません。そんなことで、償却期間と償還期間の隙間を狙って人を増やすというのは、あまり現実的ではありません。

 「投資できる手持ちの資金額<<借入金 ですか?」  

というご質問に対しては、国立大学病院ではその通りです。

 基本的に、国立大学病院では、中期目標期間(6年間)については剰余金の留保が認められていますが、中期目標期間を超えて、剰余金を繰り越すことは困難です。財務省としては、繰り越せるお金があれば国に返還するべきであるという考えだと思います。その代わり運営費交付金が国立大学に交付されているわけです。運営費交付金は毎年削減され続けていますが、もし、各大学が将来の病院再開発のために剰余金を積み立てる余裕があるのであれば、財務省は運営費交付金の削減幅をもっと大きくできるという判断をするのではないかと想像します。

 42国立大学の附属病院の借金の総額がどのくらいあったかということですが、国立大学が法人化された平成16年の時点では約1兆円でした。最近ではその額は減少傾向にあり、9千億円を切っています。これは、法人化以降、各大学病院がいっしょうけんめい法人化前の国の借金を返しているととともに、新たな病院再開発の節減努力をして、法人化前ほどお金をかけなくなったということを意味していると考えます。ただし、今後デフレからインフレ基調となって、消費税が引き上げられれば、建設費が高騰する可能性もあり、借入金総額がどう動くのかについては、予断を許しません。

 「借入金が大きいため、一人当たりの負荷が大きくなるのは現実の問題としてあるのかなと思います。でも、先生も否定されていませんが、施設・設備は研究に大きく寄与する要因の一つではないでしょうか。勿論、研究目的とか内容とか手段等によると思いますが。」 

 施設・設備は研究に寄与する要因の一つです。ただし、今回の分析に用いた大学病院の「減価償却費」は、診療に使われる施設・設備を反映したものです。収入を生まない教育・研究用の機器については、医業収入で賄うことはせずに、公的な資金や医学部の予算で賄うことになりますが、このような教育・研究用機器の減価償却費は含まれていません。

 研究用の機器であれば、研究成果に直結するわけですが、医療用の機器の場合は、必ずしも研究成果には直結しません。ただし、間接的に研究につながることはあります。たとえば、最新式のCTスキャンを購入して、検査をした症例を集積すれば、臨床医学の論文が書けるかもしれません。しかし、必ずしも研究に結びつく医療機器ばかりとは限りませんし、また、大学病院の建物にいくらお金をかけても、あまり論文数には結びつきません。

 今回の分析結果は、診療に使われる施設・設備の投資については、一部の医療機器は論文数にプラスに働く面もありますが、研究にプラスに働かない医療機器や建物を含めてトータルで見ると、差し引きマイナスになるというふうに解釈されます。

   “研究時間が少なくなる可能性があると考えられる。” 可能性ですから否定は出来ません。でも、臨床医学論文の9割以上お金で決まる!!は少々抵抗を感じるのが本音です。

 Dさんが、「臨床医学論文の9割以上お金で決まる!!」という表現に抵抗感をお感じになるのは、きわめて常識的な反応ですね。僕が、内閣府のある委員会で、論文数を大きく左右するのはお金です、と申し上げたら、担当していた官僚のかたは信じられないという感じて否定的な発言をされましたからね。彼の主張は、科研費を増やしたのに論文数は増加していない、というもので、科研費そのものの存在意義を否定しようとするものでした。

 多くの政策決定者が、お金以外のファクターが大きいと思っており、研究費総額を増やす必要はないと思っているからこそ、このようなことをあえて僕が主張する意義があると思っています。

 さて、Dさんにご質問いただきました「経営者の判断」の議論にお答えしなければなりませんね。

 

”投資できる手持ちの資金額が同じ場合、施設・設備に多く投資すると、人への投資が少なくなるのは理解できます。これは経営者の判断の問題では?

 過度の投資というのは、経営者の判断の問題が大きいと思いますが。”

 

 これは、論文数がお金次第であると認めた場合の財源論、あるいは研究機能と病院経営のリンケージの問題ということだと解釈します。つまり、研究論文の増は、病院の経営判断に左右されるのではないか?

 今回お示しした僕の分析結果に対し、Dさんは論文数の9割以上がお金で説明できるということに驚かれました。もう一つの驚きは、なぜ、論文数が、一見関係がないと思われる病院経営と関係しているのか、そして、研究活動に直接的に投資されるお金ではなく、病院経営の財務指標で9割が説明できてしまうのか?ということだと思います。ある銀行の幹部の人が、そんなことが証明できたら、ノーベル賞をあげるよとおっしゃっていた問題ですね。

 経営判断について僕の考えをお話するまえに、まずは、研究機能と病院経営が、どういうメカニズムでリンケージするのかということについて、ちょっと詳しく説明したいと思います。

 これを理解するためには、企業の研究所の研究員が、同時に営業部で営業活動をしている場合を仮想してみると理解しやすいと思います。営業活動としては、例えば床屋さんをイメージすると病院に近いかもしれませんね。この床屋さんは、研究所を持っていて、その従業員は研究活動を50%、床屋の営業活動を50%おこなっていると仮定します。これを、例えば「床屋ー研究所モデル」ということにしましょう。

 Aさんが働いている「床屋ー研究所」は、何らかの理由で床屋の収入を10%増やさなければならず、そのためにはお客さんの数を10%増やさなければなりません。お客さん1人あたりの理髪に要する時間が変わらないと仮定すると、従業員の床屋での営業活動時間は10%増えます。その場合、従業員を増やさなければ従業員の研究時間は10%減ることになります。一定期間に産生される論文数が「従業員の人数×研究時間」に比例すると仮定すると、論文数は10%減ることになります。ただし、この従業員が残業をして研究時間を10%増やせば、論文数は減りません。しかし、ここの従業員は普段から週80時間も働いており、残業を増やす余地がないので、研究時間は10%減少したままです。

 このようなモデルでは、営業活動時間を増やすように作用する負荷が、シーソーゲームのように、鋭敏に論文数減少に反映されることになります。その負荷は、たとえば、床屋さんが施設・設備の更新をしたために借入金の償還額が増えた、ということでもいいし、交付金が減ったということでもいいわけです。

 僕は、大学病院の実態は、このモデルに近いと考えています。

 Aさんの「床屋ー研究所」は10人の従業員がいて年間10編の論文数を産生しており、理容椅子が10台あり、稼働率は80%でした。一方Bさんの働いている「床屋ー研究所」は、20人の従業員がおり20台の理容椅子をそろえており稼働率は同じく80%でした。両方の「床屋ー研究所」とも施設・設備の更新をして、そのための借入金償還額が増えたため、稼働率を10%増やしました。その結果10%営業活動の時間が増え、研究活動時間が10%減って、論文数も10%減りました。ところが、Bさんの「床屋ー研究所」については、国からの運営費交付金を増やしていただいたので、従業員の数を1人増やすことができ、論文数の減少を防ぐことができました。

 二つの「床屋ー研究所」の論文数の差は?

 通常の状態でBさんの「床屋ー研究所」の従業員は、Aさんの「床屋ー研究所」に比較して2倍いることから、論文数も2倍の20編が産生されていたと考えられます。Bさんの「床屋ー研究所」は、施設・設備の更新に伴う借入金償還の増に伴う研究時間の減少が、運営費交付金による従業員増で防ぐことができたことから、論文数は20編のままです。一方Aさんの「床屋ー研究所」では、交付金が措置されず、施設・設備の更新に伴う借入金償還額増の影響がそのまま研究時間の減少に反映されたため、論文数は10編から9編に減ったということになります。

 このようなモデルでは、「床屋」の財務指標のうち、「従業員の数×研究時間」を反映する指標はすべて、論文数についても、いくばくかの程度反映することになります。

 例えば、「床屋」の営業売上高を考えてみます。Aさんの「床屋ー研究所」とBさんの「床屋ー研究所」の客単価と客一人あたりの理髪時間が同じと仮定すると、売上高は「従業員の人数×営業活動時間」を反映します。従業員の人数は論文数にプラスに働きますが、営業活動時間は研究活動時間を減らすと考えられマイナスに働きます。ただし、Aさんの「床屋ー研究所」とBさんの「床屋ー研究所」とで、従業員の人数は2倍の差があるが、従業員あたりの営業活動時間と研究活動時間の比率の差が高々10%程度であったと仮定すると、人数の方が、研究時間よりもはるかに大きく影響し、売上高は論文数とけっこう良好な相関係数でもって正の相関を示すことになります。

 「売上高」に、「従業員の人数×研究時間」にプラスに働く「運営費交付金」や「狭義の研究費」を加え、マイナスに働く「減価償却費」を差し引いて調整をすれば、論文数とさらに良く相関する財務指標が得られることになります。その結果、異なる「床屋ー研究所」間の論文数の差を、床屋の営業部門の財務指標だけでもって9割以上説明できてしまうことになるのです。

 このような

「床屋ー研究所モデル」

そして、

「論文数=k×(研究人材数)×(研究時間)×(狭義の研究費)」

は、大学附属病院だけではなく、病院以外の大学部分でも成立すると考えています。病院以外の大学の場合に「床屋」にあたるのは「教育」が主なものになりますし、その他、研究時間にマイナスに働く活動も含まれます。

 「論文数=k×(研究人材数)×(研究時間)×(狭義の研究費)」のうち、(研究人材数)については、2倍になれば論文数も2倍になり、3倍になれば論文数も3倍になるという関係が成立しやすいと思いますが、(研究時間)については、1日の研究時間には限りがあるので、あるところで頭打ちになりますね。

 (狭義の研究費)については、ある金額までは論文数と相関すると思いますが、すぐに効果の逓減という現象が表れてきます。たとえば300万円の狭義の研究費をもらった研究者が3か月で1編の論文を書くとしましょう。では、3000万円の狭義の研究費をもらった研究者が、3か月で10編の論文が産生できるかというと、そうはなりませんね。もっとも、3000万円の研究費が狭義ではなく、それで研究人材の数を増やすことに使うことができる広義の研究費であれば、論文数はその金額に比例して増えることも考えられます。また、300万円では実施できず、3000万円かけないことには実施できない研究もあるわけで、この意味からも、(狭義の研究費)と論文数は必ずしも比例するわけではなく、現象としては効果の逓減として表れてきます。

 ただ、研究者の数や時間はあるが、(狭義の研究費)が不足しているために、満足に論文が産生できない大学があるとすれば、このような大学に(狭義の研究費)を投入すれば、その金額に比例して論文数が産生されることが期待されます。

 また、国立大学への運営費交付金の削減は、研究人材数を減らすことに繋がり、教育の負担、つまり「床屋」の営業活動時間が変わらなければ、研究時間が減少して、「研究人材数×研究時間」が減少するので、論文数は減少することになります。これは地方国立大学で実際に起こった現象ですね。

 kは、研究者の能力やソフト面のファクターです。Dさんのおっしゃるように、もちろんこのファクターも重要ですが、論文数の産生と言う面では、ある一定レベルの大学であれば、大学間格差は小さいと思われ、kという定数で表わしてみました。

 さて、以上のような大学病院および大学の経営と研究活動(論文数)とのリンケージの仕組みをご理解いただいた上で、「経営判断」についてもお話したいと思うのですが、ブログが長くなりすぎたので、ちょっと休憩して、また次の機会にします。


 

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