ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(1)

2013年09月17日 | 高等教育

台風18号が過ぎ去り、今日は秋晴れの天気でしたが、被害に会われた皆さんのことを思うと、複雑な気持ちになりました。

さて、前回のブログで10月19日に「日本の研究力を考えるシンポジウム」が開催されることを紹介させていただきました。

第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

 財務省の神田眞人さんや文科省研究振興局の菱山豊さんもプレゼンされる予定で、熊本大学長の谷口功さん、中部大学理事長兼総長の飯吉厚夫さん、藤田保健衛生大学の宮川剛さん、政策研究大学院大学の小山田和仁さんと、そして僕がプレゼンをします。かなりの激論が予想されますね。

 いつも僕のブログに対して、なるほどと感じられるご意見をいただくDさんから、たくさんのご質問をいただいていますので、今日はそれにお答えをいたします。

「研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)∝論文数∝お金  ということでしょうか? 研究者の教育・訓練・指導といったことも、お金次第でしょうか? やはりそこには、ノウハウといった、ソフト面も重要な要素ではないでしょうか? お金だけでなく、伝統とか、指導者の指導力、人柄とかいった面はどうでしょうか?    良き研究者=良き指導者 でしょうか?お金を投資して、どれくらいの年数で結果が出るのでしょうか? 仕組みといったソフト面は不要でしょうか? どういうプロセスを経過して成果に繫がるのでしょうか?」

 Dさんはたくさんのご質問が、次から次へと噴出されるようですね。 それぞれ、なるほどと感じられるご質問が並んでいます。この質問に加えてあと2つご質問があります。まずは、この最初のご質問にお答えしたいと思います。10月19日のシンポジウムでも同じような質問が出ると思われますしね。Dさんのご質問にお答えすることは、10月19日のシンポジウムへ向けての良い練習にもなります。

 研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)∝論文数∝お金  ということでしょうか?

 僕がお金と直接関係していると申し上げているのは、このうちの「研究者数、研究時間、狭義の研究費」の3つです。「研究者の能力」については、お金と直接関係のない要素として考えています。だたし、一部はお金と関係している可能性があります。

 研究者の能力はお金とはあまり関係のない部分ですが、現在の日本の状況では

 「研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)∝論文数∝お金

が成り立つと考えています。つまり、適切にお金を出せば、お金に比例して論文数が増える。言い換えると、能力を持った研究者が、日本にはまだまだ存在するということです。能力を持った研究者がいなければ、お金を出しても論文数(特に質の高い論文の数)は増えませんからね。また、今後日本で能力をもった研究者をさらに増やすためには、女性研究者を増やすことや、海外からの優秀な留学生や研究者を増やすことが考えられます。そのためにはお金も必要です。

研究者の教育・訓練・指導といったことも、お金次第でしょうか? やはりそこには、ノウハウといった、ソフト面も重要な要素ではないでしょうか? お金だけでなく、伝統とか、指導者の指導力、人柄とかいった面はどうでしょうか?    良き研究者=良き指導者 でしょうか?

 Dさんのおっしゃるように「研究者の教育・訓練・指導、ノウハウといったソフト面、伝統とか、指導者の指導力、人柄とかいった面」は、基本的にはお金以外の要素が大きく関係することがらです。また、「良き研究者=良き指導者」というのは、まったくその通りです。

 Dさんのおっしゃるようにお金以外のことも非常に大切です。「研究力はお金次第」というのは、いささか誇張した文学的表現であって、誤解や反発を招きやすい表現かもしれませんね。

 ただし、僕が意識的にこのような誇張された表現を使うのは、「研究力はお金以外の要素が大きいので、研究費を削ったとしても、工夫して頑張ればいいはずだ。だから、たとえ大学(特に地方大学)の運営費交付金や研究費を削減しても、日本の論文数と外国との格差が大きくなり、研究の競争力が低下しているのは、現場の努力や工夫が足りないからだ。」という政策決定者の考えを変えていただくためです。

 さて、前回お示しをしたデータは、医学部附属病院を有する42国立大学の臨床医学論文数について、ある時点での静的な分析であり、このデータだけで「研究力はお金次第」と結論付けるのは限界があります。実は、静的な分析だけではなく動的な分析が必要なんですね。

 前回のデータで何が示唆されるかというと

 「国立大学医学部における、ある程度質の保証された臨床医学論文数の大学間格差は、その93%がお金の差で説明ができる。」

 ということです。お金を増やしたら論文数もそれに比例して増える、ということまでは、このデータでは言えないのです。

 前回のデータで言えることは、お金以外の研究力を左右すると考えられる要素の大学間格差は、国立大学医学部の間では極めて小さい。ということです。つまり、東大であろうが、三重大であろうが、「ある程度質の保証された論文数」という指標で測定をした場合、研究者の能力や、その他研究力に関係するソフト的な要素については、ほとんど差がない、ということを言っているのです。

 繰り返しますと、Dさんのおっしゃるように「研究者の能力」は、もちろん研究力を左右する大きな要素であり、決してそれを軽視するべきではありませんが、前回のデータは、医学部においては東大と三重大とでその差はほとんどなく、東大も三重大も研究者の粒がそろっており、ちょぼちょぼである、ということなのです。

 したがって、地方国立大学の予算を削って、論文数の多い大学に予算を移しても、日本全体の論文数が増えるわけではない。最近、国は、旧帝大+いくつかの大学を「研究大学」と称して重点化し、「選択と集中」政策をあからさまに押し進めています。僕の主張は、下位の大学の予算を上位の大学に移し替えるだけの「選択と集中」政策をしても、日本国全体の研究の国際競争力は向上しませんよ、ということなのです。

 もっとも「選択と集中」政策を実行するにしても、下位の大学の予算を削らすに、研究費総額を増やす形でやっていただければ、日本全体の論文数は増えることが期待されます。

 ただし、研究費を増やしたら論文数は増えるのですが、研究費に比例して論文数が増えるかというと、必ずしもそうとは限りません。「効果の逓減」という現象が起こってくるからです。つまり、お金を増やせばある所までは比例して論文数が増えますが、あるところを超えると効果の伸びが鈍化すると考えられるからです。僕は上位大学に「選択と集中」をすることは、この「効果の逓減」を生じやすいリスクがあると考えていますが、これについては、今回お示ししたデータとは別のデータによる実証が必要ですね。

「お金を投資して、どれくらいの年数で結果が出るのでしょうか? 仕組みといったソフト面は不要でしょうか? どういうプロセスを経過して成果に繫がるのでしょうか?」

 お金を投資して、どれくらいの年数で結果がでるのかというご質問ですが、これは、前回お示ししたデータではわかりません。動的なデータの分析が必要ですね。ちょっと解釈が難しくなるのですが、動的な分析をしたデータを下にお示しいたします。

 2007年から2010年にかけての臨床医学論文数の増加率と相関する財務指標を求めた分析です。

 2010年度の「帰属主義からの教員人件費増加率」とは、いったい何を意味しているのか、ほとんどの皆さんはお分かりにならないと思いますが、簡単に言えば、本来あるべき教育・研究と診療の時間的な比率から、実際はどれだけ診療に傾いているか、ということを示す財務指標ということになります。この指標が大きい大学病院ほど、教員の研究時間が少なく、診療時間が多い大学であると考えてよいでしょう。

 ほんとうは、2007年から2010年にかけてのこの指標の増加率を分析に使うことができればよかったのですが、残念ながらそのデータが得られないために、2010年の静的なデータとして分析をしています。運営費交付金と減価償却費については、2007年から2010年にかけての増加率を用いています。

 そうすると、論文数の増加率に対しては、運営費交付金の増加率がプラスに働き、減価償却費の増加率と「帰属主義からの教員人件費増加率」(つまり診療時間への偏りの大のきさを示す静的データ)はマイナスに働くことがわかりました。

 つまり、教員の研究時間が確保されている大学病院において、運営費交付金が増えれば論文数が増える。ただし、その間に減価償却費が大きく増えた大学ほど論文数の増えは悪い、ということになります。

 このようなデータから「お金を投資して、どれくらいの年数で結果が出るのでしょうか?」というDさんの質問に対しては、数年単位の非常に短期間で結果が出る、というお答えになります。

 Dさんの「仕組みといったソフト面は不要でしょうか?」というご質問に対しては、ソフト面は必要であり、非常に重要な要素であるが、ただし、東大と三重大の論文数の差はソフト面では説明が困難であり、ほとんんどはお金の差で説明ができ、ソフト面での差はないと考えられるということになります。

 「どういうプロセスを経過して成果に繫がるのでしょうか?」というご質問には一般的なことしか答えられませんが、運営費交付金が増えれば、研究人材を雇用することができ、論文数が増える。逆に運営費交付金が減らされれば、研究人材を減らさなければならず、論文数が減る、というふうに考えられます。また、減価償却費が増えるということは、施設・設備の投資を最近行ったということであり、償還が始まれば医師の活動時間が研究から診療へシフトすると考えられ、それだけ論文の生産は減ることになります。

 臨床医学研究のプロセスは、一般的には、症例数を統計学的分析に耐えられるだけの多くの数を集めて、分析するということです。ただし、実験的研究をする研究者もいます(今まで日本の臨床医は実験的研究をする人が多かった)。今後、海外に対抗できるような質の高い臨床研究をしようと思えば、より多くの症例数を集める必要があるのですが、これは、Dさんのおっしゃるソフトの問題ですね。日本の医療提供システムが歴史的に中小規模病院の分散型になっているので、これを海外の大学病院みたいに、多くの症例が集中する大規模病院のシステムにしようと思えば、相当な構造改革が必要であり、またICTシステムを構築するにしても、かなりのお金が必要となります。

 Dさんのご質問はまだまだ続くのですが、また、次のブログで回答することにします。

 

 

 

 

 

 

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