ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(3)

2013年09月28日 | 高等教育

教育についてのご報告を2回にわかってさせていただきましたが、再び論文数の議論に戻ります。10月19日に「日本の研究力を考えるシンポジウム」についてのシンポジウムの練習その3です。

ー第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

9月19日の論文数についてのブログでは

「論文数=k×(研究人材数)×(研究時間)×(狭義の研究費)」

という式をお示ししました。ここで(狭義の人件費)とは、研究者の人件費を除いた研究費という意味で使っています。

 これは、研究人材数も研究時間も狭義の研究費もすべてお金で決まることから、一定レベル以上の大学における論文数は、お金で決まるということを主張した式でしたね。ただし、(狭義の研究費)を(研究人材数)×(研究時間)に単純に掛け合わせるのは正確性に欠けるようです。そこで、もうちょっとましな式を考えてみたいと思います。

 簡略化のために研究人材数×研究時間をフルタイムの研究人材数に換算した数値をFTE研究者数と呼ぶことにしましょう。(FTEはfull time equivalentの略)

 1人のFTE研究者が、論文産生のために必要な狭義の研究費が与えられており、1年間m個の論文を産生すると仮定すると、

 1年間の総論文数=FTE研究者数×m

 となります。mはそれぞれの研究者の論文産生能力で違ってきますが、前のブログでは、少なくとも国立大学医学部の臨床医学論文数の産生能力はについては大学間で差はない、というのが僕の主張でした。

 1年間の広義の研究費総額=FTE研究者人件費総額+狭義の研究費総額

                  =(FTE研究者数×人件費単価)+(FTE研究者数×1論文産生に必要な狭義の研究費×m)

                  =FTE研究者数(人件費単価+1論文産生に必要な狭義の研究費×m)

 1年間の総論文数=FTE研究者数×m

                         =(1年間の広義の研究費総額×m)/(人件費単価+1論文産生に必要な狭義の研究費×m)

             =1年間の広義の研究費総額/(人件費単価/m+1論文産生に必要な狭義の研究費)

             =(FTE研究者人件費総額+狭義の研究費総額)/(人件費単価/m+1論文産生に必要な狭義の研究費)

 これらの式は、FTE研究者数の論文産生能力(m)に差がないと仮定すると、また、研究者の人件費単価に差がなく、1論文産生に必要な狭義の研究費に差がないと仮定すると、論文数は研究費総額に比例することを示しています。

 ただし、研究者の人件費単価が高かったり、1論文産生に必要な狭義の研究費が多額だったりすると、同じ研究費総額の場合に、論文数は少なくなりますね。

 1論文産生に必要な狭義の研究費が多額にかかる例としては、例えば、原子力とか、素粒子とか、宇宙などの研究があげられます。このような多額の狭義の研究費を必要とする科学分野を多く行なっている大学(旧帝大が中心)では、研究費あたりの論文数は少なくなる方向に働きます。

 研究者の人件費については、従来は国立大学間で差はありませんでしたが、法人化後は、旧帝大と地方国立大学とで差が生じ始めていますね。昨年の東日本大震災の財源確保のための国家公務員の給与削減に応じる形で、多くの国立大学法人では非公務員である教職員の給与を国家公務員に準じて下げましたが、東大と京大はあまり下げませんでした。

 一方、大学院生、特に博士課程の学生を多く在籍させている大学(旧帝大が中心)では、人件費は基本的にかかりませんので、研究費あたりの論文数は多くなる方向に働きます。

 このような複雑な要素が総合されて論文数が決まるわけですが、研究者の論文産生能力、研究者の人件費単価、および1論文を産生するために必要な狭義の研究費がそれほど変化しない場合には、論文数は研究費総額およびFTE研究者数に概ね比例するということになります。

 ただし、研究費総額を増やす場合、FTE研究者数と狭義の研究費を同時に増やす必要がありますね。どちらか片方を増やしただけでは、論文数と比例しなくなります。

 実は、科研費などの”研究費”に人件費を含めないのは、以前からの日本の基本的な研究費配分方法でした。アメリカでは人件費も含めて”研究費”が配分されていますね。論文数を増やすためには、狭義の研究費だけではなく、研究者数を増やすための人件費を増やさなければならないはずなのですが、日本では、その部分は大学の経費で賄われてきました。誰が出してきたのかというと、国立大学法人では運営費交付金の一部であり、私立大学では私学助成金と学生納付金の一部ということになります。

 国立大学では、2000年以前から教員の定員削減、2004年の法人化後は運営費交付金削減によってFTE研究者数が減少したことにより、特に地方国立大学で論文数が停滞~減少することになりました。こういう状況で、狭義の研究費だけ増やされたとしても、それほど論文数は増えませんね。この時、国は運営費交付金を削減することが、イコール研究費を削減していることであるという認識はまったくなかったと思います。狭義の研究費だけが”研究費”という認識です。

 運営費交付金についても少し説明しますと、そのどれだけが研究費で、どれだけが教育費なのか、明確な線引きは困難です。ただし、教員の研究時間と教育時間を測定あるいは推定すれば、ある程度案分することは可能と考えられます。国立大学の運営費交付金を研究費とするのか教育費として計算するのか、という点については、総務省は全額「研究費」として計算してきました。しかし、OECDの研究費の国際比較では日本の国立大学の運営費交付金は約半々ぐらいに案分されて研究費が計算されています。OECDの方が、より実態に近い計算をしていると考えられます。

 附属病院となるとさらにややこしくなり、1人の大学教員が教育・研究・診療の3つの活動をこなすことになります。正規教員の診療活動の人件費はいったい誰が出しているかというと、国立大学では運営費交付金、私立大学では医学部の教員人件費(主として学生納付金)ということになります。つまり、大学病院は国立も私立も、医業収入だけでは必要な経費を賄うことができず、教員の診療活動の人件費を、医業収入以外の財源で賄うことにより、やっと経営が成り立っているのです。

 なお、国立大学病院のセグメント会計では、教員の教育・研究活動と診療活動の比率を測定あるいは推定して(タイムスタディー等)、教員の診療活動の人件費を案分して計上しています。法人化後の附属病院運営費交付金の急速な削減などに伴って教員の教育・研究時間が減って診療時間が増えた大学病院では、附属病院会計における教員人件費は増えているはずであり、一方医学部の臨床教員の人件費、つまりFTE研究者数は鏡像のように減っているはずです。このFTE研究者数の減少が臨床医学論文数の停滞~減少を招いたと考えられます。

 いろいろと書いてきましたが、いずれにせよ、論文数はほとんどはお金で決まるということであり、お金を減らせば論文数が減る。つまり、2000年以降、あるいは2004年の国立大学法人化以降、我が国の論文数が停滞~減少して国際競争力が低下したのは、国がお金を削ったからということです。何らかの形でお金を増やせば論文数は増加するはずです。そして、お金の総額を増やさずに地方大学から中央の大学へお金を移すだけの「選択と集中」政策をしても、日本全体の論文数ということでは、効果はないということです。

 Dさんの後半のご質問にお答えするのが、どんどん遅れていきますね。

 

 

 

 

 

コメント
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